宮崎謙介議員の一連の行動について思うこと

個人的にはまったく知らない人である。4年前の総選挙の際のいわゆる安倍チルドレンの1人、公募選出だ。有象無象の新人が100人を超え、教育が大変と聞いていた。彼は2006年、山形の加藤紘一氏の3女と結婚して加藤姓になった。跡を継いで政治家を目指していたと思われるが,3年後に離婚。女癖が悪かった故だそうだ(加藤鮎子氏は再婚して子供が生まれ、一昨年議員になっている)。

金子恵美さんという同期(新潟選出)といわゆる出来ちゃった婚をしたのが昨年5月頃。だいぶ経って結婚披露宴を、東京を含めて計何回も開いたという。安倍首相その他お歴々を招いての盛大なものだった。たしかに美男美女、長身の、見栄えのいいカップルではある。今年2月5日に出産。宮崎の名前が世間に知れたのは、その前に「育休を取る」宣言をしたことによる。賛否両論があったそうだが、自民党内では反対のほうがよほど多かったと思う。歳費を貰って何ということだ…。あまりにもやり方が稚拙だ、根回しもせずに自分勝手に宣言をして、何だこれ…。

私は、この育休宣言に大きな違和感を覚えた一人である。国会の通常国会は毎年1月に始まり、会期150日間、つまり6月まで続くのだ。職業の自覚が備わっていれば、少なくともその時期の出産は避ける。出来ちゃった婚は世間にはざらにあることかもしれないが、国民の代表者には許されない、と私などは思う。普通の生活をしたければ、普通の自由が欲しければ、国会議員ではなく別の職業を選ぶべきである。もっとも普通の職業であっても、例えば大変なプロジェクトを抱えていて他の人で無理な状況であれば、その間の妊娠出産は避けるのが、世間の常識というものである。

つまり裏返してみると、この人たちには、自分でないと出来ない仕事がないということであろう。形は国民の代表者だが、実質はただの数合わせ、自他共にそういうことだと思う。もちろん国会議員だから出産休暇・育休休暇を取って悪いとは決して思わないが、それは最低限、周りに迷惑をかけない範囲でとるものであろう。しかも、この人は以前から育休運動をやっていたわけではない。少なくとも6月には分かっていたのだから、もしやるのであればその頃からスタートしてもよかったのだが、間際になって、勝手に宣言した。呆れるばかりに自分勝手で、子供っぽすぎる。

そう思っていたところに、今日発売の文春に不倫報道がでかでかと載った。妻の出産入院中の1月30?31日、タレントを京都(選挙区)の自宅マンションに泊めたというのだ。浮気は総じて許されないが、ことに自分の子供を産むために妻が命がけで戦っている時に浮気するのは、まずもって人間として最低である。しかも自宅だ。しかもしかも、何より彼は公人なのである。そのうえ、育休をとって妻に協力したいと公言していたのである。それはどういう意味だったのだ?! 歳費を貰って堂々と休んで浮気をしたい、そういうことだったのか? これほどの無責任な人間は未だかつて見たことがないほどに思う。

この前にも武藤某、中川某、また他党では上西某などスキャンダルが続いてきた。こちらが恥ずかしくなるほど公人としての自覚がまるでないと感じるが、ご本人らは存外に平気なようである。当たり前だが、国会議員は国民の代表者である。最低限、普通の良識を備え、国民を代表して恥じない人であってほしい。公認をしたほうの責任も重いと思う。それなりの人を選んで国民に呈示する責任が、公党にはあると信じている。

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琴奨菊優勝!に思うこと

はらはらどきどきの数日が、無事に終わった。大関琴奨菊初優勝、日本出身力士10年ぶりの優勝だ。14勝1敗の立派な成績、そしてどの取組みも完勝だった。本当におめでとうございます!

あれっもしかして、と10年前の手帳を見たら案の定、初場所千秋楽の日、私は両国国技館にいた。「正面枡席、栃東優勝」とあるが、しかし覚えていない。以後日本人力士が優勝しなくなるなど思いもしなかったし、この頃はまだ付き合い程度で行っていたにすぎなかった。以後、だんだん興味を持つにつれ、決まり手や取り口など、分からないことはネットで調べたり人に聞いたり…今や、幕内力士の顔を見たら四股名が分かるし、番付も所属部屋も出身地(国)も年齢も学歴も、大体は分かる。幕内どころか今や、十両はむろんのこと、幕下以下の力士でも注目したり、取組内容や結果に関心を持つようになっている。

相撲の面白さは、勝負が必ず、短時間に決まることである。そして、無差別級であることだ。まさに「小よく大を制す」。琴奨菊も179センチの小柄ながら、がぶり寄りの得意技を磨ききって、190センチ級の白鵬・鶴竜・日馬富士の3横綱に、今場所いずれも完勝した。白鵬に以前は歯が立たなかったが、稀勢の里には勝ち越している(稀勢の里が優勝に遠い理由の一つに、琴奨菊に弱いことがある)。無差別級の格闘技を支えるのは多彩な技である。みなそれぞれが自らの技を磨き、力をつけ、相手を研究して、立ち合いに臨む。

今場所、白鵬の一強時代終焉を如実に感じた。先々場所休場し(鶴竜優勝)、先場所の後半3連敗し(日馬富士優勝)、そして今場所も後半の3敗は完敗だった(勝った取組みも内容がよいとは決して言えない)。全盛期の日馬富士は立ち合いのスピードから相手を圧倒したが、怪我と年齢からもはやピークを過ぎている。今場所琴奨菊が奮起して結果を残したことで、どうか稀勢の里も覚醒してほしい。栃煌山も豪栄道も、である。相撲が好きで一生の道と選び、血のにじむような稽古を積んできたのだから、自分へのご褒美として、優勝を、そして横綱を目指してほしい。

琴奨菊は福岡出身。子供の頃から相撲が大好きで相撲取りになりたいと言い、中学から高知の明徳義塾に入ったという。高校を出て角界に入り、大関にまで昇進したが、怪我も多くカド番も多く、最高は12勝である(2回)。二桁勝利にもなかなか手が届かず、一方、同期の稀勢の里(中卒なので年齢は3つ下)は13勝が何回かあり、二桁勝利の常連だったので、評価・人気共に先行されていた。腐ったことも多かったと思う。だが、見事に乗り超えた。昨年7月に入籍した妻には「優勝する」と誓ったそうだ。

小さい時からの夢をひたすら追いかけ、努力し、そして実現する。めったにある人生ではない。ほとんどの人には出来ないことだ。13日目豊ノ島(中学から同期のライバルだという)に負けて白鵬に1敗で並んだ時、やはり結果は白鵬優勝かなと思った人も(私も含めて)多かったと思うが、昨日14日目、栃煌山戦の立ち合い前の顔が落ち着いてとてもいい表情をしていたので、これはいけると思った。今日豪栄道戦でも同じ表情だった。彼は己自身に勝っていたのである。

来場所優勝すれば、横綱昇進となるだろう。そこに、稀勢の里らが立ちはだかる、そういう大相撲を見てみたいと思う。

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採点を終えて、大相撲に思うこと

この月曜は予報通りの雪になり、電車は遅れるし(地下鉄は関係なさそうだが、間引き運転を指示されているらしい)、道は滑るしで、通勤に難儀した。でも翌日の道は凍っておらず、普通に歩くことができた。こうやって綺麗にして下さる方々に感謝である。東京はたまだからよいが、いつも雪が降る地方の方々のご苦労を改めて思う。

大学はこの7日(木)に後期試験を実施し、今日は丸一日空けておいて、朝から一気呵成に採点を済ませた。何でもそうだが、無事に終了したときには達成感があるものだ。刑法総論と刑事訴訟法。問題は必ず論述式、各2問にしている。授業に出てさえいれば誰でもそれなりに書ける問題しか出していないので、それなりに書いてはくるのだが、やはりそれでもまとめ方というか文章力には大きな差がある。中には、ほうっと思うほど力強い文章もあって(文字、ではない)、それはきっと書き手に、相手に訴えようとする内的なものがあって、それが響いてくるのだなと思う。文章の力というのはすごいものである。

さて両国場所。すでに先週2回、大相撲観戦に行った。たいていは千秋楽にも行くのだが、大相撲人気で今回はチケットが取れないとのこと。残念だが、仕方がない。今場所は異様な熱気である。ことに昨日、互いに10連勝の琴奨菊と白鵬が早や直接対決し、これまで1割しか琴奨菊は勝っていないし、どうせまた白鵬に負けるんだよねと思いながらテレビを見たら、なんと勝ったのだ! それも左を指して右を抱え込み(回しも取らず)、得意のがぶり寄りという琴奨菊必勝パタンで白鵬に何もさせず、まさに完勝だった。琴奨菊ってこんなに強かったっけ? 白鵬ってこんなに脆かったっけ? 乱れ飛ぶ座布団。そう、実際の観戦の素晴らしさは、音も汗も迫力もそうだが、客席のこの一体感である。

今日琴奨菊は、1敗の日馬富士と対戦する。勝つに越したことはなく、もし負ければ1敗で3人が並ぶ(白鵬が今日豪栄道に負ければ2敗に後退するが、それはなさそうな気がする)。横綱はあと横綱同士の取組及び稀勢の里戦なので星のつぶし合いになるが、琴奨菊は豪栄道以外は下位力士なので、単純に考えると琴奨菊のほうが分が良い(とはいえ、過去の対戦成績を見ると、豪栄道にも栃煌山にも負け越しているのでわからないが)。日本人力士優勝の10年ものブランクが、今場所埋まるのだろうか? もちろん土俵では何が起こるか分からないので、期待しすぎは禁物なのだが(と自らを戒めている)。

場所中は大相撲関連のいくつかのブログを毎日チェックしているのだが、喜んでいる人ばかりではないことを発見した。中心は稀勢の里ファンだ。日本人力士優勝の一番候補はずっと稀勢の里だったのである。大関の責任である2桁勝利を概ね挙げ続けているのは稀勢の里だけである。時に白鵬を破り、破格の強さを見せることもある。力はあると皆が認め、毎回毎回期待を裏切られながら、毎回毎回皆飽きもせず、長年ずっと稀勢の里に期待してきた。今場所前もそうだったのだが、しかし実際は6勝5敗。優勝どころか2桁どころか、勝ち越しさえ危ない体たらくなのだ。

予想もしなかった「伏兵」の登場。いちばん複雑な思いでいるのは稀勢の里及びその多くの支援者であろう。モンゴル包囲網にやられるのはもう慣れっこになっているからか、半ば諦めてさほど腹は立たないが、同じ日本人にやられるのは許せない。この手の感情は、ひとり相撲やスポーツに限らず、人間には普遍的にあるように思われる。根源にあるのはやっかみや嫉妬であり、加えて、そうなるともう言い訳ができず、自らの非なり不運に向き合わざるをえなくなるからではなかろうか。

琴奨菊は新しい筋力トレーニングを始め、体幹を鍛えているのが効果を奏したのだという。メンタルトレーニングもしているらしい。すでに31歳だが、嘉風だって30歳を超えての大躍進だ。場所後に披露宴を挙げる予定だという新妻の支えも大きいに違いない。かつて大けがをしてカド番の代名詞になっていさえした琴奨菊は「今は昔」。今場所の琴奨菊は別人のようでさえある。その努力は心から称えなければならないと思う。今日を入れて、残り4日。固唾を飲んで見守りたいと思う。

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『1,000万円を貸した友達と連絡が取れなくなりました。』

自由民主党月刊女性誌「りぶる2月号」

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深夜バスの大惨事に思うこと

死者14人! 乗務員2人を除く12人の乗客全員が、前途ある有為の大学生だった。被害者はもちろん、まさに掌中の玉の子女を思いも寄らぬ形で無残に奪われた御遺族の方々には慰めの言葉もない。

乗務員が共に亡くなり、事故原因は未だ解明中である。車は、続くカーブを回りきれず、対向車線にはみ出してガードレールを突き破って道路右側に転落、大破した。ツアー会社の既定ルートであった高速道路を避けて(理由を推察するに、同乗者はこの路線を何度か経験済みであったので、少しでも経費を浮かせようとしていつもそうしていたのではないか)一般道路を走っていたが、そのカーブ自体は運転の難所というほどのものではなかったという。ただ、運転者は65歳。深夜運転には高齢なうえ、運転経験はマイクロバスの近距離ばかりで、この運行会社には昨年末に就職したばかりだったという。にわかに大型バス運転の研修を受けたといっても若い人ではないので適応には時間がかかるし、しかもこの路線は初めてだったので(57歳の同乗者には経験あり)、本人も乗車前からたいそう不安だっただろうと思う。運転技術そのものの未熟さはもちろんあるが、事故自体は、過労か病気か、とにかく一瞬意識を失ったあと戻って狼狽し、制御不能に陥ったのではなかろうか(会社は入社時の健康診断もしていないし、行政処分を受けていたほど問題の会社であったという)。

その時の気持ちを考えると、運転手も気の毒になる。事故は、起こしたくて起こすのではない。学生にいつも言うのだが、同じく犯罪として取り扱われてはいても、故意と過失は全く別物である。例えば、運転中に常に意識をしっかり持つべきは当たり前だが、ふと考え事をしたりして意識が途切れることはありうる。だがその時に歩行者がいなければ、車もなければ、あるいは同乗者もいなければ、不幸な結果は起きないのだ(自損事故は何の犯罪も構成しない)。故意の認定は「犯意→結果」だが、過失は「結果→落ち度」と順序が逆となる。一瞬意識が途切れてもまっすぐな高速道路上であればおそらく不幸な結果は起きなかっただろう。もちろんどんなに運転技術が未熟でも大丈夫である。しかし、現実にこうした大惨事が起きてみれば、誰にとっても大変不運かつ不幸なことだったとしかいいようがない。

短期間にいろいろな背景事実が明らかになってきた。なぜ65歳を新しく雇うのだろうと思ったら、この業界は深刻な人手不足であるらしい。4年前、運転手の居眠りで7人の死者を出した関越自動車事故を受けて、夜間に一人で運転できる距離が制限され、二人を乗せることになって運転手の需要は増えたが、その一方、大型2種免許取得者は減り、65歳以上の割合はすでに半分近いのだという。そこで、大手のバス事業者以外は高齢運転者に頼らざるをえない。本来はコスト増は料金に転嫁すべきだが、価格競争がすさまじく、同業者ばかりか新幹線や飛行機との競争もある。となれば、零細ツアー会社ほど運行会社に国の基準を下回る運賃を提示することになり、運行会社も零細であればこれを受けざるをえないことになる。こうした売上げの減少分はもちろん、人件費はじめ諸経費の切り詰めで賄うことになる。価格競争が結局自らの首を絞めることになるのはどの業界も同じなのだが、今回もまたいわば構造的な問題を背景に、極めて不幸な事故が起きてしまった。

警察も行政機関も入り、そのうちに事故原因や当該会社の実態、そして広く業界の実態など明らかになるだろうし、それを受けて、然るべき法規制も行われることになるだろう。とはいえ基本的にはやはり消費者自身が賢くならなければいけないのだと思う。そもそも安全にはコストがかかる。安かろう悪かろうは何であれ、概ね正しいと思われる。かつて、飲食店でユッケを食べて死者が出た時、細心の衛生管理が必要な生肉があんなに安く出せるはずがない、まして子供に食べさせるなんてどうかしていると思ったものだが、あまりに安価であるのは必須のものを削っているが故と考えるべきだと思う。だが、それを選んでしまう学生、そして、本来は年金で暮らせるべき年なのに、条件の厳しい所に契約社員で勤め、自身不安を抱えながら初めてのコースに臨んだ高齢者…悲しい現実である。多くの負傷者の一日も早いご回復を、そして亡くなったすべての方々のご冥福を、心から祈ってやまない。

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