参院選終わる。新しい政党が伸びてきたのは…?

 自民党は予想通りの大負けで、改選前議席より13減らして39議席。非改選の62議席と併せても101議席である。公明党も6議席減らして8議席なので、自公併せて今回47議席。執行部が選挙前低めに設定したはずの「目標」数値は50議席で、それがあれば過半数(125議席)の維持は可能だった。だがそれさえ割り込み、衆議院ばかりか参議院においても少数与党に転落である。ちなみに、共産党も4議席減らした(現有7議席)ところからすると、組織票に頼る政党はおしなべて落ち目の傾向が見てとれる。3連休の真ん中の日なので投票率は落ちる(=組織票に頼る政党が有利になる)との見込みは完全に外れ、前回よりも投票率は6ポイント上がったというから、これまで選挙に行かなかった層が投票行動に及んだことは明白である。

 反対に躍進したのは、共に13議席ずつ増やした国民民主党と参政党で、現有それぞれ22議席と15議席となった。増減のない政党は、立憲民主と維新。それぞれ現有38議席と19議席なので、維新は国民民主に抜かれて野党第3党になったわけである(維新関係者のショックは大きかろう)。国民民主は「手取りを増やそう」(給料を上げることは国に出来ることではないので、税金を下げるということですよね?)、参政党のスローガンたるや「日本人ファースト」!! どちらも一言で、分かりやすい(長々と政策を喋っても誰にも分からないし、誰も聞かない)。かつて小泉さんが「自民党をぶっ潰す」をスローガンにして、多くの支持を得たことを思い出す。

 日本人ファースト、つまり外国人排斥って、トランプのアメリカファーストに対抗したわけですか?(都民ファーストというのもあったが) もちろんヨーロッパの多くの国で移民排斥を是とする極右ないしポピュリズムが台頭しているのは周知の事実ではあるのだが。主な情報源が新聞ないし雑誌という従来のアナログ層には全く知られていない政党ないし候補者だったのだが、今や新聞などの紙媒体離れは顕著で、ネットで拡散された情報しか知らない層が増えている。既存政党は信頼できないし、世の中を変えてくれる政党はこれだとばかり、乗ってきたのかもしれない。私はその党首も知らなければ、東京選挙区に出ていた「さや」とかいう人も全く知らなかった。こんな浦島太郎感を味わった国政選挙は初めてであり、そのショックも大きい。

 ネット情報は誤りが多い。根拠ももちろん書いていないし、あったとしてもいい加減である。信用性を担保するものが皆無なのだ。夫婦別姓には断固反対をする。なぜならば戸籍がなくなるからである。戸籍がないので?犯罪のやり放題となり、治安が悪くなる…とあったらしいが、無茶苦茶である。選択的夫婦別姓は戸籍の書き方の問題ではあっても戸籍の有無とは無関係である。そんなことは自明の理と思っていたが、どうやらそうではない層も結構いるのかもしれない。外国人が増えると治安が悪くなる、外国人の重大犯罪が増えている…全くでたらめである。外国人犯罪も少ないが、犯罪そのものが日本では減っているのだ(ちなみに民事事件も減っており、弁護士を増やしたのに事件が減り、食べていけない弁護士が増えている)。もし増えていれば、これ幸いに予算が取れ人員も増やせるので警察庁が大きく宣伝するのだが、何も言えないので特殊詐欺などに特化した宣伝をしている。個別に悪い人がいるのは外国人日本人を問わない話である。

 外国人を優遇して、その分日本人の処遇を悪くする施策は日本には一切ない。外国人には参政権は認められていないし、移民政策は未だ採られていない。少子高齢化を救うために移民をとかねて言われながら、その深刻な失敗例をヨーロッパ各国に見てきた日本では未だに消極的なのである。年に3000万人もの外国人が観光などに訪れてくれて、日本食はじめ日本文化にひたり、日本での消費に貢献してくれ、世界に日本を発信してくれることはただただ有り難いことではないのだろうか。今後の日本のあり方としては、外国の人たちと積極的に交流し理解し合うグローバリズムこそが大事なのに、根拠もなく外国人排斥を真っ正面に謳う政党が出てきて躍進を遂げたというのは、日本にとってマイナスにしかならないことのように思う。その他、核武装は最も安上がりとの発言もあった。憲法草稿とやらもちょっと目を通して、絶句した。なんだ、これは…。憲法の意義や法律の基本も全く分かっていないのが丸わかりである。今回の選挙で、日本国民の民度が落ちているのが分かってショックだとの感想もあちこちで聞いた。社会への不満。それは現実の格差への不満であろう。貧富の格差など日本ではまだまだ大したことはないが、それでも自分たちが阻害されている、不当に遇されていると感じる人たちは多いのだろうと思う。

 自民党に関していえば、昨年の衆院選で大敗した大きな理由は、岸田政権時代に露わになった派閥パーティ政治資金の不当な処理問題、いわゆる裏金問題である(3人の国会議員が起訴済みだが、公判前整理手続きにずいぶん手間取っているのか、初公判が開かれるというニュースを聞かない)。専らは安倍派議員が関わっていて、それ自体は石破さんは無関係だったし、昨秋の総裁選で正当に選ばれもした。石破さん以外の総理でも衆院選は敗北を免れなかっただろうし、この参院選もその延長上にある。トップが変われば国民が一転、信頼に転じるといった単純な話のはずもない。石破さんにしてみれば、なぜ自分が辞めないといけないのかと思うだろうし、かといえ組織としては敗北の責任を取ってトップなり誰だかが引責辞任をしないのは筋が通らないというのも分かる。結果、石破下ろしの声が大きいようだが、石破さんは辞めないと言っているそうだ。

 石破さんが辞めたとして、総裁選を実施して、次は誰になるのか。国政・外交を停滞させたうえ誰かが次の総裁になったとして、少数与党の現状で衆院で首班指名を取れるかは分からない。悪くすると総裁にはなったけれど総理にはなれない、「貧乏くじ」を引くことになるかもしれず、今総裁になりたい人が本当にいるとは私には思えない。本来であれば、衆院に続いて参院でも勝利した野党が結束して野党主体の連立内閣を組む方向に持っていくのが筋だろうとは思うが、その軸になるべき立憲民主党にその気概があるとは思えないし、かつての小沢さんのように強引な力業で引っ張っていける議員も見当たらない。各政党がばらばらに乱立している体であり、結局のところ自公内閣にケチをつけるだけつけるのであろう。自公としては少数与党なのだから、どこかと連立を組むことになる。いずれにしても、人気のある首相を選んで解散総選挙を打てば浮揚する、という近視眼的な展望はもはやとりえないと思われる。自民党としては、いったん回り道をしてでも、地道に日本の国益を図り、世界の中での日本のステータスを上げ、日本国民のためになる施策をこつこつと実行し、国民の信用を回復できるよう努めることしか道がないように思えるのである。

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『夫に元妻との子供がいます。相続はどうなりますか?』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2025年8月号

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『ハーバード日本史教室』(佐藤智恵著)を読んで。幕末の大名「堀直虎」を知る。

 佐藤智恵さんは以前、自民党前国会議員会の講師として来られ、お話を伺ったことがある。ハーバードでは学生たちの研修先として日本が一番人気なのだという。最も印象に残っているのが、新幹線が東京駅で折り返す際の車内清掃の話である。いかにこの会社では清掃団の統率が取れ、素早い臨戦態勢が確立されているか。数分の真剣勝負の根本にあるのが従業員の誇りだとは考えもしなかった。毎度当たり前のように接していて、不思議とも思わなかったが、日本で当たり前のことが世界では当たり前でないことはよくあることである。

 ハーバードでの日本史教室(高校では日本史はほぼ教えられないとのこと)。登場教授には高名なエズラ・ヴォーゲルやジョセフ・ナイも含まれる。サムライや忠臣蔵が人気(源氏物語は不人気)というのは何となく分かる。忠義は何も武士道(ちなみに武士道という言葉は新渡戸稲造の造語であり、元から存在したものではないが)ひとりのものではなく、騎士道にも通じるからである。つまり人の生き方として美しいのだ。疑問に思ったのは原爆投下の正当化についての講義である(サンドラ・サッチャー教授)。トルーマンは朋友チャーチル同様、「本土上陸作戦よりも原爆投下のほうが戦争を早く終わらせることができる、結果的に犠牲者が少ない=人道的に正しい決断」として踏み切ったことになっている。これが正当化の理由の1つ目、「功利主義」である。2つ目は「戦争は地獄」(南北戦争時の北軍将軍による)、つまり戦争の罪は始めた人がすべて負うべきなので、真珠湾攻撃によって戦争を始めた日本に何をしても許されるということらしい。理由3つ目は(2つ目と似ているが)「スライディング・スケール」、真珠湾攻撃を仕掛けられたアメリカの正義は高いので、それに従って攻撃の度合いも高くてよい…。とにかく、リメンバーパールハーバー。戦争は宣戦布告をしさえすれば紛争の解決手段として許されるので、日本側が送った電報を何時間にもわたって放置していた日本大使館の怠慢が、終局的には原爆投下を招いたとも考えられるほどなのである。

 トルーマンの原爆投下正当化論に対して、もちろん、アメリカにも反対論はある。『正しい戦争と不正な戦争』の著者マイケル・ウオルツアー教授いわく、戦争における最も重要なルールは「非戦闘員の保護」であるから、原爆投下は明らかにこれに違反している(←東京大空襲も当然に違反しているが、原爆投下は規模が違う)。また、「ダブル・エフェクト」の原則にも反している。これは、意図的に非戦闘員を攻撃することは人道的に許されない、戦闘員は非戦闘員の被害を最小限に食い止めるために最大限の努力をしなければならないということであり、連合国側は日本の軍部に対して「破壊的な威力を持つ新兵器を使う用意がある」と警告はしたが、広島や長崎の市民に対して(←ちなみに投下先候補として京都も上がっていたが、文化的な遺産を鑑みて回避された)避難する猶予を与えていない。かつ「比例性のルール」にも反している。これは過度の危害を与えることを禁じる原則であり、アメリカ政府が原爆が人間に与える危害の大きさを理解することなく使用し戦争を終結したのはこれに違反しているというのである。学生たちの意見は、原爆を正当化しないほうが多いが、中には少数ながら正当化する者もいるという。まあ、それはそうだろう。意見というのは様々にあるものだ。

 しかし私がこの講義内容に不消化感を覚えるのは、大事な歴史的事実に触れられていないからである。当時ソ連は(日ソ不可侵条約を破り)日本侵攻を企図しており、そうなれば日本は降伏に踏み切らざるをえなかったであろうし、となると日本の戦後処理はアメリカが独自に進められるはずもなく、ソ連が主となって、あるいは少なくとも共同統治とならざるをえなかったと思われる。ドイツや朝鮮半島のように国は分裂させられていたであろう(天皇の存在があるからそう簡単にはいかないはずだが)。加えて、それ以前から開発を進めていた原爆が出来上がり、実際にその効力を試してみたかったというのが本当のところと思われるからである。当時すでにドイツはヒトラーが自殺し、国は降伏済みであって(1945年5月)、日本の降伏も時間の問題であった。実際水面下で進めようとしていたのに、アメリカが新兵器原爆を使用したいがために飲まなかったと、私が読んだいくつかの本には書いてあったし、私はそうであろうと理解している。もちろん白人相手には試さないので、有色人種だったことが大きい。そこにもってソ連の参戦情報が投下を急がせたのである。東京大空襲もそうだが、非戦闘民に対して無差別に爆弾(を超える殺傷能力を有する原爆)を投下するのは国際法違反の何ものでもない。広島への投下によって「参りました、降伏します」との日本側の対応を待つ暇もなく、3日後に長崎に投下したのは、先に原爆投下ありき、と考えないと辻褄が合わない。

 須坂藩主堀直虎は、初めて聞く名前である(デビッド・ハウエル教授)。日本史は好きだし本も結構読んでいるつもりだが、全く聞いたことがなかった。幕末の、1万石の小大名(在信濃)であったが、英明であり、若年寄かつ外国総奉行に任じられる。1936年生まれ、1868年(未だ慶応4年時)、江戸城内で自死して果てた。図書館で『将軍慶喜を叱った男 堀直虎』(江宮隆之著)を借りて、読んだ。鳥羽・伏見の戦いに敗れて部下をほっぽり出して江戸に逃げ帰った慶喜がその詳細も知らせないまま、連日各藩の大名を集めて大評議を開いたのに対し、死を覚悟のうえ、万座の中、その責任を追及したというのである。仮にも現将軍に対してそんな大それたことをしたのは彼一人であろう。もっともどのように叱ったのかその内容、徹底抗戦を主張したのか朝廷への恭順を主張したのか、それさえ不明のままであるらしいのだが、海を越えて名前を知られているとは、すごいことである。堀自刃の少し前、その朋友で同い年の山内豊福(とよよし、土佐新田藩藩主)が朝廷派の土佐藩と旧幕派との板挟みの中、自刃して果てている(娘のために生きてくれと夫との心中を断られた妻も別の部屋で自刃し、娘2人が遺された)。

 実はこの本を読んで初めて知ったのだが、最後まで幕府のために徹底抗戦した会津藩の初代藩主は松平正之。3代将軍家光の異母弟保科正之である(同母弟忠長は30歳になる前に自害に追い込まれている)。正室お江の方(淀君の妹)に遠慮した秀忠は正之の存在を隠し、信州高遠藩主の養子として育てられたが、その存在はやがて家光の知るところとなり、会津藩23万石への天封と松平家の名跡を与えられた。信頼を得て4代将軍家綱の烏帽子親となり、副将軍格となり、家光が亡くなる際に、「未来永劫、徳川家のために尽くしてくれ」と託された遺言「託狐の遺命」が、代々の会津藩と藩主とに受け継がれてきた掟であったという。それ故に幕府最後の難しい時に、会津藩主松平容保は京都守護職を引き受け、その弟で桑名藩主だった松平定敬は京都所司代を引き受けていたというのに、上記大評議の席に彼らはよばれなかったという。そのことも堀が指摘したというのは著者の読みである。

 恥ずかしい話だが、二条城は家康が京都の別邸として建てたもので、本能寺の変のとき、信長の長男信忠が果てたのは二条御所であって、全く別物だということも初めて知った。やっぱり本を読まないと知識は入らない。ネットでは情報は入るが、それは断片的なものであり、知識はもちろん教養は、本を通してこそ入るものである。

 東京は連日暑いのに、梅雨明け宣言が未だない。昨夕から記録的な雨で(記録がどんどん更新されていく)雷がひどく、気温が下がってよく眠れた。今日は30度を超えないようだ。年々温暖化が進み、クーラーに縁のなかったヨーロッパ各国もおしなべて猛暑である。だんだん住みにくくなっていて、少子化に歯止めといったって、こんな環境では子供も作れないよねと思ってしまう。

 

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いわゆる「性犯罪」の変遷について、例のN事件に思うこと。

日本の刑法は明治40(1907)年制定のまま、今に至るも基本は変わらない(新しい刑法制定の動きはあったが、見送られて何十年も経つ)。もちろん時代の変遷に伴い、随時改正はなされてきて、平成7年には従前の文語体から口語体に全面改正されたし、カード導入やコンピュータ化に伴い新犯罪もいくつか作られた。平成16(2004)年には全体に刑罰が引き上げられたし(=重罰化)、この6月からは従来の懲役・禁錮刑を一本化する「拘禁刑」が現場で導入されている。

性犯罪といえばその中心はずっと刑法177条である。もともとは強姦罪で、その構成要件は「暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫(=性交)した者」(女子が13歳未満の時は暴行・脅迫不要)であったところ、被害者が男子でも同じく成立するように平成29年の改正で「強制性交等罪」に変わった。構成要件は、「13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(=「性交等」)をした者」(13歳未満の時は暴行・脅迫不要)である。とはいえ実際の主な適用は従来の強姦類型であったと思われる。ちなみに刑罰は制定当初の懲役2年以上から「5年以上の有期懲役刑(~20年)」に引き上げられている。

ちなみに刑法に「暴行」はよく出てくるが(要求を不法に満足させる手段としては有形の暴行か無形の脅迫しかない)、ここでの「暴行」は「反抗を著しく困難にする程度」のもので足り、強盗罪に要求される「反抗を抑圧する程度」でなくてよいと解されている(こういったことを刑法でよく勉強させられたものだ…)。いずれにしても相手と性交(等)をするために暴行・脅迫を用いることが構成要件なので、相手の同意がないというだけでは足りないし(本意ではないが抵抗するのも面倒なので嫌々応じた…とか)、「芸能プロに売り込んであげるから」と騙して性交をしたというのでは本罪には該当しない。ああ、それは詐欺ですよね?と初学者は言うけれど、詐欺罪(246条)は「相手を欺いて財物を交付させる」財産犯なので、全く違う。刑法は結局のところ、その行為がどの条文(構成要件)に当てはまるか当てはまらないのかを見極める学問だといって過言ではない(それが実務においては最も重要なことである)。

ところが、警察からの送致事実を読むと、暴行・脅迫に当たりそうな事実はほんのちらっと書いてあるだけということがままあった。本来の強姦罪は、見ず知らずの女に「劣情を催し」人通りのない所に引き込むとか、どこかの家に侵入したうえ、相手に暴力を振るうなどして無理矢理性交する類を想定していると思われるが、そんな典型的な強姦はそれほどあるものではない。もともと互いに見知っていることが多く、うまく言われて性交に応じたものの、あとで騙されたと分かって腹が立つので告訴したというのもある。構成要件に当てはまらないので起訴はできないのだが、騙して性交するのは強姦罪にはならなくても、民法の不法行為(709条)には該当し、慰謝料を請求することはできる(710条)。そこで、うまく被疑者に話を持ちかけてお金を払ってもらい、示談を成立させたうえで事件は不起訴にするというのが最も穏便な方法であった。もちろん警察も納得するし、検察官同士で「検察って、示談屋かつ訓戒屋だね」という嘆きが出るのもむべなるかな。

つまり強姦罪は難しい。もともと密室での犯行で、目撃者がいるわけでもない。組長の女房が亭主の入所中に配下の男と関係が出来て、子供と一緒にディズニーランドに行ったりしていたのに、亭主が出所してくるのを契機に(亭主の報復が怖かったのだろう)強姦罪の告訴をしてきたことがあった。新任検事の頃だったが、上司いわく、「もし最初がそうだったとしても、そのあと2人は付き合っている。要するに瑕疵が治癒されたわけだ…」。うまいことを言うなあ。それは確かにそうなのだ。女が男の部屋にひとりで赴いたような場合は、「強姦罪は立たないよ。たとえ少しくらい暴力を振るったとしても、男に強姦の犯意が取れないから」。つまり女が承知のうえで来ていなかったとしても(それはかなり甘いと言わざるをえないが)、男としては女は承知のうえで来たのだと思って不思議ではないからだ。かように、強姦罪は被疑者(男)サイドから相手の抵抗を困難にするほどの暴行・脅迫を加えたかで見るので、成立がなかなか難しいことになる。

この点、だいぶ前から、西洋諸国では相手の性的自由を重視し、不同意であれば犯罪が成立するので日本もそうすべきではないかとの声が挙がっていた。しかしそうした国でも、互いに付き合っていたのにあるときから態度が冷たくなったので、報復として告訴(被害届)をするといったケースもずいぶんあると報道されていた。私も犯罪は厳格に適用されなくてはならないし、それは無理だよねと思っていたのだが、なんと177条は今や不同意性交等罪に変わったのである! 施行は令和5年7月13日~(まだ2年弱)。新しい177条(176条の不同意わいせつ罪を大きく引用)は大変分かりにくい。従来と同様「暴行・脅迫」を用いる場合(1号)は当然、いくつかの類型を挙げ、最後にいわゆる職場の上下関係も列挙されている(8号)。となると、女が男(上司)に言われてその住居なり待ち合わせ場所にひとりで訪問し、その上下関係を利用して男が女と性交した場合も成立することになる。実際にそれで逮捕されたり起訴されたり、といった事例は知らないのだが…。

昨年来とみに騒がれているタレントNの事件。刑法が不同意性交等罪に変わったので彼のも暴力・脅迫を用いたのではないにしろ、職場の上下関係に当たるとすれば犯罪になるのだよね、となると多少高い金を払ってでも示談にし、警察マターにならないよう済ませたいよねと思っていた。示談内容は通常、謝罪・金銭の支払い、互いの守秘義務、被害届(告訴)を出さないが柱であり、巷で言われている9000万円というのは法外に高いと感じるが、それで済むのであればお金のあるNの場合はそれでよいのかくらいに思っていた(しかし弁護士はいくら貰ったのだ?)。ところが周知のとおり、昨年1月初めに示談を成立させたにかかわらず、すぐにNは芸能界を完全引退となり、相手女性が勤務・退職した報道会社設置にかかる第三者委員会の調査にかかり、それのみならず今後は莫大な違約金まで請求されるのではないかとさえ言われているのだ。自業自得だから仕方がないのか…それにしてもある意味気の毒なことだと感じていたが、最近、びっくりすることに気がついた。

その事件が起こったのは令和5年6月2日。つまり未だ不同意性交等罪は施行されていないのである。もとの強制性交等罪であるから(法律は遡及しない)、犯罪が成立するには相手の犯行を著しく困難にする程度の暴行・脅迫が必要である。第三者委員会が認定した「性暴力」に対してNが自分はやっていないと抵抗を重ねているのは、そういう意味ではないのか? それをしていないのであれば、被害届を出されても犯罪は不成立となるから(民事の損害賠償は別である)、示談を成立させるに当たって、それほど弱気である必要はなかったのではないか? 世間ではNが暴力を振るい(要するに犯罪者ということである)、第三者委員会調査に当たって、示談で定めた守秘義務を互いに解除することになれば警察に逮捕されるおそれが高いので事件の内容を言えなかったとの声が結構ある。もちろん何が実際あったのかは結局分からないままなのだが、当該弁護士は自分が請け負った紛争が大金を払って示談を成立させたにかかわらず、無事に収まるどころか、止まるところを知らない事態になっていることについて、どう感じているのだろうか?

もしかしてこの弁護士は刑事のことを知らなかったのではないか、と私が言うと(民事しかやってなくて刑事の基本的なことを知らない弁護士は実際多いのだ)、信頼する知り合いの弁護士は、Nは立場のある人なので、民事のことだけを考えても裁判を起こされたりいろいろ暴露されたりといった醜聞にならないよう遙かに高い示談金を積んだのではないかと言う。彼自身もかつて芸能人から軽い暴行事件の交渉を依頼され(暴行は刑事事件であり、罰金程度は払うことになる)、相場より遙かに高い示談金を払ったという。だが普通は、弁護士が入って相手との示談を成立させたからには、それで終わるのだ。でなければ弁護士を頼んだ意味がない。ことN事件については、示談成立後にNが上から目線の、世間の反感を買う文面を出したし(びっくりする内容だった。当然ながら弁護士が作成したもののはずである)、弁護過誤で誰か弁護士が代理人として訴えればいいのではないかとも言う。松本某事件の弁護士もひどかったし、弁護士を選ばないととんでもないことになる。人間として常識のある人。それが一番大事なことである。

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『先祖代々の遺産が、貪欲な義兄嫁に渡るのが心配です。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2025年7月号

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