『子供らに入れられた施設を出て、自宅で暮らしたい』

自由民主党月刊女性誌「りぶる6月号」
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ようやく緊急事態宣言解除である

2日前(25日)遅く、残る首都圏もようやく解除になった。ああ、長かった…。4月7日夜の緊急事態宣言で翌日突如としてデパートが閉店となり、多くの店が一斉に閉まった。どこに行くにもマスクが必須。すべての行事会合が中止となり、会食もない。生活のこれほどの激変を、的確に予想した人はどれほどいただろう。

この間1ヶ月半もあったのに、まとまった本で読めたのは、残念ながら2冊程度かもしれない(うち1冊の読後感想は少し前にアップした)。ピアノもこの際リストの難曲に挑戦するぞと意気込んでいたが、どれも中途半端に終わり、仕上がったといえるようなものは一つもない(情けない)。いわんや、片付けなどはもう、全然。時間があっても人間、あまりやらないものである。ぼうっとしていた分、体は休めて、よく眠れた。健康で家におれるのは、それだけで十分に幸せなことなのだ。休日の午後、窓から心地良い風など入ってくると、なんともいえない気持ちになった。思い出に残る、5月。人との関わりがなくても、十分に人生は楽しめるではないか。

私はおおむね暦通り事務所に出勤していたが、通勤電車が座れるのでとても楽だった。宣言解除で一気にまた混み出すのではないかと恐れていたが、拍子抜けするほど、混んではいない。未だに自宅勤務の人が多いのだろうし、テレワークスタイルがある程度確立した故だろう。となると今後もきっと以前のようには混まないのではないか。満員電車で長時間、通勤だけで疲弊する人が、ことに首都圏では多かったことを考えると、働き方を変える良い契機になったのではないか。それでももちろん、テレワークでは駄目な職種もあるし、でなくても、たまには出勤して人と触れ合わなければ寂しいし、組織も活性化しないだろう。要はそのバランスの取り方、効率的なテレワーク法をどう進化させていくか。それこそが個々の企業の戦略であり、今後、生き残りをかけて、激しい競争になっていくように思われる。

ただ、サラリーマンとは違い、大学生が最初からキャンパスライフを味わえないのは不幸なことである。常より開始を遅らせ、結局5月の連休明けからとなったが、遠隔授業は教員にとっても初めてのことである。大学によってやり方は異なるが、帝京大学では音声録音とPDFファイルのアップロードを行う(いわゆるテレビ授業ではない)。1時間、反応もないのに喋るのは、結構難しい。3回分の録音は済ませたが、すぐに次がくる。週2コマしか持ってなくてこんなに大変なのでは、6コマ持っている正教員の方々はどうされているのだろうか? 6月8日から対面授業が始まるが、受講者100人以上だと、ソーシャルディスタンスをきちんと取るためには、300人収容の教室が必要となり、物理的に自ずと限られてくる。というわけで、とりあえずはゼミなど少人数授業からの対応となり、どうやら少なくとも前期はずっと遠隔授業が続く感じである。学生の顔を一度も見ないまま試験になるのかあ…とにかく誰にとっても初めての経験である。

昨年来利用している区立図書館は、緊急事態宣言前の3月27日来突如閉館となって以来、実に2ヶ月。一部業務を再開したとネットで知ったので今朝行ったら、受付のみ開いていて、本を返却し、予約していた本を受け取った。当面予約しか扱わないとのこと、早速また予約を入れた。一度しか読まない本が多いので、図書館は本当に有り難い。すっかり生活の一部になっていたので、これで少し普段の生活が戻ってきた感じがする。あとデパートが再開されれば(高島屋と大丸は再開したが、三越伊勢丹は30日からと遅い)、会合や行事がないままでも、生活にさほど困りはしないだろう。これまでごく当たり前に受け取っていたことがいかに有り難いことだったか、それが身に染みて分かったことが、私を含め多くの人の収穫だったのではないか。

デパートが急に閉まったので化粧品を買えなくて困っている女性がいるのでは?と人に言ったら、今は外に出ないし、出てもマスクをしているから化粧品が要らない、と言われた。化粧品しかり、衣料品しかり、コロナ禍で売れなくなったものは多いだろう。ご馳走にも縁遠くなって全体に生活が質素になり、贅沢品や美術品、高級雑貨などはこれからもあまり売れないのではないか。全体に、飲食業、観光業、運輸業、エンターテインメント業、百貨店業界など、多くの業界が大幅な赤字となっている。倒産も増えるし、破産の憂き目にあう人も出るだろう。それでもきっと再生するものはするし、えっというような斬新な商売方法もきっと編み出されるだろう。何であれ、嘆いていても始まらない。努力でどうにか出来ることなら、努力をすればよいし、しなければならない。反対に、自分ではどうにもできないものならば、甘んじて受け入れ、その環境を楽しむくらいの気持ちをもたないと、きっといけないのだろうと思う。

今日は本当に久しぶりに、仕事の会食があった。法務委員会の質疑が…、ああ、それ気分が悪くなるので私は聞いていない…。でも答えられるものには答え、説明もした。皆さん、興味津々だ。それはそうだろう、キャラが立った登場人物に、紆余曲折の後、漫画のようなオチで急に幕引きなのだ。特異なキャラを直接知っているというのは、珍しいことではあるだろう。検察がこんな形で関心をもたれて良いことは全くないのだが。まだ渦中にあるので、そのうちに整理して、また書きたいと思っている。

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なんということだ、この処分の軽さと検察人事は…!

20日、文春電子版に、「黒川検事長は賭け麻雀常習犯(現場スクープ撮)」が踊った。5月1日、産経記者の自宅で3密6時間半。これでアウト、は自明である。18日の検察庁法改正案見送りも実はこれが直接のきっかけだったのではないか?

彼の公式趣味?は「犬の散歩」。だが実は、ギャンブルである。韓国のカジノによく通っていたし(知り合いのマスコミは、あの人、大丈夫ですかね?と言っていた)、麻雀ももちろん大好きである。最近どこも麻雀をしなくなったが、かつて検察庁では皆がしょっちゅうやっていた(私はしない)。同僚先輩らが賭け麻雀をしていたことも知っている。ただし身内でやる分には、ばれない。ネタで釣る(もちろん、そんなことはしてはいけないのである)マスコミ相手に賭け麻雀では、相手があえて負けてやることになるし、飲食も相手がもつし、そのうえハイヤーまでもたせているのではたちが悪すぎる(国家公務員倫理規程違反である)。この人、自分のお金を払わないことは徹底している。悪いことをしている気などさらさらなかったであろうことは想像に難くないのである。

緊急事態宣言が出てからも4月に2回、5月1日と13日に集まっていた(13日といえば、担当の武田大臣が答弁に四苦八苦していた頃である!)。その数年前から月2、3回の頻度で続いていたのを、最近は黒川氏のほうから強引に誘っていたらしい。緊急事態宣言中に、そんなことをするのは誰だって、気が引けるし嫌である。だがこれまで世話になったので(ネタをもらっていたので)無下に断れなかったらしい。そう愚痴っている?のが知れ、新聞社の別の派閥の者が文春に垂れ込んだらしいのである。「緊張感を欠き」(黒川氏コメント)には笑える。それはたまさか一度やってしまった者が言う台詞である。常習だし、別に悪いとも思わないから、何がどうあっても構わずやっていただけである。ばれるとも思わず、自分がマークされているとも想像しないのは、脳天気すぎ、とうてい上に立つ者の器でないのは明らかだ。しかも、まるでお笑いのようだが、それが検察トップの実像なのである。

そう、改めて、なんでこの程度の者を東京高検検事長にまで昇進させ、あろうことか法律違反まで犯して定年延長させたうえ、7月に勇退するであろう稲田総長の後任に据えようとしたのか。内閣サイドとしては、政権に有利に動いてくれる黒川氏を何が何でも昇進させ、検事総長にしたかったのだと分かる。そして昨年11月には、稲田氏に早めに退いてもらい黒川氏を総長にとねじ込んだが、拒否された。であれば、今年2月の定年で黒川氏はいったん退くが、7月の勇退時に黒川氏を内閣が総長に任命するのではどうかと言ったが、それも拒否された(在野からの総長任命が前例になると困る)。ならば、いい案を考えろと言われて、出してきたのが国家公務員法定年延長規定の適用のようなのである。条文を読んだだけで検察官に適用するのは無理だと分かるはずだが、さらに、それが検察官には適用されないとの国会質疑がなされていることも調べていなかった。それ故のお粗末すぎる、どたばた委員会は、まだ記憶に新しいところである。

今回の検察庁法改正案にしてもそうだが、結局のところ、法務検察としても、決して積極的な同意ではないにしろ、大見得切って異論を唱えていたわけではないのである。そう、なすがまま…きわめて情けない話である。稲田氏、7月に辞めずに居続けて、黒川氏の総長就任を拒んでよと願っていたが、どうやら、稲田氏が遅くとも7月には勇退して官邸が黒川氏を総長に任命するのは既定事実だったようである。万が一勇退せずに居座っても、官邸はその意中の林氏を任命せず、在野に下った黒川氏を任命すればいいだけの話なのである(世論が怖くさえなければ、もともと任命権は内閣にあるのだ)。文春砲がなければ、こんな善悪の区別もつかず、規範意識のない人間を検察トップに据えるところだったのである。あな恐ろしや。まったくもって、文春様々ではないか。

そう、内閣はもとより検察にも自浄能力が、明らかに欠けている。賭博は犯罪だし、国家公務員倫理規程上も国家公務員法上も呆れきわまる行為である。しかし、今回の騒動に一躍寄与した辻事務次官による、通りいっぺんの調査で済ませ、送り迎えのハイヤーは大したことないって? まさか、それ一般常識から遊離しすぎでしょ。でもって訓告(戒告までが懲戒処分なので懲戒処分ですらない)で、さっさと辞職を受理したのである。高額の退職金はそのまま支払われることになるから、黒川氏はにたついていることだろう。1回数千円程度の掛け金では一般的に立件しないというが、1回数千円~2万円と供述しているらしいし(供述はたいてい少なめにするものである)、そのうえ検察トップの犯罪なのである。一般人と同じ基準を、甘めに適用して、誰が納得する? 例えば万引きは普通は起訴猶予だが、はい、だからいいでしょ、というわけにいかないのが分からないだろうか。捜査機関が自ら及び身内に厳しくせずにおいて、どうやって人に訓示を垂れ、言うことを聞かせるというのだ?!

今までも検察不祥事はいくつもあったが、今回はトップの不祥事(犯罪)、しかも前例のない定年延長に定年延長特例法案審議中と、検察の長い歴史の中でそれこそ前例のない、その浮沈の大きくかかる特殊な事態の中、その渦中の人間による無自覚な不祥事なのである。であるのに、組織として空気が全く読めていないのにはもう言葉もないほどだ。黒川氏の後任は林名古屋高検検事長との報道がすぐに流れた。かつて官邸に蹴られた人事に戻したのであり、そのまま(まるで何事もなかったかのように)7月に勇退して林総長を誕生させる腹である。これでは、林対黒川、35期ライバル対決の話が戻ってくるだけである。

検察は内閣に屈したまま黒川総長誕生だったのが、文春のお陰で、元通り林氏になって良かったね…そんな矮小な話。しかし、検察は大激震に襲われて新生させないといけないのである。35期は飛ばして、この際一気に36期の総長誕生で良かったのだ。と検察を憂える我々はメールを交わしていたのだが。これであっさり終わりか?! まさか。きっちり事実の推移を検証し、黒川氏の退職金は払われないようにしなければ、国民はとうてい納得しない。検察への信頼などもうすでにないように思えるが、もしあったとして、再生させるには10年はかかるはずだ。本当に、この激動の4ヶ月、皆のエネルギーを徒に奪った4ヶ月は何だったのだろうか。深い虚脱感に襲われる。

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検察官の定年延長、とりあえずは持ち越し

ひとまず、当面の危機は回避できたようだ。ほっ。撤回や廃案とは言わず、秋の臨時国会で再度丁寧に(!)審議するとのことなので、油断も隙もあったものではないのだが。

民意の力の大きさを知らされたことは望外の喜びだった。検察官の定年とか検察庁法とかはどちらかというと世間的にはマイナーな話であり、さほど世論の関心をよぶとは思っていなかった。元検事総長や元特捜部長が集団で法務省に反対書を出したことが大きく取り上げられたが(それが「異例なことだ」というのは、それほど異例なことを内閣がやろうとしていた故である)、それも膨大な数の反対ツイッターの支えがあればこそである。デモまで出た。コロナ禍による自宅謹慎の故にニュースに敏感になったこともあるだろうし、この1月末から燻っている黒川問題で、かなりの人が懐疑心を抱いていることも影響しただろう。もちろんその背景として、モリカケ問題、桜問題、そしてコロナ対応の不味さ等々、政府に対する不信が募っていることが大いにあるはずだ。

国会は先週、今週中(5月15日)に衆院内閣委員会で強行採決するとの乗りで、野党が要望していた森法務大臣の出席要請にも応じていた。しかしそもそも、なぜ重大な懸念を孕むこの改正条項が、今になって大騒動になったのか? 法案を閣法として提出するためには、自民党の各部会でまず審議をする(その前に委員会に属する与党議員らの元に所管庁からレクがある)。そのうえで党の総務会を通したうえ、所管大臣が国会本会議で趣旨説明をし、各委員会での審議にかかるのだが、その前になぜ問題にならなかったのか? 確かに党と内閣の関係がずいぶんと様変わりをし、以前は部会での決議のハードルが高かったのだが、今は内閣から下ろしてくるのをただ追認するだけに成り下がっているとは聞いているのだが(内閣に属さない限り、議員でいるだけでは議決の数にしかならないわけだ)。

衆院ホームページを見て分かったことは、この改正案について、主を国家公務員の定年延長とし、検察庁法改正は刺身のつま程度の扱い、もちろんこの度の大問題になった幹部についての内閣の個別定年延長については何の記載もないのである! いわゆる束ね法案として国家公務員法との一括審理で自民党の内閣部会に上げたが、検察庁法についてはほとんど説明もなかっただろう。実際のところ法案をきっちり読みこむ議員も少ないし、たとえ分かったとしても、へえっで終わっていただろう。ようやく国会での内閣委員会審議で野党が異論を唱えたというわけだ。そういう、ある意味こすいことをやるのが役人の性でもあるのだが、肝心の法務省はいつこの法案を知ったのか。知らなかったとすれば暗愚だし、知っていながら何も言わなかったとすれば意気地なしである。黒川問題での対応に鑑みれば、内閣の一員である法務大臣の「鶴の一声?」で終わったのは想像に難くないが、他の公務員とは違い法曹資格があり、然るべき地位にいる者は職を賭してでも反対すべきだと思うのだが。そんな気骨ある者がいないとは、情けない限り…。

以前にも書いたが、2014年に安倍内閣の下、内閣人事局が発足し、審議官以上の高級官僚の人事が官邸主導で行われるようになった。そのことが、官僚が内閣に隷属し、内閣の意向を「忖度」するようになった根源である。その局長は元警察官僚であり、警察と経産省に引っ張られている内閣でもある。その目からすれば、しょせん検察も行政機関であり、他の国家公務員とことさら別異に扱う必要はないということかもしれない。従来内閣は、法務検察人事にはケチをつけなかったのだが、その一環としてか、ここ数年あからさまに異論を唱えるようになり、検察トップもだんだんと内閣に逆らわないようになってきたのかもしれない。結果、件の黒川氏は官房長が長く、事務次官も長く、東京高検検事長にも居座り、挙げ句は法に逆らって検事総長になろうとしているのである。

内閣による幹部検事の定年延長の基準が示されていない、今度は丁寧に示して、時間をかけて審議して、などと言っているが、事はそんなレベルの問題ではない。そもそも検察官の定年を65歳以上に延長しなければいけない理由(立法事実)などないのである。内閣へのへつらい(?)次第で総長の定年が3年も延びれば、総長になれない人が2人出る。そもそも検察が政権にへつらっていると思われること自体、世間の信頼を損なっているのである。となると、有為な人ほど検察官にはならない(ちなみに、裁判官は最高裁と簡裁判事が70歳、それ以外は65歳と決まっている)。法と正義に従って、国会議員や大臣の違法な行為を摘発できるというのが検察官任官の醍醐味であるし、それ故に国民も信頼できるのである。

次期国会に持ち越すというのは、もともとの発端になった黒川人事を諦めていないからではないか? 少なくとも、あの閣議決定を撤回すると言わないためには、その後付けとなったこの改正条項を意地でも維持するしかないのではないか。張本人の黒川さん、そろそろ表に出てきて、あなたの法的見解を明らかにして下さいとの書き込みに、大量の賛同者が出ていたが、私も本当にそう思う。いつまでも引っ込んでいないで、言うべきことがあればちゃんと言って下さい。ないのならば速やかに辞めて下さい。心からそう思っている。

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検察庁法改正(定年延長)に思うこと

黒川東京高検検事長の定年を延長した閣議決定(今年1月末日)が違法であることは、これまで縷々述べてきた通りである(「違法の疑い」などではなく明確に「違法」である)。検事総長以外の検察官(検事・副検事)の定年は63歳であるから、彼は63歳になる今年2月8日の前日には検察庁を去っていなければならなかった。しかし、違法に検察官に留まることすでに3ヶ月以上。その間の高給は不当利得であり、法律家である彼は違法性を知る立場にあったので、国家に利子をつけて返還すべきものである(民法704条)。内外からの批判を予想しなかったとは思えないが、毎日が針のムシロで、本音ではもういい加減辞めたいのではないかとも思うが、辞めないところを見ると、何か官邸側に弱みでも握られているのか、と勘ぐりたくもなってくる。

ここに来て、このコロナ騒動の真っ最中に、それこそ不要不急でもないのに、国家公務員法改正(65歳までの定年延長)に併せて、検察庁法改正を国会が一括審議していることに、弁護士会はじめ各方面から凄まじい批判が寄せられている。国家公務員の定年を65歳にすること自体は、年金支給の開始年齢と併せて私企業も65歳定年が奨励されていることからすれば、異論は少ないであろう(もちろんこのコロナ禍で民間の雇用情勢がおしなべて悪化していることからすれば、公務員だけいい思いをしてとの反感は避けられないだろうが)。国家公務員が65歳になるのであれば、検察官の定年も63歳から65歳に引き上げるのは当然であろう。ただ次長検事や高検検事長、地検検事正など幹部は63歳でポストを退くとの案は従前より作られていたのである(ポストが詰まってくるので、民間でも60歳になると再雇用として給料が下がる所が多い)。

ここで余計なことを言うと、幹部から平検事に降りてまで勤務を継続したい人は、はっきり言って皆無である。検事正から公証人(70歳定年)というコースはよくあり、その場合、大体60歳位までで、いいポストが空いたと声がかかって辞めていく。検事長以上には公証人コースは用意されないが、弁護士になれば、元の肩書きだけでずいぶん役職も来て、まさに左団扇である。故にこの定年延長は、幹部にならない平の検察官(多くは副検事)を対象にしていると言ってよい。

今回大批判を起こしている改正条項は、そこではない。幹部について、内閣が「公務の運営に著しい支障が生じる」と認めれば、最長3年まで延長できるとの特別条項が加わった点である。内閣が、自分たちに都合が良いと考えれば(まさに黒川氏がそうである)、例えば、65歳の検事総長を最長68歳まで延ばして務めてもらうこともできるようになる。そうなれば、検察の独立性は著しく害される。検察は行政機関ではあるがその性質上準司法機関であり、不偏不党が原則であって、内閣の顔色を見て事件をやるかやらないかを決めるのであれば、否、そうではないかと国民が疑うこと自体、検察に対する信頼が地に落ちてしまうことなのである。

と言うと必ずや、選挙で選ばれない検察官にそもそも強い権力を持たせすぎている、国民が直接選ぶ国会議員にこそ任命権があるのは当然であり、それが民主主義というものだ、との説が唱えられる。今回、この改正案に憤慨するマスコミの友人から「米司法省はトランプ大統領の元補佐官フリンの虚偽証言の起訴を取り下げた。当然大統領指示によるもので、オバマ前大統領はこれに『法の支配が危機にさらされている』と強く警告している。今回はこれと同じではないか」とのメールがあった。言わんとすることは分かるが、アメリカと日本は同じようには語れない。アメリカは、トランプが嫌だと思えば次の選挙で対立党の候補者を選べばよい。そもそも検察官も選挙で選ぶ国なのだし、裁判官も党派が鮮明だ。すべて選挙、つまりは国民が選ぶ前提で成り立つ国と、日本を比べるのは違うのではないか。日本では、結局選挙をすれば自民党が勝ち、首相となるその総裁は党の論理で決まる。もちろんそれを変えていかなければ、二大政党にしなければ、といって選挙制度も変えたけれど、小選挙区ではその弊害のみが目立ち、肝心の政権交代など起こりようもないのが現実である(民主党による、失われた3年の記憶が消えないのも大きな要因である)。

もとの改正案に存在しなかった(検察に定年延長という発想はない)この特別条項が加わったのは、いつなのか。勘ぐれば、黒川問題に併せて、その違法性を薄めるべく、後付けで作り、急遽通すことにしたようにも思われる。今回の閣議決定も(黒川氏を総長にするために)早めに辞めてくれとの官邸側の要望を稲田氏が蹴ったことによる、苦渋の産物だった(稲田氏は慣例通り、総長就任2年になる今年7月に勇退し、後任を林氏にしたかった)。その違法性を後付けで薄めるとともに、今後も検察の独立性を薄めるために(?)国家公務員法と一括して内閣委員会で審議し、野党が要求する法務大臣出席も拒んだままである(珍答が繰り出されるのが目に見えているからか?)。国家公務員法はともかく、大きな問題を孕む検察庁法改正は、性急になされるべきではない。もちろん定年延長の特別条項を除いて元の形にするのであれば、とくだん問題はないのだが。

当の黒川問題に話を戻すと、この改正案が国会を通過したとして(今週中に衆院を通過させる予定であるらしい)、施行は2022年4月1日であるから、黒川氏個人の検事総長就任期間が68歳にまで延びるわけではない。現総長の稲田氏がこの7月に勇退すれば、内閣は待ってましたとばかり黒川氏を検事総長に任命するだろうが、その定年は彼が65歳になる2022年2月7日までだからである。内閣の圧力には屈せず、稲田さんがこの7月に勇退しなければ、ここまで大きな批判を呼び起こしている黒川氏の定年をまた半年延ばすなどは、さすがの内閣もできはすまい(半年延ばしたところで、稲田さんの定年は来年8月13日まであるのだ)。

さて報道によると、河井衆院議員(前法務大臣)の捜査が進んでいるという。買収は実務上、公示期間中のものに限っているが、法文にそう書かれているわけではないので、その前のものでも可能である。ただその場合、現金授受の趣旨が曖昧になりやすい。報道によると、参院選挙前の4月の地方統一選挙の際などに配っているものが多いらしく、となると選挙の寄付として貰った云々、受け取る側も買収の認識はなかったと言いやすい。買収は誰もが知る重大犯罪なので、大見得切って渡す受ける、とは考えにくいのである。それをクリアできるのか? 県議などの公職者では、前科なり公民権停止がかかってきて、被買収で起訴されると、当然ながら失職するのである。司法取引でも使うのだろうか? もし買収としてやれるということになると(額の多寡に限らず)逮捕するのだが、国会開会中のため、逮捕許諾請求が必要である。その際、法務大臣が指揮権を発動すれば世論が大いに沸き上がって、内閣は総辞職になるのではないか? 今、検察対内閣の存亡をかけた?戦いがなされているように思われる。

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