『ベルサイユのばら』に思うこと

週末、タブレットをいつものように弄っていたら、やたらと『ベルサイユのばら』がヒットするのに気がついた。劇場アニメが公開されるそうである。もともとの漫画は主人公らの20年にわたる話で、それをわずか2時間にまとめるのは難しいし、もともと映画を見に行く習慣がないのでそれはパスしたが、テレビアニメ版が一部公開されていたので、つい懐かしく、見てしまった。

当時の少女たちの愛読書であった週刊マーガレットに『ベルサイユのばら』は連載された。50年前のこと、作者である池田理代子さんは当時まだ大学生だったらしい。彼女が創作した男装の麗人オスカルが格好良すぎて、他の高校生たちと同様、私も存分に嵌まった。オスカル宛てに恋文まで書いていた。恋文を書いたのは後にも先にもそのときだけである。恐るべし、創作の威力だ。

時代背景はフランス革命前。時のブルボン王朝はルイ15世の孫16世が王となり、その妃はあまりに有名なマリー・アントワネットである。彼女は時のオーストリアの名門ハプスブルグ家の末子として生まれ、母親のマリア・テレジアによる政略結婚の駒として、歴史的に犬猿の仲であったフランスに送り込まれたのである。1755年生まれで、未だ14歳。未熟過ぎるのに、オーストリアからのお付きは一切許されず、周りに相談をする人もいない。1歳上の夫は善人だが頼りなく、趣味は錠前作りで、もともと社交嫌いで妻とは真逆である。王妃の第一の勤めは跡継ぎを産むことであり、それがすぐにでも果たされていれば話は違っただろうが、夫は毎夜妻の元に通ってはくるものの(仮性包茎で?)夫婦関係は持てず、それが何年も続くことになる。義兄に進言されてようやく手術を受け、晴れて子供が生まれたのは結婚して実に7年後のことである。アントワネットは2男2女を産み(育ったのは1男1女のみ)、良き母であり、夫婦仲も良かったようである。

マリー・アントワネットが断頭台の露と消えたのは1792年9月、享年37歳。フランス革命として世に知られるのはパリ祭で知られる7月14日だが、これはバスティーユ監獄襲撃事件勃発の日であり、これを3年遡る1789年7月14日であった。世のあちこちで革命が起こり国のトップの処刑など珍しくないが、中でアントワネットが群を抜いて有名なのはなぜなのだろうか。美しい女性だからか(物腰の優雅さは喩えようがなかったという)、著明な母親の娘だからか、と考えたこともあったが、その理由は、長く一途に相思相愛だったスウェーデンの大貴族、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵の存在故だと書いてある本があって、妙に納得した。彼はマリーと同い年、互いに18歳の時にパリの仮面舞踏会で知り合い、運命的な恋に落ちる。政略結婚が普通であった時代、夫婦は世継ぎさえ作ってしまえば恋愛は自由という風潮であったが、二人はプラトニックだったとの説も強い。『マリー・アントワネット』の著者である歴史家ツヴァイクは、国王一家が軟禁されていたチュイルリー宮殿での「この一夜」との説を採っている。ルイ16世がとにかく女性関係など微塵もない夫だったので、妻ひとりが羽目を外すわけにもいかなかっただろう。もともとマリーは厳格な両親に育てられ、不倫などあるまじきことと思っていた節もある。この夫婦は全くもって似ておらず、フランス国民としては、地味で目立たない自分たちの王ではなく、ファッションリーダーでもあり浪費で知られたオーストリア女に憎悪をぶつけることになったであろう。

わりと最近知ったのだが、フランスの王権が決定的に失墜したきっかけは、1791年6月20日のヴァレンヌ事件だったという。その頃にはすでに王弟らは国外に逃亡済みで、王一家も逃亡を企てたのだ。もっともマリーは国外脱出のうえオーストリアなど王党派の他国の援助を仰いで王権を維持しようとしたが、ルイは、王なのだから国内に留まり、革命派ではなく王党派の強い地域に逃れようとしていて、夫婦の思惑は違っていたらしい。とにかく愛する女性を助けるべくフェルゼンは多額の逃亡費用を用立てるなどまさに心血を注いでいたのに、優柔不断のルイは何度も計画を先延ばしにした挙げ句、現に逃亡の途中で、フェルゼンに対して「ここまででよい。あとはひとりでベルギーに行ってくれ」と追い払ってしまったのだ。王が逃げたことに気づき、直ちに後を追う指揮官は、アメリカ独立戦争の英雄で名を馳せたラ・ファイエット(フェルゼンはその副官としてアメリカに赴任していた)。終始もたもたしていた王一家は、フェルゼンも欠き、国境を超える前に捕らえられてしまった。フェルゼンはこの失敗を終生悔やんだ。王に命令されたとはいえ、なぜ自分はその後にこっそりついていかなかったのだろうかと。であれば最愛の女性を死に追いやることはなかっただろうにと。53歳の時にスウェーデンで民衆に惨殺されたが、終生独身であった。フェルゼンは、ただ優雅で可愛い女性としてではなく、環境が変わるにつれ、母として、頼りにならない夫を支え、王権を守ろうとする妻として、毅然としてくるマリーに人間としての底知れぬ魅力を感じていたのだろ思う思う。崇高な愛であり、一人の男性にそれだけの愛を捧げさせた女性の素晴らしさを知ることができる。

『ベルサイユのばら』が大ヒットしたのは、これら史実をベースに巧みにフィクションを交えたことによる。男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは、上記二人と同い年の設定だ。ジャルジェ将軍には娘ばかりが続き、将軍は末子の彼女を男として、自分の後継者に育て上げることにする。容姿端麗のうえ剣捌きは男以上(バイオリンも巧みで、モーツアルトの新作を披露している)。まさしくこれぞ宝塚の世界ではないか。とにかく格好良く、毅然としていて、正義感が強い。女々しい所など皆無なのだ。男女問わず、これでは誰でも惚れるわなあ。そして彼女を慕う従僕のアンドレ。オスカルの乳母の孫であり、小さいときからきょうだいのように育てられ、いつも影のようにオスカルに付き従い、支える。オスカルはフェルゼンに恋するが、もちろん片思いだ。そしてたぶん30歳も超えたころから、アンドレを男性として意識するようになる。アンドレの目がだんだん見えなくなっていたことは知っていたが、今回のテレビアニメを見て、オスカルも結核で「余命半年」と宣告されていたことを知った。民衆の苦しみ、世の中の生まれながらの不公平を知り、貴族の地位や特権を捨て、近衛連隊長としてバスティーユ監獄襲撃事件では民衆の側につく(寝返った近衛隊をいたことを知って、池田さんはその人を描きたいと思ったそうだ。もちろん史実の人は男性だったと思われるが)。その少し前、二人は晴れて結ばれて夫婦となるが、この事件の際銃弾に倒れるのである。アンドレの死後まもなく、「アンドレが待っている」と(涙)。享年33歳。

その後の王家は惨い運命を辿った。マリーの愛した息子(ルイ17世)はひとりほぼ監禁状態に置かれ、看守らの虐待を受けて食事もろくに与えられず10歳の儚い命を終えたという(何が、人権だろう)。その後のロベスピエールらによる恐怖政治で数え切れない人たちがやはり断頭台の露と消え、彗星のごとくナポレオンが登場して…王政復古があって、この頃のフランスの歴史は激しく変転しすぎて、なかなか理解が追いつかない。オスカルらはフランスがより良き国になることを夢見て長年使えたマリーと決別したが、こうした現実を知らずに済んで本当に良かったと思える。天国でアンドレと幸せに暮らしてほしいと思う。

よけいなことだが、マリア・テレジア。自身は遠縁に当たるフランツに小さな頃から憧れ、恋をし、父親であるカール6世の許しを得て18歳で結婚した。この頃には非常に珍しい恋愛結婚である。父親が男子に恵まれず苦労したのを知っているだけに次々と子供を産み(なんと16人!)、次々と政略結婚させた。アントワネットのすぐ上の姉が本来フランスに嫁ぐ予定だったが、その上の姉がナポリ公国に嫁ぐ直前に亡くなったことから急遽そちらをナポリに嫁がせ、末子のアントワネットをフランスにやることにしたらしい。彼女は愛らしかったが、勤勉さに欠け勉強嫌いだったので、大国の妃が務まるか心配していたが、その心配が現実のものとなったわけである。ちなみにヴィクトリア女王、エリザベス2世女王も恋愛結婚である。政略結婚であったならば人間の性として他に恋愛対象が必要となり、政務はきっと疎かになったであろう。名君の裏には名配偶者が存在している。

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弁護士業務について思うこと

金曜である。金曜の朝快適に目覚めたときの心地良さといったらない。明日は休みである。とにかく仕事は一区切りなのだ。美容師さんに肩が凝ってないですね、と言われるほど、私はあまりストレスがかからない性格のようで有り難いが、それでも仕事から離れた時間は必要である。というかきっちり公私を分けて、切り替えをうまくしていることが、ストレスのかからない源であるかもしれないのである。

同じ弁護士業でも自宅と事務所が兼用だとか、事務所と自宅が余りに近ければ、たぶんそうもならないのだろう。21年前に事務所を決めたとき、ついでに自宅も近くに引っ越そうかと考えたことがある。実際近所の物件を探したのだが、どこも隣にすぐビルがあるとか空が見えなそうといった具合でダメだった。港区の、リビングからレインボーブリッジが見えて寝室の窓からは空が広がるロケーションとは、しょせん同じにはならないのである。そんな折、弁護士の先輩である女性が「近いとダメだよ。ある程度離れていないと仕事をずっと引きずることになる」と助言してくれた。正解である。後にストーカー事件を扱ったとき(被害者が顧問先の関係者だったので引き受けざるをえなかった)、自宅は知られていないことで、気持ち的に楽だった。当事者は遠隔地の人でもあり、電話では事務所に押しかけると言いはしたものの実際来られることはなかった。ストーカー事件に限らず、ストレスの多い事件を抱えている弁護士は大変だと思う。

弁護士関係の雑誌は、購読をしているのは『判例時報』のみなのだが、週に何冊も配達されてくる。ドットコムなどのメールも来るし、ざっと目を通していると、結構ためになることもある。いわく、弁護士の仕事は3つある。1つ目は事件(仕事)を取ること。2つ目はその仕事を遂行すること。3つ目は報酬を取ること。なるほどね。そんな風に分けて考えたことがなかった。勤務弁護士であれば事務所から給料を貰えるが(もちろん事務所は仕事を取ってこなければならない)、それ以外であれば仕事を取ってこないことには始まらない。サラ金の過払い事件はもうとうの昔に終わってしまったし、それ以外の仕事を、例えばネットを通してのいわゆる一見さんで数を増やして引き受けても、忙しくなるだけで、それが実入りになるかと言えば、もちろんそうはならない。だいぶ前だが、第一東京弁護士会綱紀委員会で一緒になった弁護士が、時間給15000円で10時間、15万円になるが、依頼者が精神病院に入ってしまい、払ってもらえない、と言っていて、びっくりしたことがある。

国会議員を経たからであるのは間違いなく、どれだけ感謝しても感謝しきれないのだが、顧問料だけで事務所の維持費を回していける態勢が最初から実現した。単発の事件も紹介者を通したものばかりなので、報酬の取りっぱぐれを心配したことはない。私が心配していたのは唯一、仕事の遂行だったのだが、検事からあっさりと弁護士に転職した先輩男性いわく「雛形がいっぱいあるし、それは全く心配がないよ」。そんなに簡単かなあと思っていたが、ちょっと面倒な事件は信頼できる先輩弁護士に相談をするスタンスで大丈夫やってこれたし、この20年、ほぼ思ったとおりの成果が導けている。一件、変な裁判官のお陰で敗けてしまったことがあるが(裁判は一審勝負で、二審で覆ることはめったにない)、真っ当な裁判官に多く当たったのは僥倖だった。そうそう、昨年末、なかなか払おうとしない依頼者に初めて当たり、そう言えば昨年初めにも一件あったのを思い出した。どちらも世間的には絶対的な信頼のある職種だが、やはり人によるのだなあ。

非弁提携(弁護士法違反である)で逮捕される弁護士のニュースはよくあって驚きもしないが、先般の弁護士は86歳とあって、さすがに唖然とした。本来は悠々自適の引退生活を送るべき年齢なのだが、弁護士に年金はないし、もし貯蓄をしていなければ、食べていくために弁護士業にしがみつくことになる。もちろん事件を依頼してくる人もいないので業者頼みのいわゆる名義貸しをしているわけだ。悲しい生き方だなあ。弁護士連合会毎月発行の『自由と正義』の末尾には全国の懲戒処分情報が載るのだが、時々元検事や元裁判官の名前に出くわす。私のかつての上司が2人載り、うち1人は3度も名前を見た。元同僚の名前も何度も見た。第一東京弁護士会の綱紀委員会に4年+懲戒委員会にも4年いたが、依頼者や相手方などが申立てをした事案はまずは綱紀委員会にかかる(ここはいわば検察的な立場である)ところ、そこで関係者を取り調べてほとんどの事件は落とされて、懲戒委員会に行く(裁判所に対する起訴のようなもの)のは40件に1件程度に過ぎない。つまり懲戒委員会で審理されているのは、ずば抜けた非行が対象なのだが、そのほとんどは「戒告」で済む。

問題はそれ以上の「業務停止」処分である。業務停止になると受任裁判も顧問先とも手を切り、事務所の看板も下げなければならない。一番短い1ヶ月だと、次の裁判は1ヶ月以上後だったりして辞任する要がなかったりするが、もっと長くなればそうはいかない。事実上業務が出来ないのだから、おまんまの食い上げだ。もともと困っているから変なことに手を染めたのだから、結局その停止期間中にまた何かやらかして発覚し、どんどん停止期間が長くなって(~2年)、その次は「退会命令」、究極は「除名」である。弁護士会費の滞納で退会命令になる弁護士もたくさんいる(弁護士は強制加入団体である)。たかだか100万円程度のお金を、親や知人が立て替えてくれないのか。せっかく弁護士になってこれではあまりに惨めすぎるし、そもそもこれからどうやって生きていくのか。40年前は2万人しかいなかった弁護士数が今や5万人である。反対に事件は増えていない。年に1600人も司法試験に合格させて(私たちの頃はずっと年500人を切っていた)、その後どうやって食べていくのか。衣食住足りて礼節を知る。弁護士になりたいという人はちゃんと今後の見通しを考えたほうが良いと思うのである。

弁護士は自由業で、飢える自由もあるが、時間など自分でやり繰りできる自由もある。そもそも社会正義に貢献できるので、素晴らしい職業であることは間違いがない。ただ、弁護士が収入の多寡を競い合うようになってはいけないと思っている。お金を稼ぎたければ弁護士ではなく、ビジネスをやればよいのである。弁護士なのにお金が目的になるのは、本末転倒である。余裕のある生活をして、余暇は体の健康、頭の鍛錬、幅広い教養を身につけることに使うべきだと思っている。法律知識だけであればAIのほうがもはや上ではないのだろうか。人間が法律を扱うということの貴重さは、人間性の裏付けがあってこそである。

先週の今日取材に応じて、原稿が送られてくるのを待っているのだが(そのために、その後もいろいろ調べた)、来ない。一昨日夕方の別の取材も私のコメントが送られてくるはずなのだが、それもまだ来ない。まあ、いいか。私が趣味として今嵌まっているのは(大相撲はもちろんだが)バッハである。バッハのインベンション2声15曲は中学生の時に弾いたので楽勝かと思いきや結構難しく、ようやく終わって3声15曲に移り、そのあとフランス組曲全6曲を終えてイギリス組曲に移っている。これが終わればパルティータか平均律に進んで、一応のピアノ(その頃ピアノはまだなかったが)楽曲をすべて終える予定である。バッハはどの楽曲も建築物のように美しく構築され、弾いていて大変心地が良い。次の時代の古典派はモーツアルト、ベートーベンと好きだが、実は私はショパン、ドビュッシーなどが好きではない。ショパンと同じロマン派でもリストはとても好きで、ことに『ラカンパネラ』や『マゼッパ』を綺麗に弾けるようになりたいと思っている。

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三菱UFJ銀行の対応に頭に来ています

頭に来ることは世の中、ちょくちょくあるが、昨日来た銀行員の対応ほど、頭に来たことはない。これを上回る出来事は、この後起こらないだろうと思えるほどに。非常識の極みである。

私は21年前(平成16年7月)今の事務所で弁護士を開業し、以後ずっと同じ所で仕事をしている。ドイツテレコムが引き払ったこの場所に一目惚れし、即決で契約したのは、その2ヶ月前の5月だった。その時点での勤務先はもちろん参議院である。事務所用の口座を開設しなければならないが、事務所に近い所の大手では他にみずほもあるものの、みずほには30年以上前から口座を持ち、収入も支出もほぼこちらで賄っているため(定期もある)、三菱東京UFJにしただけのことである(その後銀行名から東京が抜けた)。弁護士法人ではなく個人の事務所なので、口座開設の届出はもちろん、個人の自宅である。それは港区にあり、以来こちらも同じだし、電話番号も変わらない。とにかく個人情報としては超シンプルなのである。ただし、自宅(特に電話番号)はほぼ開示していないし、それは携帯も同じである(携帯番号は国会議員になる少し前に作って以来26年変わらない)。

以来この銀行・支店では純然事務所用の口座と、余剰金を移す個人口座と、その後に弁護士会の要求で作った弁護士の預かり金口座と、3つの口座がある。本意ではないが、少なくとも事務所関係ではどれだけお金があるか把握されているため、いつの頃からか、投資その他の勧誘に担当者と称するものが来訪するようになった。もちろんその前に事務所に電話があってアポを入れるのである。3年ほど前だったか、新しく担当になったという女性Kが「ご挨拶に伺いたい」と言ってきたのだが、それがなんと自宅の留守電であった(こんなことは初めてだ!)。自宅はもちろん日中不在だし、留守電は無機質の声である(事務所留守電は知人の女性に応答を入れてもらっている)。それが何度か繰り返されて頭に来てしまい、銀行に電話をしてその旨伝えた。あ、すみません…。元銀行員の友人にこの呆れた話をすると、「それは相当出来が悪い。かといえ、なかなか銀行も首には出来ないからなあ。担当を変えてもらうようにしたら」と言われたが、それも面倒なので、ついそのままになっていた。それからは事務所に電話があり来訪する際にはモルガンスタンレーの担当者も同行している。これで済んだはずだったのに、先月末、再び自宅への留守電である! ご丁寧にも「木曜は大学で不在だと分かっているのに電話をしてしまいました。また掛けます」。いい加減にしてよね。また連日の留守電があるのだろうと恐る恐る帰宅したら、数日後には事務所のほうに電話があった。自宅に留守電があったよ、と言うと、あれっ、間違えました…(自宅に掛けたという認識もない)。しれっとしている。まあそうだろう。それが大変なことだと分かる人であれば、そんなことはしない。

結局担当者を変えてもらうことになり、昨日、新しい担当者を連れて上司とやらが事務所に挨拶に来た。ここからが本題である。上司(支店の課長)も新担当者も女性だ。もちろんまずは謝罪をするはずなのに(それ以外に何の用がある?!)徹頭徹尾謝罪などなく、頭を下げることも全くなかった。いわく「銀行には自宅でのご登録を頂いています」。当たり前だ。会社ではないのだし、自宅での登録以外何があるというのだ。「で、この事務所は3番目です」「はあ。どこが2番目なんですか?携帯は知らせてませんよ」「携帯ではありません」「はあ、じゃあどこですか? 私の連絡先は2カ所しかないですよ」。そうしたら「調べます」とどこかに電話をしている。新担当者の若い女性が、私にその書面をそっと見せてくるので見たら、2番目の連絡先はどことも書いていない。「これ、どこ?…ああ、この電話番号は参議院ね。呆れた。参議院は辞めて弁護士を開業しているのだから、これは連絡先として存在しないじゃない。じゃ自宅が留守だったら、ここに電話をしていたわけ? これまでの担当者はすべて事務所にしか電話してきていませんよ」。この書面は、察するところ、最初登録するときに勤務先連絡先も書くから当初は参院だったので、それを入れた。そしてそれはなくなり、新たな勤務先は今の事務所なのに(21年)、何の考えもなく順番に登録をしたうえ、「登録先の変更届が出ていないのですから、自宅に掛けることになります」と宣ったのだ! 「うちの顧客には自宅しかない方もたくさんいますから」だって!? 

あまりに呆れてしまって、対応の言葉も出てこないくらいである。登録先の変更届って、自宅は変わっていないのだから、一体何を出すのだ? 日中は不在ですから、一番は勤め先に電話をして下さい、などという当たり前のことを、いちいち届を出さないとやらないというのか。この銀行以外、どこもそんなバカなことを言った所はない。それにこれまで一度もそんなことを言わずにおいて、自分たちが失敗を重ねた挙げ句に急にそんなバカな弁解を出してきたのである。実際K以外は事務所に電話をしていたし、誰も自宅になど来た人はいない。本人が捕まらないとどうしようもないのだ。「お宅ら、役所以上にお役所的なことを言ってるんですよね」と苦笑してやったが、全く通じない。とにかく変更届を出さないアンタが悪いんで、自分たちには何も非がないというスタンスを、決め込んで来訪してきたようだ。そう言えば、当初、30分欲しいと言っていたなあ。まさかあ、時間給で生活している弁護士が、そんなつまらないことにそんなまとまった時間を使うはずないでしょ。5分だって、勿体ない。

この課長は、とにかく自分は正しくて相手が間違っているとのスタンスだ。根っからそういう性格なのだろうね。自分の立場も分かっていないし、仕事では使えない、私的であれば付き合いたくない人間の筆頭である。K以外の担当者は誰も自宅に電話をしていないということのほうが不思議なくらいであるらしい。じゃあ、引継ぎでやっていたということかしら…?と呟いていたが、そんなイロハ情報を引き継がずに何を引き継ぐというのだ? 口座には弁護士の預かり金口座まであり、弁護士業であることは誰にでも一目瞭然である。それを自宅に電話をして当たり前、なのか? ちなみにその問題の書面には自宅の住所もきっちり書いてあるのだが、Kはこれまで一度だってそんな所に行ったことはないのに、昨年末にもまた電話をして、あれっとも思わなかったのだ。銀行員とか社会人としてというレベルではなく、普通の人間ではありえないレベルである。

そんなレベルはKだけかと思っていたら、なんとその上司までそうなのだから、これは組織自体の問題である。上記の元銀行員の友人に「頭にくるから支店長に言ってやろうかしら。もっと上の人も知っているから、そうしようか」と言うと、「ううん、それは時間の無駄じゃない。それらも同じような発想のはずだよ。小さい所だったら、そんなことをしていたら潰れてしまうが、大きな所なのでふんぞり返ってるんだよ」。本当に、こんなにエラそうな人は見たことがない。なんのために、なんの得があって、そんなにエラそうにしてるの? 偉い人はたくさん知っているが、エラそうな人は一人たりともいない。

サービス業というのは、相手が悪くて自分たちに非がなくても謝らないといけない職種である。今回の一連の経緯で、客である私には全く非がないのに、余計な時間まで取らせて、一片の謝罪もなく、登録変更届?を出さない客が悪いのだというスタンスなのだ。これはいちばんやってはいけないことだろう(と友人も呆れていた)。このうえは、投資してしまった金額を損をしないように回収し、それ以外は一切この銀行とは付き合わないと決めた。連絡も勧誘も不要です。弁護士業についてはこの銀行口座を変えるわけにはいかないが、それだけの付き合いだ。こんな不快なことになると分かっていれば、最初からみずほにしたのだが(支店は違うので)。

三菱UFJ銀行といえば、なんといっても貸金庫事件である。容疑者はこの度来た課長と同年代だろうか。貸金庫から行員が数十億円分?を盗み、それが何年もばれないなど、ありえないことである。貸金庫の信用ががた落ちし、他の銀行は怒っていることだろう。金融庁の厳しい処分が必須である。とにかくこの銀行は組織のガバナンス(などという大それたレベルではないにしろ)がなっていない。どなたかこの銀行の上の方、きちんと事態を把握し、謝罪をして下さい。一事が万事。他の顧客も相当怒っている方々がいるはずである。

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このところの私の生活ぶりについて

一昨年8月以降、お弁当を作るのが日課になっている。すでに1年半。お米は有り難いことに毎年美味しいこしひかりを大量に頂いているので、朝に2合炊いて(ビタクラフトを入手してからというもの、1合炊きでも本当に美味しい)、4~5回分に小分けして事務所に持参し、その日食べる分以外は冷凍しておき、電子レンジで解凍すればまさに炊き立てご飯なのだ。おかずはわざわざ作ることもなく、主に余り物処理でよい。たまにその日急に会食が入ったりすることがあるが、持参したおかずは持ち帰って夕食にする。とにかく、物を捨てるのが嫌なのは、母親譲り以外の何ものでもない。

昨年12月以降は家でおでんの常備を始めた。好物の大根、こんにゃく、牛すじは欠かさない。昆布で出しを取るし、我ながら名店にも負けない味だと思う。常備しておくと、夕食のサイドメニューになるし、お弁当のおかずにもなる。もちろん他の物も持参するし、スープなどの類いは事務所にも常備しているので、とてもリッチな昼食である。テレビを見ながら、あるいはラジオを聞きながら、広々した事務所で(イギリス大使館の裏にある!)お昼を食べるのはなんとも贅沢なことである。副次的効果として、お金がかからない。買い物はほぼカードなので、現金は、スイカのチャージと、医療費、それと郵便局とコンビニくらいのように思う。タクシーはとんと乗らない。美容院は現金だが、カラーを止めてすでちょうど4年。カラーをしないのでトリートメントも不要だし、1ヶ月半に1度のカットは6900円しかかからない。家で洗える物ばかり着ているのでクリーニングも行かないし、銀行で下ろすこともほとんどない。我ながら、なんとまあ堅実な暮らしぶりである。

洋服を買わなくなったのは、コロナの影響も多々あるだろう。今でも時たま買いはするが、すべて通販で、お店に見に行くことがない。60歳で着物に変えようと、思い立って着付けを始めたのは11年前、58歳の12月だった。ネット動画を見ながらなので苦労したが、着付け教室に行く気はもともと、さらさらなかった。習うより馴れろで、だんだん着実に上手くなり、今や着物50枚、帯50本、帯揚げ・帯締め(=和装小物)各40個くらいにもなる衣装持ちである。大きな桐の箪笥でもとうてい間に合わず、簡易な収納ボックスがいくつもあるのだが、整理好きなので、どこに何があるのか分からないとか、ついつい同じような物を買ってしまったといった失敗は、幸い、ない。この着物にこんな帯が欲しいとか(最近は名古屋帯愛用で、袋帯を名古屋帯と同じ長さの京袋帯に改造するのがマイブームだった)、この組み合わせには何色のこんな小物が欲しいと具体的に思わない限り、買うことはない。そもそもお店に行かないのでは、そんな思いつきも出てこない。この10年、着物に嵌まってずいぶんとお金を使ったが、いくらなんでもそろそろ飽和状態で、その結果小物に凝り始めたというのが実態である。着ていく所があるのは有り難いことである。

今夜は、久しぶりに「飲み会」である。20人位集まるのだろうか。午後7時スタートで10時までとあるが、私は10時には就寝態勢に入るので、9時には失礼させてもらう。このところ風邪も引かずに健康でおられるのは、睡眠をたっぷり取って規則正しい生活をしているからで、調子に乗って羽目を外さないよう気をつけたい。明日は別の雑誌の取材が入っており、そのテーマは夫婦別姓ではない(取材はその時ではなく、後の原稿チェックが大変である)。あさっては今場所2度目の大相撲観戦だ。あれよあれよと大関が連敗して、豊昇龍・大の里もすでに3敗。琴櫻などはすでに6敗で、勝ち越しもほぼ無理であろう。彼はなぜあんな大きな体をして、小兵相手にさえ四つではなく諸手差しを狙うのだろうか。万全の四つが取れたのは照ノ富士で(もちろん白鵬もそうだった)、横綱たるもの、相撲の王道である四つで、きっちりと勝てないと話にならない。今場所は、期待の綱取り場所どころではなく、10月のロンドン公演は横綱不在かもしれないのだ。

昨日は私は大学に行っていて取り組みを見られなかったが、9日目時点で、全勝は金峰山(カザフスタン)のみ。1敗・2敗もすべて平幕であり、おそらく平幕優勝になるのではないか。3敗の大関がこの後全勝して、好調平幕が上位に当てられて負けを増やすことも考えられないではないが、上位=強い、ではないどころか、不甲斐ない大関陣であることが、大きな問題なのである。

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『経営している美容院を誰かに譲りたいのですが…。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2025年2月号

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