「女帝エカテリーナ」を読んで

コロナ自粛以降、夜も週末もたいてい空いているので、よく読書をしている。たまたま「イヴァン雷帝」(妻は次々と8人いたとか。拷問や残虐行為で悪名高い皇帝であり、最後は自分の息子まで殺してしまった)を読み、続いて同じ著者(アンリ・トロワイヤ)による「女帝エカテリーナ」を読んだ。エカテリーナには以前からとても関心があった。なぜ、ロシアの血が一滴も入っていない余所者(ドイツ人)がロマノフ王朝の皇帝になれたのか? あちこちで聞いても誰も答えてくれず、そのままになっていた…。

ドイツ名ゾフィはそれなりの公家の娘である。母親の亡兄がロシアのエリザヴェータ女帝(ピョートル大帝の娘)の婚約者であった縁で、その甥(亡姉アンナの遺児)ピョートル皇太子の嫁にとの白羽の矢が立つ。ゾフィは、親類である冴えないピョートルを知っていたが、ロシアの皇妃になりたい一心で、自ら進んで赴き、ロシア語を習い(父親の反対を押し切って)ロシア正教に改宗する。時にまだ16歳。一つ上の夫は、兵隊ごっこが趣味で、プロシアのフリードリヒ大王に心酔しており、全くそりが合わないが、姑の勧めもあって愛人を作り、結婚してようやく9年後に息子を産む(後のパーヴェル1世)。この子はすぐに姑に取り上げられ、終生母子は疎遠である。エリザヴェータが1762年、52歳で亡くなったときエカテリーナは33歳。ピョートルが3世として即位する。

まもなく彼女は3人目の愛人(軍人)に率いられる軍を味方につけてクーデターを起こし、夫を追放。夫はすぐに、彼女の愛人によって殺害される(夫殺しの汚名がついて回ることになる)。8歳の息子を帝位につけて自分は摂政…であればまだ順当だが、彼女にはそんなつもりはまるでない。はなから自分が帝位につき、政治を執り行うつもりなのだ。息子を結婚させて嫡男アレクサンドルが誕生したときは、自分がされたのと同様、すぐに取り上げて自ら養育に当たる。長身で美男のアレクサンドル(1世)は彼女の大のお気に入り。将来ナポレオンをも翻弄することになるこの孫に直接帝位を継がせる意図だったが…実際は、彼女が1796年に67歳で亡くなったとき、跡を継いだのは最後まで仲が悪かった息子であった。息子は母親のやったことを全否定し、女性は帝位を継げないよう法律を作る。この息子は4年後、やはり軍のクーデターで殺害される。

さて、フランス王室には女王がいない。フランク人のサリカ法が女に不動産所有を認めない故である(周辺の〇〇公家では認めていたりするが)。スペインには偉大なイザベラ女王がおり、オーストリアには偉大なマリア・テレジア女帝にがおり、またイギリスもエリザベス1世やヴィクトリア女王がよく知られている(今もエリザベス2世である)。もちろん全員(当たり前の話だが)王家の正統な跡取り娘である。マリア・テレジアはエカテリーナと同時代人であり(テレジアが12歳上)、エカテリーナのことは、王位簒奪者、夫殺し、淫乱女(生涯に知られているだけで12人の愛人がいた。中でポチョムキンとは秘密結婚をしていた言われる)…と大変嫌悪していたそうである。むべなるかな。であるのに、その長男ヨーゼフ2世はエカテリーナと大変親しく、フリードリヒ大王と三者してポーランド分割に手を染め、マリア・テレジアを大いに悲しませている。

エカテリーナは日記を残している。おまけに啓蒙専制君主としての自分に大変誇りがあり(自分をヨーロッパ最高の知識人だと思っていたようだ)、ヴォルテール、グリム、ディドロ(百科事典で有名)らヨーロッパ中で知られる知識人らと頻繁に文通していた。もちろん外交官らが詳しくその行状を書き留めているので、厖大なノンフィクションが作られるのである。歴史書を読むとき、外交官たちの記述はいつも大変参考になる。文通相手らは、エカテリーナの歓心を買うために(お金も引き出さないといけないし)見え透いたお世辞を並べ立てているが、実際のところはどうだったのか。

外交官ハリスいわく、「彼女の宮廷は、次第に頽廃と背徳の舞台と化してしまった。…ポチョムキン公は彼女を完全に支配している。…」性格については「女帝は男のような精神、計画をあくまでも実行する力、とくに大胆に行動するという能力を持っておられるようだ。しかし深く物事を考えるとか、繁栄の中で節度を守るとか、的確に事態を判断するというようなもっと男性的な長所には欠けている。一方で、よく女性に見られる性格の弱さは、彼女にはきわめてはっきりと現れている。追従を好む人の常として自惚れ屋であり、聞くには不快だが為になる忠告には耳を貸さず、官能の喜びを求めてどんな身分の者でも恥じ入りそうな放蕩に身をもちくずす。」ヴェルサイユ政府に派遣されたコルブロンはもっと辛辣である。「この国はどのように治められているのか、どのように支えられているのか、とたずねる方もあろう。偶然により治められ、自然の平衡によって支えられていると、わたしはお答えしよう。それは巨大な塊がみずからの重みのために堅牢になって、あらゆる攻撃に耐え、腐敗と老化の絶えざる浸蝕だけにさらされているのにも似ている。」(「女帝エカテリーナ(下)」工藤庸子訳 中央文庫80~81頁)。

67歳で突然死ぬまで引きも切らず傍らに侍らせていた、美貌で若い愛人たち(たいていはポチョムキンが選んだ男である)に肩書とお金を惜しみなく与える。農奴数千人付きの土地も与える。でいながら彼らは土地についているだけで、精神的には自由であると考えていたようなのである(なんとまあ、都合のよい為政者の論理であろう)。実はロシアの女帝は、エカテリーナが初めてではない。エリザヴェータはピョートル大帝の娘だから違うにしても、エカテリーナ2世の前のエカテリーナ1世は、誰あろう、ピョートル大帝の未亡人である(エリザヴェータの母)。この人は、リヴォニアという所の農民の娘であった(ピョートル大帝は最初の妻を修道院に押しやり、それとの間に生まれた長男アレクセイを拷問死に追い込んだ)。もちろんロマノフ王朝の血などゼロである。そうした背景がこれまでにあるからこそ、そしてまたたいていのロシア人があまり勉強もしておらず、知性が欠けていたところにもって、フランス語やドイツ語が出来、古典も読んで最も進んでいる啓蒙思想にも染まり、個人的な交遊も深いエカテリーナ女帝は、他の多くの欠点を補ってもなお、巨大な未開国であるロシアを、ヨーロッパ列強やトルコに対峙して統治するのに相応しいと思われていたのではないだろうか。エカテリーナ自身はロシアないしロマノフと無関係であるにしろ、皇位はその子孫に引き継がれていく。

そもそもロマノフ王朝自体が以前より続いている王朝ではないのである。繋がりとしては、イヴァン雷帝の最初の妻が名門貴族ロマノフ家の出身だったということくらいである。イギリスやフランスその他の国では、後継者が途切れた場合、血筋を直近に遡り(イギリスのスチュアート朝がアン女王で途切れたときはもう少し遡り、ドイツから後継者を迎えてハノーバー朝としたが、それはカトリックを避けて新教徒に限った故である)、結局のところ、最初の祖先に戻るのだが、それとは違うのである。もちろん中国のように、国をうまく治められない場合は天が覆して全く別の王朝にするという天治主義とも異なるのであるが。この点、日本の天皇制は連綿と続き、最も長い歴史を誇っているが故に尊敬もされている。それが残念ながらいつまで続くかとなると、かなり怪しいのであるが。

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災害多発、コロナ感染者増加…安楽死事件

例年7月20日頃に梅雨明けし、とたん猛暑がやってくるが、今年はまだ梅雨が明けない。どころか、こんなに雨が降るかと思うほどの豪雨で川が決壊し、熊本はじめ九州が、そして災害とは縁遠かった山形では最上川が氾濫し、日本各地が大災害である。本当だったら、今はオリンピックだったの、まさか!? オリンピックやってなくて良かったのじゃないの、と思えてくるほどだ。

オリンピックを中止したのは新型コロナ故だが、2ヶ月近く続いた緊急事態宣言を5月末に解除した後、感染者が減少したのは少しの間だけ、今はまた増える一方である。であるのに、前に決めていたからとGo To キャンペーンなんかをこの4連休でやったから、よけいに全国に広がったのだろう。今日はもう昼の段階で、東京の新感染者数は436人だとか。昨日は全国で1200人とか言っていたから、2000人になるのもすぐだろうし、もっとずっと増えていく公算も高いだろう。若者の感染者が多く、彼ら自身は無症状ないし軽症で済むが、彼らから高齢者や糖尿病患者に感染すると重症化のリスクがぐっと高まってしまう。一番怖い医療崩壊が、どうか避けられますように。ワクチンが開発されればと言っているが、ウィルスも当然ながら変化していくので、まるで敵の見えない戦争みたいなものである。

いつ収束するか読めないので、人間としての活動を全面的に止めるわけにはいかない。気を遣いながら、コロナと共に生きざるを得ないのである。清潔を保ちつつ、密なる接触はできるだけ避けて、一人一人が感染しないように気をつけるしかないのだろう。いろいろなものが変わってきた。来週土曜に、とある関係団体の評議員会が久々開催されるのだが(前回は中止になった)、別のいくつかの関係団体の会合では密を避けるために倍のスペースの部屋を取って挙行したりもしているが、ここはどうするのだろう(出席者が多いので倍のスペース確保が難しいはず)と先ほど送られてきた資料をよく見たら、やはりzoom対応(双方向型)になっていた。これはすでに他でもやっているので出来るとは思うが、事前準備が相当大変だし、うまくいくかどうか当日にならないと分からないところもあり、気が重いのは事実である。

大学のオンライン授業が終わった。これは双方向型zoomではなくいわゆるオンデマンド型で(録音mp3使用)、相手が多人数の場合はこちらのほうが推奨されている。何度も聞いたりして確かめられるので、使い勝手が良いそうだ。昨日オンラインで試験を実施し、ちゃんと書いて送ってくれるか心配していたら、大多数は大丈夫だったのだが、エラーで送信出来なかった云々、トラブルが結構あって、大学側及び私方事務所で契約している業者にヘルプをお願いしたり、昨夕からばたばたしていた。先生も学生も大学も初めてのことだし、皆が大変である。無事にプリントアウト出来た暁に採点するのは同じであり、これ自体は、自筆よりパソコン入力のほうがうんと見るのが楽であろう。後期もまたオンライン授業になる。知人の大学教授は、この事態が数年続くと見越して、録音を来年も使えるように企図しているらしいが(なんと賢いのだろう!)、私は適宜時事問題を取り上げたりするので、来年は使えないだろうと思う。まあ、私の場合2コマしか担当していないので、そうした悠長なことも言っておられるのだろうが。

刑法総論の授業で安楽死問題を取り上げた直後に、安楽死事件が起こって、びっくりした。安楽死は刑法としては違法性阻却事由(刑法35条)の問題である。構成要件としては嘱託殺人(202条)に該当する行為が、安楽死の要件を満たす場合には違法性を阻却されて、犯罪が不成立となるのである。しかし、この要件は非常に厳しく、めったにすべてが満たされて犯罪不成立になることは、ない。この事件の場合、医師によること、本人の真摯な依頼があること、は良いとして、死期が間近に迫っていること、耐えがたい苦痛があること、を満たさないのである。それはたぶん、この医師2人(うち1人は医師資格を不法に得ているとの報道だが)も分かっていたであろう。だから、見つからないようにとは考えていたのだろうが、やり方があまりに稚拙で、当然ながら逮捕されたのである。

キリスト教では、神から与えられた命を自ら絶つのは、罪である(もちろん自殺に失敗したからといってそれを未遂罪に問うかは別問題である)。日本では自殺は罪ではない。年に自殺者が3万人もいるというのがよく問題になるくらいなのだ。治癒の見込みのない難病で苦しみ、前途を悲観して自ら命を絶つこと自体は、誰も止めることはできないのである。死んでは駄目ですよ、生きなくてはと言うことは簡単だが、その人の苦悩を他人が代わってやることは出来ないので、それもまた無責任なように思われる。問題は、この事件の被害者のように、もはや体を動かすことが出来ず、薬を飲むことさえ自ら出来なくなったとき、自殺をするのに他人の力を借りざるをえなくなった場合である。そうした判断を裁判所に委ねている国もあるが、日本ではどうすればよいのだろうか。見て見ぬ振りというのは一番良くないようにも思うのである。被疑者は特異な人格のようだが、今後諸外国の実情はじめいろいろな報道がなされることを期待したい。

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『息子がとんでもない女に引っかかってしまいました』

自由民主党月刊女性誌「りぶる8月号」
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河井夫妻被買収者の不処分、そして黒川氏ら不起訴…

10日に議員辞職するとのマスコミ情報はガセであった。冷静に考えて、するはずがなかった。給料は入らなくなるし(どうやって弁護代を払うのだ!?)、買収の趣旨否認で徹底抗戦の構えを見せているのである。早速に保釈請求をしたというが、関係者多数だし、少なくとも第1回公判が始まる前は、いかな裁判所でも保釈を認めることはあるまい(と思うが、最近は人質司法の批判を受け、だいぶ柔らかくなっているのも事実である)。

そしてどうやら検察は、地元議員や首長約40人について、すべて刑事処分を見送るようである。一部については(受領最高額は200万円である!)略式請求との噂もあったが、それもないらしい。びっくり。

いうまでもなく検察(裁判所も)は先例主義である。過去の同種事犯をどう処理したか、それが今回の処理を決める大きなポイントとなる。検察官が誰か、どの地域かで処分が変わることのないよう、全国統一基準で動くのだ。公選法違反はどんどん厳しくなり(他に厳しくなったのが覚せい剤取締法違反、酒気帯び・酒酔い運転、脱税…)10万円の買収被買収は通常、公判請求である。今ほど厳しくなかった時代でさえ、2000円を貰って投票に行った学生も一律罰金にした(公民権停止は3年)。せっかく成績優秀で地元の国立大学に入ったのに、もはや公務員にはなれないのである。ああ、たかだか小遣い銭で人生を棒に振って、なんと愚かなことよと。その無知さ加減に、憤りよりも哀れさが先に立った。選挙は原則ボランティアなのだと知らなければならない。

もとよりこの河井夫妻事件はそれ自体極めて特殊なのであるが、被買収者について、貰った額がどれだけ多額でも、法を最も遵守すべき公職にあっても、なお不起訴(というよりそもそも立件せず、なのか?)という先例が出来てしまうと、今後買収事件を調べるとき、どうするのか? 今後はこの先例を踏まえて、被疑者も弁護人も、略式請求ですら徹底抗戦するであろう。現場が非常に困ることは目に見えている。それとも今後は、この先例を踏まえて、被買収はおしなべて処罰なし、としてしまうのだろうか? これまで処罰された人たちは皆、不公平すぎると怒っていることだろう。

さて、あえて同じ日にしたのか(河井夫妻のほうに注目が行くであろうことを考えて?)、例の黒川氏がなんと不起訴である! 黒川氏が不起訴ならば記者3人も当然不起訴だ。この捜査は(というほど捜査はしていないはず)いくつかの告発を受けたもので、容疑は(単純)賭博、常習賭博、贈収賄だったらしい。地検は、賭博は起訴猶予(ということは、容疑を認めたうえ、ただ賭け金レートが低いからあえて起訴はしない、としたのであろう)、常習賭博は犯罪不成立(?犯罪不成立という不起訴理由は、ない。賭博自体は認められ、ただ常習性の認定に疑義があるというのであれば、不起訴理由は「嫌疑不十分」が正しいと思われる)、贈収賄は嫌疑なし(? 嫌疑なしというのは、例えば身代わり犯人とかで、被疑者に容疑が認められないのが客観的に明らかな場合を言う。告発事実自体が贈収賄を構成していないのであれば「罪とならず」が正しいと思われる)ですべて不起訴にしたのである。贈収賄はそもそも無理だが、結論はじめにありきであった。

告発者はこれを受けて検察審査会に申し立てるであろう。籤で選ばれた11人の審査員のうち8人が賛成して「起訴相当」とすれば、検察庁が再捜査のうえなお不起訴とした場合、検察審査会が再度起訴相当議決をすれば、強制起訴になる(検察官役として弁護士が指名される)。思うに、そうした手順については地検も読み込み済みなので、いずれ起訴相当議決で戻ってきた際には、単純賭博を認定して略式請求にするのではないか(単純賭博の法定刑は50万円以下の罰金でしかない)。であれば起訴は一応したことになるので、検察審査会の再度の議決はなく、常習賭博で強制起訴されるおそれもなくなるのである。最初から単純賭博を認定して、罰金にする手はあったが(であればそもそも検察審査会の出番はない)、もしかして検察審査会委員たちが起訴相当議決をしないかもしれず、その確率に賭けたように思われる。

黒川氏については、あろうことか懲戒処分にもせず、退職金をほぼ満額受け取らせたうえ、なんの説明責任も果たさせなかった。前にも書いたが、違法な定年延長閣議決定については法務検察も積極的ではないにしろ協力していたはずで、その負い目がある故に?黒川氏に厳しく当たれないのかもしれない。しかし大体、これだけ世間をお騒がせしておいて、総長も説明責任を果たしていないのである。上にある者ほど、自らに厳しくあり、責任を果たさねばならない。いわゆる、ノーブレスオブリージ。この国にはもはやそうした言葉も考え方も死語になってしまった感がある。この後もきちんと追っていきたい。

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『河井夫妻1億5000万円問題について』(中國新聞取材)

中國新聞2020年7月7日朝刊・Yahooニュース掲載
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