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『再婚相手が亡くなり、婚姻無効確認の調停を起こされています…』
カテゴリー: 執筆
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梅雨に入りました…読書に嵌まっています
今日日曜は朝から事務所に出ている。雨予報で傘を持って出たが、晴れてきたようだ。このところ関係団体の行事・会合を主にして、外に出る用事が多いので、どうしても事務作業が溜まっている。週末に2時間でも3時間でも出てこなしておけば、その分仕事は片付き、月曜朝から能率が良い。趣味であればだらだらでも良いだろうが、仕事はてきぱきとこなすべきである。
つい先日、ランチをご一緒した知人から「何中毒ですか?」と聞かれて、咄嗟に出たのが「読書中毒」だった(まさか「アルコール中毒」を期待していたわけではあるまい(笑))。「それはいいですね」で話は終わったのだが(その人はゴルフ中毒で、読書は全くしていないと思う)、たしかにこのところ毎日、読書を欠かさない。以前は月にせいぜい何冊という程度だったのが、多くなった理由は自明である。通勤に本を持っていないとついスマホ検索を始めるので(電車内ほとんどの人がスマホを弄っている)、通信費が嵩むからである(通話は掛け放題契約にしているが)。本は図書館で借りて読み、よほど気に入ったり必要性を感じない限り購入はしない。本が増えすぎて、そうでなくても大変なのである。
本にもマイブームがある。一つは、『鎌倉殿の13人』に触発された鎌倉もの(大河番組自体は見るのを止めてしまったが)。ずっと以前から、北条政子は長男頼家(2代目将軍)を見殺しにし、次男実朝(3代目将軍、享年26歳)は頼家の遺児公暁に殺害されて自らの血筋は途絶え、以後は北条家が執権となって、夫頼朝が築いた鎌倉幕府が続いていくことにどういう感慨を持っていたのか、非常に関心があった。この度の読書三昧で結論したことは、頼家を嫌っていたということである。頼家は、乳母の出所である比企家(当時は乳母及びその一族が大きな権限を持っていた)及び長男一幡を産んだ比企の娘若狭局に牛耳られて、実母や北条を蔑ろにし、政治を顧みず蹴鞠と女色に溺れる体たらくであった。その点、10歳近く年下の次男実朝は政子の妹が乳母になり(その夫は頼朝の異母弟全成)、自分たちで育てたので、可愛かったのである。
実朝は素晴らしい歌人であったが、自らが所望した貴族出身の妻との間に子供が出来ず、兄とは違って妾も持たず、政子としてはすでにその子供は諦め、代わりに、天皇の子を将軍として貰い受けたいとの交渉を始めていた(それはうまくいかず、結局は頼朝の遠縁に当たる貴族の男児を貰い受けてくる)。あとは鎌倉幕府が恙なく継続すること。3世紀下った下克上の時代であれば、北条が将軍になる選択肢もあったかもしれないが、あの時代はまだ身分がものを言い、北条は執権に留まっていたのである。
頼朝の血筋が続かなかったことについては、頼朝が弟らをほぼ抹殺したことも大きいと、改めて思わされた。いざというとき、やはり一番頼りになるのは近い血族であろう。頼朝の同母弟希義は伊豆ではなく土佐に流されて非業の死を遂げた。異母弟義経の話は有名過ぎるので割愛するが、平家滅亡に当たって義経と共に陣頭指揮を執った別の異母弟範頼は40歳過ぎて、頼朝に謀反を疑われ、これまた誅殺されてしまう。そして、誰も居なくなった……頼朝の死亡時に残っていたのは上記全成(義経の同母兄)のみ(その10年後、彼は比企に殺害される)。頼朝は武人としてはさっぱりでも天才的な政治家であったと思うが、非常に猜疑心が強かったようだ。自分を生かしたばかりに平家は滅亡に追いやられたことを反面教師としたにしても、せめて兄弟うまくやっていけなかったものかと思えてならない。
『ベルリンは晴れているか』(深緑野分著)は、出色の小説である。第二次世界大戦後の連合国占領下のドイツベルリンが舞台。ヒロインは17歳のドイツ女性。何度か過去に戻りながら、ユダヤ人、ナチス、普通のドイツ人、外国人…と様々な登場人物が現れて、それぞれの生活・苦悩が浮き彫りになる。よくぞまあ、40歳にもならない日本の女性がなぜこれほどリアルにこの時代と人物が書けるのだ…!? 驚嘆すべき才能というほかはない。伏線に殺人事件があって、その動機は結局よく分からないままなのだが、ミステリーでもある。感激したのであちこちに勧めていて、村上春樹よりよほど面白いといった感想も届いている。
あと短歌の本もいくつか読んでいる。短歌をしばらく作っていないが、そろそろまた作りたいなと思う。
カテゴリー: 最近思うこと
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懐かしい再会あり;阿武町事件について思うこと
今日は千秋楽、朝から事務所に出ている(先週も出た)。昨日出るつもりだったが、雨が降りそうな天気だったので止めた。週末、例えば正味2時間しかやらないとしても、月曜以降がうんと楽になる。今週は月~金と毎日、外に出る用がある(木曜はいつもながらの大学だが)。
長崎の知人が上京するので食事をしようとのこと。先週末に会ったが、数年ぶりはたしかなのに(もしかしたら10年?)、びっくりするほど変わっていなかった。もう80才近いはずだが、ロマンスグレーは減らず、太りもせず、ダンディなまま。大きな会社を経営する地元の名士だが(社長職は次男に譲っている。長男は県会議員)、趣味が広く、心も広く、奥様も大変素敵な方である。だいぶ前になるが長崎によばれ、雲仙はじめあちこちご夫妻に案内して頂き、広いご自宅にも招かれ、奥様の手料理をご馳走になった。自家製からすみは絶品(台湾の総統府で頂いたものよりさらに美味しかった)。国会議員時代からの交遊だからもう四半世紀になる。本当に有り難いことである。
知らなかったが、長崎のじゃが芋生産高は全国2位とのこと(北海道が80%だから、4%でも2位になるのである)。それが10キロも届いた!メークインの新じゃがで、あちこちにお裾分けし、私もほぼ毎日のように頂いている。続いて古酒一升瓶も送られてきた。昨日は新潟の知人が地元産赤ワインを送って下さったし(ちょっとした相談のお礼だが、本場ワインと全く変わらない味でびっくりした)、他に頂き物もあるし、自分で買ったのもあるし、なんだか急にアルコールだらけになっている(笑)。コロナ前ならば人を招いてすぐに消費したが、今はそれがないので、美味しい肴を当てに家で味わいながら飲んでいる。相撲あり野球あり…なんと幸せなことだろうと思う。ただ、来月早々健康診断が入っているので、飲み過ぎには気をつけよう。
さて、このところ世間を騒がせている山口県阿武町。新型コロナ給付金10万円を住民税非課税所帯463軒に振り込むべき計4630万円(原資は国)を、1人の男(すでに名前は公にされている)に全額振り込むという、町役場の恐ろしい失態が事件の発端である。誤振込の完了後は銀行が組戻しをするのだが、これには入金された側の同意が要る。役場がその旨頼みに行ったら、最初は銀行まで同行しようとしたが、途中で気が変わり、そしてそのあと何回にも分けて別口座に振り込んだ後、ネットカジノなどに費消し、残金僅かに6万円だという!! 役場は不当利得返還請求の民事訴訟を起こし(弁護士に頼むので弁護士費用も要る)、警察に被害届を出して、男は先日、電子計算機使用詐欺罪(刑法246条の2)で逮捕された。
民事訴訟で勝訴するのは簡単だが、金はすでにないし、男には不動産はじめ一切の財産がないのだから、執行できない。無い袖は振れない、使った者勝ちである。犯罪については、ATMで現金を下ろせば窃盗罪(235条)、窓口で引き出せば詐欺罪(246条)だが、ネットバンキングなりスマホを利用して振り替えたり他に振り込んだりしたのでは、昭和62年に新設された上記犯罪になる。刑罰はすべて懲役10年以下と同じであり、窃盗や詐欺など従来の犯罪が不成立の場合にその新しい犯罪の適用が考えられることになる。
男は弁済できないので(する気がないので、短期間に使い果たしたようだが、あるいは巧妙に隠していることも考えられる)実刑になるのは間違いなく、3~4年刑務所に行くのではないか?普通であればそんなことにはなりたくないから、最初から使わず(渋々であっても)返金に応じるが、失うものは何もない、前科上等、その間刑務所で飯も住居費も無料、出所時は作業賞与金も貰えるとなれば別に構わないのだろう。よりによってよくまあ、そういう所に誤送金したものである。
そもそもあとの所帯への振込みはどうなるのだと思っていたら、ネット情報によると、すでに全部の所帯に振込済みなのだという!? であればそのうえなぜに、うち1人の男にまたまた、今度は全額分を振り込むという誤手配がされたのだろうか? 起案者もいるし決裁者もいる。もちろん半端ない大金だし、町の財政にそんな金があるはずもない(お金があればいいという問題ではもちろんないが)。とにかく前代未聞のこの事件の真実が知りたい。公金に対してそんな無責任なことをした人たちは町長以下、責任を免れることはできず、町に対して連帯して損害賠償をしなければならないはずである。
男は、町が悪いと言っていたそうだが、だからといってそれを勝手に使っていいという理由にはならない。であるのに、男はむしろ被害者だ、自分が弁護をするのであればその点を訴えたいと発言している弁護士がいて、バランス感覚がないなあと思う。ギャンブル癖のある人の目前に金を置いたという意味でも犯行を誘発した役所に落ち度があるのはもちろんだが、今はネットバンキングが増えているので誤送金は起こりやすくなっている。着金前ならば取り消せるが着金後は組戻しの手続きがいる。その間に(自分には正当な権利がないと知りながら)使い込んだならばそれは犯罪だし、民事的には不当利得である。刑法の生きた教材にはなったけれど、二度と起こらないよう、公務員は公務に携わる意識をきちんと持ってもらいたいと思う。
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ウクライナ戦争に改めて思うこと
大型連休が終わった。私は4月29日事務所に出た後、5月1~5日尾道に帰省し、6日から通常勤務である。気温の変動が激しくて要注意だが、依然マスクをし、手洗い・嗽を励行しているせいか、至って体調は良い。何より睡眠不足がいけないので、夜は(何かしたいことがあっても)早めに寝て早く起きる生活習慣に変えたのが良いのだと思っている。
さて、ウクライナでは依然戦争が続き、民間人の惨殺など悲惨な現状が日々伝えられるが、停戦ないし終戦の当てはいっこうに見えない。有識者の話を聞き、本や記事を読むが、中で、思想家内田樹氏(現神戸女学院名誉教授)の話(月刊日本2022年5月号)がいつもながら洞察力に満ち、非常に参考になった。いわく、S.ハンチントンの『文明の衝突』(1966年)ではいずれ世界は7~8つの文明圏に分割されるとの見通しだったが、ウクライナ戦争は「ウクライナはロシア帝国の属領であるべきか、単立の国民国家であるべきか」という本質的な問いを巡るものである。旧ソ連圏を再び支配下に置くことで帝国を再編しようというプーチン対死を賭して単立の国民国家であることを選ぶウクライナ国民の正面衝突である。
前近代の世界では帝国が基本的な政治単位だったが、ヨーロッパでは1648年のウェストファリア条約から「国民国家」という新たな政治的単位が導入された。後者が支配的になっていくのは、フランス革命戦争が「国民国家は帝国より戦争に強い」と証明して以降とのこと(私は、ナポレオンが素人の市民を徴兵して、傭兵ばかりのプロイセンに勝利したときがその分かれ目かと思っていた)。そして19~20世紀、帝国の属領だった地域が次々と国民国家として自立していく反面、各帝国は崩壊していく。
なるほどと思ったのは、ウクライナ戦争に世界的関心が集まるポイントは「政治的正しさ」(political correctness)であるということだ。すなわちゼレンスキー大統領は、国際社会に向けて「我々は、自国領土や市民の自由と権利を守っているだけではなく、この戦いを通じて、世界中の人々の自由と権利をも守るためにも戦っているのだ(=上位の価値)」とのメッセージを発信している。それ故に世界中の市民から支援が殺到したが、対してロシアはNATOの東方進出で自国の安全が脅かされたという「戦争理由」を掲げるだけで、それはロシアの国益にしか関わりがない。ロシアは今回「力による現状変更」に踏み切ったことで「越えてはならない一線」を越えてしまった。
氏は、アメリカについて「自分の手は汚さずウクライナに激しく抵抗してもらって、ロシアの兵員兵力が損耗し、経済制裁でデフォルトに陥り、国際社会で孤立した二流国に転落するシナリオを期待しているだろう」と言う(中国は厳しい立場に置かれており、台湾侵攻は遠のいたのではないか?)日本は「帝国の属領」になるのか「独立した国民国家になるのか」と言えば、日本は「アメリカ帝国の属領」であると。独立を目指すのが不可能なのは、今の日本人には「総力戦」を戦う力がないからだと。それでも独立を目指したいというのならば、「我々はどういう世界を目指すのか」という理想を問い直すべきだと(それは憲法前文にすでに書かれているだろう)。
4月26日付け日経新聞オピニオン「抗うウクライナ、日本に教訓」(秋田浩之)にも大いに共感した。まとめると、①有事では同盟の有無が明暗を分ける、②自力で防衛する力と意志がないと、他国の支援は得られない、③政治リーダーによる優れた国民と軍の統率力が戦況を大きく左右する。ことに②。ウクライナは、大統領以下国民が国の独立を守るために必死で戦っている。民間人の殺戮を止めるためにすぐに停戦だ降伏だと言うのはたぶん日本人くらいだろう。国の独立をまさに死守しようとする姿勢こそが世界中の共感を呼び、支援を集めている。同盟国に自国の防衛を丸投げするような国を、同盟国すら守ってくれるはずもない。いわんや他の国々はそっぽを向くだろう。もっと以前に向き合わなければいけなかったはずの冷徹な現実を、ウクライナ戦争は我々に突きつけている。
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