栃木強殺事件に思うことなど

 とにかくいろいろな事件が起こり過ぎている感がある。京都府南丹市の衝撃的な小学5年生殺害事件もそうだったが、旭川動物園では職員がその妻を殺害し、動物用の焼却炉で燃やすという、これまた前代未聞の事件が起こった。人の命があまりに軽すぎる。前者は養父であり、後者は夫。他者から守るべき者が加害者になっているのである。被害者にしてみれば、逃げようがない立場なのだ(妻はまさか本当に殺されるとはその時になるまで思わなかっただろう)。妻のことが気に入らないのであれば、離婚をすればよいだけだ。離婚は嫌だと言われれば弁護士を立てて法的手段を取ればよい。普通にあることだ。それが、相手の存在が気に入らない→有無を言わさず抹殺→死体遺棄・損壊。なんと短絡的なことか。恐ろしくも何かのゲーム感覚のように思えるのだが、もう30代だというのに。それともその年代ではそうした感覚が珍しくはなくなっているのだろうか。

 栃木強殺事件の衝撃度はこの2つを越えたかもしれない。実行犯である犯人4人がいずれも16歳、高校1年生なのだ。その上の指示役は28歳の男性とその妻24歳。なんと7ヶ月の乳児がいる! 彼ら6人は当日落ち合い、一緒にファミレスで食事をしていたという。強盗殺人は日本で最も重い犯罪である。刑法240条後段「強盗が人を死亡させたときは死刑又は無期拘禁刑に処する」(ちなみに前段は「強盗が人を負傷させたときは無期又は6年以上の拘禁刑に処し」であって、死亡に至らなくても大変重い)。殺人が故意のときは「強盗殺人」と言い、強盗の手段である「暴行」の結果の死亡であるときは「強盗致死」と言うが、条文は同じである。tただ金のために、バールで20箇所も刺して絶命させるという、なんとも残忍な殺害である。何ら落ち度なく突然襲われた被害女性の驚愕苦痛は想像を絶して余りある。どんな厳罰をもってしても償い切れないはずである。飼い犬も殺され、駆けつけた息子さん2人も刺されて重傷を負ったという。悪質極まりない犯罪であり、成人には死刑が下されて然るべきだが、さて16歳はどうなるのか。

 20歳未満の少年に対しては、刑法ないし刑事訴訟法という刑事法の一般法ではなく、それらの特別法である少年法がまずもって適用される。少年法は少年に対しては保護処分(保護観察や少年院送致など)が原則であり、例外的に刑事処分に処すときには寛大に、の精神に溢れた法律である。根底にあるのは、少年は可塑性に富み、教育でもって更生させなければならない存在との考えである。成人の場合、逮捕後送検して検察庁で勾留請求をしたうえ捜査をし、起訴されるのだが(指示役2人はそうなる)、少年の場合、検察庁はいったん家裁に事件を送致しなければならない。家裁で少年の環境や人格などを調査し(家裁には調査官がいて、親や学校の先生などがよばれる)、罪質や情状に照らしてもはや保護処分では済まず、「刑事処分相当」と審判されて初めて、検察庁に逆送され、そこで起訴になるのである。

 ここで少し安心して欲しいのは、かつてはかなりひどいことをしても逆送にはなかなかならず少年院送致止まりのことがままあったが、私が議員をしていたときの議員立法で少年法の改正をいくつか行い、その一つとして、「犯罪の故意行為により被害者を死亡させた罪の事件であって、その罪を犯すとき16歳以上の少年に係るものについては(=本件はまさしく該当する)、刑事処分の決定をしなければならない。」(同法20条2項本文。但し書きがあることに注意)が挿入されたことである。14・15歳の年少少年に対してはやはり刑事処分は科しにくいが、16歳以上の年中少年の凶悪犯罪については、そうではなくなったのである。

 という次第で、家裁の調査結果次第では、4人の少年中、逆送にならず少年院送致で済む少年がいるかもしれないが(1人は見張り役だったと言われる)、少なくとも主犯級の少年は刑事処分になると思われる。これだけ世間を震撼させ、残忍な犯行に及んだのであるから当然であろう。ただ、少年法は少年に対して刑事処分を科すにしても、あくまで寛容である。犯時18歳未満には死刑を科すことができない(少年法51条1項)。最高刑は無期拘禁刑であり、死刑相当の事案でも無期となる。同様に犯時18歳未満が無期刑相当であっても有期刑にすることが出来る(同条2項)。成人の有期刑は20年以下(併合罪加重をして30年以下)であるが、「10年以上20年以下の拘禁刑」と、ずいぶん軽くなるのである。本人の荷担が軽いか何かして情状酌量をかける場合(刑法68条)、有期拘禁刑だが不定期刑となり、最大で短期10年以上長期15年以下となる(少年法52条)。やはりずいぶんと軽くなるのである。しかしこれも改正前は「5年以上10年以下」が最大だったことを思えば(現場感覚として、あまりに軽すぎた!)重くはなったのだ。もちろん少年についても執行猶予の言い渡しはありうる(その際不定期刑の言い渡しはない。52条3項)。

 ネットで、彼らに対して厳罰をとの声が溢れ、中には死刑は無理にしても無期拘禁刑にして二度と社会に出てくるなの乗りが多く見られたので、正しいことを書いておかねばと思った次第である。おまけに、これはきっと指摘がほぼないと思うので、付け足しておきたいのは、少年に対しては仮釈放も有利に定められているということである。少年法58条いわく、「①無期刑については7年(死刑相当が無期刑になった51条1項の場合には不適用。対して成人の場合は10年、刑法28条)、②51条2項による有期刑についてはその3分の1(成人も同じ) 、③52条の不定期刑については短期の3分の1」である。成人の場合、無期刑の仮釈放が認められるためには今や30年ほどを要すると言われ(どれだけ経っても再犯の可能性があれば認められないのは言うまでもない)、有期の仮釈放も残り数ヶ月位しかないのが通常であって、仮釈放に関する期間はどちらかというともはや死文に近いのだが、少年の場合は成人と比べて、できるだけ早く社会に戻して適応性を高めてもらいたいとの意向が実際問題として働くと思われる。

 しかし、本当に行き当たりばったりの犯行であることに驚くばかりである。すぐに捕まり、何も取れてはいない。宝石店に窃盗に入り、そこにあるだけのものを盗ってくるというのとは違い、まずもってどこに金目のものがあるのか分からないのである。内部の様子をよく知った者を引き入れて計画的に犯行に及んだケースは知っているが、そこにいる被害者を脅して暴力を振るえば、金のあり場所を言うから、奪ってこれると簡単に考えていたのだろうか。しかもこんな素人ばかりで、無計画に、強盗殺人という究極の刑罰を覚悟しなければならない犯罪を犯すのだろうか…? 少年だから大した罪にはならないよとでも言われていたのだろうか。闇バイトが問題になって久しいが、こんな形で罪を犯し、一体誰が得をするのか。お金が無くて困っていたという夫妻も犯罪には素人のようだし、その上に誰かいたのではないかとも思われるが(そいつも素人だとしか思えない)、それらは今後の捜査を待たねばならない。一銭の金も取れないまま、ただ人生は詰んだのである。犯罪は基本的に何であれ、ペイしない。犯罪を犯す少年たちの家庭はほぼ教育機能を欠いているため、そうしたことも学校教育で教えないといけないのかもしれない。

 

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『父が残した市街化調整区域の土地処分に困っています。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2026年6月号

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このところ思うことなど、雑感…

 連休は暦通りに出ている。4月29日(水、昭和の日)は昭和百年記念式典が武道館であり、出席してきた。昭和元年が1826年、ということは今年で確かに100年になるのである。

 正午前に参院議員会館に集合。マイクロバスで武道館に向かい、待つこと延々…、式典は午後2時にスタートし、2時50分に終了。両陛下ご臨席の下、国歌斉唱、高市首相の式辞、森衆院議長・関口参院議長・今崎最高裁長官3人の挨拶の後、海上自衛隊東京音楽隊の歌・演奏が6曲続いた。退出はブロック毎なので手間取り、参院に戻ったのは午後4時。その後、元議員仲間数人と会食して、有意義な一日だった。私は藤色の江戸小紋に銀地の袋帯。自分で着物を着られるようになっていて、本当に良かったと思う。

 さて、イラン攻撃から2ヶ月が経った。出口はまるで見えない。もともとアメリカに大義はなく、出口戦略もなかったのだから、短期の停戦ですら簡単にいくはずもない。トランプはイランの文明を滅ぼしてやる、と汚い言葉を使って脅迫し、それらを戒めたローマ教皇を批判し(イタリア首相は、これを許せないと明言)、あろうことか自らをイエス・キリストに見立てた図柄をアップするなど、とうてい正気の沙汰とは思えない言動が続く。アメリカ憲法25条は大統領が職務に堪えない精神状態になれば、上下院共それぞれ3分の2の賛成で罷免させられる旨を定め、これが発動されるべきだとの言も現れるようにになった。中間選挙で共和党が大敗すればありえないことではないが、ただ副大統領の賛同がいるので、無理なようだ。次期大統領を狙うバンスはトランプに従順な姿勢を貫いている。

 NATO各国はアメリカと距離を置き始めている。となるとその分、ロシアや中国や、その他の国と接近することになるだろう。トランプの訪中はまもなくである。これまで表だってはアメリカを非難していない中国にとって、アメリカが世界の信を失うことは自らが唯一の世界強国になりえるチャンスだと考えているだろう。日米同盟しかない日本だが、世界から信頼されていないアメリカだけを頼みにしていては、一体どうなるであろうか。トランプのことである、日米同盟を破棄して、米軍を引き上げる旨宣言をするかもしれない。その場合、日本の安全保障は、どうすればよいのだろうか。『月刊日本』5月号で内田樹さんが日韓同盟に言及していて、素晴らしいと感じた。あるいは孤高の文化大国で通すのか。問題は、自衛隊を憲法9条に盛り込むかどうか、ということだけの話ではないはずである。

 ピアノを弾くのも体力が要ると思うようになった。80余歳のピアニストとか、マスコミで持ち上げているのはそれだけのことがある。読書は出来るが、読むスピードが遅くなったと感じる。要するに集中力が落ちているのである。若い時とはやはり違うのだ(今頃分かったのかと言われそうだが)。最近読んだ本の中では、『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』川北省吾著(講談社現代新書)及び『Z世代のアメリカ』三牧聖子著(NHK出版新書)がことに良かった。どちらも力作で、情報が満載されている。Z世代はもはやアメリカ人であることに誇りを持てなくなっている。アメリカは貧富の差が大きすぎ、国が分断されている感がある。国民皆保険など日本では当然のことだが、貧しくて医療を受けられず、学歴社会なのに大学に行けず、借金をし、軍隊に行かなければならないといった国民がどれだけいることだろうか。日本は恵まれている国である。

 3日~尾道に行って、母に会う。正月から少しの間に老化がずいぶん進んだようである。5日が誕生日で、95歳になる。『棺桶まで歩こう』著者の萬田緑平医師いわく、「80歳になるのは怖い。80歳で元気な人をテレビや周りで見ていると言うけれど、それは限られた人で、ほとんどの人は病院か施設に居る。もう死んでいる人もいる」と。認知症にならず自力で生活できる90歳は1%もいない、とも言われていて、母はそのレアケースだったのだと納得する。毎朝農作業に出、家事をてきぱきとこなし、茶碗蒸しと巻き寿司が得意で、私が帰るときには早く起きて巻き寿司を作り弁当に持たせてくれた。秋になると栗林から栗を取ってきてさっさと剥いてあちこちに送っていた。私もいつもたくさん送ってもらっていて、人様に差し上げて驚かれ、喜ばれたものだった。93歳までそうだった。いつまでもそれが続くと思っていた…。母は自分の母親と祖母がどちらも95歳まで生き、亡くなる前に寝込むこともほとんどなかったという。ことに母の祖母は亡くなる1週間前まで草取りをしていたとよく言っていた。母も草取りが大好きだった。

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京都府小学生事件、養父逮捕に思うこと

 事件が起こったのは3月23日卒業式の朝だった。父親(養父)の車で9キロ離れた小学校に向かったはずの小5男児が学校に現れず、学校から正午前にその旨の連絡が入り、父親が110番通報をしたのが発端だった。午前8時頃、父親の車が学校から150メートル程離れた駐車場にあったことは防犯カメラに映っているが、男児が降りた形跡がない。それはたまたま死角だったからか? しかし保護者や子供達が行き交うその時間帯・場所で、男児を見かけた人は誰も居ない。もちろん学校内の防犯カメラにも映っていない。父親車のドライブレコーダーは当日切られていたという(なんで?)。児童は携帯を持参せず、位置情報も作動しない…。

 児童は降車後誰かに連れ去られたり、自ら失踪したわけではなく、そもそも学校に行っていないのではないか? と誰もが思う。そのミステリー性のために、連日マスコミはこの報道に明け暮れた。23日(月)の前は3連休で、19日(木)には彼は登校していた。彼の姿を最後に見たのは誰で、それはいつ、どこでだったのか? 23日の時点ではもう遺体になっていて、それは隠されていたのではないか? そのことを隠蔽するために、もういない子供を連れて行ったことにして(そもそもいつもはスクールバスに乗っていたのだ)事件に巻き込まれたことにしようと考えたのではないか? そんな浅知恵などすぐにばれるのに…。いずれにしても父親が「犯人」だと皆が思っていたが、名誉毀損や誹謗中傷と言われることを恐れて、口にはしなかった。

 その6日後の3月29日、児童が携行していた黄色のランリュックが、学校から西側の山道で見つかった。そこは消防や警察などが3度も捜索して見つからなかったのを、親族が見つけたというのである(親族が共犯か?)。4月13日には別の所から男児が履いていたスニーカーが見つかり、そして翌14日には遺体が見つかった。埋めたり隠されていた形跡がなく、その少し前に通りかかった人たちは気づかなかったというから、どこか別の場所から移したのだろうとは思っていたが、警察発表によると、何度も移していたのだという。そんな話はあまり聞いたことがない。発覚の危険も高まるし、自らにも証拠が残ったりするからだ。ランリュック、スニーカー、そして遺体と、犯人がかなりパニクっていた証左なのではあろう。

 同じく警察発表によると、児童は23日当日朝には生存していたという。自宅内に防犯カメラがあるとは思えないから、母親や祖母など家族の供述からであろうか。となると、父親は児童を車に乗せはしたのであろうか(母や祖母は見送った…)。そして学校に向かう途中で何か言い争いがあり、首を絞めるか何かして殺害したのであろうか。そして何食わぬ顔をして家に帰り、その途中のどこかに遺体を隠したのだろうか? 気になるのは、当日の朝父親が勤務先に「家にゴタゴタがあって今日は休む」と電話をしたことである。それはそれら行為のどの時点だったのだろうか? もちろんこれら事実は追々、出てくることである。死体遺棄容疑で逮捕されて20日間勾留、満期に処分保留で釈放して殺人容疑で再逮捕してまた20日間勾留、最後合わせて起訴をするというのは通常の手続きである。

 何か口論をして殺害にまで至るというのは、普通にあることではないので、もともと殺意に似た感情を養子に対して持っていたのであろう。そんな男が母親の再婚相手としてやってきた。戸籍上は昨年12月で、養子縁組も同時になされたのであろう(こうした場合、家裁の許可は不要である)。二人は勤務先が同じで、数年前から付き合っていたとの話もある。男にとって連れ子はおそらくは邪魔な存在であり、児童にとっては母親を奪う嫌な奴であり、居心地の悪い家庭であったことだろう。子供は親を選べない。環境も選べない。どれほど嫌な親でも我慢するしかないのである。大人同士であれば、通り魔や無差別殺人でない限り、被害者にも何らかの落ち度はある。それが情状酌量となりうるが、保護者対子供の場合は、100%保護者に非がある。保護者は子供を監護し保護すべき立場にあるのである。

 30年程前だろうか、カリフォルニアで子供を殺害した日本人女性の裁判があった。判決が死刑だったことからずいぶん話題になった(アメリカはまだ半数の州が死刑を残す)。子殺しでそれは重すぎると日本人からの嘆願がずいぶんあったそうである。だが、欧米のキリスト教国家において、子供は親の所有物ではない。神から養育を託された存在なのである。その信頼を裏切ったわけだから、他人を殺害するより遙かに重いのは当然だというのだ。ところが日本では、子殺しは他人殺害よりずっとか軽い。育児ノイローゼだったりすると、執行猶予がつくのは当たり前、極端な話、起訴猶予になることもある(さすがに昨今はさほど軽くはないだろうが)。その理由について同僚検事らで話し合ったことがある。日本では、子供は我が身と同じであり、つまり子殺しは究極自分殺しだからだと言う某検事の見解で締め括られた。本件は実の子ではないし、全くこれは当て嵌まらず、普通の事件よりずっと重く処罰されるべきである。

 日頃の虐待のことについてはまだ分かっていないが、一般に、虐待による子殺しは枚挙に暇が無い程起こっている。保護責任者遺棄致死罪ないし殺人罪。養父や義父に限らず実父の場合も珍しくはない。我が子が虐待されているのに、まさか荷担はしないまでも、見て見ぬ振りをし助けもしない母親は多い。男のほうが我が子より大事なのである。子供はどれほど悲惨な気持ちであるだろう。彼もまた、これから余りある将来があったのに、自らは全く非がないのに、保護されるべき親に殺害された挙げ句、すぐに弔われるどころか何度も隠匿場所を変えられたのだ。その無念さには形容しがたいものがある。合掌。今後こうした事件が起こらないようにするには、どうすればよいのだろうか。

 

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『末娘が母の遺産の大半を相続するのは納得がいきません。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2026年5月号

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