『70歳にして再婚したいのですが、子供二人が納得してくれるかどうか』

自由民主党月刊女性誌「りぶる4月号」

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3月ももう半ば‥

先般新年を迎えたと思ったら、なんとまあ3月もすでに15日!びっくりだ。新年で気持ちを切り替え、3月に誕生日が来る私は、さらに3月でもやはり少し気持ちを切り替える。ブログの更新もと思いながら、行事や仕事その他で毎日ばたばたしていた。前回の更新を見たら1か月近くも経っている。

年を取って良いことは、あたふたすることが少なくなってくることではないだろうか。若い頃なら、えっ大変どうしようと慌てたはずのことが、まあ、こんなこともあるでしょう、とさらっと思えてしまう。もちろん様々な経験を積んできた故には違いないが、反面、感動も減ってきたのは事実である。初めての光景、初めての味、初めての出来事、会ったことのない人、どんな分野でも「初めて」が減るのだから、それは仕方のないことであろう。

長い間、タクシーに乗って運転手が道を知らなかったり、対応が悪かったりすると、なんとまあ不運なことだろうと感じていた。しかし、最近、はっと気がついたのだ。今回は不運だが、他の日は運転手は道も知っているし、対応も良いのだと。つまりたまに不運があるだけで、全体に均せば、そうではないのだ。なんであれ、個別に見てはいけない。全体で見なくてはいけないのである。個別にはもちろん嫌な人も気に乗らないこともあるが、全体としては、人間関係は恵まれているし、仕事にも恵まれている。体の不具合も時折ないわけではないが、全体としては、とても健康だ。手術にも入院にも無縁で来た。血圧も正常だし、糖尿もない。よく引いていた風邪も丸2年、引いていない。

振り返って、なんらかのご縁で知り合って、後に続く人もいれば、ばたっと切れてしまう人もいる。人間関係はギブアンドテイクなので、なくなれば、その程度のご縁だったのだなと思う。仕事関係でなければ、あとは人間として尊敬できる人、知識や情報の豊かな人、そして気の合う人とこそ時間は共有したいし、私自身もそう思ってもらえる人でありたいと願っている。

あれやこれやに手を出して、結局残った趣味は「勉強」と「ピアノ」、それに「お洒落」の3つだけのように思える。趣味も極めるには10年は要るので、残念ながら今から新たな趣味を作るのは難しいだろう。職業柄ひっきりなしに法律関係の雑誌が来て、帰宅後や週末に目を通すのだが、そういうとき勉強が趣味でよかったと思う。法律の本や資料も多く持ち帰るが、それも苦にはならない。

語学の勉強は世界の文化や歴史が分かるので昔から大好きだが、考えたら、経済でも料理でも音楽でも、なんであれば、勉強することが好きである。この2年来嵌っている和服や着付けにしても、ただ見たり実践するだけではなく、活字を読んで知識を深めることが楽しい。ここ数年趣味だと公言してきた大相撲は、去る13日、自民党党大会に出席後他の用事を済ませて夕方帰宅してテレビをつけたら、初日が始まっていて、驚いた。昨日もすっかり忘れていて、午後5時半になってようやくテレビをつけた。どうやら3大趣味からは抜け落ちたようである。

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国会議員の失言続きに思うこと

これって単に「失言」なのだろうか…。北方担当大臣が「歯舞」を読めず(おそらく他の島も読めないだろう)、あと環境大臣、総務大臣…等々と続いて、今度は自民党議員が「黒人、奴隷の大統領」と発言したというのだ。明らかな人種差別発言であり、議員辞職勧告決議案が野党一致で提出されるという。自民党が賛成せずに否決されるだろうが、とはいえまさか是認されるべき発言ではありえない。

まずはこんな差別意識を持っていること自体が大問題なのだが、万一どこかにそんな意識があったとしても自らの公人としての立場を弁えていさえすれば決してできない発言である。議員辞職勧告決議案というのはもう少しレベルの高いことで出されるものだとばかり思っていたのだが、どうやら幼児レベルでも発動されるようになってきたようだ。このところ情けないことが続き過ぎて、こちらも感覚が鈍磨してきた感がある。

宮崎謙介問題もどんどん過熱化している感がある。離党はしても議員辞職はよもやあるまいと思っていたら、急転直下、週刊誌に出た翌々日(12日)には議員辞職を発表した。他の女性問題もあり、支えきれないと内閣が判断したことによるという。そのあとも出るわ出るわ、浮気相手の元タレントがラインのやりとりなどをすべて暴露した。これによると、宮崎は多い時は日に400通ものラインを送り(仕事をしていないのは明らか!)、その内容たるや、「私のど真ん中はソナタ(←これってどういう意味?)」「会いたくてたまらない病」「(相手の女性に)裏切られたらどうしよう。死ぬ!」「好き!」(を日に10通)といった、聞いているだけで恥ずかしくなるほど低俗であり、「言葉」ですらない。

国会議員である以前に、また妻がいてまもなく子供が生まれる立場である以前に、一個の人間として、恥ずかしい。ここにいるのは、ため息が出るほど、稚拙なガキでしかない。何でこれほどの不適格者が国会議員になったのかということで、公募制の問題が取り上げられている。心理テストをやったらいいと言う人もいて、次回何らかの改善が見られるであろうことだけは、今回の成果であったかもしれない。もとより政治家は「なりたい人よりならせたい人を」というのが真実である。自ら手を挙げる人については、その志の真意を確かめられる方法がなくてはならないし、人間性なり教養を保証できる術がなければならない。女にもてたい、権力をもちたい、金を儲けたい、目立ちたいというのが(隠れた)動機の人はそもそもが排斥されるべきである。

しかし、さらに翻って、こうした問題に横たわるのは、ひとり国会議員の問題ではなく、結局のところ、全体の質の劣化なのではなかろうか。裁判官(あるいは検事)の質が落ちているとは以前からよく言われているが(まあ弁護士も増えているだけにそうだろう)、経営者の質も(もちろん一部だろうが)落ちて企業の不祥事が続いている。たまたまシステム的に、あるいは偶然に悪い人たちが選ばれてしまっているというのであればまだよいのだが、もしかしたらその母集団である日本人全体の質が落ちているということはないのだろうかとの危惧を私は持っている。

現在アメリカ大統領選の状況を見ていると、アメリカもまた著しく人材難であり、質が落ちているように思える。となると、これはあるいは世界全体の問題なのかもしれないと思う。もしそうだとすると、その理由は一体何なのだろうか。あるいはラインやスマホ、インターネットに代表される科学や文明の進歩が人間を駄目にしているのかもしれないと思ったりする。人間は言葉と共に進化した生き物だが、これら便利な道具の、異様なまでの発展は、そもそもの言葉を劣化させているように思えるのだ。

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『伯母の遺言書が見つからず、兄が隠したに違いないと』

自由民主党月刊女性誌「りぶる3月号」

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清原騒動に思うこと

昨日11日は家にいて、宮崎議員の去就目当てでテレビを見ていた。なんとまあ各局、朝も昼もワイドショー花盛り。よくまあ毎日、これだけやることがあるものだ。清原の例の事件も格好のネタになっている‥。

同僚だったという元投手によると、清原は現役時代最後オリックスの頃にはすでに覚せい剤をやっていたという。覚せい剤をやる動機はずばり、セックスの快感が極め付けによくなるからだと言われる。なので、一度やると、もうやめられない。覚せい剤はヘロインなどの麻薬とは違って身体的依存はなく、従って禁断症状もないのだが、しかし精神的依存が格段に強いという。みな捕まって裁判となり、最後被告人質問で弁護士に聞かれて「やめます」とは答えるが(「やめません」と答え、弁護士が大慌てしたことが一度だけある。)本当にやめた人はほとんど見ない。再犯率が極めて高いのが薬物犯罪の特徴でもあるのだ。

清原は有名人であり、何より甲子園の英雄で、プロでも非凡な成績を残した。それがこんな末路になって、家族や関係者はもちろん、一般国民まで残念である。「覚せい剤ってよく言うけど、そんなものどこで買えるの?」と聞いてきた人がいたが、銃器と同様禁制品なのでもちろんどこにも売ってはおらず、暴力団はじめそれ相応のルートがなければ手には入らない。いわゆる密売人はやむくもに勧めたら捕まってしまうので、欲しい人、買ってくれる人の当たりをつける(賄賂を提供する際、金に困っていて貰ってくれそうな公務員に当たりをつけるのと同じである)。一度手をつけたらあとはたいてい常習者になり、良いお客さんになる。どちらも罪になるのでばれることはない。そうやってもちつもたれつの関係が出来上がるのだ。

長い間犯罪を扱っていてよく思ったのだが、例えば、万引きをしたとしよう。それだけを見ると軽い態様の窃盗でしかないが(刑法235条。懲役10年以下の懲役又は50万円以下の罰金)、問題は万引きをするに至った背景である。生活の乱れなのか規律を軽く見る性格なのか、はたまた環境が悪いのか。そうした点が改善できなければ、再犯は必至である。それは例えば風邪を引いた時、原因は免疫抵抗が弱っていることの徴表と考えると、結局は体質改善をしなければ本来の治療にならないのと似ている。清原の場合、あまりにお金がありすぎ、寄ってくる人が多すぎ、生活の基盤となる金銭感覚が狂って自分を見失い、生活が乱れ切ってしまったことが背景としてあるような気がする。お金があっても人が寄ってきても、自らを律することができる人は、分を弁え、道を外すことはない。まして普通の生活をしている普通の人が自ら犯罪に手を染め、あるいは犯罪に巻き込まれることは(通り魔殺人などは別として)まずもってないと私は思っている。

清原報道と同時に、上村遼太君殺害主犯少年の刑が懲役9年以上13年以下(一審)となったことについての関係者のコメントもあった。犯罪少年らは規律正しい生活が出来ておらず、親から暴力も振るわれていたという。また被害少年もシングルマザーの母親が5人も育てるのに必死で、子供が一晩帰ってこなくても捜索願も出さず、ほぼほったらかしの状況であったという。父親の暴力で離婚し、島根の島を出て実家近くに引っ越したという一家。そもそもの原因になるはずの父親が「とても許せない」とコメントしていたのに違和感を覚えた。犯罪の背景にあるのはそれを導いた生活態度であることは、どの事件でも変わらないと思っている。

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