イギリスに王女誕生、ヘンリー8世時代について思うこと

連休もあっという間に終わってしまった(もともと暦通りで、大した休みではなかったのだけど)。この時期は四季のある日本では最高に素晴らしいはずなのだが、もう早や暑く、昼間は半袖で十分なくらいである。いい季節がなくなってきたと感じるようになって久しい。個人的には、昨年来着物が自分で着られるようになり(着付けはネット動画で会得)、折に触れて楽しんでいたのが、また半年後だなと思うと残念である。

さて、このところ読書は専らイギリスの歴史物に嵌っている。ことにチューダー王朝2代目ヘンリー8世の頃(16世紀)。とくれば、いわずとしれた、6人の妻。最初の妻キャサリンはスペインの名高きカトリック両王フェルディナンド・イザベラ(=コロンブスのパトロン)の娘という最高の血筋であり、教養も美貌も備えていたが(だからこそ、兄嫁で年上なのにヘンリーは憧れ、兄亡き後求婚したのである)妊娠出産を繰り返すも育ったのは女児一人(後のメアリー1世)。ヘンリーは侍女アン・ブーリンに心を移す。そして、あくまで離婚を認めないローマ教皇庁と縁を切り、キャサリンの結婚は無効だとし(兄の妻との結婚は聖書が禁じているとして)、イギリス国教会を設立。その過程でトーマス・モアを斬首。

ところがアンもまた女児(後のエリザベス1世)を産んだのみ、やがてヘンリーの心は侍女ジェーン・シーモアに移る。結婚後3年でアンは姦通(反逆罪)で斬首。ジェーンは待望の男児(後のエドワード6世)を産むが産褥熱で死亡。次に、肖像画で惚れ込んだ外国の王女アン・クレーブスと結婚しようとしたが、実物があまりに違うために激怒、結婚を無効とする(肖像画を持ち込んだ、ヘンリーの片腕トーマス・クロムウェルを斬首)。次に、まだ10代のキャサリン・ハワード(アン・ブーリンの従妹)と結婚するが、すぐに姦通(反逆罪)で斬首。最後のキャサリン・パーは2度夫と死別した、当時最高の知性を持った富裕な31歳。20歳以上年の離れたヘンリーに献身的に尽くすが、子供は生まれず、ヘンリー55歳で死亡、三たび未亡人となる。

このキャサリンの人生も凄まじい。ヘンリーに強引に求婚される前、宮廷一の美男子、トーマス・シーモア(ジェーン・シーモアの兄)と恋愛していたが、王死亡後熱烈な求婚を断り切れず、喪も開けないうちに4度目の結婚。王の遺志で自宅にはエリザベスを引き取っていたが、キャサリンの妊娠中、こともあろうにこの夫、まだ14歳のエリザベスに積極的にアプローチ、エリザベスはやむなく外に出されてしまう。キャサリンは女児(メアリー)を産むが産褥熱で死亡、時に36歳。莫大な遺産は夫に相続されるが、野心家の夫はエリザベスと再婚しようとして、反逆罪で斬首。全財産はそのまま国に没収され、その後のメアリーの記録は残っていない。

まさに事実は小説よりも奇なり。ヘンリー8世という特異なカリスマに翻弄された激動の時代でもあった。跡を継いだ病弱なエドワードが16歳で死亡後、王位はメアリーに、そしてその死によってエリザベスに移り、英国の繁栄の基礎を築き上げることになる。それにしてもまあ、登場する名前の少ないこと! 6人の妻のうち3人はキャサリン、あとアンが2人にジェーン。今回誕生した王女はシャーロット・エリザベス・ダイアナ。しかもシャーロットは男名だとチャールズである。チャールズはシャルル(フランス)=カール(ドイツ)=カルロス(スペイン)だし、ヘンリー=アンリ(フランス)、キャサリン=カタリナ=エカテリーナ(ロシア)だ。本当に名前が少ないことは驚くばかりである。日本では名前は無数につけられるので、賭けなどありえない。皇室と貴族、民衆の名前はそもそも異って当たり前だし。

ともあれ、新しい生命が次々に誕生して、イギリス王室は栄えてよいなあと思う。ヨーロッパの他の王室にしても事情は大なり小なり同じようなものである。それに比して‥と思わずにはいられないのだが、あえて言わないほうがいよいのだろう。

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