大相撲7日目、行ってきました

大相撲熱はだいぶ醒めていたのだが、声をかけてもらったので、16日(土)に行ってきた。国技館の外には人が溢れ、熱気がむんむん。出てきた力士を取り囲んで、外国人らが記念撮影に興じている。日本に興味を持ってもらうのはとても嬉しい。チケットは午前8時半には完売とのこと。中に入るとやはりすごい盛況だ。もちろん連日の「満員御礼」、相撲人気復活は本物である。

注目の遠藤はサポーターもなく、普通に歩いて、四股も高く上げている。先場所負った膝の大けがを知らなければ傍目にはわかりにくいが、本人はかなり痛みを我慢しているにちがいない。6連敗の後ようやく初日が出たが、相手は遠藤同様に連敗、かつ幕内きっての軽量級である。その相手にすら苦戦しての勝利だったから、またまたこれで膝を痛めたのじゃないか気になってしようがない。男の美学はよいけれど、プロなのだからやせ我慢せず、見ている客のためにもサポーターくらいはしてよねと思ってしまう。

多くの人が指摘しているが、私も遠藤は絶対に休場すべきだったと思う。来場者全員に配られるパンフに遠藤の顔が永谷園コマーシャルでいくつも載っているので休場できないと考えたのかもしれないし、また今場所3つか4つか勝てば幕内に残れると踏んだのかもしれないが(全休だと来場所十両に落ちる)、相手もプロなのだから、故障した体で勝てるほど甘くはない。とにかく相撲を取る以上ただでさえ体に無理な負担がかかるのは必定であり、運良く幕内に残れたとしても来場所満足な成績が残せるとも思えない。花道のエリート人生を歩んできた彼にとって、幕内陥落が辛いことは重々分かるのだが、大相撲で本当に名を成したいと願うのであれば、ファンのためにも、また対戦相手のためにも、まずはきっちり体を治し、幕下からでも這い上がってくる気概を持つほうがよほど男の美学ではないかと思うのだ。

近くで見ていると、力士の表情がよく分かる。取組前から勝負は始まっているし、ある意味そこですでについているようにすら思える。例えば、豪栄道。長年のライバル関係にある栃煌山(一番負けたくない相手は豪栄道と公言している)を相手に、まるで気迫が感じられない、を超えて泣きそうな顔をしていた。客席からは栃煌山大応援団の声援が飛ぶし(あれ、豪栄道の大応援はご当地大阪だけだったの?)、これは負けるなと直感したら案の定、立ち合い押し込まれて為す術もなく、土俵を割った。注目の逸ノ城も、初日白鵬にまさかの勝利をしたときの怖い顔は微塵もなく、ぼうっとしていたので、これは負けると思ったら案の定、栃ノ心にあっさり負けた。2日目の稀勢の里戦で左肩を負傷して不調ということもあるが、腰が高くて土俵際で残せないのは、明らかな弱点である。

結びの一番、白鵬は新鋭佐田の海に対して、張り差しにかち上げという卑怯な手を使ってあっさり勝った。ぱらぱらとした拍手。呆然とした佐田の海の顔。照ノ富士と日馬富士に勝った新鋭をよほど警戒してのことだろうが、これでは横綱相撲とはとうてい言えない。そうまでして懸賞金が欲しいのか、優勝懸賞金が欲しいのかと思う。日馬富士でも照ノ富士でもよい、今場所こそは白鵬以外に優勝旗が渡ってほしいものだ。もちろん2敗で負う稀勢の里に勝機が訪れれば嬉しいが、稀勢の里には期待しないほうがよいというのが長い間の経験値である(笑)。

さて、大阪都構想が否決され、橋下氏は引退を宣言した。二重行政の無駄を省くことには誰も反対をしないだろうが、なぜ「大阪都」なのか? 京都は京の都、東京は東の京都、であれば大阪は西京都ということか。「大阪」は誰も変えたくないだろうし、であればなぜ大阪都になるのか。ネーミングが奇異であることが結局は敗因ではないのか。それにしても弁護士やタレントで食べていける橋下氏はよいけれど、その旗の下に集まった維新のメンバーはどうなるのだろう。もちろん自己責任といえばそれまでなのだが。

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