執筆「過去を思い,未来のために 軍歌を聴いて思うこと」

 立春を過ぎた頃、顧問先に誘われて、軍歌祭に初めて行ってみた。
 今年で22回目だという。300人位いる会場は熱気でむんむんしている。多いのは年配の男性だ。前方で楽団が演奏し、それに併せて参加者が適宜ステージに出て合唱する趣向である。
 トップは「予科練の歌」である。「若い血潮の予科練の 七つ釦は桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞が浦にゃ でかい希望の雲が湧く」。配られた歌集には作詞西条八十とある。あと知っているところで、「暁に祈る」「ラバウル小唄」「空の神兵」など、計10曲。
 その後、「りんごの歌」や「青い山脈」など懐かしのメロディ10曲を挟んで、後半の軍歌10曲に移った。「麦と兵隊」「出生兵士を送る歌」、そして「戦友」となった頃、私も誘われて前に出た。
「ここは御国を何百里……」。3番「ああ戦いの最中に となりに居りしこの友の にわかにはたと倒れしを われは思わず駆け寄って」4番「軍律きびしい中なれど これが見捨てて置かりょうか しっかりせよと抱き起し 仮ほう帯も弾のなか」5番「折りから起こる突貫に 友はようよう顔あげて お国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙」……。
 私の目にも思わず涙が溢れてきた。若い彼らがどんな思いで戦場に赴き、そして戦ったか。お国のため。ただその一心で、彼らは有為な前途を抛ったのである。
 その貴重な犠牲の上に今の繁栄がある。彼らに今の日本を見せられるだろうか。誇りある国家を、我々は将来のためだけではなく過去のためにも造っていく義務があるのだ……。
 祭は、みな肩抱き合っての「同期の桜」で終わった。来年もまた私は来るかもしれない。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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桜開花,国会は動かない……

 あちこちで早や,見頃だ。桜という花ほど心を浮き立たせてくれるものはない。
 もっともここ10年ほど前から満開時が読めず,予定が立たずに困る。地球温暖化や環境破壊の影響で,我々の大事な地球が壊れていっている現れの1つなのであろう。

 さて,日銀総裁ポスト。空白のままである。
 昨年の参院選から衆参がねじれ,だが法案については憲法上,衆院で再可決の方途が規定されているが(もちろん奥の手であり,滅多には使えないが),国会の同意人事については憲法・法律ともに規定がなく,参院で否決された場合の取り扱いが問題視されていた。
 そして案の定である。日銀総裁が不在だなんて,国際的にも信用がた落ちだが,そんなこと知ったことじゃなし,野党は政局に持って行きたいのだろうし,官邸は野党はもちろん与党内での「根回し」もなく,まさに出たとこ勝負,恥ずかしい限りである。
「自民党」がブランドであったのは,腐敗しても政権担当能力はあることにあったはずだが,安倍→福田と続いて,国民はその能力に不安を覚えている。であるならば,これまた大した期待はできないにしろ,一度政権を交代させればいいではないか……。

 問題は,質の良い政治家が選ばれないシステムにある。
 イギリスは完全な小選挙区制だが,日本と違うのは,議員が亡くなって子どもが出る場合も党が別の選挙区を割り当てるのである。日本が平成5年に小選挙区制に変えたとき,範としたのはイギリスの制度だったのだが,日本はブロック別比例制度を併存して残したし,何より世襲制の弊害が大きい。究極,国会議員であることがまさに家業になると,選挙は絶対に勝たねばならず,そのために地元に予算を引いてくること,選挙民の要望を様々に叶えてやること,それら内向きのことをこなした上で,さらに余裕があれば?初めて国家の在り方を考えるわけである。
 日本はそもそもが人的資源で活路を見出す国である。政治の世界には人材が出ない,では済まされない。少なくとも中選挙区制に戻さなければ,新しく活気に満ちた人材は出ようがないと思われる。だが現職に圧倒的に有利な小選挙区をあえて元に戻そうという声は,永田町からはほとんど出ない。

秋田の2児殺しは,死刑求刑に対し,無期懲役の判決であった。被告人の改善更生は難しいと述べながらも,極刑宣告には躊躇した結果であった。
渋谷の夫殺し,ばらばら持ち運び事件。検察・弁護人選定の精神鑑定医が2人とも責任能力なしと口頭で述べた。検察は責任能力ありとの鑑定を踏んだ上で起訴したはずだから,不思議なことだ。重篤な精神病でもないのに責任能力なしとの判断はあまり聞いたことがない。彼女に常時暴力を振るっていたとされる被害者。まさに死人に口なし,離婚だって出来たのに,一人息子をこんな形で奪われた遺族の心情を思うとやりきれない。
 茨城の無差別殺戮。命をゲームのように扱う事件が増えてきたと感じている。こんな手合いにかかれば誰であっても災難は避けられない。とはいえ予告されながら最悪の被害を防げなかった警察は国賠の対象になるのであろう。

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執筆「より良い人生のためにも 健康は自分で作るもの」

 大学で教え始めて3年、この秋冬は初の快挙を達成した。計14回の講義を一度も休まず、補講をせずにすんだのである。
 体調がずっと良かったのは、偶然の賜では決してなく、毎日心がけて、健康を管理した成果だと思っている。
 私はいわゆる腺病質の子どもで、勤め始めてからも風邪などはしょっちゅうで、皆勤の年は一度もない。入院も2度した。頑丈な男性陣(女性はあまりいない職場だった)には体力で負けるなあというのが実感だった。
 自由業になって休めなくなり、徐々に、健康管理こそが一番の仕事だと思うようになった。
 体調不良のほとんどは睡眠不足に起因する。と気がついて、夜の付き合いはほどほどにし、早めの帰宅を心がける。飲み過ぎない。就寝まであえて、ぼうっとする。風邪を引かないよう、うがい・手洗いの励行。人混みでのマスク着用。冷暖房対策として、別のインナー、ストールの携行……その他細々と、睡眠不足にならないよう、風邪を引かないよう、毎日気を配っているのだ。そう、健康は自分で作るものなのである。
 副産物として、毎日が楽しい。良い睡眠が爽快な目覚めをもたらすしてくれるからだ。今日はいい日になる、頑張ろうと単純に思える。憂鬱な案件でも、楽しんでやろうと思えてくるから不思議だ。ましてそこに爽やかな青空なんぞ広がっていたら。幸せってこんなに身近だったのだと実感する。短歌の一つも浮かびそうになる(実際はなかなか出来ないが)。
 英語では人生と生活は同じである(Life)。良い人生を送るとは、すなわち日々の生活の質を高めることのように思う。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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執筆「日本の未来のために ワーキングプア問題の解決を」

 事件や社会問題が起こりすぎる昨今だが、中で私がことに憂えるのは、ワーキングプア問題である。
 すなわち、「働く貧困層」。正社員並にフルタイムで働いても、生活保護の支給額以下の収入しか得られない就業者のことをいう。この日本で、年収200万円以下の労働者が2006年、21年ぶりに1000万人を突破したという。労働人口3100万人に対し、実に3分の1を占める。この中には配偶者控除のためにあえて所得を抑える人たちも入るだろうが、それにしても驚くべき数値である。
 企業は、バブル経済崩壊以降、消費の減少、デフレの進行の中で、人件費削減を推し進めていく。賃金の高い正社員の新規採用を抑制し、代わりに、アルバイトやパート、契約社員、派遣社員といった非正規社員の雇用を増大させている。彼らはどれほど社会経験が豊かでもキャリアとは認められず、正社員への道は低く閉ざされている。片や正社員も安穏ではなく、会社の倒産やリストラに遭えば、国家資格や特別な技能なくして、再びの正規雇用は至難の業である。
 年収200万円で家庭を築き、将来設計を描くのは不可能である。少子化の解消を唱えるのであれば、まずはこの労働者問題を解消することだ。貧困は古今東西、犯罪を生む最大要因でもあるから、治安対策にも必須の課題となる。日本の治安の良さは、教育によるモラルの高さに加え、経済的な安定によって保たれてきた。終身雇用は社会保障であり、最も有用な社会インフラなのである。
 ワーキングプアは格差社会の反映でもある。労働が正当に評価され、不公平・不公正のない社会。そんな社会をこそ政治は目指さなければならないと思う。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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三浦逮捕,法相の冤罪発言……

 いつも思うのだが,ニュースはひっきりなしに起こり,マスコミは飯の種に困らないものだ。
 イージス艦が漁船に衝突し,そうこうするうちに三浦和義がサイパンで逮捕された。いわゆるロス疑惑って27年前も前だったの? と,びっくりした。私が横浜地検にいた時代だ。たしかに日本中が騒いでいた。先般大学の同僚がロス疑惑を学生に話しても通じなかったとショックを受けていたが,それくらい古くては当然だ(「戦後」が第二次世界大戦後であるとすら分からない学生が多いのである!)。
 三浦は妻に多額の保険金をかけたうえで,共に渡航し,そしてロス事件が起こった。何者かに妻は撃たれて死亡し,側にいた三浦は負傷したのだ。三浦は狙撃の実行犯とともに逮捕され起訴されたが,一審は「実行犯無罪,三浦有罪(無期懲役)」。実行犯なくしての共謀犯はないから,これって無理無理の有罪だよねと言い合ったものだ。そうしたら上級審において,検察が共謀者を「氏名不詳者」としたのを,裁判所は無罪と判断した。日本のまっとうな法律家的感覚としては,結論自体は仕方がないと思う。もちろん状況証拠は満載だから,自白さえあれば問題なく有罪であった。彼はその以前,女優と共謀して妻を殺害しようとしたし(これは有罪となった),極めてクロであったが,うまく逃げおおせたのである。

 この事件,当然ながら犯罪地の米国にも管轄がある。最初から米国が裁いていれば,英米法系は証拠の認定が大陸法系と違って大おおざっぱだし,(司法取引せずに無罪を争う以上)陪審ではあるし,有罪となり,最高刑の死刑に処せられていたであろう。だが,三浦にとってラッキーなことには日本が管轄を取った。原則,政治犯は引き渡さない,自国民は引き渡さないのである(亡命者フジモリが急に日本人だと言い出したのは記憶に新しい)。国にはそれぞれ主権があり,捜査機関は他国に赴いてまで逮捕はできないから,三浦が以後米国に行きさえしなければ今回の逮捕劇もありえなかった。一事不再理はあくまで主権の同じ国の中での話だし,米国では第一級殺人の時効がないことも,100年に一度の天才的犯罪者(との評があった)はよく知っていたはずだが,加齢とともに勘が鈍くなっていたのであろう。ともあれ,この後の展開が非常に楽しみである。

 さて,法相。またまたやってくれました。鹿児島の公職選挙法無罪事件は「冤罪」ではないと,公式の場で発言したのである。彼の理解では,冤罪とは「真犯人が出てきた場合」だそうだ!? たしかに殺人容疑であれば犯罪による死体があり,犯人は誰か必ずいるが,買収容疑の場合には犯罪そのものがでっち上げの場合もある。冤罪とは真実やっていない人が嫌疑を受けることであり,真犯人の登場云々とはそもそも無関係である(真犯人が出てくれば冤罪であることがすぐさま明らかになるだけ)。この点,某党首(弁護士)の「無罪だから冤罪」との発言も誤りだ。無実は実体的な問題だが,無罪は有罪立証(合理的な疑いを容れない程度の証明)が出来なかった場合であり,無罪の中に無実があるという部分集合の関係に立つ。
 なぜ罷免要求が出ないの? と聞くと,何のことはない,民主党幹事長が実兄であるからであるらしい。
ああ。

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