執筆「「笑う門には福来たる」 幸せな笑顔は、多くの幸せを運ぶ。」

 悩みがないのだろうとよく言われる。私に会うと元気が出るとも言われる。大きな声で喋り、よく笑うからであろう。ありがたいことである。
 もちろん人間だから悩みはあるが、楽天的な性格のお陰で、深く落ち込まずに済んでいる。これがもし悲観的に生まれついていれば、どれほど大変なことか。人の持って生まれた性分は、その適性や能力と同様、努力次第で簡単に変えられる類のものではない。
 幸いネアカの私だが、近頃はやはりそれなりにストレスを感じることがある。仕事が仕事だし、一人でやっているから大変なのである。そんなときはたいてい、悪いことが重なる。普段だと簡単に乗り切れることが、思わぬ障害になるのである。最悪の場合、私は誰にも必要とされていないとまで思い始める。これで根が弱ければノイローゼになったり自殺したりするのだろうなと理解ができる状態である。
 負の連鎖を断ち切るために、どうするか。試行錯誤して、意外と簡単な方法を会得した。親しい人を誘って食事をすることである。美味しい物を食べて笑っているうちに、旺盛な食欲も、ネアカの私も戻ってくる。人は人によって傷つき、それでいて人によってしか癒されない存在なのであろう。そう思っているとき、哲学者ニーチェの言葉に出会った。
「幸せであるためには幸せでなければならない」
 言葉は違うが、そんな意味であった。悩んだ顔、苦しい顔は人を遠ざける。幸せをよぶためには自らがまず幸せであること。トートロジーのようだが、真理である。
 そう、「笑う門には福来たる」。それが今年のモットーである。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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今年も終わり……

 3連休が終わり,今年最後の週に入った。当然だが,公私ともに済ませておくべきことが様々にある。事務所は27日まで。来年は1月7日から始めるから,休暇としては幸いかなり長い。
 ホームページを更新してないね,とこのところ続けざまに言われた。たしかに1ヶ月を優に経過していた。最低1ヶ月毎には更新しようと思っているのだが,あれやこれやしているうちにすぐに日が経つ。すごい事件や問題が起こったと思うと,すぐにまた新しいことが起こって,前のは忘れ去られてしまう。
 今年の一文字は「偽」。まさに,食品偽装から,消えた年金から,安倍総理の突然の辞任劇から,防衛省汚職から,警察不祥事から,数え上げると切りがない。社会のタガが緩んでいる故であろう。まさに,事実は小説より奇なり。だんだんと馴らされて,不感症になっていく感がある。日本はこの10年でどれほど変わっただろうか。30年という単位で考えると,さらにすごい。別の国になった感さえある。一体誰がどうやったら,この落下,変容を止められるというのだろう。

 私事としては,今年は振り返って,だいぶピアノに明け暮れた。
 8月にベートーベンのピアノソナタ『熱情』を発表会で披露し,平行して,生まれて初めてのコンクールにも出た。一応予選(5月),本選(8月)と通過し,来年1月5日には全国大会に出場予定なのだが,今更のように思うのは,上手な人,才能のある人が実に多いということだ。音楽大学に行かなかったのは大正解。
 このところずいぶん入れあげていた趣味ではあるが,そろそろ見切りをつける時期かなとも思う。もちろん以後も趣味では続けていくのだが,限られた時間とエネルギーを別の方向に振り向けようかと思うようになった。そうやって,したいことがいくつもあるのは幸せなことである。

 仕事は働き盛りの年代,実はもっとやるべきかなとも思う。
 しかしながら来春から就任予定の東京家裁調停委員は,週半日取られるらしいし,まずもって私は金を儲けることにおよそ関心がない。時間とお金を天秤にかければ当然ながら時間がずっと大事。だからあえて自分から積極的に事件を取るようなことはしないし,またできもしないであろう。
 人であれ物であれ仕事であれ,自分に与えられることに感謝を,とこの頃思うようになった。慎ましやかに生きること。身近にちょっと普通にあることに幸せを感じるし,それこそが幸せなのだと最近つくづく思うようになった。縁あって自分に与えられた仕事を,これからも一つ一つ,丁寧にこなしていこう。何より健康であること。
 以上が今年の総括であり,また来年の慎ましやかな希望である。
 
 どうぞ世界が,そして国が,平和で,安全で,慎ましく生きる人たちが報われる社会でありますように!

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執筆「読む度に心が洗われる本。 名作には感動を呼ぶ品格がある。」

 本を読め読めと人に言うわりに、私自身は実は、さほどの読書家ではない。本屋にはあまり行かず、必要な物は注文で済ませているほどだ。仕事柄毎日活字に親しんではいるが、趣味で読む物といえば音楽関係くらいである。
 そんな私が、十年ほど前までは小説を書いていたのである! 子どもの頃から本はよく読んでいた。自ら書くようになって徐々に、作家の資質として必要不可欠な、細部にわたる描写能力が残念ながら私には欠けていると自覚し始め、それとともに読書量が減った。
 もちろん、話題の本を買って、上手いと感心したり、情報量に感謝したりはするが、再読となるとめったにない。そんな本は誰でもせいぜいが一割程度らしい。つまり、本の賢い利用方法は、借りて読み、中で、手元に置きたい本だけを買うことなのだ。そうしておけば本がどんどん増え、置き場所に困ることもない。
 徐々に賢い利用者になったのか、私は今、とんと本を買わない。日常の時間がふっと空いて、心が別の世界を渇望していると感じるときは、自分の本棚に手を伸ばすのである。
 古今東西の歴史物、古典物。何度読んでも、頁を捲りさえすればそこには新鮮な世界が広がる。日本の近代では夏目漱石、新しい所で藤沢周平。読む度に心が洗われる。名作の名作たる所以であろう。
 はて、名作の本質とは何だろう。と考えていて、思い当たった。今、流行りの「品格」という言葉。音楽でも絵でも映画でもすべて、本物には品格がある。真摯に、まっとうに作品に取り組む姿勢、そして真の才能。感動こそ人の生きている証、そして感動は時代を超えて、普遍である。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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地に墜ちたモラル

 このところばたばたとしていたが,昨日ようやく一段落し,今更新している。あまり更新もしないのに定期的に見てくれる方が結構いて,ありがたい。
 いつも思うのだが,弁護士稼業には波があるので,やれることは早めにどんどんやり,常に仕事を溜めない状態にしておかないといけない。その上で余暇があれば十分に楽しんでおくことである。それがまあ,人生の極意にも通じることかもしれない。
 
 さて,巷では事件が続き,何が何やら分からないほどだ。
 前に書いた,奈良の医師一家放火事件に関する秘密漏洩については,医師のみが逮捕・起訴され,そそのかした肝心のジャーナリストはおとがめなしとなった。地検は身分なき共犯として彼女をも起訴をすべく努力をしたはずであるが,法の間隙を縫った形になったのだろう。気持ちの悪い結果であった。もちろん,遺族や当の医師から民事訴訟を起こされるのは別として,真の意味での正犯が刑事的な処罰を免れたわけである。
 大相撲の「傷害致死」についても未だに逮捕がなく,一体何がどうなっているのか,さっぱり分からない。これもまた,気持ちが悪い。

 法務大臣の放言もひどい。死刑執行も大臣のサインは要らないようにしたいと言っていたかと思うと,あろうことか外国人記者クラブで堂々と?「友人の友人がアルカイダ」と来た。こういう人に法務行政を任せておけるか,と誰もが思う。
 東大法学部を優秀な成績で出たと聞くから,頭はいいはずだが,それと常識とは残念ながら別なのであろう。会合で人が挨拶しているときに大声で私語を喋っていたし,兄貴の悪口を延々と喋り続けるのに閉口したこともある。
 前首相といい,なぜこうも永田町には空気の読めない人がいるのか。せめて常識のある人でないと政治なんかやれないはずなのだが,やはり世襲に問題があるのであろう。

 さて,守屋。
 異例の4年も事務次官をやり,度外れた権力欲とは知っていたが,実態は想像を遙かに超える。関係業者と週1度の割でのゴルフ,夫婦での偽名,接待。部下との間での不透明な多額の金員のやりとり。これからもいろいろと出てくるのであろう。こんな人に大事な防衛行政が委ねられていたのだと思うと,空恐ろしい。
 これはひどすぎる事例だとしても,どこの省庁も,あるいはどこの地方も公務員は似たり寄ったりだと世間はすでに思っている。規範はいったん緩みだすと限りなく緩む。範になるべき公がこれなら,私の規範が緩むのは致し方がない。食や安全の各種偽装は当然の結果であるように思われる。
 モラル低下。なぜこうも地に墜ちたのか。ノーブレスオブリージ,地位ある人にはそれだけの義務がある。昔は,地位ある人は自らの襟を正し,人に後ろ指を指されないよう,社会の範たるべきよう,清貧であろうと努めていた。それもこれも教育なのだろう。
 とにかくこんな状況では,子どもたちにちゃんと大人を見習って成長するよう言えないのがいちばん辛い。

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執筆「積み上げた経験が生きてくる。 今,オシャレを通して分かったこと。」

 このところ、実に堅実な生活を送っている。顧みてこれまで、夜の飲み歩きは当然のこと、ブティックも気分転換にしょっちゅう覗いていた。結果、時間もお金もずいぶん無駄に使った。
 堅実になったのは、残りいくらの有限の時間を大事にするようになったからである。また、自由業は給料生活の時よりお金の有り難みが如実に実感されるからである。加えてこと服に関していえば、自分に似合う物、似合わない物がようやくに分かったことが大きい。
 私はお洒落とたいそう縁が深い。神戸育ち。洋裁を仕事にしていた母。物心ついたときからモードは私の生活の一部だったのだ。以来、膨大なエネルギーと時間を費やした。使った金でマンションの一つや二つは買えたはずである。
 実に半世紀近い試行錯誤の期間を経てようやく、自分という素材を最大限に生かせるパタンが会得できた、そんな感じがする。体型の長所・欠点、雰囲気、個性、そしてTPO。すべてに合格する物を自分の目で確実に選べるようになった。一つ大きなサイズを着ていたことも分かり、ジャストフィットにしたら、断然スリムにも見える。
 初秋、今年の流行色、黒とグレーのスーツを各1着、購入した。そして持っていたスーツを8着、人にさしあげた。シンプルなワードローブだ。そう、これからは本当に自分に合う物を丁寧に、着ていこう。
 身近なお洒落ですら神髄を極めるのは大変なのだから、まして趣味や学問の奥は深いはずである。積み上げた経験を生かすことで、人生が充実していくのだと思えば、年を取るのも悪くない。

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『りぶる』

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