執筆「より良い人生のためにも 健康は自分で作るもの」

 大学で教え始めて3年、この秋冬は初の快挙を達成した。計14回の講義を一度も休まず、補講をせずにすんだのである。
 体調がずっと良かったのは、偶然の賜では決してなく、毎日心がけて、健康を管理した成果だと思っている。
 私はいわゆる腺病質の子どもで、勤め始めてからも風邪などはしょっちゅうで、皆勤の年は一度もない。入院も2度した。頑丈な男性陣(女性はあまりいない職場だった)には体力で負けるなあというのが実感だった。
 自由業になって休めなくなり、徐々に、健康管理こそが一番の仕事だと思うようになった。
 体調不良のほとんどは睡眠不足に起因する。と気がついて、夜の付き合いはほどほどにし、早めの帰宅を心がける。飲み過ぎない。就寝まであえて、ぼうっとする。風邪を引かないよう、うがい・手洗いの励行。人混みでのマスク着用。冷暖房対策として、別のインナー、ストールの携行……その他細々と、睡眠不足にならないよう、風邪を引かないよう、毎日気を配っているのだ。そう、健康は自分で作るものなのである。
 副産物として、毎日が楽しい。良い睡眠が爽快な目覚めをもたらすしてくれるからだ。今日はいい日になる、頑張ろうと単純に思える。憂鬱な案件でも、楽しんでやろうと思えてくるから不思議だ。ましてそこに爽やかな青空なんぞ広がっていたら。幸せってこんなに身近だったのだと実感する。短歌の一つも浮かびそうになる(実際はなかなか出来ないが)。
 英語では人生と生活は同じである(Life)。良い人生を送るとは、すなわち日々の生活の質を高めることのように思う。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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執筆「日本の未来のために ワーキングプア問題の解決を」

 事件や社会問題が起こりすぎる昨今だが、中で私がことに憂えるのは、ワーキングプア問題である。
 すなわち、「働く貧困層」。正社員並にフルタイムで働いても、生活保護の支給額以下の収入しか得られない就業者のことをいう。この日本で、年収200万円以下の労働者が2006年、21年ぶりに1000万人を突破したという。労働人口3100万人に対し、実に3分の1を占める。この中には配偶者控除のためにあえて所得を抑える人たちも入るだろうが、それにしても驚くべき数値である。
 企業は、バブル経済崩壊以降、消費の減少、デフレの進行の中で、人件費削減を推し進めていく。賃金の高い正社員の新規採用を抑制し、代わりに、アルバイトやパート、契約社員、派遣社員といった非正規社員の雇用を増大させている。彼らはどれほど社会経験が豊かでもキャリアとは認められず、正社員への道は低く閉ざされている。片や正社員も安穏ではなく、会社の倒産やリストラに遭えば、国家資格や特別な技能なくして、再びの正規雇用は至難の業である。
 年収200万円で家庭を築き、将来設計を描くのは不可能である。少子化の解消を唱えるのであれば、まずはこの労働者問題を解消することだ。貧困は古今東西、犯罪を生む最大要因でもあるから、治安対策にも必須の課題となる。日本の治安の良さは、教育によるモラルの高さに加え、経済的な安定によって保たれてきた。終身雇用は社会保障であり、最も有用な社会インフラなのである。
 ワーキングプアは格差社会の反映でもある。労働が正当に評価され、不公平・不公正のない社会。そんな社会をこそ政治は目指さなければならないと思う。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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三浦逮捕,法相の冤罪発言……

 いつも思うのだが,ニュースはひっきりなしに起こり,マスコミは飯の種に困らないものだ。
 イージス艦が漁船に衝突し,そうこうするうちに三浦和義がサイパンで逮捕された。いわゆるロス疑惑って27年前も前だったの? と,びっくりした。私が横浜地検にいた時代だ。たしかに日本中が騒いでいた。先般大学の同僚がロス疑惑を学生に話しても通じなかったとショックを受けていたが,それくらい古くては当然だ(「戦後」が第二次世界大戦後であるとすら分からない学生が多いのである!)。
 三浦は妻に多額の保険金をかけたうえで,共に渡航し,そしてロス事件が起こった。何者かに妻は撃たれて死亡し,側にいた三浦は負傷したのだ。三浦は狙撃の実行犯とともに逮捕され起訴されたが,一審は「実行犯無罪,三浦有罪(無期懲役)」。実行犯なくしての共謀犯はないから,これって無理無理の有罪だよねと言い合ったものだ。そうしたら上級審において,検察が共謀者を「氏名不詳者」としたのを,裁判所は無罪と判断した。日本のまっとうな法律家的感覚としては,結論自体は仕方がないと思う。もちろん状況証拠は満載だから,自白さえあれば問題なく有罪であった。彼はその以前,女優と共謀して妻を殺害しようとしたし(これは有罪となった),極めてクロであったが,うまく逃げおおせたのである。

 この事件,当然ながら犯罪地の米国にも管轄がある。最初から米国が裁いていれば,英米法系は証拠の認定が大陸法系と違って大おおざっぱだし,(司法取引せずに無罪を争う以上)陪審ではあるし,有罪となり,最高刑の死刑に処せられていたであろう。だが,三浦にとってラッキーなことには日本が管轄を取った。原則,政治犯は引き渡さない,自国民は引き渡さないのである(亡命者フジモリが急に日本人だと言い出したのは記憶に新しい)。国にはそれぞれ主権があり,捜査機関は他国に赴いてまで逮捕はできないから,三浦が以後米国に行きさえしなければ今回の逮捕劇もありえなかった。一事不再理はあくまで主権の同じ国の中での話だし,米国では第一級殺人の時効がないことも,100年に一度の天才的犯罪者(との評があった)はよく知っていたはずだが,加齢とともに勘が鈍くなっていたのであろう。ともあれ,この後の展開が非常に楽しみである。

 さて,法相。またまたやってくれました。鹿児島の公職選挙法無罪事件は「冤罪」ではないと,公式の場で発言したのである。彼の理解では,冤罪とは「真犯人が出てきた場合」だそうだ!? たしかに殺人容疑であれば犯罪による死体があり,犯人は誰か必ずいるが,買収容疑の場合には犯罪そのものがでっち上げの場合もある。冤罪とは真実やっていない人が嫌疑を受けることであり,真犯人の登場云々とはそもそも無関係である(真犯人が出てくれば冤罪であることがすぐさま明らかになるだけ)。この点,某党首(弁護士)の「無罪だから冤罪」との発言も誤りだ。無実は実体的な問題だが,無罪は有罪立証(合理的な疑いを容れない程度の証明)が出来なかった場合であり,無罪の中に無実があるという部分集合の関係に立つ。
 なぜ罷免要求が出ないの? と聞くと,何のことはない,民主党幹事長が実兄であるからであるらしい。
ああ。

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執筆「「笑う門には福来たる」 幸せな笑顔は、多くの幸せを運ぶ。」

 悩みがないのだろうとよく言われる。私に会うと元気が出るとも言われる。大きな声で喋り、よく笑うからであろう。ありがたいことである。
 もちろん人間だから悩みはあるが、楽天的な性格のお陰で、深く落ち込まずに済んでいる。これがもし悲観的に生まれついていれば、どれほど大変なことか。人の持って生まれた性分は、その適性や能力と同様、努力次第で簡単に変えられる類のものではない。
 幸いネアカの私だが、近頃はやはりそれなりにストレスを感じることがある。仕事が仕事だし、一人でやっているから大変なのである。そんなときはたいてい、悪いことが重なる。普段だと簡単に乗り切れることが、思わぬ障害になるのである。最悪の場合、私は誰にも必要とされていないとまで思い始める。これで根が弱ければノイローゼになったり自殺したりするのだろうなと理解ができる状態である。
 負の連鎖を断ち切るために、どうするか。試行錯誤して、意外と簡単な方法を会得した。親しい人を誘って食事をすることである。美味しい物を食べて笑っているうちに、旺盛な食欲も、ネアカの私も戻ってくる。人は人によって傷つき、それでいて人によってしか癒されない存在なのであろう。そう思っているとき、哲学者ニーチェの言葉に出会った。
「幸せであるためには幸せでなければならない」
 言葉は違うが、そんな意味であった。悩んだ顔、苦しい顔は人を遠ざける。幸せをよぶためには自らがまず幸せであること。トートロジーのようだが、真理である。
 そう、「笑う門には福来たる」。それが今年のモットーである。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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今年も終わり……

 3連休が終わり,今年最後の週に入った。当然だが,公私ともに済ませておくべきことが様々にある。事務所は27日まで。来年は1月7日から始めるから,休暇としては幸いかなり長い。
 ホームページを更新してないね,とこのところ続けざまに言われた。たしかに1ヶ月を優に経過していた。最低1ヶ月毎には更新しようと思っているのだが,あれやこれやしているうちにすぐに日が経つ。すごい事件や問題が起こったと思うと,すぐにまた新しいことが起こって,前のは忘れ去られてしまう。
 今年の一文字は「偽」。まさに,食品偽装から,消えた年金から,安倍総理の突然の辞任劇から,防衛省汚職から,警察不祥事から,数え上げると切りがない。社会のタガが緩んでいる故であろう。まさに,事実は小説より奇なり。だんだんと馴らされて,不感症になっていく感がある。日本はこの10年でどれほど変わっただろうか。30年という単位で考えると,さらにすごい。別の国になった感さえある。一体誰がどうやったら,この落下,変容を止められるというのだろう。

 私事としては,今年は振り返って,だいぶピアノに明け暮れた。
 8月にベートーベンのピアノソナタ『熱情』を発表会で披露し,平行して,生まれて初めてのコンクールにも出た。一応予選(5月),本選(8月)と通過し,来年1月5日には全国大会に出場予定なのだが,今更のように思うのは,上手な人,才能のある人が実に多いということだ。音楽大学に行かなかったのは大正解。
 このところずいぶん入れあげていた趣味ではあるが,そろそろ見切りをつける時期かなとも思う。もちろん以後も趣味では続けていくのだが,限られた時間とエネルギーを別の方向に振り向けようかと思うようになった。そうやって,したいことがいくつもあるのは幸せなことである。

 仕事は働き盛りの年代,実はもっとやるべきかなとも思う。
 しかしながら来春から就任予定の東京家裁調停委員は,週半日取られるらしいし,まずもって私は金を儲けることにおよそ関心がない。時間とお金を天秤にかければ当然ながら時間がずっと大事。だからあえて自分から積極的に事件を取るようなことはしないし,またできもしないであろう。
 人であれ物であれ仕事であれ,自分に与えられることに感謝を,とこの頃思うようになった。慎ましやかに生きること。身近にちょっと普通にあることに幸せを感じるし,それこそが幸せなのだと最近つくづく思うようになった。縁あって自分に与えられた仕事を,これからも一つ一つ,丁寧にこなしていこう。何より健康であること。
 以上が今年の総括であり,また来年の慎ましやかな希望である。
 
 どうぞ世界が,そして国が,平和で,安全で,慎ましく生きる人たちが報われる社会でありますように!

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