執筆「世界に誇るべき名作「源氏物語」 日本の文化をもう一度読み直す」

 今年は「源氏物語」千年紀である。レディ紫の物語は世界初の長編小説なのである。
 以後世界中で数え切れない小説が生まれたが、依然、世界十大小説の一つに挙げられる。それほどの傑作が日本で、しかも女性の手に成った。誇らしいことである。現代語訳で何度か読んだが、たしかに面白い。古今東西の名作すべてに共通することだが、時代・文化の相違を越え、そこには人の普遍性が謳われる。
 天皇に寵愛され、嫉妬を買った挙げ句、早死にした美貌の母。光り輝く貴公子・光源氏はドンファンで、亡母に似た義母(藤壺女御)とも通じる。義母は不義の子を出産。源氏は、義母に似るその姪を幼少時から引き取り、理想の女性に仕立て上げる(紫上)。だが、腹違いの兄の頼みを断り切れず、その幼い娘を正妻に据えるのだ(女三の宮)。紫上の限りない悲嘆。そして、逝去。正妻は若い貴公子と通じ、不義の子を産む。因果応報こそが源氏物語最大の主題である。紫上に先立たれた源氏は女性にも関心を失い、やがて出家する。
当時の風俗も面白い。高貴の女性は外を出歩かないから、美しさはあくまで噂でしかない。恋心を募らせ、歌を交わし、従者が女中をうまく手なずけて、ようやく忍び込む。恋の成就である。だが、朝見たら醜女でびっくり、ということもある(末摘花)。女としては男が来なくなったらお終いなのだが、源氏は、一度契った女の面倒は見続けるという律儀さを持つ。
 我々はもっと自国の文化を誇っていい。いや、誇るべきだ。金や経済ではなく、文化こそが世界共通の財産であり、最も尊敬を得られるものなのだから。まずは我々自身が知るべきなのだ。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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女子高生,襲われて死亡……

 4月に入り,大学は始まるし,家裁調停委員も始まるし,でばたばたしている。
 そして,あっという間に4月は経過。4連休を楽しみにしていたが,過ぎてしまえばこれまたあっという間であった。
 今日は冷房が要るほどむしむししている。いつかしら四季がはっきりしなくなった。時折ざっと降ったりするのは亜熱帯地方の特徴で,地球温暖化の影響は歴然としている。

「首相と桜を観る会」(4月12日)のご招待はあったが,欠席した。
 ここで首相が,物価が上がるのは「しょうがない」と発言したとか。後で聞いて唖然とした。以前から「困りましたねえ」(民主党に日銀総裁人事を否決されて),「私は可哀相なくらい苦労している」などなど,当事者意識のなさ丸出しの発言が続いていて,これでは内閣支持率が落ちるのも当然だ。
 私自身は運転をしないのでガソリンの値上げ自体がさほど困るわけではないのだが(タクシー運賃の値上げは痛い。),バターや小麦粉などあらゆるものが値上がりしていて,庶民には暮らしにくくなっているのを感じる。
 それでもまっとうな政治が行われているのであればお互い様で仕方がないのだが,一部で税金泥棒のような公務員・天下りの受け皿である外郭団体があって,不公平感が大きいのが国民には腹立たしい。苦労知らずの世襲議員にこの感覚が分かろうはずがないのがまた腹立たしい。

 いろいろな事件が起こるが,連休に愛知県の女子高校生が襲われた事件は衝撃的であった。クラブのマネジャーを一生懸命やっていたというだけによけいに痛ましい。
 被害者遺族の嘆きを思うとやりきれない。
 変質者なのであろうが,狙われたのはやはり,人の通らない暗い場所であった。見つかりたくて犯罪を犯す者はいないから,明るくて人目につく場所は避ける。だから,防犯のためには明るい街作りが必要だし,暗い所は避ける,少なくとも決して一人では通らない(とくに女性)といった用心をすることがいよいよ必要な社会になってきたと感じさせる。まさか私が,とか今日は大丈夫といったちょっとした気の緩みが命取りになりかねないのだ。
 なにしろ働いても年収200万円以下のワーキングプアが1000万人以上いるのだ。将来が見えない所に,物価は上がる。一部で高笑いをしている層がいる。となれば犯罪も増えようというものだ。古来,犯罪を生むものは貧困だし,社会への不満なのだという根元を政治家は知らなければならないと思う。

さて,山口県光市の差し戻し審。やはり死刑であったが,だからといって遺族が救われるわけでもない。尊い命をこんなにも無残な形で奪われたお2人にただ合掌を。そのために尊い人生を,ある意味永遠に奪われた遺族の方々に……慰めの言葉もない。犯罪というのは本当にやりきれないものである。

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執筆「仏教文化を学んだら,目から鱗 日本語の素晴らしさが見えてきた」

哲学、宗教関係の本をまとめて買い込んだ。
 実はとうの昔からうすうす気付いていたのだが、西洋人の背骨にはキリスト教があり、その芸術を理解するには、歴史や宗教の理解が不可欠なのである。そのため遅まきながら、一般教養のレベルでいろいろと読み始めたら、これが実に面白いのだ。
 旧約聖書(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖典)、新約聖書(キリスト教)、コーラン(イスラム教)、あるいはギリシア神話など。併行して、仏教関係の本も読み始めたところ、こちらは非常に言葉の勉強になると気が付いた。
 日本語の日常の言葉には実に仏教用語が多いのである。その中にはサンスクリット語(古代インドの典礼語で、梵語ともいう)の表音をそのまま漢字に当てはめたものが多いという。例えば、嘘も「方便」、「阿吽(あうん)」の呼吸、あるいは「南無」(「帰依する」を意味する「ナマス」から)、またはシャリ(身体を意味する「シャリーラ」。真っ白な米粒が遺骨に似ているから)。
「しゃかりき」が「釈迦力」で、「ガタピシ」は「我他彼此」。我と他者、あれとこれというように物事を対立させ、縁起から離れて衝突を生じた様子である。僧服は黒で「玄人」、対する一般人は白い人の意味で「素人」であるなど、まさに目から鱗の連続である。
 ちなみに京都の祇園は、平安時代に藤原基経が自分の屋敷を寺にし、インドの祇園精舎の故事にちなんで祇園社と名付けたのが起源であるそうな。また、「他力本願」は他人頼みの悪い意味で使われるが、本来親鸞の「他力」とは、阿弥陀仏の誓いの力のことである。 言葉は実に文化そのものなのだ。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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執筆「過去を思い,未来のために 軍歌を聴いて思うこと」

 立春を過ぎた頃、顧問先に誘われて、軍歌祭に初めて行ってみた。
 今年で22回目だという。300人位いる会場は熱気でむんむんしている。多いのは年配の男性だ。前方で楽団が演奏し、それに併せて参加者が適宜ステージに出て合唱する趣向である。
 トップは「予科練の歌」である。「若い血潮の予科練の 七つ釦は桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞が浦にゃ でかい希望の雲が湧く」。配られた歌集には作詞西条八十とある。あと知っているところで、「暁に祈る」「ラバウル小唄」「空の神兵」など、計10曲。
 その後、「りんごの歌」や「青い山脈」など懐かしのメロディ10曲を挟んで、後半の軍歌10曲に移った。「麦と兵隊」「出生兵士を送る歌」、そして「戦友」となった頃、私も誘われて前に出た。
「ここは御国を何百里……」。3番「ああ戦いの最中に となりに居りしこの友の にわかにはたと倒れしを われは思わず駆け寄って」4番「軍律きびしい中なれど これが見捨てて置かりょうか しっかりせよと抱き起し 仮ほう帯も弾のなか」5番「折りから起こる突貫に 友はようよう顔あげて お国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙」……。
 私の目にも思わず涙が溢れてきた。若い彼らがどんな思いで戦場に赴き、そして戦ったか。お国のため。ただその一心で、彼らは有為な前途を抛ったのである。
 その貴重な犠牲の上に今の繁栄がある。彼らに今の日本を見せられるだろうか。誇りある国家を、我々は将来のためだけではなく過去のためにも造っていく義務があるのだ……。
 祭は、みな肩抱き合っての「同期の桜」で終わった。来年もまた私は来るかもしれない。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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桜開花,国会は動かない……

 あちこちで早や,見頃だ。桜という花ほど心を浮き立たせてくれるものはない。
 もっともここ10年ほど前から満開時が読めず,予定が立たずに困る。地球温暖化や環境破壊の影響で,我々の大事な地球が壊れていっている現れの1つなのであろう。

 さて,日銀総裁ポスト。空白のままである。
 昨年の参院選から衆参がねじれ,だが法案については憲法上,衆院で再可決の方途が規定されているが(もちろん奥の手であり,滅多には使えないが),国会の同意人事については憲法・法律ともに規定がなく,参院で否決された場合の取り扱いが問題視されていた。
 そして案の定である。日銀総裁が不在だなんて,国際的にも信用がた落ちだが,そんなこと知ったことじゃなし,野党は政局に持って行きたいのだろうし,官邸は野党はもちろん与党内での「根回し」もなく,まさに出たとこ勝負,恥ずかしい限りである。
「自民党」がブランドであったのは,腐敗しても政権担当能力はあることにあったはずだが,安倍→福田と続いて,国民はその能力に不安を覚えている。であるならば,これまた大した期待はできないにしろ,一度政権を交代させればいいではないか……。

 問題は,質の良い政治家が選ばれないシステムにある。
 イギリスは完全な小選挙区制だが,日本と違うのは,議員が亡くなって子どもが出る場合も党が別の選挙区を割り当てるのである。日本が平成5年に小選挙区制に変えたとき,範としたのはイギリスの制度だったのだが,日本はブロック別比例制度を併存して残したし,何より世襲制の弊害が大きい。究極,国会議員であることがまさに家業になると,選挙は絶対に勝たねばならず,そのために地元に予算を引いてくること,選挙民の要望を様々に叶えてやること,それら内向きのことをこなした上で,さらに余裕があれば?初めて国家の在り方を考えるわけである。
 日本はそもそもが人的資源で活路を見出す国である。政治の世界には人材が出ない,では済まされない。少なくとも中選挙区制に戻さなければ,新しく活気に満ちた人材は出ようがないと思われる。だが現職に圧倒的に有利な小選挙区をあえて元に戻そうという声は,永田町からはほとんど出ない。

秋田の2児殺しは,死刑求刑に対し,無期懲役の判決であった。被告人の改善更生は難しいと述べながらも,極刑宣告には躊躇した結果であった。
渋谷の夫殺し,ばらばら持ち運び事件。検察・弁護人選定の精神鑑定医が2人とも責任能力なしと口頭で述べた。検察は責任能力ありとの鑑定を踏んだ上で起訴したはずだから,不思議なことだ。重篤な精神病でもないのに責任能力なしとの判断はあまり聞いたことがない。彼女に常時暴力を振るっていたとされる被害者。まさに死人に口なし,離婚だって出来たのに,一人息子をこんな形で奪われた遺族の心情を思うとやりきれない。
 茨城の無差別殺戮。命をゲームのように扱う事件が増えてきたと感じている。こんな手合いにかかれば誰であっても災難は避けられない。とはいえ予告されながら最悪の被害を防げなかった警察は国賠の対象になるのであろう。

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