執筆『仕組みが変わった相続税で慌てないようにしたいのですが・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる2月号」

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フランス紙襲撃事件について思うこと

今年に入って世界を騒がせたフランス紙襲撃事件は,結局,死者12人(負傷者11人)に上り,イスラム系の犯人3人は警察に射殺され,一応の事件終結を見た。死傷者及びその遺族の方々には心よりの弔意を捧げる次第である。

犯人の現場射殺,サマリーエクセキューション。欧米ではよく見られ(あるいは他の国々でもそうかもしれない),それによって即時に社会の危険分子は除去されるが,一方,捜査も公判もなされないが故に,犯行の組織的背景や意図などは決して明らかにならない。もちろんその犯人が後に犯行を悔い改めて更生するなど論外である。つまり,日本の警察は,こんなに簡単に犯人射殺には踏み切れない。犯人は生け捕りする,そして事案の真相を明らかにする,死刑にしないのなら更生させる…日本の刑事司法が当然の理としていることである。

死刑に賛成か反対かという議論がある。日本の場合,上記事実を前提にしての議論である。そうではなく,凶悪事犯については即時射殺で構わないのだとなれば,多くの死刑相当事案は,一切の刑事司法手続に乗ることなく,終わる。昨年までの2年来,所属する第一東京弁護士会の委員会で議論を重ね,私が担当するサマリーエクセキューションについて,論考をまとめたものを本ブログに掲載しているので,目を通して頂ければ幸いだ。

今回の事件後,フランス市民の反応も外国の反応も,即時射殺への不満や抗議などなかったように思えた。この後フランスはアメリカと同様,テロとの戦争を宣言したので,本事件については敵は殺害して当然という論拠に立ったと考えられようが,しかし,そうではない一般事件についても即時射殺は通常なされ,さしたる批判は起こっていないのが現実である。このところアメリカで,白人警察が黒人を安易に射殺する事件が相次ぎ,その警察官が不起訴になって各地で暴動が起きているが,そのほうがむしろ例外と言えるのだ。アメリカにおける警察の犯人射殺は年400件程度起きているとのことだ。日本であれば,マスコミは大いに警察をパッシングし,弁護士は国賠訴訟を起こし,警察は謝罪し,懲戒が続くはず。なんという文化の違いだろう。

いずれにしても今後,見えないテロとの戦争が続くことになる。事件が起きて犯人を殺害し,あるいは予防的に拘束その他どんな措置を講じたとしても,それはモグラ叩きにしかならない。平和とは戦争のないこと。人類は叡智をかけて進歩してきたはずだが,その実決して進歩などしていないように思えてならない。悲しいことである。

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執筆『サマリーエクセキューション(法的手続きを経ない死刑)について ーとくにテロ行為における犯人射殺との均衡ー』

(第一東京弁護士会 死刑に関する委員会発行 「死刑を考える」所収)

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祖父母殺害の少年,判決懲役15年に思うこと

昨年末から心に重く引っかかっていることがある。昨年3月,埼玉県川口市のアパートで,70代夫婦が刺殺されて現金を奪われた強盗殺人事件のことだ。犯人は当時17才の孫(被害者夫婦の次女の息子)。さいたま地裁の裁判員裁判は,昨年12月25日,懲役15年(求刑無期懲役)の判決を申し渡した。不当に重すぎる判決だと言わざるをえない。

この少年の生い立ちは,余りにも不遇すぎる。父親は小学校入学後に別居。母親は小学5年生のときに一時失踪,その後少年は,母親と男性(後に再婚して妹も生まれる)と,金がある時はホテルに,なければ公園で寝泊まりする生活になる。小学5年以後学校には行っていない。生活費に困った母親は少年に親戚からの借金を指示するようになり,少年は中学に行っていないのに「野球部に入ったので道具を買う」などと嘘を言って実父のおばから金を振り込んでもらっていた。義父が失踪した時16才だった少年は,埼玉県内の塗装会社で働き始め,給料の前借りを繰り返す。この事件に当たって,母親は「殺してでも取ってこい」と少年に指示していたという。そう,誰が見ても間違いなく,主犯は母親なのである。

問題は,検察がその母親を,強盗殺人ではなく,強盗でのみ起訴したことである(判決は懲役4年6月)。「殺してでも取ってこい」は常日頃のいわば口癖であり,この事件に限っての指示ではないと判断としたようだ。もちろん母親自身も殺人の共謀(指示)は認めなかった,となれば公判で少年を証人によばざるをえないが,母親の目前でなされるその証言は当てにならないと踏んだのであろう。

弁護人は母親との共謀を主張し,保護処分(少年院送致)が相当として家裁への移送(少年法55条)を求めていた。しかし裁判所は,検察の起訴通り単独犯との認定をした。現行の当事者主義的刑事訴訟下では,裁判所が訴因(検察による法的構成。ここでは強盗殺人の単独犯)を超える事実認定は普通しないので,この認定自体は裁判所の責任というより,検察の弱腰に責任を求めるのが筋というものである。

しかも無期懲役の求刑である。ありえない。強盗殺人罪(刑法240条後段)は被害者が2人いればたしかに通常は死刑だが,そもそも犯時18才未満には死刑を科せないのだから(少年法51条),最高で無期懲役である。極論すれば,たとえ5人を残忍に殺害したとして無期懲役でしかないのだが,本件が極刑をもってして臨むべき事件であり,また当該少年には酌量の余地は全くないと検察は考えたのだろうか。ありえない。

被害者は2人とはいえ,親族であり,他人の場合とは異なる。しかも真に責められるべきは母親なのである(これに異論を唱える人はいないはずだ)。少年は想像を超える過酷な環境の下で育った。母親は,子どもに愛情を注ぐどころか,自らの欲望の道具としてほしいままにただ酷使してきた。殺してまで金を取ってこいはいつもの言いぐさで,今回のことではないというのはただの言い訳であり,要するにそういう風に子どもを使ってきたということである。子どもにとってはどんな親であれ,唯一無二の存在だ。親が人殺しをやれと言えばそれに従う。そんなことはおかしい,お前に責任があるとなじれるのは,その人が普通に育ってきた故である。このような環境下では,子どもは是非善悪の判断はできなくなっている。たとえかろうじて出来たとしても,漠然とした正義ではなく,目前の親に従う。でないと天涯孤独になってしまうのだ。

裁判所は少年法51条2項を適用し、少年を懲役15年に処した(懲役10年にもできたのに)。だがそもそもが有期懲役刑(最高で10年以上15年以下。同法52条1項・2項)の事案である。少年法が改正されて犯時16才以上の殺人事件については原則刑事処分になったとはいえ(20条2項),もっと言えば,弁護人が主張するとおり,少年院に入れて,適切な教官の指導の下で立ち直らせるよう努力をしてもらうのが本人にとって一番だったと思う。祖父母も孫が処罰されず少年院に行ったからといって、天国から恨むことはなかったと思われる。

少年院教官はそうした意味で本当にプロである。未だ18才の者を以後長い間刑務所に入れて(もっとも少年の仮釈放は期間が短く,懲役15年であれば5年経てば仮釈放の対象にはなるが。58条1項2号)一体どんな効果が期待できるというのだろうか。周囲の大人ないし社会がなんとかしかあげられなかったのだろうか。本来は警察なり司法機関が出る前になんとかしなければならなかったのだ。ため息が出る。

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総選挙結果について思うこと

事務所を閉める今日になって、ようやく総選挙結果について書く気になっている。14日の後、当ブログにアクセスして下さった方々には申し訳ない。

この間様々なコメントを読んだ。経済至上主義になり、国全体が株式会社化しているので、政治もトップダウン式のやり方が好まれるようになったとの意見も一理あると思われた。とはいえ、そのこと自体が今日本の抱える最大の問題のように思える。経済は必要なものだが、決して一番に重要なものではない。人にはまずは心が必要であり、社会に温かさがなければ、人々は不幸であり、物は潤沢にあっても決して豊かとはいえない。

熱狂のまるでない選挙であった。期間中、どこもかしこも冷ややかな空気が流れていた。親しいベテラン代議士いわく、「こんなに追い風も逆風もない選挙は初めてだ」。実際その通りで、52%という歴史的な低投票率を記録した。どうせ投票に行っても何も変わらない。入れたい政治家、政党がない。それが正直な民意であったろう。

その低投票率に小選挙区のマジックが手伝って(オセロゲームのごとく、51%で100%の獲得が可能となる)、全体の僅かに20%程度の得票で3分の2の議席獲得となった。数の上では圧勝とはいえ、その現実をどうか謙虚に受け止めてほしいと願う。選挙の時に掲げられたのは経済のみ。だが、いざ勝利した暁には「集団的自衛権(や特定秘密保護法案)への信任を得られた」旨述べられたことに、悔しがっていた人が私の周りにも結構いる。

支持した者も決して、盤石な支持者ばかりではないのだ。不信感はある、かといえどの野党も信頼できないからと、消去法的に選んだ人も実際私の周りにも本当に多かった。今回、共産党が躍進した。これは、不甲斐ない野党しかない中、主張がぶれない共産党に投票するという、善良な国民のささやかな抵抗であったように思える。

残念ながら、政界エリートの中に今や反知性主義が蔓延している感がしてならない。客観的、実証的な事実に基づくことなく、ひたすら自分たちが正しいと信じる道を進む。これは国民にとって不幸なことであろう。だが、この政治形態も結局は国民が作り上げてきてしまったものなのだから、今後は皆がそれぞれ、諦めることなく、愚直に声を挙げていくことが必要であろう。人は人のために生きている。ささやかだけれども自分のなすべきことをしていきたいと思う。

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