鶴竜は先場所14勝で準優勝した。初めて綱取りのかかった今場所、多大のプレッシャーの中、彼は自分の相撲を取りきった。初日の対遠藤戦こそ危なかったものの(得意の土俵際回り込みで、まさに勝ちを拾った。)、徐々に内容もよくなっていった。業師の印象が強いが、体重を10キロ増加させながら筋力をつけるという地道な努力が、先場所の14勝につながった。実に立派としかいいようがない。
ずっと地味な存在だった。人間は静かだし、闘志を露わにすることもない。インテリだと言われるが、その表情やしゃべり方からして、きっとそうなのだろうと思う。大関昇進以降2桁勝利を重ねてきた稀勢の里とは異なり、ほぼ8勝か9勝で推移してきたが、稀勢の里との大きな違いは優勝決定戦を2回経験していることである(先場所及び昨年大阪場所)。優勝はしていないまでも優勝にリーチしたというのは、それだけ実力がついている証左である。
今回のことでちょっと情けなかったのは、モンゴル3人談合説をまことしやかに言う人が私の周りにも結構多かったことである。しかしそれはありえないと思う。白鵬を見よ。自身繰り返していたように、29歳を迎えた今場所での29回目の優勝を、どれほど熱望していたことだろう。大鵬の32回優勝記録にはあと4回。彼の並外れた実力からすればあと1年もすれば達成できるというのは単に算数であり、力士というのはいつ何時怪我をして相撲が取れなくなるかもしれないのだ。その恐怖は白鵬といえども常につきまとい、優勝できるときには必ず優勝してやると思っているはずなのだ。その白鵬が鶴竜に手加減などするはずはないし、まして琴奨菊に敗れるなどは大誤算であったろう。ましてその時に土俵外に派手に落下して、大事な腕に怪我をするなどは不覚以外の何ものでもありえない。ここは琴奨菊の健闘を称えるべきである。
稀勢の里を応援していたのは私も同様だが、先場所今場所と、とうてい綱など取りえない相撲内容が続いている。本来優れたものを持っている彼には、心技体、いずれにも精進してもらいたいと切に願うし、日本人横綱の誕生を祈る気持ちは人後に落ちないが、しかしだからといって、鶴竜の努力・健闘を称えないのはある種のやっかみであり、卑怯でもあると思うのだ。もちろんモンゴルばかりに国技の綱を張られる現実が情けないことは甚だしい。どうか日本人力士も、彼らに負けないたゆまぬ稽古を重ね、実力をつけ、自らの力で綱をたぐり寄せてほしいと心から願う次第である。