大相撲九州場所、そして白鵬32回優勝に思うこと

高まらぬ選挙ムードの中、今年最後の大相撲場所が終わった。場所に出向いての観戦もよいが、家でぬくぬくとして(炬燵はないのだが)テレビでゆっくり観戦するのも悪くない。と初日からしばらくは幸せ気分に浸っていたのだが、だんだん白けてき、結局千秋楽はテレビもつけないままだった。

理由は簡単である。中日頃までは鶴竜が無敗でリード、白鵬が一差で追う展開となり賜杯レースの行方に期待を抱かされたが、日馬富士・稀勢の里が脱落、鶴竜も敗れて白鵬に一差遅れた段階で、ほぼ白鵬の優勝が決まったからである。今年、3月場所を除く全場所で優勝は白鵬。先場所31回目の優勝は千代の富士と並び、続く今場所、大鵬の大記録に並んだ。

優勝争いが熾烈でないと、見ていて面白くない。大鵬が毎場所優勝していた時代相撲人気が一時低迷し、観客動員数が落ちたと聞く。それでも大鵬には柏戸がいた(柏鵬時代)。だが白鵬には、朝青龍以後ライバルがいない。長い一人横綱の後に日馬富士がようやく横綱に昇進、今年鶴竜も昇進したが、とうていライバルのレベルではない。構図は白鵬1強のままであり、たまに日馬富士・稀勢の里・豪栄道が土をつけることがあるくらいである(今場所平幕に敗れて金星を配給したのは珍しい)。

白鵬の圧倒的な強さは、まずもって怪我をしないことに表れている。横綱に昇進した後、実に7年もの長い間ただの一度の休場もなく(だから、休場の合間を縫って優勝することもできない)、サポーターや包帯を巻いた白鵬も見たことがない。優れたバランス感覚、強靱な足腰、運動神経の賜であり、それを維持するために日々丹念な稽古を怠っていないということであろう。来年3月30才になるが、この調子だと優勝回数は優に40回に達するのではないか。

その偉大な白鵬に対し、ただ日本人ではないからと、文句を言うつもりはない。だが、以前から書いているように、張り差しやかち上げなどの横綱らしからぬ取り口、だめ押し、懸賞金をひったくって振りかざす品のない仕草その他(私自身はいわゆるドヤ顔が好きではない)、偉大な横綱の名に恥じるところが見られるのが残念である。今場所は、背中を向けてすでに土俵を割っている照ノ富士の背中をさらに押した。卑怯であると同時に、砂被り席の観客に力士が落ちて怪我をさせる危険な行為でもある。それでも謝るのならまだしも、翌日記者に問われていわく「済んだ話」。口ではよく大鵬さん、双葉山関と言うし、立派な発言も多いのだが、肝心の態度が言葉を裏切っていると言わざるをえないのだ。

いずれにしても、2横綱・3大関、そしてその他の力士たちも白鵬に負けぬほどの精進をしてもらいたいと切に願う。ことに琴奨菊6勝、豪栄道5勝という惨憺たる成績で負け越した2大関。来場所はかど番となり、負け越せば3月場所は関脇に転落する。10勝すれば5月場所に大関に復帰できるが、琴欧州の例を見ても分かるように容易なことではない。もちろん来場所8勝で大関は維持できるのだが、関脇・小結・幕下筆頭辺りの実力は伯仲しているので、それも決して容易ではない。

実力の世界は厳しいなあとつくづく思される。今場所の成績が翌場所の番付表に見事に反映される。昇進は難しいが、転落は簡単だ。たまたま幸運によって昇進できたとしても、地位に見合った実力が真に伴っていなければ転落する。今場所、他人事ながら、不幸をひしひしと感じた力士が2人いる。鶴竜と豪栄道である。鶴竜は、大関時代ずっとようやく勝ち越し程度の成績だったのに(いわゆるクンロク大関だ。この点、稀勢の里のほうが常に10勝以上を上げて大関の勤めを立派に果たしていた。)、今年1月場所の準優勝に続いて、3月場所のたった1回の優勝で、いわばワンチャンスどころかハーフチャンスをものにして、5月場所に横綱に昇進した。昇進後の賜杯をどれほど渇望していることか。しかし、白鵬の休場がなく年齢も近い中、あるいはこのままたった一度の優勝もないまま引退になるのかもしれない。豪栄道は関脇が長く、大関昇進の基準である3場所33勝に少し足りなかったにかかわらず9月場所から大関についている。こちらの焦燥感も想像するだに辛い。それを今後克服していけるのはただ自分でしかない。

実力の世界は大変だ。芸能界でも二世三世で成功する例がめったにないのを見ても分かるように、出自はそもそも無関係だ。親がたとえ横綱でも子どもは自らの力で這い上がらなければならない。対して、世襲があり、試験もなく、取組も試合もない政治の世界。およそ実力の世界とは程遠いようである。

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執筆『叔母から後見人に指名されましたが、知らないことばかりで不安です・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる12月号」

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セウォル号船長、懲役36年に思うこと

4月16日に起こった、衝撃的なセウォル号沈没事故から、半年以上が経過した。船長は殺人罪で起訴され、死刑を求刑されていた。裁判所がどういった判断を下すのか、興味津々だったが、昨日地裁は殺人罪の適用を回避し、遺棄致死罪などで懲役36年を言い渡したという。

正直、ほっとさせられた。検察が政治から独立していないことは前にも書いたが、果たして裁判所までそうなのか。そうであるような気もしていたが、ではなく、最後の砦である裁判官は独立していたのだ。検察にも政治にも迎合せず、また激しい国民感情にもめげず、法律家としての良心を貫いたのである。立派である。

検察は船長らに対し、乗客らに退避命令を出さず、救助措置も採らなかったことをもってして、殺人の未必の故意を認め、殺人罪を適用するという異例の措置に出た。船長には死刑を求刑。韓国は1997年以降死刑が執行されておらず、国際的に「事実上の死刑廃止国」と認定されているにかかわらず、である。それだけ国民感情が厳しく、また政治としてもその国民感情に答えるべく、船長を死刑にしたかったのが容易に見て取れるところである。

しかしそもそも一般的に言って、このような事例に対して、殺人罪を適用するのは無理な構成であろう。であればひき逃げだって殺人罪になるだろう。未必の故意すなわち「死んでも構わないとの容認」であるが、裁判所は、二等航海士に乗客の脱出を指示した事実、海洋警察の救助活動が始まっていた事実などからして、冷静な判断をし、未必の故意を認めなかった。

日本であれば、たとえどれほど悪質であろうと、被害が多大であろうと、非難すべきであろうと、国民感情が激しかろうが、刑事事件は厳格な判断をするので、そもそも殺人罪で起訴するようなことはありえない。もちろん警察も殺人罪で逮捕・捜査をするようなことはしない。保護責任者遺棄致死傷罪(刑法218条・219条)でやりたいところだが(であれば最高刑で懲役20年)、これは「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任がある者」という身分犯であるため、構成要件としては残念ながら立件は難しいであろう。とても軽くなるが、業務上過失致死傷(211条)が順当なところ。最高刑懲役5年は軽すぎるとたしかに思うが、法治国家である以上やむをえないのだ。

検察は控訴をしたという。高裁の判断が待たれる。脅迫や暴力などを恐れて、裁判官が世論に迎合しないことを祈る気持ちである。

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富田選手の冤罪主張に思うこと

過日韓国で行われたアジア大会で、カメラの窃盗容疑をかけられた富田選手。素直に容疑を認めて帰国後、弁護士と共に記者会見に臨み、冤罪だと訴えている‥。

これが恐ろしく「不合理な」弁解なのだ。捜査の現場に長くいて様々な弁解を聞いてきた私がのけぞってしまいそうなくらいに。いわく「バッグを持っていた手首を誰かが掴み、重い物を入れた。こわいのでその人の顔は見ず、中も確かめず、ゴミだと思ってホテルまで持って帰った」、「ホテルで初めて見たら、レンズを外したカメラだったのでそのまま置いていた。警察の調べに対しては、否認したら帰国できなくなると思い、認めた」‥。

これを「不合理な弁解」と言わずして、何と言おう。突然誰かに変なことをされて、その人の顔を見ない人なんていない。詰問しない人もいない。入れられた物をその場で確かめない人もいない。入れられた物は爆発物かもしれないし、あるいは薬物かもしれないのだ。前者なら危険だし、後者だと所持で逮捕されるかもしれない。言い訳なんか通らないし、薬物事犯はとにかく重い。しかも手続きもよく分からない外国なのだ(想像するだけで、おお、こわい!)。ゴミだと思ってそのまま持って帰ったというのは、もし値打ちのある物だと思って持って帰ったら、窃盗の未必の故意が認められてしまうので、無価値物にする必要があるというわけだ(この理屈は刑法を少しかじれば分かる)。しかしゴミだと思って持ち帰る人がいるだろうか。ゴミならすぐに捨てるし、自分のバッグに後生大事に入れて持ち歩く必要などさらさらありえない。

端的に、彼はカメラを盗んだのである。もちろんお金がなかったわけではないだろうが、窃盗をする人はお金がないからではなく、盗むことが快楽だから(あるいはただ手癖が悪いから、ついつい)盗むことが圧倒的に多いのである。実際に盗んだからこそ、素直に認めた。盗む映像も明らかになっているといい、日本側スタッフもこれを確認したとのことである。ところが帰国後、何らかの理由から、彼は冤罪を主張することに決めたのであろう。この不合理な弁解の発案者は、一体誰なのであろう。

今回奇異に思わされるのは、弁護士がついていることである。弁護士というのは、ただ依頼者がそう言うからとか、あるいはなんとか冤罪を晴らしてほしいというから無理に事実をねじ曲げてでも、というような安易な職責ではないはずである。こんな不合理極まりない弁解を、法律も運用も知らない本人がするのならばいざ知らず、弁護士がするようでは、弁護士に対する社会の信用が揺らいでしまう。もっとももうすでに揺らいでいるよと言われれば、はいそうですね、という以外にないのであるけれど。

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執筆『突然、主人が倒れ、銀行や証券会社に預けているお金を引き出せません・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる11月号」

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