セウォル号船長、懲役36年に思うこと

4月16日に起こった、衝撃的なセウォル号沈没事故から、半年以上が経過した。船長は殺人罪で起訴され、死刑を求刑されていた。裁判所がどういった判断を下すのか、興味津々だったが、昨日地裁は殺人罪の適用を回避し、遺棄致死罪などで懲役36年を言い渡したという。

正直、ほっとさせられた。検察が政治から独立していないことは前にも書いたが、果たして裁判所までそうなのか。そうであるような気もしていたが、ではなく、最後の砦である裁判官は独立していたのだ。検察にも政治にも迎合せず、また激しい国民感情にもめげず、法律家としての良心を貫いたのである。立派である。

検察は船長らに対し、乗客らに退避命令を出さず、救助措置も採らなかったことをもってして、殺人の未必の故意を認め、殺人罪を適用するという異例の措置に出た。船長には死刑を求刑。韓国は1997年以降死刑が執行されておらず、国際的に「事実上の死刑廃止国」と認定されているにかかわらず、である。それだけ国民感情が厳しく、また政治としてもその国民感情に答えるべく、船長を死刑にしたかったのが容易に見て取れるところである。

しかしそもそも一般的に言って、このような事例に対して、殺人罪を適用するのは無理な構成であろう。であればひき逃げだって殺人罪になるだろう。未必の故意すなわち「死んでも構わないとの容認」であるが、裁判所は、二等航海士に乗客の脱出を指示した事実、海洋警察の救助活動が始まっていた事実などからして、冷静な判断をし、未必の故意を認めなかった。

日本であれば、たとえどれほど悪質であろうと、被害が多大であろうと、非難すべきであろうと、国民感情が激しかろうが、刑事事件は厳格な判断をするので、そもそも殺人罪で起訴するようなことはありえない。もちろん警察も殺人罪で逮捕・捜査をするようなことはしない。保護責任者遺棄致死傷罪(刑法218条・219条)でやりたいところだが(であれば最高刑で懲役20年)、これは「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任がある者」という身分犯であるため、構成要件としては残念ながら立件は難しいであろう。とても軽くなるが、業務上過失致死傷(211条)が順当なところ。最高刑懲役5年は軽すぎるとたしかに思うが、法治国家である以上やむをえないのだ。

検察は控訴をしたという。高裁の判断が待たれる。脅迫や暴力などを恐れて、裁判官が世論に迎合しないことを祈る気持ちである。

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