統一地方選に思うこと

昨日、統一地方選の選挙が終わった。頼まれて少し応援していた地元区議も当選した。みな投票には快諾してくれた。いわく、棄権はしたくないけど、知った人がいないので、よかった‥。国政選挙や首長選挙だと的を絞れるし、比例区なら党名を書けばよいが、何十人も候補者がいる中で特定の名前を書くのは(書いてもらうのは)大変なことである。

この間連日のように、最寄り駅前では各党の候補者が立って連呼していて、特に朝は騒々しかった。とくに女性が多いと感じていたら、ネットの書き込みで、美人候補の多い区議選だったという(笑)。しかし、連日ピンクの服でハイヒールだったり(かなりのミニスカートの時も)、あるいは「皆さん、笑顔ですよ。一日、笑顔で素敵に過ごしてください。あとは私の名前を憶えてください! 000、平仮名だから簡単ですよ」と上から目線で、ただひたすら自分の名前だけをしつこく叫んでいたり(たしかに名前を憶えてもらって書いてもらわないと始まらないのではあるけれど)、あるいはまるで白雪姫のようなコスチュームで、やたら周りに握手を求めに行っていたりしていて、これはAKBではない、と感じていた。

結果を見ると、最後の人は党名がよく知られていないので落選したが、二人は当選。大体が何十人もの定数がいては、誰でも通るよなあと改めて苦笑した。最下位当選者の得票は1000票に満たない(最上位で3000票越え)。もっと人口の少ない区を見ると、なんと500票弱で当選している人がいる。これで代表だろうか?

投票率50%程度とはいえ、そもそも人口に比して定数が多すぎるのではなかろうか? 一体この人たちは日頃何をしているのだろうか? 表に登場するのは4年に1度の選挙の時だけ。名前も知らないし、大体が区長すら顔も名前も知らないが、知らなくても何も困らない。それでも区議の年収は1000万円あるそうだ。国会議員とは違い、議会は開かれている時のほうがずっと少ないし、外交とも無縁である。もちろん省庁その他と詰めて国の法律を作るわけではない(条例はたまに作るが、数も内容もしれている)。実際、別に仕事を持っている議員も多いのである。定数を減らさないのであれば、給料を思い切って減らし、ボランティア路線にすべきではないのだろうか。改めてそう思わされた選挙であった。

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執筆『夫との離婚で、慰謝料などの支払いに不信感があります・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる5月号」

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裁判所の良識について思うこと──「子供のボールで事故」最高裁判決

桜も散ったというのに、この1週間、本当に寒い(先週8日には雪まで降った)。本来は春の良い季節なのに、たまたまこの時期に来日された方々はとても気の毒だ。薄着にするのは簡単だが、まさかコートを買うわけにもいかないからだ。そして私はといえば、3か月ほど楽をさせてもらっていたが、先週からまた大学が始まり、結構慌ただしい。

さてこの度、最高裁で良識のある判決が出た。事件は、今治で2004年2月、小学生男児(11歳)が校庭で蹴ったサッカーボールが道路に飛び出し、たまたま原付バイクに乗っていた85歳男性が避けようとして転倒、脚を骨折して入院、事故から1年5か月後に肺炎で死亡したというもの。妻ら遺族計5人が5000万円もの多額の損害賠償を求めて提訴した民事事件である。一審大阪地裁(遺族らの住所地は大阪である)はうち1500万円を認め、2審大阪高裁は1000万円余に減額して、認容。被告らの上告を受けて最高裁がこれを覆したというものだ。事故から実に11年、当時の少年は23歳になっている。

法的な争点としては大きく2つある。まずは少年自身に過失があるか(民法712条)。不法行為責任を問うには故意または過失が必要であり(709条)、未成年者に責任能力があることがその前提となっている。次に、未成年者に責任を問えない場合において、親の監督責任を問えるか(714条)。1・2審はいずれをも肯定をしたうえで損害賠償責任を認めたわけだが、最高裁がこれを覆した。いわく「子供が日常的な行為で、たまたま人を死傷させた場合、親は危険な行為と予測できない限り、賠償責任を問わない」。極めて常識的な判断である。そもそも子供自身の行為に過失がなかったとして、親の監督責任に入らないでの棄却という判断も十分に可能な事例と思われる。

。り、なぜ最高裁までかかったのか、理解に苦しむほどだ。

訴訟として言うならば、被告としては子供や親ではなく、学校側(市当局)にすればよかったのかもしれない。学校は、校庭でサッカーゴールを道路側に向けて設置、かつ金網フェンスは1.3メートルしかなく網もかけられていなかったのだから、悪意もなく普通に蹴っていても、ボールが飛び出して通行人を傷つける可能性は十分にあったというべきだからだ。しかし、遺族及び代理人には何か思惑があったのであろう、ターゲットを子供と親に絞った(子供に責任能力が認められても支払能力がないので、主は親である)。

しかし、この事件。机上のぺーパーではなく、全体として見て、おかしいと思わないだろうか。85歳の男性が原付に乗っていること自体が危険な行為ではないだろうか。たまたまボールだったが、もし子供が飛び出しきたら自分のほうが加害者になっていたかもしれないのである。学校や幼稚園などの近くでは徐行するなりなんなり、よほど気をつけなければならないとされている。ボールが飛び出してくるなどは予測の範囲であろう。しかも被害者はこの事故で亡くなったのではない。事故と直接の因果関係がある損害は脚の骨折。あと寝たきりになったのは、年齢から判断してこの事故のせいしかありえないとは言えないし、まして肺炎での死亡との間に因果関係を認めるのは困難であろう。

85歳で5000万円! 一審判決を見たら、原告は就労していた場合の逸失利益として500万円以上を計上していた。85歳でどうやって働けるというのだ?! 死亡慰謝料が2500万円!(ほぼ最高額である)あまりに吹っかけすぎである。離れて住んでいる親がたまたま亡くなった。普通はいくら悲しくてもそれで終わるのに、どこか責任の問えそうな人、払えそうなところに狙いを定めた‥と考えるのが筋であろう。非公式情報だが、少年が入っていた保険会社との間の示談交渉がうまくいかず(5000万円なんて言われて払うはずがない)、訴訟を起こしてきたそうである。

最高裁など行かなくても、1審で、あるいはせめて2審で、こんな請求は棄却されるべきであった。全体像が見られない、常識のない裁判官では困る。当該小法廷の裁判長は弁護士出身、そして4人の裁判官全員が妥当な結論を導きだした。事故は加害者も苦しめる。自分の行為で人が死んで(死亡との因果関係はともかく負傷したのは間違いがない)、本人も親も苦しんできたはずである。11年はあまりに長い。

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執筆『もしもの時のため、遺産は再婚した妻との子に遺したい・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる4月号」

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チュニジアテロ、そして大相撲春場所に思うこと

去る20日はチュニジア建国記念祝祭パーティ(於ホテルオークラ)によばれていたのだが、もちろん中止になった。テロによる多くの死傷者に対して、心より哀悼の意を表する。チュニジアにはぜひ一度行きたいとかねがね思っていた。被害に遭われた日本人被害者6名の方々も、どんなにかこの旅行を楽しみにされていたことだろう。天国から地獄への暗転にひときわ胸が痛む。

20年も前になるが、国際会議でカイロに出張した際ルクソールに出かけた。帰国して2週間ほどした時、ルクソールの、私たちも行った遺跡でテロがあり、日本人観光客も死傷するというニュースがトップ記事で出た。我々が被害に遭わなかったのはただ幸運だったからにすぎない。その数年後パキスタンに出張した際には、我々が宿泊しているホテルでテロがあったと聞いた。爆破を逃れたのは幸運だった。9.11が起こり、アフガン戦争・イラク戦争が起こり、もちろんその背景に複雑な中東の歴史があって、また貧富の差は拡大する一方だから、以後もテロは増えこそすれ減ることはないだろう。予防するといったって、死をすら覚悟している相手にどうやっても完全に防ぐことはできないはずだ。

さて大相撲は、大阪場所最後の3日間、しばらくぶりに熱狂させられた。ほとんど大相撲熱が醒めていたのは、このブログでも取り上げたが白鵬が嫌い、稀勢の里は期待外、遠藤も思いのほか期待外れ(のうえに今場所怪我で休場)と見るべきところがなかったからだ。だが、チュニジアパーティが中止となり、早めに帰宅してたまたまテレビをつけたら、照ノ富士対白鵬の取組があった。期待も手伝って照ノ富士が勝つと半ば信じ、半ば念じていたら、案の定というべきか圧倒的な内容で完勝した。歓声を挙げ、よほど座布団を投げようかと思うくらいに興奮した。足腰の強さ・重さ、決して慌てない冷静さ、はらはらどきどきせずに安心して見ていられるのはもうまさに王者の風格だ。白鵬30歳より6歳半若い。怪我さえなければ世代交代は時間の問題と思われる。14日目逸ノ城に、千秋楽は豪栄道にも圧勝、もし白鵬が日馬富士に負けて決定戦に持ち込まれればおそらく白鵬は負けたと思う。

問題は、白鵬を追い、越えられるのが照ノ富士だけだという点である。2横綱はもちろんのこと、日本人の3大関は何をやっているのか。2桁勝利も挙げられなくて、優勝戦線に絡まなくてなぜ大関といえるのだ。番付の意味が泣く。昇格の基準も、それを維持する基準も、協会は真剣に考えてほしいと思う。また相撲は単なる格闘技ではない。神事であり文化であるということを、親方の躾に(無責任に)委ねるだけでなく、協会が真剣に取り組まなければならないと切に思うのだ。

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