執筆「独創は基本の上に花開く」

 短歌が好きである。何でも一つの世界にしてくれる五七五七七。まるで魔法の杖のようだ。

 とくに好きな歌を、二つ。

 まずは北原白秋の歌。「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」。姦通罪で投獄された彼が、当の人妻を詠んだ歌だ。三十一文字に、視・聴・嗅・味・蝕、全五感に訴える宇宙が広がる。

 次に、与謝野晶子以来の天才女流歌人・中城ふみ子の歌。「冬の皺よせいる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか」。迫りくる死を冷徹に見つめる眼差し。乳癌で両乳房を失い、三十一歳で逝った歌人である。

 下手ながら、私も時折、歌を詠む。高校時代の古文教育の賜である。毎回、活用形の暗記。冬休みには百人一首の暗記。これら宿題を通し、リズムと言い回しが自然に身についた。理詰めの記憶力は二十五才まで衰えないが、丸暗記は十八才まで。とは残念ながら、大人になって知ったことである。

 吉田松陰はじめ昔の人は幼少時、四書五経を素読させられたという。ユダヤ人の頭の良さも幼少時の教典暗誦にあると聞く。理屈抜きに体に染みこんだ言葉は、やがてその意味が分かったとき、一挙に血肉となる。教育とはすなわち、いい型を覚え込ませることである。稽古事、然り。躾、然り。鉄は熱いうちに打て。何にでも逃してはならない時期がある。基本が出来て初めて、独創性はある。

 国も社会も家庭も、作るのは人である。人を作るのは教育である。学力を培わないゆとり教育が、この度やっと見直されるとのこと。朗報と聞いた。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「生まれる国は選べない」

 サウジアラビアでこの十日、初の選挙が実施されたという。 国名の由来は「サウジ王家のアラビア」。一九三二年の建国以来憲法も選挙もなく、数あるイスラム国中、最も戒律の厳しい国である。酒・ポルノ、禁止。写真撮影もダメ。刑罰も過酷の極みである。

 十年前、その首都リヤドを訪れた。砂漠に作られた人工的な近代都市に、張りつめた空気が流れる。

 女性を見かけたのは市場だけだ。全身をすっぽり覆う黒服姿。外国人の私ですら首から下の黒マント着用が必須なのである。学校も銀行も飲食店も、はては結婚式ですら男女は別々だ。女性には運転免許もない。どころか助手席に座れば姦通とみなされ、石打ちの刑になるという。職業ももちろん限られる。話したサウジ男性らいわく、女性を「隔離」ではなく「保護」しているのだと。だが、そう言う彼ら自身が強く抑圧されているのである。

 二〇〇一年九月、米中枢同時テロが起こった。首謀者ウサマ・ビンラディンはサウジ出身。率いるアルカイダのメンバーの多くがそうだ。イスラム過激派を生む社会。その変革を米国及び国内知識人が強く迫った結果が今回の選挙である。だが、未だ女性の参政権はない。

 もしここで生まれていたら……。いや、ひとりこの国だけではない。世界のまだまだ多くの国で、餓死し戦死し、医者にもかかれず初等教育さえ受けられない、そんな人が大勢いる。人は生まれる国を選べない。せめてこの幸せをひしと感じておかねば罰が当たると思うのだ。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「「食」は人の基本」

 先日、近くのスーパーに行ったら、あるある。たらの芽、蕗の薹……。春立ちぬ。食の世界にもすでに春到来である。

 よくぞ日本に生まれけり。

 天ぷらはさほど好物ではないが、春野菜は別である。独特の香りと共に季節を運んできてくれるからだ。そのうち、料理好きの知人が、蕗の薹の佃煮を作って送ってくれるだろう。和食は実に多彩である。今や世界に知られる、刺身、寿司、すき焼き以外にも多くの食がある。どれも体にいい。食欲のない時でも食べられる。そのベースに醤油がある。東南アジア・中国の、魚を原料にした醤油とは別物の、日本固有の調味料である。

 少なくともこと食に関し、これほど恵まれた国はない。世界の店が揃い、食材も豊富に出回る。情報にも溢れ、その気さえあれば、家庭で簡単に様々な料理が楽しめるのだ。

 であるのに一体どうしたことだろう。おやつはスナック菓子。食事は毎日コンビニで調達したもの。そんな食生活で子どもがまともに育つわけがない。例えばカルシウム不足は、すぐに切れる子を作るのだ。

 体ばかりか心を作る。それが食である。家庭の基本は食にある。何のかのと口で言っても、親の愛情は食に表れるのだ。子を思い、その健やかな成長を真に願うのであれば、最も大切にすべきは毎日の食である。食と一緒に愛情を食べる子どもは、非行に走れない。

 食は、人の基本的な営みである。何を食べたかよりむしろ、誰とどう食べたか。笑い、語らい。いい食の思い出を子らにつくってやりたいものである。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「弁護士のやり甲斐」

 法律事務所を始めて、ちょうど半年が経つ。この間、一番多い質問が「専門は何ですか」。

 実は、とくにないのである。民事・家事、刑事。よほど特殊な案件でない限り、何でも扱う。各自、好き嫌い、得手不得手はあっても、これが日本の弁護士の普通の業態であろう。

 未だ幸い訴訟社会ではないこの国では、一般人を対象にした専門弁護士はおよそ成り立たないのである。特殊なノウハウが必要であり、需要が常時確実にある分野。となると、勢い対象は企業である。企業法務、知的財産分野、倒産関係……。

 扱う額に伴って弁護士報酬は上がるから、中には桁違いの収入の方もおられるだろうが、私は根っから普通の事件が好きである。やり甲斐は人助けと見つけたり。人と社会を広く知るために、分野を限らず、様々な法律を扱っていたい。

 先日、在住外国人同士の離婚相談を受けた。具体的なことは書けないのだが、とにかく珍しい案件である。外国人の場合の準拠法以外にも、民事保全法、家事審判法、民事訴訟法が絡み、まるで迷路のようだ。先輩諸氏にも相談し、一応の回答は送ったが、やはり何かが引っかかる。週末さらに調べていて、急に解けた。昨春施行された新・人事訴訟法、それが盲点だったのだ。週明け早速、誤りを訂正した再回答を送った。

 視界がさっと開ける爽快感。複雑難解なパズルが解けた時の快感もこんなだろうか。昨今法律改正が相次ぎ、職務を全うするのは大変だが、趣味と実益を兼ねた仕事であるとつくづく思ったのである。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「法律の実務」

 司法改革のまず第一、「法律家を増やせ!」。長年、合格者年五百人だった狭き門を、九三年以降徐々に広げ、昨年は千五百人。これからもどんどん増やして、目標は年三千人だという。

 弁護士はすでに二万人以上いる。検事・裁判官を合わせて二万六千人。フランス五万人、ドイツ十五万人、ましてアメリカの百万人超に比べると少ないが、これらの国々には、司法書士、行政書士、社会保険労務士といった職種がない。すべて弁護士の業務なのである。こうした「隣接法律専門職種」が日本には十万人もいる。

 互いに助け合うムラ社会の日本では、話し合いで解決するのがそもそもの基本であろう。日本が訴訟社会になることはすなわち国の形が崩れることでもある。訴訟の迅速化のため、弁護士僻地の解消のため、ある程度の増員は必要だろうが、さして需要のない所に供給を増やせば過当競争となり、全体として質が落ちる。アメリカでambulance chaser(救急車を追う人)と言えば、弁護士を指す。何でも事件にし、金にしようとする姿が映画や小説に描かれるようになって、すでに久しい。日本でも弁護士の懲戒件数は残念ながらすでに増加の一途にあるのが実状だ。

 その犠牲者の多くはふだん法律とは無縁な一般市民であろう。医者と同様専門職である弁護士の過誤はなかなか分かりづらい。信頼のおける人の紹介を受けるのはもちろん、納得できなければセカンドオピニオンを求めるといったことも今後必要になるかもしれない。

 量を増やして質を落とさないために、昨春法科大学院がスタートした。本家本元のロースクールとは違い、法学部を残した上での大学院だから、早ければ十八歳から何年もの間ひたすら法律を学ぶことになる。怖いのは、マニュアルでの受験勉強しかしてこなかった者が、さらにまたマニュアルで条文を追い、判例を詰め込むことへの懸念である。法律は本来、人と社会にどっぷり浸かった、生臭い学問であり実務なのである。

産経新聞「from」

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