執筆「生まれる国は選べない」

 サウジアラビアでこの十日、初の選挙が実施されたという。 国名の由来は「サウジ王家のアラビア」。一九三二年の建国以来憲法も選挙もなく、数あるイスラム国中、最も戒律の厳しい国である。酒・ポルノ、禁止。写真撮影もダメ。刑罰も過酷の極みである。

 十年前、その首都リヤドを訪れた。砂漠に作られた人工的な近代都市に、張りつめた空気が流れる。

 女性を見かけたのは市場だけだ。全身をすっぽり覆う黒服姿。外国人の私ですら首から下の黒マント着用が必須なのである。学校も銀行も飲食店も、はては結婚式ですら男女は別々だ。女性には運転免許もない。どころか助手席に座れば姦通とみなされ、石打ちの刑になるという。職業ももちろん限られる。話したサウジ男性らいわく、女性を「隔離」ではなく「保護」しているのだと。だが、そう言う彼ら自身が強く抑圧されているのである。

 二〇〇一年九月、米中枢同時テロが起こった。首謀者ウサマ・ビンラディンはサウジ出身。率いるアルカイダのメンバーの多くがそうだ。イスラム過激派を生む社会。その変革を米国及び国内知識人が強く迫った結果が今回の選挙である。だが、未だ女性の参政権はない。

 もしここで生まれていたら……。いや、ひとりこの国だけではない。世界のまだまだ多くの国で、餓死し戦死し、医者にもかかれず初等教育さえ受けられない、そんな人が大勢いる。人は生まれる国を選べない。せめてこの幸せをひしと感じておかねば罰が当たると思うのだ。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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