執筆「人を愛し,愛される幸せ。 「徳」の大切さを実感する。」

 はっとするエッセイに出会った。いわく、「人を愛するということは、その人の徳を愛するということである。なぜならば人の性格や能力は、老化とともに劣化していくものだからだ。故に愛は、善い人と善い人との間にしか成立しえない」。
 愛が徳に基づくなど、考えたこともなかった。「愛」は気軽に巷に溢れるが、「徳」は今やすっかり忘れ去れられた感がある。だが考えてみると、徳のある人は市井にまだまだいるのだと思い当たる。
 70歳の知人は娘に言った。「してさしあげられるということは、素晴らしいことよ」。娘の嫁ぎ先には体の不自由な小姑がいるのである。立派な舅姑、良き夫に恵まれ、娘は本当に幸せ者だと、彼女は真から思っている。同居の嫁との仲も実にいい。
 元売れっ妓芸者の友人は、母親の顔を知らない。中学を出て芸者になり、腹違いの弟を大学に行かせた。弟は資格を取り、事務所を構えている。感心する私に、彼女はにこやかにさらっと言う。「それが授かりというものですから」。育ての母親に孝養を尽くし、その最期を看取った。
30年来の交際になるご夫妻は仲が良く、定年後頻繁に海外を旅していた。昨年末、ご主人が87歳で大往生。寂しいだろうに、彼女は努めて明るい。「後悔のないようすべて致しましたから。それはそれはとてもいいお顔だったのですよ」。生前の元気な姿を記憶に留めておいてもらいたいからと、最後入院してからは誰もよばなかったという。夏、お墓にお参りに行く。
 たしかに徳あればこそ、人を愛し人からも愛されるのであろう。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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