奇異な事件,強引な国会運営

 この1ヶ月,次から次に,まさに「事実は小説より奇なり」。
 消えた年金もそうだが,私としては筆頭は総連の土地建物の事件。小説でこんな話が出たら,バカもほどほどにしてよ,仮にも北朝鮮を監視していた組織のトップが北朝鮮人民を救うために力を貸したって,それでもって自分がペーパーカンパニーの代表になってそこに登記を移す? 誰にどう頼まれたって自分の名前は表に出さないよ,と白けてしまうのは必定である。その程度の人が君臨していた組織だ。オウムで生き延びたものの,今度こそリストラの対象になってしかるできではないか。

 さて先日,事務所に来た人が言う。「国会に長くいたけれど,これほど強引な国会運営は初めて。普通は優先順位があってそれだけ通せばあとは継続審議にしたり柔軟に対応していた。これじゃ国会はまるで請負人だ」と。同感である。
 私がいた6年間,強行採決は徹夜国会になった通信傍受法案のほかは2件ほどだ。この短い内閣で,すでにイラク特措法,教育改正3法を強行採決し,あと年金法案,公務員改革法案なども当然強行採決含みである。とにかくこれらを自分の内閣で通すと決めて,12日間の国会延長。参院選の選挙日程も1週間延びる。それだけでおそろしい無駄遣いだが,首相にはそんな気遣いは毛頭ない。深刻に広がる格差社会も,切実なワーキングプア問題もこの人には見えていないと私は思うが,たぶん大方の国民も同感であろう。
 この人が関心を抱いているのは終始一貫して国家ビジョン的なことだ。自主憲法を作ること,誇りある国を作ること。もっとも憲法改正のための国民投票法は通したものの,肝心の中身をどう変えたいのかはさっぱり見えていない。分かっているのは集団的自衛権を正面切って認め,自衛隊の海外派遣を合法にすることくらいか。しかし,憲法改正でやるべきことは戦後新たに認められた環境権や知る権利,プライバシー権などを盛り込むことで,9条は国民の幸せを思えば後生大事に守るべきである。
 いずれにせよ憲法は国民にとって身近ではない。国民にとって大事なことは年金であり雇用であり,日々の暮らしであり安心である。と言ってみても,狭い視野・価値観に囚われ,友達しか周りに置かず,寛容さを欠く首相には何をどう言っても始まらないのであろう。
 なぜ社会保険庁長官は首にならないのか。歴代長官や管理職の退職金・給料の(一部)返納は当然である。この期に及んでボーナス支給などもってのほか。民間企業であれば当然のことだ。それを漫然と許す。はっきりと言えば,特権階級である首相以下多くの閣僚らは,微々たる額の年金が消えたことくらい,大したことだと考えていないのであろう。
 今度の選挙には国民の怒りが反映する。その受け皿として民主党が機能していればいいのだが,これもまた頼りにならない,そこが国民の最大の不幸であろう。
 
ところで,私は初めて中央公聴会の公述人となった。6月15日午後,参院文教科学委員会における教育改正3法審議である。持ち時間15分のためにきちんとペーパーを作っておいたのだが,なぜか3分の1を読んだ時点ですでに10分経過していて大慌て,以下はしょりまくって本論をかなり割愛。反省しきりである。準備はやはり万全でないといけない。

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