執筆「区切りの年を迎え,思い巡らす 弁護士という仕事に就いて」

  この7月末、国会議員を辞めて弁護士になって、ちょうど5年が来る。
  5年は大きな区切りである。以前この稿に、弁護士で難しいことは、お金の取り方と依頼者との距離の取り方と書いたが、そのコツも大方掴めて、楽になった。
 弁護士としての信条は、一つ一つの案件を、その大小にかかわらず、確実に、丁寧にこなすことである。縁あって私に持ち込まれた以上、他のどの弁護士に頼むよりも良い結果にならなければ、紹介者・依頼者に申し訳ない。というよりそれは自身の矜持の問題であると、最近気がついた。こうしておけばもっと良い結果になったかもしれないと、たとえ僅かでも悔いが残るのが嫌なのだ。
 精一杯努力した結果、一般には勝てないと思われる訴訟に勝ったときの嬉しさ、起訴当然の事件を起訴猶予に持ち込めたときの喜び、これらは何ものにも替えがたい。お金を貰って、感謝してもらえて、いい職業だなと思う。忙しくて連日休みなしになってもちっとも辛くはないのは、仕事が趣味に近いからであろう。
  傍ら週1日、3コマ教えている大学も、今春5年目を迎えてようやく、自分のスタイルを確立した感がある。昨年から家裁調停委員、今年から弁護士会の綱紀委員も加わる。弁護士に対する懲戒申し立てを審理する部署である。
 公私にかかわらず、人から誘われ頼まれることは、ありがたいことである。前半生をだいぶ我が儘にやってきた分、後半生はできるだけ人のために生きようと決めている。
 実は5周年記念にピアノ演奏会を開きたかったのだが、残念ながら余裕がなく、ただ皆さまに心からの感謝を捧げたいと思います。続く5年がさらに充実したものとなりますように!

自由民主党女性誌 『りぶる』

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足利事件に思うこと

 足利事件の激震度は高い。
 19年前,栃木で起こった幼女殺害事件。無期懲役刑が確定し服役中であった被告人の,当時のDNA鑑定の誤りとする近事の2つの鑑定結果を元に,検察は裁判所による無罪決定を待たずして,異例の白旗を掲げた。4日,釈放。
 従来の検察であれば徹底抗戦ということもありえたろうが,どうにも争えないほどに明白な鑑定結果であったのだろう。またこの5月21日以降に起訴された重罪については裁判員制裁判となり,素人である裁判員を対象に取り調べの可視化が問題になっている昨今,検察の威信と,無辜の人の抑留を秤にかければ,後者のウェイトが高くなるのは当然である。

  1.足利事件はDNA鑑定が有罪の決め手となった最初の事件と言われるが,精度が当時 それほど低かったとは,恥ずかしながら知らなかった。
  私はじめ法務畑には科学に疎い人が多く,科捜研を信じ切っているのが現状だ。
  ただ,以後DNA鑑定の精度が飛躍的に向上したことは喜ぶべきことで,刑事事件ばかりか民事の父子鑑定などでも大いに役立っている。
 従来から指紋・血痕・足跡痕その他,犯人の遺留物分析の重要性はつとに指摘されてきた。科学捜査が未だになおざりにしている発展途上の国では未だに冤罪が極めて多いことと思われる。

2.とはいえ,科学捜査は決して万能ではないことも,人が人を捜査する以上決して忘れてはならない。
 足利事件も犯人の自白と現場の状況が合わなかったとされる。
 それ以上に気になったのは,当時その近辺で他に2件,幼児を被害者とする殺人事件が起こり,こちらは迷宮入りとなったことである。おそらくは,足利事件の犯人とその2件の犯人は同一ではなかったか。
 精度の低いDNA鑑定に惑わされ,足利事件の真犯人もその2件の犯人も野放しになってしまった。当初気付いて捜査の方向性を別に向けていたら,犯人は捕まったかもしれない。今回の釈放を,被害者の遺族はどんな思いで聞いているだろう。冤罪は,罪を着せられた人にとって酷であるだけではなく,被害者にとっても酷なことである。

3.今回のことが死刑廃止論を高めないことを祈る。
 死刑廃止論者が依拠する最も大きな理由は冤罪である。今回は幸い無期懲役だから良 かった,死刑になっていれば取り返しがつかなかった,そう言われることになるのではないか。実は同時期のDNA鑑定により,福岡で起きた幼児2人殺害の「飯塚事件」では犯人否認のまま死刑が言い渡され,再審準備をしているところの昨年10月に死刑が執行された。心配になったので事情に詳しい人に聞いてみたところ,こちらは鑑定以前に確実な証拠があるという。鑑定試料はすでにないので確かめようがないとのこと。
 少なくとも今後は精度の優れたDNA鑑定の下,全員が襟を正して捜査を尽くし,一つの冤罪も生まないよう,ひたすらに努めるべきであるとしかいいようがない。

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執筆「日本が世界に誇る歌舞伎 伝統がすたれず生き残るには」

 久々に歌舞伎を観た。歌舞伎ファンの、大先輩の弁護士に誘われたのだ。
 10年以上も前、私はよく歌舞伎を観ていた。たまたま東京にあるアジア極東犯罪防止研修所勤務となり、外国人に同行したのがきっかけである。英語のイヤホンガイドでは足りず、様々な質問を投げてくるが、答えられない。日本人がこれでは恥ずかしいと感じたのだ。
 歌舞伎は、世界に数ある演劇の中、ことに様式美に優れる芸術だ。絢爛豪華な衣装、回し舞台、そして花道。赤穂浪士討入りや源平合戦、伊達家お家騒動など、生きた歴史もそこにはある。花魁も遊女も心中も日常茶飯の世界である。
というのは表向き、私がファンになったのは実は片岡孝夫(仁左衛門)と坂東玉三郎のファンだったからだ。共に細身の長身。細面、色白の美形。加えて、佇まいの気品。観客はいっせいに身を乗り出し、双眼鏡で一挙手一投足を見つめる。それを見ているだけで楽しい。
 久しぶりの歌舞伎座に、2人は健在だった。大店の若旦那が太夫を身請けする出し物でのコンビだ。同伴者が言う。「身請けの金って、最近の若い人には分からないのだって」。それはそうだろう。今ない言葉は分からない。ちんぷんかんぷんでは遠ざかるのは必定だ。愛好者を増やさなければ歌舞伎もすたれてしまう。
 しかし、長いねえ。午後9時半終了後、大先輩が漏らした言葉に、相づちを打つ。夜の部は午後4時半に始まり、出し物3つの合間に休憩は30分。正味4時間半、同じ姿勢で座るのは、現代人には酷である。日に3回転させ、一回の出し物はせいぜい2つとして、その分観劇料を安くしてはどうか。
 守るものは守る、変えるものは変える。何事であれ、それはきっと生き残る智恵である。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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民主党代表選,新型インフル騒ぎなど

 新年度を挟んで,実に2ヶ月も空いてしまった。
 気にはなっていたのだけど,これといって特筆すべきネタがないまま,連休前,身柄事件を続いて2つ,受任した。こういう事件は突如起こり,以後勾留満期までの22日間が勝負である。故に何事にも優先する。民事でいえば保全(まずは相手の財産を押さえておくこと)がそうである。
 連休の私的な日程はほぼすべて,キャンセルした。連日警察署(2つとも遠隔地に所在),検察庁,被害者との示談交渉など,で明け暮れた。土日・祝日は警察署が弁護人以外の接見は許さないため(立ち会いの人手がいるからであろう。弁護人が立会い人なしで接見できるのは法定の権利である),接見禁止がついていない案件であっても弁護人しか接見・差し入れができないため,行かなければならない。
 だが,ひとしお苦労した甲斐があって,ともに公判請求必至の両事案であったが先週,1つは罰金(略式請求),1つはまさかの起訴猶予となり,身柄はともに釈放された。本人・家族の喜びはもちろんだが,あるいはそれ以上に弁護人の喜びは大きかったかもしれない。この達成感,充実感は格別で,何ものにも替えがたい。弁護士になってまもなく5年。検事よりも国会議員よりもこの職業がいい。真にそう思える出来事であった。

  さてこの2ヶ月,世間にはいろいろなことがあった。
 小沢さんの秘書は当然のように起訴され,また私が予測したとおり,余罪は何もなかった。大山鳴動して鼠一匹。これを機会に検察のあり方そのものが見直さればいいと思う。マスコミも世論も迎合することなく,きちんとした意見を述べてほしいものである。

 草薙君の事件報道もひどかった。公然わいせつ罪は最高で懲役6ヶ月の軽罪である。同じ「わいせつ」でも,強制わいせつ罪とは違うのだ。こちらには被害者もいて,法定刑の最高刑は懲役10年だ。それを何を勘違いしたのか,法律を知らないのもいいところ,「最低の人間」だと公然に述べた某法相は「侮辱罪」にあたると思われる(こちらも軽罪だが)。そもそも草薙君は酩酊していて(だからこの種犯罪に至ったわけだが)責任能力に問題があった。それを有名税というのか,極悪犯人のように報道したメディアの見識が問われる。
 いつも思うことだが,凶悪犯罪は,その人を殺すだけではなく,その人に親しく連なった人をも同時に殺すのだ。彼らは生きている限り事件に囚われ,死ぬまで忘れることはできない。それは,犯人が更生を期待され,社会に戻っていけるのとまったく対照的な姿であり,だからこそ犯罪は憎まれなければならない。

 安倍さんもそうだったが,小沢さんも辞め時を間違えた。辞めるのであればもっと前に辞めるべきだったが,後継者選びは予想通りの出来レースだった。世襲ではない岡田さんにやらせれば民主は選挙に勝てただろうに。インフルエンザ騒ぎはすごいが,本当にそんなにひどい症状のものなのか,よく分からない。相変わらずメディアが乗って騒ぎを拡大させている感じを持つのは私だけではないだろう。

 福岡市職員による飲酒運転,幼児3人ひき逃げ事故の判決。
 一審は危険運転致死傷罪の適用を否定して,懲役7年。検察控訴に対し,二審は適用して懲役20年。上告審は二審を支持すると予想する。一般予防の観点から重くてもいいのだが,その構成要件に当てはまるかはまらないかの事実認定でここまで極端に刑が違うとなると,法的安定性を欠くことを危惧している。

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執筆「60年の時を経て届いた恋文 過酷な時代に懸命に生きた人々の姿」

 寝しなにテレビをつけたら、なんとも感動的な語りに引きこまれ、最後まで見入ってしまった。涙が頬を伝う。テレビでは珍しいことだ。
 70分ドキュメンタリー、「あの夏?60年目の恋文?」。平成18年夏に放映されて反響が大きく、何度か再放送されているらしい。
 原作は、川口汐子・岩佐寿弥の往復書簡集「あの夏、少年はいた」(れんが書房新社)。小学4年生の岩佐さんは、奈良女子師範から来た10歳年上の雪山先生に胸をときめかせた。先生はお嫁にいき、実に60年後、ひょんなことからその消息を知った元少年、長じてテレビディレクターは、意を決して、長い恋文を書くのである。
「突然の手紙を差し上げるご無礼をお許しください。……あの昭和19年夏、ご本人の計り知れないところでこれほどまでに恋い焦がれていた少年がいたことを、素直に受け止めていただきたいと思うのです」。60年が一息に巻き返され、息もつまりそうになりながら、先生は長い返事をしたためる。朗読される手紙の、なんという格調の高さ、なんという美しい響き。文通は続き、2人は会う。番組にはお2人が登場する。互いの家族、そして教え子たちも。
 後に歌人・児童文学者となった先生が1ヶ月半の教生生活を丹念に綴っていた日記が番組を支える。魅力的な先生の情熱と活気に応え、輝く生徒たち。戦争という過酷な時代にあっても人は懸命に生きていた。人が出会い、思い出を作り、互いに想い合う素晴らしさ。懸命に生きる人はそれぞれに皆、美しい。
 しかし……別のことも思わされる。やはり、手紙にしくはないと。私の愛読書、宮本輝著「錦繍」は手紙文学の傑作だ。息づかいの伝わる手紙がすたれ、手軽なメールばかりでは人間関係も希薄になるはずである。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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