執筆「辻井伸行さんの音楽に魅せられて 今後の活躍を心から応援したい」

 暗いニュースが続く中、久々に明るい話題に接した。「20歳の辻井伸行さん、バン・クライバーンコンクールに優勝」。
 日本人が栄えあるコンクールに優勝すること自体非常に慶賀なことであるが、ことに辻井さんは生まれつきの全盲である。どれほどの御苦労があったことか。何であれ楽器演奏は、まずは楽譜の読み方を教わり、見よう見まねで演奏の仕方を学ぶことから始まる。視覚が不自由であることはそれだけでおそろしくハンディである。
 それでもバイオリンとかフルートであれば、指が届く範囲に音があり、いったんコツを会得した後はさほど難しくないかもしれない。だが、ピアノの鍵盤は左右に広がり、中にはリストの「ラカンパネラ」のように、指がばんばん跳躍する超絶技巧曲もある。目が見える人でも音を外すのだから、辻井さんの指には目がついているのかと米国の聴衆がびっくりしたのは当然である。
 天賦の才はハンディなど易々と超えてしまったのであろう。天才は、曲を聴いただけで、調・和音・音楽の構成を直ちに理解し、すぐさま再現できるという。羨ましい限りである。そんな特殊な耳と頭脳があれば、目はさして重要ではないのかもしれない。彼に聞こえる音楽、自ら奏でる音楽にはきっといろいろな色彩があり、様々な宇宙を創造しているのであろう。
 辻井さんの才能はひとり演奏を超えて編曲・作曲にも及んでいる。親しみやすい明るい性格は、今回辻井さんと共に脚光を浴びた元アナウンサーのお母様、産婦人科医のお父様の、豊かな人間性と愛情によって育まれてきたものであろう。
 辻井さんのお陰で、にわかにクラシックファンが増え、とても嬉しい。今後の活躍を心から応援したい。

自由民主党女性誌
『りぶる』

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裁判員制始まる,ノリピー逮捕

 この3日,ついに裁判員制裁判が始まった。
  その様子はこまめに報道されたのであえて記さないが,感じたことがいくつかある。

 1.量刑が重くなることが分かった。
  求刑が懲役16年であれば普通,判決は懲役12年?13年である。求刑の20?30%減が判決の相場だからである。これはしかし現場感覚であって,私自身,思い起こせば司法修習の当初,相当に違和感を覚えた。
  検察官は公益の代表者として被害者の落ち度もすべて勘案したうえで求刑をしている。事実をその通りに認定したうえであえてそれを下げる理由がどこにあるのだ? 私の問いに,指導係検事は答えた。「弁護士の弁論代や。何も下がらんのだったら,弁護士は何のためにおったんか,弁論したのかということになる」。ふ?ん。納得したわけではなかったが,そのうちに慣れてきた。もちろん今は弁護士として,下がらなかったらエライことである。
  裁判員はあくまで素人である。それでも1年下げて懲役15年としたのは切りがよかったからか。評議の模様が分からないので何とも言えないが,裁判官は相当な苦労をしたのではないか。
  さてこの後被告人側は控訴をするだろうから(72歳で15年なんて,実質終身刑である),控訴審がどう判断をするか見ものである。控訴審では裁判員制はないが,だからといって量刑を普通の相場観に変更したのでは何のために裁判員に裁判をしてもらったのか分からなくなる。この控訴審が一つの試金石になるはずだ。

2.裁判員制裁判の弁護士は大変だ。
 国選弁護士報酬を上げて1人40万円としたそうだが,それでもとても割に合わない仕事である。裁判が始まって丸4日,その前に公判前整理手続きで何日か取られた上,記録の精読,加えて裁判員用にパワーポイントなどの準備にどれほどかかるか,考えるだけで気が遠くなる。
  とはいえ,これ以上報酬を増やすのは困難である。今回2人つけて,80万円。裁判員裁判は年間2300件ほどあって,単純計算をしても大変な額になる。殺人はケースによるが,強盗事案で私選弁護士を頼めるほど金を持っているケースはゼロである。

 さて,ノリピー騒動。そもそも私は芸能情報に疎いのでよく知らなかったのだが,清純派として国際的人気も高かったという。とはいえ弟が暴力団員(先月覚せい剤で逮捕)であったというのになぜ法務省や厚生労働省はシンボルに起用したのだろう。
 夫が職務質問されたとき,その所持品検査に猛反対した彼女は,夫が覚せい剤所持の現行犯で逮捕された後,署への出頭要請を無視して行方をくらました。尿を出して覚せい剤が検出されるのを避けるためとしか考えられず(夫婦や恋人は一緒にやっているのが普通である),6日経って出頭して検出は免れた。事務所はなぜ失踪声明など出して騒ぎを大きくしたのだろう。
 マスコミで作られた像の虚しさ,また薬物汚染に深刻さに思いを致す。

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執筆「検事になるきっかけとなった 指導検事との思い出」

人生は人との出会いの連続だが、その中に、人生を変える出会いがある。
  検察修習の指導係だったK検事はその一人である。人なつこい丸顔にはにかんだ笑みを浮かべ、修習生室に元気に入ってくる姿が今も記憶に鮮やかだ。
 神戸地検では司法修習同期26人を半分に分け、各4ヶ月、実務修習をさせていた。修習生には適宜事件が割り振られ、取り調べをし、公判立ち会いもする。ここで司法解剖も経験した。

  司法試験に合格しただけの若造相手に、大変な毎日だったはずだが、K検事はいつも泰然としていた
  私にやる気があるからと、殺人事件も任せてくれた。夫に女が出来たと思いこんだ妻が、子ども2人を道連れに鉄道自殺を図り、自分だけ生き残った事件。「夫の落ち度とか、被疑者に有利なことを調べるのは弁護士の仕事でしょう」と言う私に、彼は言った。「いや、検察は公益の代表者や。調べられるものは何でも調べるんや」
 真相解明はもちろん、被疑者の更生も検事の大事な仕事である。K検事は常に親身だった。「親が悲しんとるで。あんたもええ加減、立ち直らんとなあ」。

 検察修習で検事を見直す修習生は多い。大学では冤罪を作る鬼検事としか教わらないのだ。K検事はやがて熱心に私に任官を勧めてくれた。弁護士にはいつでもなれる、とりあえずなろうやとも。
 私を含め、何人もがK検事の人柄にひかれ、任官した。その実績を買われ、彼は後に司法研修所教官に抜擢された。自然体で敬愛される人だった。

 振り返って、K検事があのときまだ34歳だったという事実に胸を打たれる。検事正を最後に退官後公証人となり、だがまもなく胃癌に冒され、先般帰らぬ人となった。享年62歳。惜しまれてならない。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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自民党の迷走,メディアの迷走

  自民党の迷走が止まらない。まさに目を覆うばかりの体たらくだ。
 「いい時にやめましたよねえ」と会う人毎に言われるのだが,5年前にやめたとき,近い将来まさかこんなことが起きようとは想像も出来なかった。まさに「事実は小説よりも奇なり」。ふざけすぎた漫画のような感がある。

 辞めて翌年(2005年)の郵政解散で,反対派は公認を外され,静香先生などが離党した。小選挙区制の特徴を生かして党は「刺客」をばんばんと擁立(中選挙区制であれば派閥主導だからこんな芸当はできない),メディアは小泉劇場と仮し,83名もの小泉チルドレンが一挙に当選,自民党は歴史的圧勝をして衆院の自公勢力は3分の2を超えた。
 翌年,人気の安倍さんが首相になったがバンソウコウ大臣など閣僚辞任が相次ぎ,その翌夏の参院選は大惨敗,参院での与野党が逆転した。筋としてはその時に辞任するしかなかったのに,9月,所信表明を行った後に「小沢さんが話し合いに応じてくれなかった」とか何とか訳の分からない理由を述べて,辞任。
 その総括もないまま,自民党は首相に意欲満々な麻生さんを排して福田さんを選んだが,福田さんも翌年9月にはまた投げだし。今度こそ「人気者」の麻生さんを選び,解散をかけて総選挙に打って出るはずだったのが,せず。そのあとの度重なる迷走(まいそう?)は周知のとおりである。漢字が読めないのはもちろん,筋を通せない,決断力がないといった,リーダーとしての根本的な資質が欠如していることが明らかになった(そもそも国民の代表者である国会議員としての資質も欠いているというべきである)。

 さはさりながら,そうした人を選んだのは自民党である。国民ではない。
 麻生さんの不平不満を発信してどうだというのか。自分は選んでいない,自分は(麻生さんと違って?)上等な人間だというのか。ああそうですねと人が納得してくれると考えているとしたら,笑止千万だ。そもそも内閣不信任案を否決しておいて,麻生降ろしなど,ありえない。大体が総選挙を経ずに看板を3度も4度も取り替えること自体国民を愚弄している。人はすべからく筋を通すことが肝要であり,それなくして信頼は得られない。一連の出来事を通して見えてくるのはみな自分のことだけを考えているということだ。本来国民のことを考えるのが国会議員であるはずなのに。

 振り返って,このどたばた劇は小泉さんの時から発している。「自民党をぶっ壊す」と小泉さんは宣言していた。郵便局や医師会など従来強固だった自民党の組織が離れていったことで,自民党は無党派層を狙わなければならなくなった。つまり首相=人気者であることが必要になったのだ。人気を出すためにメディアを活用する。これはタレントの世界であり,もともと地道に政策を考え,実行する政治家の資質とは異なるものであった。

 今回つい馬脚を現した東国原知事。以前から思っていたが,なぜこの程度の人間をメディアは取り上げ,持ち上げるのか。メディアが一挙手一投足を競って追うから,本人も自分が大物であるかと勘違いをする。キャパシティの狭い者ほど容易に勘違いをするのだ。メディアの罪も大きい。

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弁護士の質

  週末辺りから更新が気がかりだったが,やはりちょうど1ヶ月が経っていた。

  会う人から,ホームページ見ているよ,と言われることがよくある。中には毎日見て下さる方までいるらしい。毎日更新ができるブログにしようかと考えた時期もあったが,きっと追われるようになると諦めた。それでよかった。日々何かと忙しい。
 もっともこの世の中では,誰であれ,幼児でも老人でも,ゆったりのんびりした気分に浸れることはもはや難しい。世相が落ち着かないからだ。動きが速すぎる。子どもの頃,世の中はもっとずっと落ち着いていた。時間がゆっくりと流れていた。まるでセピア色の写真のように。時間の質こそが人生であるのに,本当に勿体ないことだと思う。

  さて,先月から綱紀委員会委員を務めている。弁護士に対する懲戒申し立てを審理し,懲戒委員会に請求するかどうかを議決する委員会である。懲戒申し立ては増える一方だ。訴訟狂から訴えられて気の毒といった類のものもあるが,預かり金の使い込み,非弁提携(究極は名板貸し),受任案件の放置(控訴期間や出訴期間を徒過するのまであり!),セクハラ・わいせつ事案など,多岐にわたる。先般,久しぶりに食事をした弁護士がつい最近,懲戒請求になったことをあとで知った。この人はとにかく何でも訴訟にするらしい。そうしないと事務所経費が回らないのであろう。
  大体が,そうやって問題になる弁護士の多くは金銭感覚にずれがある。そこまでいかなくても,よく出来る弁護士のほうが少ないのが現状だ。弁護士(法律家)の能力は書面に一目瞭然だ。何をどう主張し,構成しているか,文章くらいその人を表すものはない。

  先般,知人が訴訟を起こされたとのこと。訴状と証拠を見たら請求棄却になるのは明らかな事案なので,答弁書の書き方を教え,相談料だけ貰った。後日,再度相談に訪れた。知人と同じ立場にある別の被告に弁護士がついた(訴額からして着手金50万円は貰った?),その弁護士から反訴を提起するので一緒に加わらないか,半額でいいと言われたとのこと。 「反訴?」「なんでも慰謝料だとか」「ああ,不当訴訟を起こされて応訴を強いられたから不法行為による損害賠償請求をするということね。それは理論的には認められるけれど,認められてもせいぜい30万円程度よ。そんなことに弁護士をつけていたら着手金は50万円(半額でも25万円)くらいかかるわよ。おまけに訴訟なんて時間もストレスもかかる。やめなさい」。裁判所に出すべきことを指示し,今後は欠席でいいと伝えた。
 素人は分からないから,専門家(例えば医者)からあれこれ言われるとパニックになるものだ。「いい弁護士さんでよかった」との言。それはそうだと自負しているが,ただ私がいい弁護士というより,悪い弁護士が多すぎると感じる。友人の裁判官いわく「起こさなくてもいい訴訟が8割方ある」と。実際そうだろうと思う。

  さて,様々な案件を通し,世の中には結構な数,人格障害者(異常性格。ドイツでは精神病質)がいると認識するようになった。境界性,依存性,自己愛性,演技性,反社会性……。病気とまではいかなくても限りなくそれに近い人を加えるとどれくらいになるだろうか。法律家には精神科の知識が必要不可欠だ。刑事事件ばかりか,ドメスティックバイオレンスなど家事事件もそうだし,ストーカー案件などもある。

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