執筆「出会いの季節,一期一会を大切に 調停委員の仕事から学んだこと」

 昨春家裁の調停委員になり、ほぼ1年が経った。
 家事調停といえば離婚と遺産分割だが、弁護士調停委員はもっぱら遺産分割に携わっている。離婚よりもはるかに法律的知識が必要だからであろう。
 調停は必ず男女ペアで臨み、また弁護士は一般と組むので、私の相棒は男性の一般調停委員である。公務員・教員・サラリーマンを退職された方が多く、皆とても熱心だ。
 調停委員の在り方を一言でいうと、「公平に当事者双方の言い分をよく聞くこと」である。そんな主張は法律的に認められないよとばかり、上から目線で説教していては、当事者がそっぽを向く。弁護士がついていない場合はよけいである。
「聞くこと」。これには大変な労力が要る。カウンセラーや精神科医も同様だが、親身になって聞かないといけないし、相づちを打ちすぎても、打たなさすぎてもよくない。話している途中に口を挟むのはよくないが、適当には挟まないと進まない。私などに務まるか、当初不安だったが、なんとかやれている。どころか、実に面白い。
 先般、先妻の子対後妻(弁護士なし!)の、感情的対立これぞ極まれりの案件が無事にまとまったときなど、どれほど嬉しかったか。日当はほぼボランティアに近いのだが。
 私が常に心がけているのは、笑顔でいることだ。特に、最初の瞬間。調停室に入ってくる相手の緊張を解きほぐす顔をし、声を出す。こちらにとってはいくつもある調停の一つにすぎなくても、多くの当事者にとっては人生にただ一度のことであろう。話をよく聞いてくれる、公平な調停委員だったかそうでなかったかで、裁判所へのイメージも大いに変わる。
 一期一会。4月、新入生も来る。どんな出会いも大事にしたい、と改めて思う。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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闇サイト殺人事件判決に思うこと

 昨日,名古屋地裁で判決があった。
 闇サイトで知り合った男3人が,通行人を拉致(逮捕監禁),お金を奪ったうえに残忍に殺害した(強盗殺人)事件の判決。被害者は一人だが,死刑になるかどうかが注目されていた。検察の求刑は3人ともに死刑。これに対して判決結果は,2人を死刑とし,自首をした1人について無期懲役とした(こちらは実行行為にもあまり携わっていないようである)。結論からいうと,この判決は私が予想した通りである。

 なぜならば一つには検察が死刑と求刑をした以上,それを下げる理由はあまりないからであり,その一方で,自首をした人には罪一等が減じられであろうと考えたからだ。
 自首は減軽理由となりうるので,本来死刑であるならば無期懲役となる。彼が自首をしたのは死刑をおそれたからで反省なんかしていないのに,という向きも多いようだが,自首を減軽事由としている理由は刑事司法に寄与するからである。実際,彼の自首により,捜査は容易に進んだ。
 刑事政策的配慮として今後,自首をすれば罪一等が減じられることを周知させておく必要はある。自首をしてもどうせ死刑だというのであれば,自首はなくなり,迷宮入りになる事件は増えこそすれ減ることはないからである。

 ともあれ,背筋が凍るほどの残忍な事件であった。たまたまそこを通りかかったという,誰であっても被害者になりえた事件で娘を殺された母親は,夫を31歳で亡くし,以後女手一つで彼女を育て上げてきた。たとえ3人全員が死刑になったところで報われないが,まして1人は生き,そのうちに仮釈放される。
 いつも思うことだが,凶悪犯罪は,その人を殺すだけではなく,その人に親しく連なった人をも同時に殺すのだ。彼らは生きている限り事件に囚われ,死ぬまで忘れることはできない。それは,犯人が更生を期待され,社会に戻っていけるのとまったく対照的な姿であり,だからこそ犯罪は憎まれなければならない。

 強盗殺人はそもそも利欲犯で,被害者には落ち度がないため,刑罰が重く,法定刑は死刑・無期懲役しかない。。一方,殺人には様々な事情がありえるので,下限は「懲役5年」。格段に軽いのである。死者の数だけで量刑を云々するマスコミ論調が結構多いが,これは誤りで,強盗殺人かそうでない殺人か,まずは罪名を峻別する要がある。強盗殺人であれば死者1人でも死刑とされることは珍しくなく,一方殺人だけの罪名であれば,これに放火や身代金目的誘拐や保険金詐欺が付かなければ,死者1人で死刑になることはめったにない。
 その意味で,最近相場が重くなった感がしている。先に判決のあった江東区の遺体ばらばら事件。死者は1人,罪名は殺人・死体遺棄であったが,検察は死刑を求刑し,あれっと思ったら,判決はやはり無期懲役であった。もちろん残忍極まりない事案であり,遺族感情や社会に与えた戦慄を考えると素人的には死刑が妥当と思われるのだが,こうした凶悪犯罪にこそ今後裁判員が立ち会うことになる。昨今の審理促進といい,遺体などの画像の多用といい,裁判員制を睨んで全体に刑罰が重くなっているのではないだろうか。

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小沢秘書逮捕に思うこと

 政治資金規正法違反は,贈収賄と違って形式犯であり,その違反による強制捜査(逮捕)は従来1億円が基準であった。しかし,3日の逮捕は,わずかにその額2,100万円(+100万円)。
 西松建設は,政党(及び政治資金団体)にしか寄附ができないとする制限(21条1項)に違反し,ダミーの政治団体を使って寄附をし,一社当たりに認められる年間寄附上限額(資本金50億円以上の会社であれば年3000万円)を超えた(21条の3)。
 小沢側はその事情を知りながら,寄附を受けた(22条の2)。これは「1年以下の禁錮又は50万円以下の罰金」(26条)という軽罪だから,法的構成としては,正しい事項を報告しなかった12条違反として,25条の「5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金」としているのであろう。ちなみに前者の時効は3年,後者は5年である。
 
 さて,以下は誰もが思う疑問である。
? これで終わりではないはず。とっかかりの別件逮捕にすぎず,真の狙いは実質犯(刑 法の贈収賄か,あっせん利得処罰法違反)にあるはずだ。
? しかしなぜ今,総選挙が取りざたされるこの時期にやるのだ。検察は政治的に中立で なければならないはずだ。
? 同じことを自民党議員もやっている。やるのであれば自民党側も同じように調べるべ きだ。

 その答えとして,以下,私の読みを述べる。
 特捜部は西松建設の社長らを昨年末,外国為替法違反で逮捕,起訴をした。外為法も政治資金規正法違反同様形式犯であり,またもともと特捜部の狙いは,言うまでもなく政治家にある。そこにこそ彼らのレゾンデートル(存在意義)があるからだ。彼らは押収物件及び関係者の供述から,西松建設から政界に流れたとされる巨額の裏金の行方をくまなく洗っていた。昨年の防衛省汚職も結局次官で止まり,狙った政治家には行き着かなかったから,よけいのことだ。必死で捜査をしてきたが,結局のところめぼしいものが出ないまま,3月の声を聞く。
 3月末は人事異動期である。22日間の逮捕・勾留期間を見据えると,3月初めはまさにタイムリミットだ。贈収賄ではなし,おまけに額も極めて低いが,野党党首となれば話題性は充分だ。なので,ぱっとしないながらも逮捕に踏み切った。事案自体の些少さに加え,時期を考えて,反対論は検察内部にも相当あったはずだが,功名心に駆られ,血気にはやる一線を上は止められなかった──。

 野党議員は公務員だが,与党大臣などとは違い,職務権限がない。収賄としては「あっせん収賄」しか成り立たないが,これでやるのであれば,職務権限のある「あっせんされた公務員」側も調べておかねば無理である。
 あっせん利得処罰法違反は,国・公共団体の契約(少なくとも半分の出資)であることと「不正なこと」をさせたという要件が必要だ。またこちらもやるとすれば,口利きをされた人側を調べておかねば無理である。つまるところ私は(おおよその期待に反して?)これ以上の別件は出ないであろうと踏んでいる。もちろん出るのであればそれに越したことはない。検察が無茶をやっているのではなければ,安心である。

 さて,ここで根源的な問題に戻る。──「特捜部はこれで良いのか」

 警察の強制権限は,公訴権を独占する検察によってチェックされる。だが,検察にはチェック機関がない。もちろん裁判所は無罪を言い渡せるが,逮捕された人,捜索を受けた会社は強制捜査そのものによって事実上抹殺されてしまう。
「巨悪は眠らせない」──これが特捜検察のキャッチフレーズだ。
 だが,巨悪がないのであればそれに越したことはない。わざわざ無理やり掘り起こして,人を逮捕までして捜査をするのが,社会をよくするためでもなく,ただ自分たちの存在意義のためであるとしたならば,これほど本末転倒な,恐ろしい話はない。

 権力ある者は当然ながら,それを抑制的に使わなければならないのである。良き政治家を自分たちの代表として選び,それによって社会を良くするべき責務を負っているのは国民であり,国民が選挙によって選ぶことのない検察官に本来その機能はないはずだ。検察官に社会の自浄作用を期待するとすれば,それはそもそもが誤った民主主義だということに,国民は気付かなければならない。
 特捜部に匹敵する機関は,世界中どこにもない。韓国に特捜部はあるが,これは政府の指令によって強制捜査をするという,中立性を欠いたものである。今回漆間官房副長官の発言が問題になっているように,大統領府の意を酌んで有力野党の捜査をするというのが典型例だ。あるいは現政府が前の政府高官を捜査するというのは,誰が見ても後進国の在り方である。

 特捜部は予算を獲得し,人も増やしている。そのために,何か話題性のある事件をやらなければならないという,組織存亡のための捜査になっている気がしてならない。もとより,昔とは違い,今は「綺麗な」贈収賄などあまりないはずだ。
 特捜部は今のままの常設機関ではなく,規模を縮小して,脱税事件に特化してよいのではないか。何かあったときだけ特別に応援を取って捜査をしたらよいのである。時代も変わった。国民は,自ら選ばない検察官を頼みとするのではなく,自らの手で選良を選ぶことで政治を良くし,社会を良くすることに勤めるべきではないだろうか。

 自らの手で選んだ政治家が汚れているのであればそれは自らの責任であり,また次の選挙で良き政治家に変えるべきなのである。民主主義は,寝ていても誰かが与えてくれるものではなく,「自らの血と汗で勝ち取るものだ」という,欧米では当然の考え方が,自ら民主主義を勝ち取った国ではないこの国には欠如していると思われてならない。
 今回の逮捕劇はいろいろなことを考えさせてくれる。
調べを受けて自殺された方もおられる。合掌。

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執筆「真の価値を見失う現代にあって 人に感動を与える芸術とは」

 クラシック音楽を毎日聞いている。CDやラジオ・テレビが多いが、たまに演奏会に行く。生演奏は最高だが、生だから良いとも限らない。
有名な人でもえっという場合もあるし、コンクール歴も決して当てにはならないようだ。クラシックでもやはりルックスや激烈なうたい文句が大事なのかもしれない。
 私がよく分かるのはピアノなのだが、正直なところテクニックが目立つ人が多いと感じる。音に魂がこもらず、音楽への愛情の感じられない演奏。時間とお金を使って、心が冷えてはつまらない。それでも盛んに拍手を送っている人がいるのは、日頃良いピアノの音に接していないからかもしれない。
 芸術の神髄はやはり感動にあると思う。涙が溢れ、生きていてよかったと思わせてくれる力こそが芸術だと思う。世紀のソプラノ、アンナ・ネトレプコは言う。「声がいくら良くても、歌がいくら上手でも、それだけで人に感動を与えることはできない。それはsoul(魂)だ」と。

 私が最も好きなドイツのピアニスト、今は亡きウィルヘルム・ケンプの演奏には魂が籠もっていた。テクニックにさほどの評価はなかったが、真摯な、気品に満ちたその演奏は、一つ一つの音を通して、聴衆に感動を与えた。温かい、敬虔な人柄を感じることができた。
 しかし今や、音楽や芸術に限らず、社会の隅々に、小手先のテクニック、言葉や態度が蔓延しているような気がする。真摯、敬虔、気品といった、真の価値が忘れ去られているように感じる。お金がなくては人は生きてはいけないけれど、それにのみあくせくしていては、肝心の心を見失う。
 未曾有の危機にあるからこそ、今一度、原点に立ち返ってと祈りたい気持ちである。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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中川財務相醜態,政治の空転つづく……

 今朝も中川財務相の醜態がニュースを騒がせている。
 今日,参院で問責決議案が提出されるという。それを受けてか,本人は辞任の意向を示した。もっとも予算案通過までは留まるとのこと。その後,野党ばかりか与党内の抗議を受けて直ちに辞任となった。麻生内閣崩壊は秒読みである。

 ローマでこの14日開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議。その後の記者会見で中川氏は泥酔状態,答弁も支離滅裂だったのが世界中で報道された。一見するだけで普通ではない人が国の財政を握っている日本。国辱ものである。
 中川氏はアル中だと言う人が結構いる。ブッシュ前大統領もアル中で断酒をしたそうだが,アル中の治療には断酒しかないそうだ。中川氏も一時期そうしていたらしいが,いつのまにやら元の木阿弥。先般の本会議答弁で,歳出を歳入,その他26か所も読み間違え,指摘されて居直ったことは記憶に新しい。
 そもそも自らをさえ律することさえできない者に指導的立場につく資格はない。もちろん国の代表である国会議員になる資格もない。

 なぜそんな人が歴代内閣で重用され続けているのか,常々不思議に思っていた。閣僚歴はこの前に農林・経済産業とある。安倍氏・麻生氏のいずれも3代目は,敵も論客も抱え込まない,典型的なお友達内閣を作った。
 麻生氏自ら,消費税,給付金,最も新しくは「郵政解散に賛成ではなかった」。いずれも適当に発言しては謝罪・撤回,発言がぶれる,の繰り返しで,国民は首相の言葉の軽さ,責任感のなさに呆れ反発し,当然ながら支持率は低迷の一途を辿っている。すでに13%。これでは解散は打てない。10%を割り込んだら,森内閣のように総辞職するしかないが,それも本人次第である。その点は結構しぶとそうだ。なぜ人気が高かったのか,今となっては首を傾げるが,アキバや漫画といったものにこれまでと違う新鮮さを感じたからなのであろう。

 先日,外務省の米国通の話を聞く機会があった。
 オバマ大統領は偏差知的頭脳が極めて高い。ハーバードロースクールに進み,それも最も難関の憲法ゼミに所属。ハーバードローレビュー(法律雑誌)の編集長に就任(黒人初)。将来の最高裁判事のコースだそうだが,思うところあってシカゴに戻り,貧民救済に関わった。政治家オバマの原点だ。
 加えてオバマ氏は,コミュニケーション能力が高いのだという。
 イラク戦争は間違いだったというのが彼の持論だが,選挙期間中,聴衆の1人が「では私の息子は犬死にだったのか」と叫んだそうだ。シナリオのない展開。オバマ氏がどう答えるか,皆がしーんとなって見守るところ,すっと壇上から降りてその女性の所に行って抱きしめ,「あなたの息子を誇りに思う」と囁いたという。わっと泣き崩れる女性。一同の感激。これは教養,人格のなせる業でしかない。
そういう指導者を日本も欲しているはずだ。GDP2桁落ちという未曾有の危機に日本はまたも「失われた10年」を繰り返すのか。これといった処方箋がないのが悔しい。

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