裁判員制の重大な問題について

 来年5月施行が近づき,このところ何かと言うと,裁判員制が話題に出る。
 たいていの人が(弁護士を含めて)反対である。なぜこんな大事なことがさっと通ってしまったのか。日本では絶対に機能しない。裁判員には心身共にたいそうな負担となる。この財政多難な折に多額の予算を使って,あえてやる価値がどこにある。……
 もとより私は,国会議員時代から強固に反対していたのであり,今なおその気持ちは変わらない。理由は,以下。

?もともと陪審制に代表される裁判への市民参加は,お上を信用できない歴史からくる国 民の「権利」であって,日本とはそもそもの成り立ちが違う。日本では導入しても義務 意識でしかない(これに限らず,諸外国ではこうなっている,という議論は誤りの元で ある)。
?陪審制の国では,被告人が有罪答弁をして証拠調べなしに(すなわち陪審裁判を選択せ ずに)直ちに量刑に入ることができるが,この制度では被告人に選択権がない(与える と,被告人は裁判員制を選択しないからというのは,本末転倒である)。
?対象が住居侵入窃盗のような身近な犯罪であればともかく,殺人などの重大犯罪である から,証拠を見るにも量刑を科すにも素人の裁判員には負担が重すぎる。

 以上に加えて,いろいろな人と喋っていると,新たな問題点が浮き彫りになってきた。? 公判前整理手続きにおいて争点と証拠の整理をするのだが,ここで裁判官は予め中身 を知ってしまい,刑事訴訟法の鉄則である「予断排除の原則」が完全に損なわれてしま う。またこの手続きは当然ながら法曹三者のみが関わるので,裁判員はお飾りにすぎな い。
? 裁判員6名の名前は一切出ない。判決にも出ない。であるのに裁判員は評議にも量刑 にも加わるから,被告人は名無しの権兵衛に裁かれたことになる。ことに対象が重大事 件であり,死刑の場合もあるのだから,とうてい納得がいくはずがない。

 この2点は重大な指摘であると思う。

 かねて私は,証拠の扱いはどうなるのだろうと考えていた。
 被害者死亡の事件では当然ながら被害者の死体は証拠となる。
 死体検案書も解剖の写真(鑑定書)も,凄惨な殺人現場の写真もある。これらはすべて重要な証拠であり,見ずに裁判してもいいとはとうてい思えない。かといえ裁判員に対して,嫌でも何でも絶対に見ろと要請することはできない。専門家は慣れているからいいが,素人には耐え難いものであるはずだからだ。倒れたら困るから,きっと見なくていいと裁判所は指導するはずである。
 それやこれやで,矛盾が明らかになりつつある。拙速な裁判となり,これからは被害者も参加しうる裁判制度となるから,裁判員はあちらからもこちらからも期待をされ,かつまた恨みを買うかもしれないのである。

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