リビア情勢に思うこと

 早や3月だ。いつもそうだが、新年になっての3か月は瞬く間に過ぎる。春を待ちわびる気持ちもそうさせるのだろうが、1月いんだ、2月逃げた、3月去った…。これで1年の4分の1は終わるのだから、月日の経つのが早いはずである。

 今手持ちの訴訟案件のうち、裁判所への書面提出期限3月2日と3日の分があって(大体、期日の1週間前までが期限である。)、それをすべて昨日までに処理したので、今日は一息ついている。2月は28日までしかないといっても通常より2日か3日短いだけなのに、だいぶ違う。弁護士業も7年目に入り、我ながら進歩したと思う点が多々あるが(笑)、中で最も進歩したのは、「今日できることは明日に延ばさない」姿勢かもしれない。どうせやらないといけないことなら今怠けずにやっておけば、ずいぶん楽になる。なんでも早めにやっておかないと、いざ何か急ぎの案件を持ち込まれたときに対処できず、自らが困るのだ。

 ここ数年仲良くしていただいていたチュニジア大使が3年の任期を終えて離任する。チュニジア発革命はエジプトに伝播し、リビアにも飛び火した。と聞いて初めて気がついたのだ。リビアのカダフィ大佐という存在に。最高指導者がなぜ大佐なのか、これまであまり気に留めたこともなかった。解説によると、無血革命をやり遂げた同氏は以後いかなる公職にもついていない。つまり、この国には政府も憲法も選挙もないのだという。同氏の子どもや親族がすべての利権を占める完全なる独裁制。国民は単に彼らの所有物でしかないであろう。 

 そんな国が現代に存在している! 15年ほど前、サウジアラビアに出張をしたことがある。その名の通り、「サウジ家のアラビア」。憲法も選挙も議会もない国だ。なんと怖い国だろうと震撼したが、ひとりサウジアラビアだけではなかったのだ。同氏は、傭兵を雇って国民に無差別攻撃をかけた揚句、化学兵器まで使う覚悟だという。徹底的に抗戦をするという。国民を守らない、どころか国民を攻撃するリーダーが存続できるはずはない。国際社会は連帯し、そうした愚は絶対に許してはならないと思う。

 日本人には分かりにくいが、国民=被支配者の意識で国を治めている支配者は世界には珍しくないのである。ことに民族が異なり、支配者=白人、被支配者=原住民という国々では、この意識は顕著だ。もちろん民族は同じでもあまりに貧富の差が激しい国では、下層階級はまともな教育も受けられず識字もできず、当然のようにまともな就職もできないので、ずっと下層階級に留まって被支配階級であり続ける。階級が固定化した社会である。その点、日本では古来、出自よりも能力を重んじてきた。出来が良ければ婿にしたり養子にしたり、あるいは奨学金を貰っていい大学に行き、国家試験にいい成績で合格すれば、出自を問わず出世街道に乗れる。自分の「今」はどうにもならない社会構造のせい、ではなく自分が努力しなかったから、と思える以上は逸脱行動にも走りにくい。あまり知られていないが、このことが日本での犯罪率の低さの背景にあるとも言われている(もっとも日本でもこのところ貧困層が増え、社会の不安定要素になっている。)。

 社会が固定化されていないという点では、アメリカもまた同じである。誰もが金持ちになれ、大統領にだってなることもできる。アメリカンドリームだ。それこそがアメリカという国に人を呼びこみ、アメリカを強大な国にした原動力である。だが、アメリカはもともと移民によって成り立っている人工国家だ。民族も言語も文化も異なるからこそ、人々を一つに結びつける(united)「民主主義」とか「自由」とかいった統一された価値観が不可欠なのだ。それが分かったうえでアメリカを見習うのはよいが、ただ闇雲に真似をしてきたのが誤まりの元だったとかねて思っている。

 政治家に最も必要であるのに決定的に欠けているのは国家観ではないだろうか。自国をよく知ったうえで治めるのでなければ、怖い。税金をどうするとか、社会保障をどうするとか、そうした各論は役人に任せておけばよい。政治家たるもの、自国をどういう国だと認め、どういう方向に進もうとしているのか、そのことをはっきりと提示してくれなければと思う。みな今が不安なのは、将来像が見えない、託せる人がいないということではないかと思う。

 

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