外務大臣辞任、カンニング事件、小津監督作品

 外国人から政治献金を受け取ってはいけない──と言われれば、ああそうだったなと思う。例えば北朝鮮系の団体から多額に金を受け取っていればまずいはずだ。だが、どうなのだろう。かねて知り合いの在日の女性から年5万円を5回、25万円受け取っていたことが、外務大臣を辞任しなければならない理由になるだろうか。外国勢力の排除と高々に言うほどの金額でもないし、それを言うなら、日本で5年間上場していれば、外資が半分以上を占める企業の献金が合法というほうがよほど問題であろう。

 前原さんは偽メール問題に始まり、八場ダムの中止を一方的に宣言したりその他、口が軽くて思いこみの激しい人であるとかねて思っている。それがポスト菅の一番手というのが情けないと思っているのだが、それと今回の問題は別である。同じ選挙区の野党(自民党)の議員が情報を掴んですっぱ抜き、これで内閣を崩壊に一つ深く追い込んだと、きっと党内で手柄扱いされているのであろうが、どうにもおかしい。国際的に今回のこの案件はどううつるだろうか。懸案山積の時期に、主要閣僚である外務大臣が、こんなつまらないことで辞める。これはおよそ無責任であり、成熟した政治とはとうていかけ離れたところにある。

 挙げ足取りに終始する国会の論戦はとても見ていられない。なぜそんなつまらぬことではなく、国民の知りがっている本質的な政策論争をしないのか、とかねて思っていた。その謎が解けた。長い間数を恃んで実体を官僚任せにしていたつけが回って、政策論争を「しない」のではなく、「できない」のである。となると、この問題は簡単には解決しない。明るい兆しも見えない。国民の政党(政治)離れはますます進み、訳の分からない新しい政党や、アジテーターに簡単に引っ掛かってしまうだろう。

 ところで、今年になってホームページの更新回数が多いですね、と人に言われた。ブログにしたからである。ようやく私がブログにしたら世の中はツイッターとなっている。入試のカンニングにも新手が登場して、世間をにぎわしている。偽計業務妨害罪にあたらないこともないので(他にはぱっとする罪名が浮かばない)、真相を知るためにはこの罪名で捜査をするよりほかはない。大学独自の調査では権限が知れていて、何も分からないのである。大学側を非難する人がいるが、それはやはりカンニングをするほうが悪い。母子家庭で気の毒だなんて言うけれど、気の毒な人は他にもたくさんいるし、みな合格をしたいのは同じである。試験は公平であることが何よりの前提だから、本末転倒の議論はいけない。

 このところ、昨夏頃からのミュージカル・演劇熱がばったりやんだ。理由は明瞭だ。半月ほど前、超一流のオペラを観たからである。そのときの感激があまりに大きすぎ、ずっと浸っていて、とんと他を観る気がなくなってしまった。超一流のすごさとはこんなことろにあるのだなと思う。邦画も、成瀬、小津、黒澤の有名どころを見尽くし、他の監督作品を見始めたら、物足りなく、これも一気に熱が冷めてしまった。

 小津監督作品は、娘を嫁にやらせるという単純なストーリーが定番である。「晩春」「麦秋」「彼岸花」「秋日和」「秋刀魚の味」…。娘たちは誰も結婚したがらない。親や周りのおじさんおばさんたちが世話を焼き、いい人を見つけてきて、様々な策まで弄して、ようやく嫁にやる。「もういかなくちゃ」「いつまでもこのままでというわけにはいかない」…そういう台詞が必ずや出てくる。結婚はそれ自体が決して幸せなものでないことはみなが知っているのだ。だけど結婚しなくでゃいけない、という社会律がかつてはあったのだ。今はそれもなくなり、世話を焼く大人たちがいなくなったので、非婚化が進むわけだと納得させられた。「今時の若い人たちは」という台詞もよく出てきて、くすっとする。

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