執筆『身に覚えのないカードの請求払いたくないのですが・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる6月号」

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PC遠隔操作事件について思うこと

PCの遠隔操作により威力業務妨害をしたなどの罪で逮捕・起訴された片山被告。警察はその前に別人を逮捕したのだが,その別人は厳しい取調べを受けて虚偽の自白をさせられていた事実も明るみになり,威信をかけて「真犯人」を逮捕したとされる。逮捕された片山被告は徹底的に否認,自らもまた遠隔操作されていたのだと言い張ってきた。

実際彼を犯人だとする直接的な証拠はなく,検察はなかなか起訴に踏み切れず,起訴後は公判前整理手続が長引き(裁判員裁判では必ず行うが,それ以外でも面倒な事件では行っている。この間保釈は認めないのが実務上問題とされる),それがようやく終わって公判が始まり,あまりに拘束が長引いているので否認のまま保釈が認められた。このまま公判が推移して最後,有罪か無罪,いずれかの判断が裁判所から下されるはずであった。しかし…

なんだか漫画みたいである。まさに事実は小説より奇なりというのか。保釈中の片山被告は,「真犯人」になりすまして,弁護士やマスコミ宛におちょくるようなメールを送りつける。ちょうど自分が裁判に行っている時を狙って送ったので,ほらこの通り真犯人は別にいるでしょ,自分にはこのメールは物理的に打てないのだから,というわけだ。しかし彼は警察に見張られていて,砂浜に埋めた件のスマホが発見される,タイマーを使えば時間差も可能だという。徹底的に抗戦するのかと思ったら,片山被告,自殺しようとして果たせず,自ら真犯人ですとこの期に及んでようやく自白した。策士策に溺れるというのか,深層心理では自白したがっていたのか,そこら辺りはよく分からない。精神分析は面白いだろうが,世の中にはおかしな人はごまんといて,その精神がすべて分かるわけではないし,分かる必要もないと思っている。

今回の事件で大いに関心を持つのは別のところにある。片山被告の弁護士である。この弁護士は別の冤罪事件(幼女殺害)で長い闘争の末に晴れて再審無罪を勝ち得たことにより一躍勇名を馳せた。報道されたところによると,お金のない被告のために自宅まで提供し,心身共にまさに入れあげて勝ち得た再審無罪であった。しかし私には違和感がつきまとっていた。そこまで一体となっていいのか。弁護士は当事者の身内ではない,一定の距離感を持たなければいけないし,持ちえてこそ弁護士なのだと。

今回も同じ乗りを感じて不快であった。彼は,片山被告は冤罪だ(ちなみに冤罪と無罪は違う。冤罪は実体的にやっていないことであり,無罪は有罪の確信に足るだけの証拠がないということである)と前面に出て何度も主張,捜査側との対決姿勢を明らかにしていた。そして今回の結果である。被疑者が否認したいのであればそれに則って進めていくのももちろん弁護士の職務である。だがそれが実体としてはどうなのか,客観的な立場は常に保持してこそ,社会正義を担う弁護士なのではないか。あるいは片山被告は認めたくなったけれど,弁護士の信頼?が重すぎたのかもしれない。結果,今回脅迫容疑という別罪までついてきてしまった。弁護士の職責について考えされる事件でなかろうか。

法科大学院がいくつか陶太されたうえに,定員割れを起こしている。平成26年度入学定員3809人のところに入学者数2272人(60%弱)。同16年度には5590人に対して5767人あったものが,である。片や合格すれば法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格を得られる予備試験が3年前から導入されたのだが,こちらの出願者は今年度ついに1万人を超えて12600人。この予備試験は狭き門で合格率は極めて低いのだが,合格者の司法試験合格率は70%を超え,どの法科大学院の合格率より高い。予備試験合格組であることが一種のステータスになってきたのである。まさに法科大学院は危機的状況にある。つまりは法曹養成システムをどうするかの抜本的問題なのである。

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大相撲夏場所9日目に行ってきました

昨日注目の取組みは,結び前の一番,遠藤(西)対白鵬(東)。懸賞は約25本並んだ(もちろんこの日最多である)。立ち合い互いに真っ向から当たったと思ったら,遠藤はあっという間にそのまま西の土俵下に落ちていた。電車道,わずかに1秒? 後で知ったのだが,左を指された遠藤,巻き替えようとして体が浮いた瞬間を力で押し出され為す術もなかったらしい。遠藤が弱いというより,白鵬が強いのだ。それも圧倒的な強さ。身体的にも10センチ高いし,10キロ近く上である。

今年に入って影の薄かった稀勢の里は,今場所復調傾向にあるようだ。一昨日(対遠藤)も昨日(対嘉風)も不利な体勢から諦めずに,粘って勝ち星。全勝の白鵬に1敗で追走している。あと6日,1つ1つ慌てずしっかりと白鵬についていき,優勝決定戦に持ち込んで欲しい。あれだけ騒がれ,かつまた2桁勝利の成績をずっと収めてきた優秀な大関なのだ。一花咲かせなくては,人生もったいなさすぎる。

その稀勢の里不調の間に,準優勝・優勝と続いて,まさかの横綱昇進を果たした鶴竜。前半7日の間にすでに遠藤に金星を与え,新小結千代鳳(幕内最年少の21歳。兄千代丸23歳も共に幕内力士,鹿児島出身)にも敗れた。続く一昨日,全敗の平幕宝富士相手に立ち会い右に回り込むという奇策に出たのである! 立ち会い変化の取り口はそもそも卑怯だし(遠藤は必ず真っ正面からぶつかるのが良い),大体が横綱の取り口ではない(日馬富士が時にやる)。勝ったけれども場内もちろんブーイング。そして続く昨日の結びの一番,どうするのだろう,まさかまた立ち会い変化はないよねと見ていたら,覇気も力もなくふっと立って,あっという間に関脇栃皇山にはたき込まれた。勝負にすらなっていない。金星ではないのに座布団が飛び交っていた。

人柄は良さそうだけど闘争心のみじんも感じられない風貌を見ていると(白鵬や日馬富士とはまるで違う),可哀想にすらなってくる。大関のままでよかったのではないかと。後半戦は上位との取組である。より難しくなるが,ここは精神を強くもち,自らを信じて,一番一番新横綱に恥じない取組みを重ね,それなりの成績を残してほしいと思う。対する稀勢の里にはできうれば連続優勝をし,横綱になるときには名実ともに実力でなってほしい。でなければ魁皇のように名大関のままで,できるだけ長く続けてほしい。

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執筆『刑事事件を起こした姪の今後がどうなるか心配です・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる5月号」

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民主主義が危うい…超官邸主導の現状について

一昨日自民党本部で、ジェラルド・カーティス氏の講演を聞く貴重な機会があった。日頃私自身も感じていることが明瞭な言葉になった思いである。氏は最近の政治構造について2つの重要な変化を挙げられる。1つは顕著な官邸主導であり、他の1つは野党の分散・弱体化である。官邸主導には本来、官僚に対する主導と与党に対する主導があるが、大事なのは後者のほうだ。そう、以前にも書いたが、従来慣行として機能していた与党の事前審査が形骸化の一途にあるのである。

たしかに議会制民主主義の本家イギリスでは、政府=与党であり、与党の重要メンバーがそのまま政府の要員になっている。政府の要員になれない軽量メンバーは党の事務やらその他に携わる。いわゆるバックベンチである。ところが日本では、衆目の一致する財務大臣適任者が財務大臣になり、外務大臣適任者が外務大臣になるといったシステムにはなっていない(そもそもそういう人がいるのか自体も疑わしいのであるが)。そうではなく、当選何回とか首相のお友達とか、はたまた総裁選の報奨人事だとかで、適性・能力・経験に関係なく大臣は選ばれている(まして副大臣・政務官などはまさに適当だ)。

つまり、そもそもがイギリスなどとシステムの異なる日本では、与党が適正に機能しなければ議会制民主主義は成り立たないのである。地元に直結した与党の各議員が地元の声を吸い上げ、それを政策に反映するという調整機能を果たすのでなければ、政府の独断に陥りやすいわけである。現に今問題になっている集団的自衛権にしても、与党内でも反対の声が多いはずなのに、ほとんど聞こえてはこない。政府外の与党議員は今や政府の意向に従い、ただ賛成の一票を投ずるだけのバックベンチに追いやられている感がある。おまけに野党も機能をしてない現状では、健全な民主主義に必要不可欠なチェックアンドバランスがまるで働かないということになる。その不幸を受けるのはもちろん国民である。

こうなった原因は中選挙区制から小選挙区制に変更したことが大きいとカーティス氏は言われる。まったくもって同感である。中選挙区制の下では同じ与党内の議員がライバルだ。そこには多大の緊張感があるし、選挙によって能力のない者は陶太されていく。ところが小選挙区制では、たとえ無能でも1人しかいないのだからそのまま当選し続けることになる。ことに世襲議員が増えるので、当然ながら小粒になっていく。

そもそも日本においては欧米のような二大政党制は機能する素地にない。例えばアメリカでは先祖伝来強固な共和党支持者、民主党支持者がそれぞれに一定割合いるので、風が吹いて振り子がどちらかに振れすぎるということはありえない。ところが、もともと階層の違いなどが明確に存在しない日本では強固な00党が存在せず、ちょっとした風によって投票先も振れるが故に、先般も民主党政権が誕生した。その政権運営があまりに稚拙であったがために振り子は自民党に戻り、これから長い間他に触れそうな気配もない。

イギリスの小選挙区制を見ると、選挙区候補者は定まっていない。例えば、労働党が政権を取るとして、政府要員になるメンバーについては労働党が強い選挙区が充てられ、バックベンチについては弱い選挙区が充てられる。そして、世襲は一切認めない。選挙に出るとすれば別の選挙区からしかありえないのだ。この選挙制度であれば小選挙区制を採ったからといって議員の質が悪くなることにはならない。小選挙区制導入論者たちはこうして、自分たちに都合の悪い現実からは目を背け(結果国民を欺いて)日本の現実にも土壌にも合わない選挙制度を導入したことになる。すでに20年が経ち、「政策は語れても政治を知らない若い議員が増えた」(同氏)。

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