島根女子大生殺人(死体遺棄)事件に思うこと

この事件が脳裏から離れたことはあまりなかった。バラバラになった遺体が発見された所が、私の生まれ故郷である広島だった故かもしれない。学生にも未検挙重大事件として必ず、世田谷の一家殺人事件とこの事件を挙げてきた(20歳やそこらの学生には記憶がないかもしれないのに)。凶悪犯人が必ずや検挙されて相応の刑罰を科せられる信賞必罰は、最も優れた防犯なのである。

本来であれば、犯人検挙は警察の手柄であるのに、今回は勝手が違った。7年前の10月26日夜、バイト帰りの女子大生が行方不明になり、おそらくはまもなく、首を絞められて殺され、遺体を風呂場でバラバラにされ、写真まで撮られたうえ、県境を超えた山に車で入って、埋められた。11月6日、遺体の一部発見。それを知って、周辺に居住していた33歳会社員の男は、もはや逃げられないと観念をしたのだろう。2日後、母親を同乗させた車で自損事故を起こし、共に死亡した。父親の墓参りの帰途だったという。

ネット報道によると、男は3つの強制わいせつ事件で懲役3年6月の実刑判決を受け、服役した前科があるという。性犯罪者の性的傾向は基本的に治らないし、むしろエスカレートしていく。小さい時からその性癖を知るはずの母親であれば当然、今回の事件で息子を疑ったはずである。2人の間にどのような会話が交わされたのか知る由もないが、母親は息子の犯行を確信し、揃って父親の墓に参って詫び、心中したのではなかろうか。そのまま生きていてもそこは地獄であり、死ぬほうがうんと楽である。

しかし、なんという結末であろう。遺族はなんと気の毒なことだろう。せめて犯人が逮捕されれば、恨みつらみをぶつけることも出来た。犯人はおろかその両親も亡いとあっては、恨みの矛先すらないのである。弟がいるらしいが(何でも簡単に書き込まれ、知られてしまうネット社会は実に怖い。)、弟にぶつけても空しいだけであろう。かつては犯人に対して損害賠償を請求する民事訴訟を起こせば刑事事件の記録が閲覧できるので、そのためだけにでも訴訟を起こす遺族はいたが、犯罪被害者の権利が拡張された今、関係者はそんなことをしなくても刑事記録を見せてもらえる。

翻って、遺族がなぜ記録を見たいか? それは、犯人の供述などにより、真相を知る手がかりが得られるからである。娘はなぜ殺されなければならなかったのか。どうやって殺害されたのか。追体験することは死ぬほどに辛い作業だが、理由なく残忍に殺された娘の痛苦を自らも体験することなしに慰謝はできず、これは避けて通れない儀式のようなものなのだ。しかし‥犯人死亡によって、その最低限の要求さえ、永久に叶わない。

遺族の悲痛な叫びが聞こえてくる。彼女は将来の確かな夢をもって、四国からわざわざ島根の大学に行ったのである。もしその大学を勧めた人がいたとしたら、ずっと悔やむであろう。かつて、美人の娘を外国人にレイプ殺人された母親は、「娘は東京の大学に行きたがっていた。それを止めた私のせいだ」と自らを責め続けていた。両親、ことに母親にとって、子供の死は自らの死に等しい。「ずっと時計が止まったまま‥娘のことが片時も頭から離れない‥笑ったら苦しんで死んだ娘に申し訳がない」‥それが被害者遺族なのである。

よく誤解されていて悔しいのだが、弁護士の大多数は、一般国民と同様、死刑存置論者である。であるのに、弁護士会は、東京から離れた地方で総会を開き、圧倒的多数で死刑廃止決議を強行した。その方たちに、質問をしたい。もし貴方の娘がこういう非道な死を遂げても、貴方は本当に死刑を望まないのですか。無期懲役刑で良いのですか? 無期懲役刑であれば20年も真面目に服役していれば仮釈放がありますよ。貴方たちが死刑の代わりに導入をと言っている終身刑だって、生きていれば本も読めるし、それなりの人生を楽しむことができますよ。片や、何の落ち度もなく、突然に命を奪われ、遺体さえばらばらにされて捨てられた被害者の立場。それはあまりに公平を欠くバランスなのではありませんか?

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今年を振り返って、思うこと

国際的に激動の2016年でした。イギリスのEU離脱、トランプ大統領誕生(件の3州での投票数え直しは、第3党の申し立てなので訴えの利益なしとして?裁判所は手続きを進めていないらしい)、そして韓国大統領の弾劾可決(憲法裁判所での承認を残すが、覆ることはないと思う)…まさかということが立て続けに起こるものだ。まさに、事実は小説より奇なり。

2度あることは3度ある。たぶんこの後ももっと起こるのではないか。なぜならば、これら事象はばらばらに偶然起こっているわけではなく、共通の背景があると見られるからである。ずばり、貧富の格差。経済はまさに政治を動かす中核である。そもそも恵まれている人は、国や社会にさしたる不満を持たないものである。犯罪、しかり。日本はまだそれほど貧富の格差が際だっておらず、犯罪も幸い少ないままだが、非正規社員も増えて経済も縮小しており、決して安泰ではないと思う。

先週軽い風邪を引き、当面の予定のみこなしていたら(忘年会シーズンである)、未処理のものがついつい溜まっていた。今日それを1つ1つ点検して、廃棄するなりファイリングするなりしたら、片付いてずいぶん気持ちが良い。事務所はいつもたいてい綺麗に整理をしているが、家はそうはいかない。だが最近必要があって片付けを始めたら、なかなか爽快で、この際すべての片付けをしたいと思うようになった。それは結局のところ、要らない物を処分することである。捨てる!と決める際はかなり勇気が要るが、あとで「あれ、捨てなけりゃ良かった…」と後悔することは稀である。実際、着る服も読む本も使う食器もお気に入りに限られるのだし、もっとシンプルに暮らすべきだと思うようになった。もっとも皆がそんな風に思えば、デパートの売上げも消費も落ち込んでしまうのだが(笑)。

ネットで昨日、その昔大ブレークをした「愛と死をみつめて」を見つけた。東京オリンピックの年だったそうだ。懐かしい。往復400もの書簡集は大ベストセラーになり、主題歌はレコード大賞を受賞、吉永小百合と浜田光夫主演で映画にもなった。大島みち子さんは兵庫県の西脇出身、顔の軟骨肉腫という難病を患い、同志社大学に入学したものの、顔左半分を失う手術を受け、21歳の若さで亡くなった。その絶筆(以下、大意)「神様、病院外の3日を下さい。1日目は家に帰り、祖父の肩を叩き、母と台所に立って美味しい食事を作り、皆で楽しく食卓を囲みたい。2日目はマコ(往復書簡の相手の河野実さん)の家に行って、掃除をし、ワイシャツにアイロンをかけ、美味しい食事を作ってあげたい。3日目は1人、その思い出に浸って、感謝をしながら永遠の眠りに就きたい…」。

決して叶わなかった望みは、誰もが送っている日常の毎日である。そのことにいちいち満足し、まして感謝などすることがないのに、はっと気づかされる。世界を見れば、彼女のように難病に苦しむ人も、戦闘や爆撃下の人も、餓えてひもじい日々を送る人もたくさんいるというのに、だ。平穏な毎日に心からの感謝をしなければ、今にきっと罰が当たりそうな気がしてしまう。

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トランプ大統領誕生に思うこと

劇的な投票日から,早や20日が経過した。この間に政権移行チームが発足し,安倍首相においては世界中で初の会談を実現させた。市場が予期した円高・株安はなぜだか起こっていないが,これは嵐の前の静けさ,なのだろうか。もちろんアメリカ本土ではあちこちで,トランプ反対のデモが続いているのではあるが。

本当に,トランプ大統領は実現するのだろうか? トランプ候補は,選挙人獲得数でこそ過半数の270人を超えたが,得票数はヒラリーのほうが100万票上回っていた。実は選挙の集計はまだ終わっておらず(!?)最終的には200万票近く上回る見込みだという。得票数で勝って選挙人数で負けたのは,16年前,まさにビル・クリントン氏副大統領だったゴア氏が共和党ジョージ・ブッシュ氏に敗北した時がそうだった。フロリダ州の集計疑惑は裁判所でも争われたが,結局ゴア氏は敗北を認めた。かの9.11事件は,大統領がキリスト教原理主義者のブッシュ氏だったからこそ起きたとも言われ,選挙戦がアメリカのみならず世界の運命を大きく変えたことになる。

今回,そもそもの集計に不正があったとの報道があったが,敗北宣言を出しているヒラリーではなく第3の党が資金を大幅に募って,再集計を申し立てたという。ウィスコンシン,ペンシルベニア,ミシガン…すべてトランプが選挙人を丸取りした大票田である。再集計の結果,もしヒラリー票が1票でも多いとなったら,トランプ勝利は覆ることになろう。となると今度はトランプ派が黙って引き下がるわけはないから,アメリカではまたまた大きな分断が起きることになる。

加えて,12月19日の本選挙において,選挙人が寝返るというシナリオも消えない。そもそもヒラリーのほうが得票数が多いのに選挙制度がおかしいと,各選挙人が自らの良心にのっとって,トランプと書くべきなのにヒラリーと書いたり,あるいは白紙で出したら,どうなるだろうか。当該結果は下院に持ち込まれるらしく,下院は共和党優勢なので,それでもやっぱりトランプを選ぶだろうか。いや,共和党内でもトランプは異端だから,ヒラリーになるのだろうか。選挙後にもなおこれほどの不安定さを残す大統領選も珍しいことである。

個人的にはトランプ大統領がもし実現しないことになれば,大変に喜ばしいことだと思っている。政権移行チームに家族を3人も入れたり,自らの住居に首相を招聘して家族が同席したり,その公私混同は発展途上国の独裁者さながらである。トランプ氏には公務政務の経験が皆無で,ビジネス,つまりはお金儲けしかやってこなかった。その方法も家族ビジネスだから,どんな時にも信頼の出来る家族を入れるのは彼にとっては当然なのだろう。国政はもちろん,外交や防衛といった国際政治のイロハをまるで知らない傍若無人のビジネスマン,その人に核兵器のボタンを委ねるのは,とてもとてもこわいことである。

民主主義は常に衆愚政治に陥る危険のある政治形態である。つまりは,教養のある人もない人も,税金を納めている人もいない人も,国を考える人も考えない人も,自分のことしか考えない人もそうでない人も,すべてが平等に一票である。選挙戦中,何がどうあれ結局は良識ある人はヒラリーに入れるからトランプ当選なんてありえないよねと言い合っていたのが,脆くも崩れ去った。職を奪われその日の生活にも事欠く白人層の不満の声をトランプ氏はきれいに掬い上げたのだと言われている。ヒラリーが格調高い敗北宣言で指摘したように,この選挙は,アメリカの分断が想像以上に深いことを露呈した。誰が大統領であろうとも,それを修復していくことは至難の業である。

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『夫の不動産を相続しました。金融資産はもらえないのでしょうか』

自由民主党月刊女性誌「りぶる12月号」

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有吉佐和子原作の芝居『三婆』を見て

お芝居を見るのは久しぶり。昔読んだ原作は短編だが、とても面白かった。旦那が急に亡くなって後の本妻、妾、妹を巡るバトルの話である。配役は、本妻大竹しのぶ、妾キムラ緑子、妹渡辺えり。どれも非常に巧い役者なので、楽しみにしていた。

結論から言うと、非常によく出来た脚本と舞台装置であり、演技はどの人も素晴らしかった。ただ、時に「演技の天才」とも言われる大竹しのぶの声量のなさにはいささか驚いた。新橋演舞場のほぼ真ん中の席でこれだったら、後方や2・3階席には聞こえただろうか。片や、キムラも渡辺も、よく通る声を腹から出しているので、聞き苦しさなどまるでない。そうか、2人とも劇団出身だ。発声の基礎がよく出来ているのは宝塚出身者も同じである。

3人はいずれも60歳の設定だが「婆」、つまり当時は立派な老人であった。どの人にも子供がいない。夫の死後妾と妹が本妻宅に押し掛けてきて、バトルが繰り広げられ、しかし結局本妻も1人になるのは寂しいからと折れて、奇妙な同居が続く。20年後、80歳になった3人は同じ所で同じように暮らしている‥。この小説は、老人の将来・孤独を確実に予見したものであったろうし、また疑似家族を描いているという点で非常に新しかったと思われる。かつて亡夫の忠実な部下であった重介(段田安則:好演)は、故郷の鳥取に帰り娘の嫁ぎ先で暮らすと帰ったものの邪険にされて家を出、結局この3人と一緒に住んでいるのであるから、本当の家族よりも近しいのである。

しかし、見ながら、いくつかの疑問が出てくる。一番は「この家の名義は?」 昭和55年の民法改正以前は、夫婦に子供がない場合、法定相続分は妻3分の2対妹3分の1であった(今は妻4分の3対妹4分の1)。つまり、妹が遺産分割協議書にサインをしない限り、妻は家を自らの単独名義にはできない。しかるに、妹は「この家は私のものだ。唯一血を分けた私のものだ」と折に触れて叫んでいる! つまり、名義は亡夫のままであろう。それでも固定資産税は払っていけばよいだけだが、そのままでは売却はできない。であるので、回りはすべてマンションになっているのに、古くなる一方の家屋に住み続けているのだろうか? 最初の頃、本妻が妹を厄介払いにしようと老人ホーム入所契約を勝手に結んできたのだが、ありえない! 成年後見はもちろん当時なかったし、今でも、妹には意思能力があるのだから勝手に成年後見には付せないし、従って勝手にそんな契約を結ぶことはできない。

ところで、昨日のブログ(その2)の真相。再捜査の公表について、FBIのコミー長官は、司法省から大統領選前を理由に止められたのだが、内部の反クリントン派がトランプ氏支持のジュリアーニ元ニューヨーク市長に、捜査情報を提供。同氏が再捜査発表の2日前に「近々ヒラリーに関して爆弾が破裂する」旨表明した(これは知っていた)ため、結局長官は公表せざるをえなくなったということであるらしい。捜査はすべからく守秘義務を伴う。FBI職員の違反は明らかだし、捜査という最大級の公務と個人の政治嗜好が絡み合うなど日本では考えられないことである。

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