夫婦別姓賛成論(2010年の古い原稿ですが,状況変わらず)

私の夫婦別姓論──「日本の論点」2010年(文藝春秋編)

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『婚約者の男性が投資物件のオーナーだったのですが・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる10月号」

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皇室も永田町もメチャクチャである…

当ブログでもしつこいほど非難してきたが、眞子さん、今年中に小室と結婚し、アメリカに行くそうである。納采の儀はもちろん、結婚式もしない(もっとも小室家には使者がいないので納采の儀は出来なかったし、帝国ホテルでの!結婚式などするお金もなかった)。規模はともあれ、一般家庭でも結婚式くらいは普通するのに、皇女たるもの歴史に残る大汚点である。1億4000万円だかの結婚一時金を辞退の方向と言っているが、小室母子がそれに納得するはずもなし、支給する旨議決されたので云々、で結局のところ貰っていくのではないかと思っている。

いずれにしても、まさか大事な娘を飢えさせはしないだろうから、秋篠宮家では非公式にお金は送り続けるのであろう。小室母子、してやったりである。小室母にはもともと詐欺疑惑その他満載のところにもって、最近でも労災保険詐取疑惑などが持ち上がっている。検察庁にいたのでその種の人も扱ってはきたが、一般社会には普通はいない人であり、規範意識が根本的に欠如しているというほかはない。そんな母親の遺伝及びそうした環境下で育てられた息子がどのようなものか、これまでもいろいろな事実によって証明されてきたように思うのだが。普通の人(家)であればこれまで続々出てきた疑惑のうちの一つだけでも十分引くだろうに、それがどうした?!という感じなのだ。こうなると、本人たちにも、普通にあるべき規範意識が欠如しているとしか考えられない。

庶民でもほぼ引く、こんな結婚を裁可したのは上皇である。もともと身辺調査さえしなかったお粗末さはいうまでもないが、婚約破棄が出来うる事実が次から次に露わになった以上、この裁可は当然取り消されるべきだった。しかし天皇も、見るからに我関せずである。こわい。事は秋篠宮家の失態に留まり、その娘が不幸になるだけ、では済まないのだ。秋篠宮は次の天皇だし、その息子はその次の天皇である。この一家は尊敬できない、なんていうような生やさしいものではなく、皇室なんて要らない!という声が大きくなってくるのは必定だ。ただでさえメンバーが少なくなり、男子が絶えることが必至な皇室にあって、子供を正しく教育し、皇室の繁栄を図るという指針が全く取られていなかったことに、改めて大きなショックを覚える。

さて、悪あがき一辺倒だった菅さんが今日ようやく白旗を揚げたとの報道が流れ、それを知らせてくれるメールも何通か届いた。とにかく8月下旬以降、「殿、ご乱心!」の事態に永田町は引っかき回されていた。前にも書いたが、総裁選なしでの再選を画策していた菅首相だが(党員による地方選では秋田や神奈川ですら勝てない…)、上がり目はなく、総裁選は実施すると(嫌々ながらも)いったんは決めた。いわく、9月17日告示、29日投開票と。でいながら8月30日には「10月21日衆院議員任期満了だから、10月5日公示、17日総選挙実施(任期満了の場合はその1ヶ月前以内に総選挙を実施すると公職選挙法にある)」との報道が巡るに至る。ありえない! なぜならば9月29日に選ばれた新総裁は国会で首班指名を受けなければ総理になれない。そして組閣するのだから10月5日公示では短すぎてとうてい無理なのだ。この日程は、自分が再選されるとの前提でなければ成り立たない。

岸田さんの公約(自民党人事は3年限度)に触発されて、二階幹事長を変えると言い出したのは、新幹事長に石破ないし小泉といった人気者を当てて浮揚を図ろうとしたのである。だが、新総裁にはお払い箱にされる幹事長職に就く者などいない。悪あがきの末、総裁選の前に衆院解散総選挙をするとの破れかぶれ?案が9月1日には流布したが、すぐに撤回。そんなことをしたら自民党はインチキ政党になってしまい、大敗北は必至である。その他の党役員人事(ついでに内閣改造まで)を目指そうとして、今日自民党総務会で拒否され、総裁選出馬断念となったのだ。結論はいいが、パラリンピック閉会式を待っての6日発表にして欲しかった。立つ鳥跡を濁さず、人間引き際が肝心だ。いくら良いことをやっても最後が悪いとその印象しか残らない。

振り返って、己が総理になる道は本来なかったはずである。内閣ナンバー2(官房長官)としてはよくやれていた。有能だろうと思っていた。昨年9月、安倍さんが総裁任期1年を残して急に辞めたことにより、たまたま回ってきた総裁総理のポストであった。このときの支持率はびっくりするほど高く、そのときに解散を打っていれば大勝し、衆院任期はそれ以後4年あったのだ。なぜそうしなかったのだろう。自ら解散して総選挙に勝利した者と、ただ後任である者とでは、影響力その他全く違うのである。それくらいは長らく永田町にいれば当然分かっていたはずなのだ。

以来1年間、プレゼン能力の欠如などが露呈し出す。外国に出すのは恥ずかしいよなあと多くの人が思い出す。もちろん、誰がやっても、コロナ禍対策は難しかったであろう(非難している野党自身もそのことはおそらく分かっていると思われる)。それでも、現実には失敗しているのだから、謙虚に受け止め、再選など狙わなかったら、こんな無様な結果にはならなかっただろう。8月22日実施の横浜市長選は菅首相不信任投票の体を呈していた。自らの選挙区ですら自民党候補が勝った所は皆無であり、万遍なく野党の無名候補に大敗した。どんな立場であれ、人間、己が見えないのはとても悲しいことである。

岸田さん高市さん、他に誰か出るのだろうか。きっちりと政策論争をして、国及び国民にとって、良い総理が選ばれることを願っている。

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工藤会トップに死刑判決!!

24日、日本の刑事裁判で画期的な判決が、福岡地裁で言い渡された。北九州市の暴力団工藤会は、一般市民までをも容赦なく狙う凶悪さで知られ、全国で唯一、特定危険指定暴力団(暴力団対策法)に指定済みである。そのトップ野村悟総裁(74歳)とナンバー2田上不美夫会長(65歳)が2014年逮捕され、以来7年が経つ(勾留中のままである)。

起訴事実は4件。1998年の元漁協組合長射殺(殺人)、2012年の元福岡県警警部銃撃、13年の看護師襲撃、14年の歯科医襲撃(いずれも「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」(2000年施行)違反)である。98年殺人が一番重く、その実行犯についてはすでに無期懲役判決が出ている。両被告については彼ら実行犯との共謀があったか否かが争点となる(いわゆる共謀共同正犯である)。

組織による大がかりな殺人といえば、1995年のオウム事件である。サリンを捲くなどの実行犯のうち1人が、良心の呵責に耐えかねて、麻原の指示を自供した。麻原は最初から最後まで自分は知らないと否認したが、絶対権力を握るトップであり、彼の指示・認容なしに配下は決して勝手には動かないことを認定されて(そんなことをしたら自分たちがポアされてしまう)、04年死刑判決が下された(すでに執行済み)。オウム事件との違いは、各実行役が両被告の指示を供述・証言していないことである。つまり直接証拠がない。

実行役にしてみれば、どうせ自分たちは刑務所に行くのだし(もともと覚悟の上である)、トップを巻き込んだとて情状酌量になるはずもない。どころか、そんなことをしたら組からの報復が怖い。家族もいるのだ。大体、こうした場合の弁護人は組から付けられるので、万が一この際洗いざらい喋って堅気になろうと決意をしたとして、弁護人から「そんなことをしたら家族も怖い目に遭う。決して言わないように」と口止めをされるくらいなものである。

捜査を尽くして起訴をし、そして有罪を得るために公判遂行をしていく過程で、関係者一同それぞれに大変な苦労をされたことは、想像に難くない。工藤会の上意下達の組織性及び漁協関連の利権を巡るトラブル(犯罪の動機)を、極めて多数の証人尋問(別室で実施することができる)を通して丁寧に構築していった。そして「両被告が意思疎通をしたうえで、野村被告が意思決定したと推認できる」とし、求刑通り野村被告に死刑、田上被告に無期懲役を言い渡したのである(98年殺人だけでこの量刑を認定できる)。

まずは警察のご苦労は察して余りある。まずもって暴力団に関してはその被害者も一般人も、報復が怖くて警察への協力を躊躇する傾向がある。ましてや工藤会は、一般人でも企業でも警察でも、邪魔者は消せ、頭に来たからやれ、といった危険極まりない集団なのである。福岡警察は威信をかけて、工藤会壊滅に向けて「頂上作戦」を展開して、ついに両被告を逮捕。並行して組織の切り崩しも進められた。組員に離脱を呼びかけて就労を支援。県内の組員(準構成員を含む)は20年末に計430人と、ピークの08年末から6割以上減り過去最少になった(山口組と比べると10分の1以下の規模である)。北九州市の本部事務所は解体済みだそうだ。警察の本気度、実行力が市民の協力を高めることに繋がったといえよう。

暴力団対策法に加えて、ここ数年暴力団排除条例が各地で出来て、暴力団員が普通に生活するのはなかなか難しくなっている。生計の基本であったはずのみかじめ料とかしょば代とか取りにくくなっているし(市民も応じなくなった)、辞めて堅気に戻ろうよとの支援も警察が絡んで進めている。暴力団事務所の建設反対とか、暴力団員にこれこれの被害を被ったので、そのトップに使用者責任を問う民事訴訟も普通に起こされるようになった。判決も認めている。しかししょせん金で済む民事事件と違って、刑事事件でこれだけの責任を科すことができるとしたことの効果は計り知れない。

野村被告は、判決言渡し終了後態度を一変。裁判長に対し、「公正な判断をお願いしたんだけど」「あんた、生涯後悔するぞ」と威嚇し怒声を浴びせたという。田上被告も「ひどいなあんた」と言い放ったそうである。裁判長は東京高裁に異動済みであるが、この言い渡しのために出張してきたという。弁護人は(本心はどうか知らないが)被告らに「疑わしきは被告人の利益に。無罪が言い渡されるはず」と言っていたのではないか? 正義感のある真っ当な裁判長(2人の裁判官も)で、本当に良かった。全体像を考えず、細かい所に囚われて結局「無罪」を導き出す裁判官もいるはずなのだ。もし万が一無罪なんてことになったら…ああ、想像するだけで恐ろしい。警察の長い努力も一瞬でおじゃんである。裁判官は絶大な権力者であることを改めて思う。

彼らに報復をするだけの組織力があるかどうかは分からないが、その恐れはこれからずっとつきまとうはずである。家族もいるし心配なことであろう。警視庁がきちんと保護してくれることを切に願っている。裁判官へのテロは日本ではこれまで起こったことがないが(検察官へのテロもない)もしそんなことが起こったら、民主主義社会に対するとてつもないダメージとなる。

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東京3弁護士会主催「模擬評議」、大変勉強になりました!

この土日(8月21・22日)、各午前9時?午後5時のズーム配信で、裁判員裁判の模擬裁判・評議が実施された。模擬裁判についてはこれまで弁護士会に行って受講したことはあるが、ズーム配信受講は初めてである(コロナの影響でほぼすべての研修会はズームとなり、非常に助かっている)。期待はあまりしていなかったのだが、今回はまさに「目から鱗」! ちなみに裁判官も検察官も現職だ(裁判長は担当してもらったことがあり、よく知っている)。弁護人ももちろん本当の弁護士である。裁判員6人はどうやって選んだのかは知らないが、一般の人であるらしい。

これまで取り上げられた事案とは違い、今回は初めて「公訴事実に争いのある事案」(傷害致死事件)であった(従来は量刑判断が中心となる事案ばかり)。被告人40歳前男性は180センチ弱、80キロ位。夜、会社からの帰り、人通りのある道で酒に酔っている被害者68歳、162センチ、60キロ男性から、被告人の自転車が当たったことから?絡まれて、殴られ?かっときて顔面を殴ったところ、被害者が転倒して鼾をかき出した。救急車を呼んでもらい救急搬送されたが、翌日死亡。目撃者は、新聞を見て名乗り出てきた男性が一人。視力は1.5だがじっとその場で見ていたわけではない。

弁護人は冒頭から、正当防衛だとして無罪を主張。各証拠調べの後、証人尋問と被告人質問が実施された(裁判員がなかなか良い質問をしている)。被告人は「(自分も逮捕勾留されて会社を首になりそうになったし)遺族には謝るつもりがない」。遺族(娘)は、被害者陳述(尋問ではないので証拠にはならない)において、「父に育ててもらった。唯一の家族。父は動物にまで優しかった。それを被告人に、さも暴力的な人間であるかのように言われて、許せない。死刑を望む」と陳述した。論告で検察は、量刑相場から「懲役6年」を求刑。弁護人は「被害者から顔を何度も殴られたりして(もっとも、翌日接見して被告人の手の写真を撮りながら、顔面は撮っていないので、その跡はなかったと思われる)、最後、防衛のために顔面を1回殴っただけである。その結果相手が死んでしまったら傷害致死として有罪になるのであれば、裁判員の皆さんも怖いでしょう」といったことを、冷静沈着に述べた。そもそも正当防衛が成立しないことは被告人ではなく検察官が立証責任を負うことであり、それが立証できなければ「疑わしきは被告人の利益に」。それが裁判の鉄則であると。その通りである。

さて土曜の午後2時15分以降、続く日曜は丸々評議である。実際の評議は公開されないので、どんな評議が行われているのか想像でしかないのだが、現職の裁判官が仕切っているので実際このように行われているのだろう。最初に裁判長が各裁判員に感想を聞いたところ、正当防衛は成立しない、との意見が多数であった。もっとも正当防衛(刑法36条)がどのような場合に成立するかについての説明は、少なくとも法廷ではなされていなかったし(そんな講義をしていたら時間がいくらあっても足りない)、素人なので刑法の正しい理解に基づいているとも思えなかったが、被告人は処罰されるべきだというのが一般人の常識的見解のように思われた。

評議のほとんどが事実認定に費やされた。それぞれに的確な意見が出て、皆さん実によく見て、真面目に考えているものだと感心させられた(たまたま知的に優れた人ばかりを選んでいないか?)。速記録も出ていないのに、証人の供述も細かく正しく手控えをされておられた。これだけ多角的な意見が出てくるのならば、3人の裁判官だけで評議するよりよほど良いのではないか? そして最後、それぞれの意見を聞くと、やはり「正当防衛は成立しない」との意見であった。明らかな体格差がある、被告人は逃げようと思えば逃げられた、防衛するためにならば顔面は狙わず顔から下を狙う…等々(どれもその通りである)。うち2人が「過剰防衛」(刑法36条2項)だと(うーん、これを言い出すと、本当は刑法を正しく理解していてもらわないといけないのだが)。情状を汲んでやるべきだとも。量刑判断まで行かなかったので、結論としてどのような量刑になったのか非常に興味のあるところである(実際の事件をモデルにしているはずなので、実際の量刑がどうなったのか)。

執行猶予が付くためには懲役3年以下の量刑でなければならない(刑法25条)。そうなるためには求刑の半分にする必要があるが、なかなかハードルが高い(求刑の半分になり執行猶予がつけば、検察官は量刑不当であるとして控訴する)。正当防衛(無罪)主張→遺族にも謝らない(もちろん金銭支払いはゼロ)は、被告人自身の発案なのであろうか?そうではなく、弁護人がそう導いたのではないだろうか?その結果反省の色がないとして求刑は高くなるし、その結果執行猶予が付かないことになれば、不利益は被告人が背負うことになる。弁護人としては、一般人が裁判(事実認定)をすることを考えればよけいに、一般人の考えそうなことを思いやり、理論だけで押し通すことは避けるべきである。急に不正な侵害を受けた者は臆病である必要はなく、逃げられたとしても逃げなくて応戦してもよい…と刑法の教科書には書いてはあるが、裁くのは専門家である裁判官だけではないのである(3対6で一般人が数で勝るのだ)。一般人は、仮に自分がその立場ならば、と考える。普通の人は暴力反対だから、逃げるよね、仕方がなかったとしても顔面は狙わないよね、と。

裁判員裁判が始まってから弁護士会研修でよく言われることだが、我々専門家の間では通じていたことが通じないと。例えば「被告人は若いので軽い刑罰が相当」というのは、「若くてこんなに悪いことをしているのならば悪性は進んでおり、もっと悪いことをするだろう(だから厳しい刑で臨むべき)」と考える。「被告人は過酷な環境で育ったので情状を汲み、軽い刑罰相当」というのは、「周りにやっぱり過酷な環境で育った人はいるが、だからといって犯罪には走らず、真面目にやっている(そんなことまるで言い訳にはならない)」となる。いちいちご尤もである。

今回の研修には大変感心したので、社会部記者の友人に教えたところ、「そうなのです、一般人の生活感覚は大事です」と言い、「暴れる子供を止めようとして教師が暴力を振るったのを体罰禁止の趣旨で書いたら、クレームがたくさん来た」とのこと。「あのね、それこそ正当防衛であり、教師の暴力は、程度さえ超えなければ違法性を阻却しますよ(自身だけではなく、周りの人たちを守る場合も同じように成立する)」と呆れた。教師が手をこまねいて学校内の暴力を止められなかったらそれこそ職務怠慢であろう。記者は一般人ではないのだから、ちゃんと法律も勉強してほしいものである(友人は一流大学の法学部を出ているが、心許ない…)。

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