京都府小学生事件、養父逮捕に思うこと

 事件が起こったのは3月23日卒業式の朝だった。父親(養父)の車で9キロ離れた小学校に向かったはずの小5男児が学校に現れず、学校から正午前にその旨の連絡が入り、父親が110番通報をしたのが発端だった。午前8時頃、父親の車が学校から150メートル程離れた駐車場にあったことは防犯カメラに映っているが、男児が降りた形跡がない。それはたまたま死角だったからか? しかし保護者や子供達が行き交うその時間帯・場所で、男児を見かけた人は誰も居ない。もちろん学校内の防犯カメラにも映っていない。父親車のドライブレコーダーは当日切られていたという(なんで?)。児童は携帯を持参せず、位置情報も作動しない…。

 児童は降車後誰かに連れ去られたり、自ら失踪したわけではなく、そもそも学校に行っていないのではないか? と誰もが思う。そのミステリー性のために、連日マスコミはこの報道に明け暮れた。23日(月)の前は3連休で、19日(木)には彼は登校していた。彼の姿を最後に見たのは誰で、それはいつ、どこでだったのか? 23日の時点ではもう遺体になっていて、それは隠されていたのではないか? そのことを隠蔽するために、もういない子供を連れて行ったことにして(そもそもいつもはスクールバスに乗っていたのだ)事件に巻き込まれたことにしようと考えたのではないか? そんな浅知恵などすぐにばれるのに…。いずれにしても父親が「犯人」だと皆が思っていたが、名誉毀損や誹謗中傷と言われることを恐れて、口にはしなかった。

 その6日後の3月29日、児童が携行していた黄色のランリュックが、学校から西側の山道で見つかった。そこは消防や警察などが3度も捜索して見つからなかったのを、親族が見つけたというのである(親族が共犯か?)。4月13日には別の所から男児が履いていたスニーカーが見つかり、そして翌14日には遺体が見つかった。埋めたり隠されていた形跡がなく、その少し前に通りかかった人たちは気づかなかったというから、どこか別の場所から移したのだろうとは思っていたが、警察発表によると、何度も移していたのだという。そんな話はあまり聞いたことがない。発覚の危険も高まるし、自らにも証拠が残ったりするからだ。ランリュック、スニーカー、そして遺体と、犯人がかなりパニックっていた証左なのではあろう。

 同じく警察発表によると、児童は23日当日朝には生存していたという。自宅内に防犯カメラがあるとは思えないから、母親や祖母など家族の供述からであろうか。となると、父親は児童を車に乗せはしたのであろうか(母や祖母は見送った…)。そして学校に向かう途中で何か言い争いがあり、首を絞めるか何かして殺害したのであろうか。そして何食わぬ顔をして家に帰り、その途中のどこかに遺体を隠したのだろうか? 気になるのは、当日の朝父親が勤務先に「家にゴタゴタがあって今日は休む」と電話をしたことである。それはそれら行為のいつの時点だったのだろうか? もちろんこれら事実は追々、出てくることである。死体遺棄容疑で逮捕されて20日間勾留、満期に処分保留で釈放して殺人容疑で再逮捕してまた20日間勾留、最後合わせて起訴をするというのは通常の手続きである。

 何か口論をして殺害にまで至るというのは、普通にあることではないので、もともと殺意に似た感情を養子に対して持っていたのであろう。そんな男が母親の再婚相手としてやってきた。戸籍上は昨年12月で、養子縁組も同時になされたのであろう(こうした場合、家裁の許可は不要である)。二人は勤務先が同じで、数年前から付き合っていたとの話もある。男にとって連れ子はおそらくは邪魔な存在であり、児童にとっては母親を奪う嫌な奴であり、居心地の悪い家庭であったことだろう。子供は親を選べない。環境も選べない。どれほど嫌な親でも我慢するしかないのである。大人同士であれば、通り魔や無差別殺人でない限り、被害者にも何らかの落ち度はある。それが情状酌量となりうるが、保護者対子供の場合は、100%保護者に非がある。保護者は子供を監護し保護すべき立場にあるのである。

 30年程前だろうか、カリフォルニアで子供を殺害した日本人女性の裁判があった。判決が死刑だったことからずいぶん話題になった(アメリカはまだ半数の州が死刑を残す)。子殺しでそれは重すぎると日本人からの嘆願がずいぶんあったそうである。だが、欧米のキリスト教国家において、子供は親の所有物ではない。神から養育を託された存在なのである。その信頼を裏切ったわけだから、他人を殺害するより遙かに重いのは当然だというのだ。ところが日本では、子殺しは他人殺害よりずっとか軽い。育児ノイローゼだったりすると、執行猶予がつくのは当たり前、極端な話、起訴猶予になることもある(さすがに昨今はさほど軽くはないだろうが)。その理由について同僚検事らで話し合ったことがある。日本では、子供は我が身と同じであり、つまり子殺しは究極自分殺しだからだと言う某検事の見解で締め括られた。本件は実の子ではないし、全くこれは当て嵌まらず、普通の事件よりずっと重く処罰されるべきである。

 日頃の虐待のことについてはまだ分かっていないが、一般に虐待による子殺しは枚挙に暇が無い程起こっている。保護責任者遺棄致死罪ないし殺人罪。養父や義父に限らず実父の場合も珍しくはない。我が子が虐待されているのに、まさか荷担はしないまでも、見て見ぬ振りをし助けもしない母親は多い。男のほうが我が子より大事なのである。子供はどれほど悲惨な気持ちであるだろう。彼もまた、これから余りある将来があったのに、自らは全く非がないのに、保護されるべき親に殺害された挙げ句、すぐに弔われるどころか何度も隠匿場所を変えられたのだ。その無念さには形容しがたいものがある。合掌。今後こうした事件が起こらないようにするには、どうすればよいのだろうか。

 

カテゴリー: 最近思うこと パーマリンク