天候不順の毎日…、安倍さん襲撃死に思うこと

前回から1ヶ月以上経過していた。最近、公私ともに何かとやることがあり、3連休真ん中の今日は朝から事務所に出ている。夜もよく入るし、週末も何やかやと入る。気温が日替わりで10度位も変動するので、着る物も夜具も温度調節も変わり、以前ならばてきめんに風邪を引いていたと思うが、コロナ対策の嗽・手洗い・マスクの効果故なのか、大丈夫である。この商売(というか何であれそうだろうが)健康でないと頭も働かない。時間をかけさえすれば何とかなるということは全くないので、健康維持がまずは欠かせない。

6月下旬以降いやに猛暑が続くし雨も降らない、梅雨明け?まさかね、例年7月20日頃だからいくらなんでも早すぎると思っていたら、だいぶ経ってその旨の気象庁発表があった。このままお盆過ぎ(近年は9月一杯くらい)まで猛暑が続くんだなあと覚悟していたら、この1週間ほど気温が下がり、雨模様である。雨不足は困るので、雨は有り難いけれど、梅雨の「しとしと」はもはや死語状態。時にバケツをひっくり返したような土砂降りになったりもする。地域によっては川が決壊したりして、大災害である。まさに災害列島──地球温暖化で、日本も亜熱帯気候になって、久しい。たぶん地球が悲鳴を挙げているのだろうなあと感じることがある。

7月8日昼間、奈良で安倍さん襲撃事件が起こる。銃で撃たれ心肺停止とのテロップが流れたとき、とても現実のものとは思えなかった。だがまもなく悲しいことには現実となり、すでに10日近くが経った。芝の増上寺で葬儀が行われ、世界中から弔意弔問があり、自民党本部では献花記帳の長い列が雨の中延々と続いたそうである。15日(金)午後5時まででは、私は行けなかったが、ご冥福を心より祈っている。享年67歳。早生まれの私と同学年である。お父上と同じ享年だったと後で知ったが、誰かによって突然に命を奪われるほど無念な死はない。

日本は、平和と安全が一番の売りである。銃が厳しく規制されているこの国で、よりにもよってその銃で(手製銃であった)、白昼の人通りの多い駅前で、選挙演説中に背後から易々と近づかれ、至近距離で20発も撃たれ、ほぼ即死の致命傷を負った。ありえない現実が惹起したことには、いくつかの偶然が重なっている。まずは安倍さんに強い殺意を持つ人間がいたこと(後述)。たまたま急遽、犯人の住む奈良に選挙遊説で来訪したこと(当初長野の予定だったが、長野の候補者に不倫の文春砲が出たために変更になったのだ)、普通は遊説者の背後には選挙カーがあったりするのだが、道路事情のせいで(?)何もなく、がら空きだったこと(前方の聴衆も数十人程度であったらしい)。そしてSP(警視庁から2人ついてくると思っていたが1人だったという)も奈良県警も不審人物をチェックするなど、警備を尽くしていた節がまるでないこと…である。世界一安全な国で、元首相を銃で襲撃するなどありえないとの「油断」がここには通奏低音のように流れている。

当初、森友事件などで安倍さんを恨んでいる人物の仕業かと思ったが、そうではなく、恨みは統一教会に対してあったそうである。父親が自殺したことで(?)母親が統一教会に嵌まり、1億円とも言われる多額の献金をし、母親は自己破産に至った。そして、自分は大学を中退する羽目になり、その他諸々、人生がメチャクチャになったと。その恨みが統一教会に向かうのであれば、たとえそれが20年近く前のことであったとしても一応「了解可能」ではある。

だが、なぜかターゲットはいつからか安倍さんになっていて、動機に飛躍があると思われるが、確固たる殺意ではある。爆弾を作り、手製銃を作り、試し打ちもしている。安倍さんを追って新幹線で岡山にも行ったが、そこでは警備が厳しく、手製銃を持って会場に入ることはできなかった。そこに安倍さんが急遽奈良に来ることをSNSで知る。時間をかけて入念に下見したが、変な形の手製銃を隠し持ったこの男は誰からも咎められることはなかった…。

了解不能な大事件の場合、必ずや公判廷では責任能力が問題となる。物事の是非善悪を弁識し(事理弁識能力)、それに従って自己の行動を統御できる能力(行動統御能力)のことである。うち一方でも完全に欠けていれば「責任無能力」であり、著しく欠けていれば「限定責任能力」として概ね半分の刑罰になる。その原因として「精神の障害」(精神保健福祉法5条が定義)が必要であるが、そこに列挙されている「精神病質」(ドイツ式)は今は「人格(パーソナリティ)障害」(アメリカ式)と言われるが、責任能力は大丈夫とされている。報道に接している限り、統合失調症などではなさそうで責任能力には問題がないのではと感じているが、とにかく公判廷で争われるのは必至なので(犯行自体を争えない以上、弁護人の争い方はそこに尽きると言ってよい)、検察は予め鑑定を済ませておく必要がある。そこで、起訴前に奈良地検は数ヶ月の鑑定留置にかけると思われる。任された精神科医は、犯人だけでなく関係者に事情を聞いて、鑑定の一環として、犯行の動機を解明していこうとするはずである。

私は、この人は自分の人生への不満を他に転嫁したのではないかと感じている。自衛隊を3年で辞めて以降(自殺未遂をしたとの報道もある)、定職には就かず派遣社員などをし、人間関係もうまくいかず(恋人はもちろん友人もいなかったと思われる)、今年5月からは無職で生活に困っていたことが確固たる殺意になったのではないだろうか。もし彼がきちんとした人生を歩んでいたならば、なぜわざわざ事件を起こして、自らを貶め、輝いた将来を捨て去ることがあろう。罪を犯す者は、まずもって自分ないし自分の人生に満足していない。それがただ自分の努力のなさ故だと自覚できれば怒りは自分に向かうだけだが、自分のせいではなく周りが悪いと思う限り、怒りは他に向かうことになる。

犯人はもともと頭が良く(でなければ爆弾も銃も作れまい)地元の進学高校に進んだ。大学は(父親の出た?京大ではなく)同志社大学?だったが、そこも親の破産で中退せざるをえなかった。本来の自分は真っ当な学歴・職を得て、社会で認められる存在になっていたはずである…。「(不運なことがなければ)当然あったはずの人生」と「実人生」との差が激しすぎて、とうてい許容できない。それは自分のせいではなく、社会のせいである。社会に復讐をするのだ…その手段として、エリート小学校に襲撃して多数の児童を殺すのも、秋葉原の歩行者にトラックで突っ込むのも、その他いろいろな手段がありうるが、復讐は目立つ方法でやらなければならない。安倍さんは目立つ政治家である。統一教会との関わりもあるだろうが、それが直接の動機付けではないのではないか。

社会から孤立をしている者が自暴自棄になって、恐ろしい事件を起こすことは、世界中どこであれ、起こりうることである。この事件は政治目的がないのでテロとは言わないが、自国生まれの(ホームグロウン)の孤独者(ローンウルフ)によるテロがアメリカで問題になるようになって、久しい。真似る人間は多いので、爆弾や銃作りに勤しむ者も出てくるのではないか。ターゲットとして有名な人間が狙われる可能性も増えるだろう。この事件の衝撃は多大である。

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