ロシアとプーチン

侵攻から今日で12日が経つ。戦火のウクライナの人たちのことが、片時も頭から離れない。コロナも飛んでしまい、ニュースはそればかりを探している。ロシアは、ウクライナが中立(西側につかない)かつ非軍事化を約束しない限り停戦合意はしない、と盗っ人猛々しいことを言っているので、停戦などとうていありえない。いつまでこの戦火が続くのか…?

それでも盗人にも三分の理、というのだから、ロシア側にも少しの理はあるのだろう。と考えたら結局、ウクライナは歴史的にロシアの一部であり、そもそも独立した国家ではない、ということではないのか。ましてやロシアを裏切って西側につくなど、ありえない!! この際、徹底的に叩き潰してやる、あとはベラルーシ同様傀儡政権を作る。そういうことなのだろうが、これはプーチンの勝手な理屈であって、一分の理にもならない…。

調べていたら、新たな発見があった。ロシアの対立軸である、アメリカの問題である。プーチンが前任者のエリツインから大統領職を引き継いだのが、2000年初頭。当時のアメリカの大統領はクリントンだ。すでにソ連邦は崩壊し冷戦は終わっているのだから、NATOを拡大させる必要などなかったのに、どんどん広げて、唯一の超大国になっていくから、もと二大国の一つだったロシアは、悔しさに臍をかんでいただろう。2001年、ブッシュ(息子のほう)が大統領に就任してすぐに9.11が起こり、ブッシュは自らの人気取りもあって(投票数が裁判に持ち込まれゴアが自主的に引いたが、本当のところはゴアが勝っていたと思われる)、「テロとの戦い」に首を突っ込んでいく。

ブッシュは大学での成績は非常に悪かったらしいが、人間としてはきっといい奴で、日本の小泉首相とも仲が良く、そのために日本はそれまで中立であった中近東に、アメリカ側として首を突っ込む羽目に陥った。ブッシュは、プーチンのこともいい奴だと思い込み、地元テキサスにも招くし、ずいぶん親しく付き合っていた。そのうちに民主化も出来ると思っていたらしい(日本の某首脳もそうだが、人がいいからか?プーチンが騙すのは訳はない。プーチンは元KGBであり、スパイは本来人たらしなのである)。ブッシュの任期最後の2008年、ロシアはジョージアに侵攻したが、自らイラクに侵攻しているアメリカは介入しないことにした。

2009年、オバマ大統領誕生。2011年には泥沼化したイラクから撤退し、アメリカはもはや世界の警察ではないとの立場に転じる。2013年、シリアのアサド大統領が国民に化学兵器を使うなどの違法行為を始めた際も出て行かなかったので、プーチンは安心して中近東にも影響を及ぼし、翌2014年、ウクライナのクリミア半島を占拠・併合する。2017年トランプ大統領が誕生した際、ロシアは情報操作をしてヒラリーが当選しないよう画策をしている。トランプはプーチン信奉者であり、NATOはじめ他国との協力を嫌っていたため、都合が良かった。そして2021年バイデン大統領が誕生して、ようやくアメリカは、20年にわたったアフガニスタン戦争から撤退するのである。アメリカはその前のベトナムもそうだが、常に敗退している。占拠政策が成功した例は唯一日本なのだが、日本はもともと教育水準が高くて国民が素直、ややこしい宗教もないのだから、比較の対象にはならない。

プーチンはベレンスキー大統領がナチだとか、核兵器を製造している疑惑があるとか言い、国民を扇動している。国民は情報を遮断され、自国がウクライナの民間人に無差別攻撃を仕掛けているといったことは知らされていない。知れば、誰だって反対するだろう。無知蒙昧な民ほど統べるに容易いことはない。人は最後は民主主義を選ぶ、と先日書いたが、自由とは、規律なり責任と一体でもある。自分で考えるのが面倒だ、言われた通りにやるほうが楽でよいと考える人が多数であれば、民主主義にはなりえない。プーチンは旧ソ連への回帰を、もっと言うならば自らが帝政ロシアのツアーリ(皇帝)であることを夢想しているのであろう。

しかし、ウクライナは結構手強いし、各国からの経済制裁が思いの外強硬で、ロシア国内も大変なことになっているらしい。物資は滞るし、1ルーブルが1円にも満たない超インフレだという。多くの都市で抗議行動が起きており、その数も増えれば増えるほど警察も全員を拘束して…というわけにはいかなくなるだろう(聞くところによると、大金を払わせて釈放しているらしい)。いくら無知で従順な国民といえどもそのうちにきっと分かってくるのではないか。前世紀ではヒトラーがポーランドに侵攻した。ヒトラーがプーチンにだぶって見える。

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ロシア、ウクライナ侵攻!!!

2月24日。まさか、と思っていた。完全な侵略だ(もちろん自国民保護だとか何とか、もっともらしい理由はつけるが)。明確な国際法違反である。いくら独裁者プーチンとはいえ、そんなバカなことはするまい、国際社会を敵に回しては生きていけないのだ…。

振り返って、ソ連邦が崩壊したのは1991年、30年前である。とともに、戦後設立されたワルシャワ条約機構は解体したが、その対抗措置であった西側国家によるNATO(北大西洋条約機構)は存続し続け、どころか締約国をどんどん増やし続けている(30カ国)。ロシアにすれば喉元まで西側が迫ってきて、自国の安全保障が脅かされている事態というわけだ。ウクライナの北側国家ベラルーシについてはロシアが己の傀儡政権を樹立済みだが、ウクライナは3年前、コメディアン出身の現大統領を国民が大差で選び、ロシアに靡くどころか、公然と西側につこうとしている。何としてでも止めなければ、というのがプーチンの本音であろう。ウクライナに軍隊を出すについては上院の同意は得たというが、よく分からない。

素人政治家だとバカにする向きもあったが、ゼレンスキー大統領は立派である。自分や家族の命が狙われていると言いながら(実際ロシアは首脳殺害など屁とも思っていないだろう。アメリカはフセインやビン・ラディンを殺害した)、果敢に首都キエフに踏み留まり、国民を鼓舞している。プーチンにすればあっという間に逃げ出したり、降伏してくると踏んでいたに違いないが、軍隊は最新兵器を用いて勇敢に戦い、避難する国民ばかりではなく、残ってそれぞれ武器を携えて故国防衛に勤しむ国民も多い。結果、ロシア軍の損害が半端ないらしいのである。そもそも軍事訓練だと言われて参加していた軍人(傭兵を含む)も多いらしいし、それが侵攻だと分かればモチベーションも上がらない。

国際正義はウクライナと共にある。主権国家のトップを勝手にすげ替えて傀儡政権を作る、NATO(やEU)加盟を未来永劫にわたって放棄させる、といった合意を、戦争によって勝ち取るなどという暴挙が許されようはずがない。国際社会は一斉にプーチンを非難し、経済制裁を行うことで連帯した(日本は大枚援助もする)。私がこの度大変見直したのはフランスのマクロン大統領である。プーチンとも電話会談をしてウクライナ攻撃を止めるよう要求し、民間人への攻撃停止、民間インフラの保護、首都キエフ南方の道路の安全確保を求めたところ、プーチンはいずれも応じる意欲を示したとのことである。孤立化しているプーチンにすれば(ベラルーシや中国などは別として)話をしてくれる首脳は有り難いに違いない。

それを言うならば、「ウラジーミルと私」などと、親密さを誇示していたどこやらの首脳は、今こそ電話をして、こんな暴挙は止めなさいと親切に言ってあげるべきではないだろうか。領土拡大を夢見ることはあっても縮小など絶対に認めない国が、北方領土を日本に戻す腹などないことは、簡単に分かるはずである。日本は憲法9条によって軍備は放棄したが、自衛のための戦力は必要である。完全に丸腰では、ウクライナのように持ちこたえることも出来ない。自らの国を自ら守ろうとする真摯な姿勢が伺えるが故に、ウクライナは国際社会の尊敬と共感を勝ち得ているのである。日本には平和憲法があります、故に何も出来ません、あとは日米安保条約に頼って、アメリカさんお願い、お金は十分に払っているでしょう、と言ってみたところで、アメリカが若者の血を、自国のためであればともかく、他国のために流させるはずはない。

民衆レベルで見れば、ロシアの人たちも、多くはこの度の暴挙に反対しているはずである。豊臣秀吉が最後朝鮮出兵の暴挙(といっていいだろう)に踏み切ったように、プーチンも年を取り、長く権力の座にあって、感覚が麻痺し、物事が客観視できなくなっていると思われる。身を挺して、「殿、ご乱心を!」と止める側近はいないのだろうか。これまでもデモが起きては制圧されていたようだが、今回のことでもあちこちで反対運動が起きていると聞く。それが制圧者側の力よりも大きくなればもはや取り締まることはできなくなる。ロシア国民も被害者なのだから、連帯して、独裁者を排除してほしいと願う。一応選挙はある以上(サウジアラビアでは選挙もない)、一番怖いのは国内で支持されなくなることである。実際、独裁者が最後国民に見放され、非業の死を遂げることは古今東西、枚挙に暇がない。

日本は恵まれているので日頃なんとも感じないが、言論の自由のない国は世界にたくさん存在する。その自由がなければ人間は真の意味では不幸であり、教育レベルが上がってくると必ずや、自由を欲求するようになる。ロシア、中国、北朝鮮その他、自由のない多くの国においても、時間はかかっても最後は、民主主義に行き着くはずなのだ(民主主義が絶対最善というわけではないが、他のどの政治形態よりもましであるのは事実である)。抑圧された国や民族を、日本は、支援すべき立場にあると改めて感じる。

昨日から暖かくなり、午後は大学に久しぶりに行った(卒業判定会議)。弥生3月。関係している団体が多いので、3月は行事などの集まりが結構な数、入っている(コロナのために中止になるのもいくつかあるが)。そして来月はまた、大学が始まる。早寝早起きを心がけ、通勤などの運動も含め、規則正しい生活をして、免疫抵抗をつけたいと思っている(披露宴出席前のホテル側検査も含め、コロナ検査を2度行ったが、どちらも陰性であった)。

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『高齢の父の家を売り、施設の費用を捻出したいのですが…』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2022年3月号

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大外れの大雪予報でした…

この1月6日、予想外の大雪(積雪10センチ)になって、大きく非難された故だろう、気象庁は今回早々と大雪予報を出してきた。いわく、10日(木)から降り始め、東京23区でも積雪10センチ超え…11日(祝)は路面が凍結して危ない…外出は極力控えるように。

9日(水)タクシーに乗った際、運転手に何気なくそう言ったら、渋い答えが返ってきた。「そんな予報を出してどれほどの影響があるのか、気象庁は考えていないのでは…。悪目悪目に言っておけば非難はされないだろう、もし降らなかったら良かったねくらいなものだと」。ああ、確かに。確信に満ちた予報を受けて、交通機関は早々と運休を決めたし、飲食店は軒並み予約キャンセルだし、会社も社員もできるかぎり在宅勤務に切り替えた。誰だって安全に帰宅したいし、すってんころりんと転びたくはない。

私もその一人。10日は自宅テレワークにするべく、9日夜にはいろいろなものを持ち帰ったし、大量の食料も買い込んだ(一体、何日籠もる気だ?(笑))。電話もメールも転送しているので、家にいても大して困りはしない。贈呈された本など溜まっているし、ゆっくり読めるかと思っていたが、そんなに暇でもなかった。思い出したように窓から外を見ていたが、午後になってもみぞれ程度だ。あれ、遅れている…きっと夜には降り出すだろう。あれだけ大々的に言っておいて、まさか、空振りなんてことはないだろう。11日朝目が覚めて、窓の外を見る。一面の雪景色が広がっている…はずが、あれ、何もない。快晴である。こんなの、あり? これじゃ降る降る詐欺…だ。

一体何を根拠にして、あれだけ確信を持って大雪予報をしていたのだ…?! 降らなくて良かったねと言っている人も周りにいるが、それは脳天気というものだろう。タクシーなど交通業界はじめ様々な所で、怒っている人、損害を被った人、多いだろうなあ。こんないい加減な予報をしていると、そのうち狼少年になるよね。間近の予報がこれほど当たらないとは知らなかった。であれば地震予知なんてもってのほかである。

でもって、連休の谷間の今日は事務所に出ている。昨日に引き続いて快晴である。寒くなんか全然ない。実は昨夜、スマホのwi-fi表示が消滅していることに気づいた。タブレットも同様だ。パソコンを起動したら、メール・ネット共に不通である。wifiに繋げようとしたが、いつもと違って、うまくいかない。見たことのない表示まで出てきて、埒が明かない。仕方がないので、パソコンに詳しい知人に電話したら、ルーターが故障したのではないかとのこと。もうだいぶ古いはずだと。ええっ…!このままでは自宅テレワークが全く出来ないよお。大変。有り難いことには今日夕方、ルーターを買って家に来てくれることになった。私もそろそろ事務所を出なくては。

という次第で、昨夜来、スマホ・タブレットのネット検索が出来ない。自宅パソコンも使えないということが、どれほど不便なものか、思い知った。それらなくして生活できないほど、今や必需品もいいところだ。テレビが見れない、ラジオが聴けない、のであれば、おそらくそれはそれだけのことだが、パソコンやスマホはもはや完全に生活の中心に位置している。日頃当たり前に思っていることの有り難みが、何か起こって初めてのように、身に染みる。健康にしろ人間関係にしろ、そういうことはきっと多い。

明日はモーツアルト協会の例会である。このところ例会は雨続きで着物が着られないでいる。明日も雪予報だそうだが、あまり予報に惑わされないでおこう。予報はあくまで予報であり、悪目に言っていることもよく分かった。着物の準備はもうした。冬に暖かい結城紬を着るつもりである。

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やり切れない訪問診療医殺害事件について思うこと

小堀鴎一郎(森鴎外の孫)という医師の、NHKドキュメンタリー番組を見たことがある。東大卒後、東大などで食道癌の専門外科医として40年間、医療に携わっていたが、65歳で定年退官し、知人病院方で訪問診療に携わるようになった。そして13年…そのとき80歳。自ら車を運転し、あちこちに気軽に出かけていく。いたく感動したので、その著書『死を生きた人びと──訪問診療医と355人の患者』も読んだ。

高齢者の訪問診療・在宅医療というのは、普通の医療と違い、治せない医療である。死なせる医療。いずれは避けられない死に対して、本人及びその家族にいかに同伴してやれるか。そこに最も求められるのは、共感できる人間性であろう。優しさだけではとうてい務まらない、果てしない責任感とエネルギー、強靱な精神力が必要とされるはずである。その意味で、理想というべき44歳の優秀な医師が、理不尽に命を落とされた。昨年12月に亡くなられた大阪の医師といい、やり切れない事件が続く。

もともとトラブルメーカーであった犯人66歳は、92歳母親をひとりで介護していた。母親はずっと寝たきりで意思の疎通もままならなかったという。実際よくある話だが、親の年金が生活の糧では、とにかく生きさせることが死活問題となる。もちろん92歳はいずれは終焉を迎えるが、怒りの矛先を病院関係者に向け、線香を上げに来いと呼び出し、最初から医師らを殺害予定で、猟銃を準備し、催涙スプレーも用意したうえで、心臓蘇生をして生き返らせろと無理難題を吹っかけた。医師はほぼ即死で、他1名は重態。

場所は密室であり、対象にしているのはまっとうな人ばかりではないから、暴力沙汰は数多く起こっていると思われる。病院も従来の経緯からして、暴力くらいは承知の上で出向いたのであろうが(だからこそ7人で大挙したのではないか?)、猟銃を持っていたのは想定外であった。しかも2つ。狩猟免許をいずれかの時点で手に入れたはずだが(私の祖父も猟をしていたので、猟銃を許可されていた)、許可は更新されるので、いずれかの時点で取り消されて然るべきであったと思われる。今後にも繋がることなので、この点の捜査が待たれる。

この事件の背景にあるのは、いわゆる8050問題。この男が引きこもりであったのかどうかは分からないが、50歳代の子供と80歳代の親。それが10年経つと6090問題となる。自らの家族も仕事もなく、親の介護しかすることのない子供。その親が死んでこの先いいことがない、自殺しようと考え、医師らを道連れにしようと思ったと供述しているらしいが、言っているだけで、自殺するつもりなどなかったと思う。きちんと捜査を尽くして起訴してもらい、裁判員裁判が開かれるのは2年後位になるだろう。犯人はできるだけ厳しく処罰されるべきだが、背景にあるこの重大な社会問題はそれとは別に考えなければいけない。

あまり注目されなかったが、池袋のホテルで、82歳男性が24歳女性に刺殺された事件も闇が深い。そんな形で殺されたのでは、被害者家族は恥ずかしくて…と思っていたが、現役の土木作業員で身寄りはないという。女性のほうは知的障害があり(障害者手帳もある)、知り合いの20代兄弟にうまく操られ、売春をさせられ、その金をほぼ貢いでいたという。女性には盗癖があり、男性がシャワーを浴びていたときに財布から金を盗もうとしてトラブルになり、持っていたカッターナイフで切りつけてそのまま逃走したようだ。兄弟に連絡して一緒に逃げようとして捕まった。兄弟の家は生活保護を受けているとのこと。いわば社会の低層にいる人たちが何かのきっかけで一緒になり、ある時間場所を共有し、それがこんな形で先鋭的な事件となった。実は事件にならないだけで、そうしたことはたくさんあるのではないか。社会・家庭から孤立し、それぞれ誰からも本当には必要とされていない。誰にも救いがなさそうだが、手を差し伸べることは出来ないだろうか。是枝監督あたり、映画の脚本でも書いてくれないだろうか。

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