『事実婚の夫が亡くなりました。遺族年金は貰えるでしょうか。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2023年8月号

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「人間は死ぬまで働くべきである」。介護施設に思うこと…

会員情報誌『選択』の記事を時々送って下さる方がいる。7月号巻頭インタビュー吉野直行氏(慶應義塾大学名誉教授)の「日本財政を救うのは『働く老人』」が良かった。いわく、「国債の需要がなくなれば日本はすぐに財政破綻する。」「高齢化社会では財政政策の効果が弱くなる(=日本が停滞した理由)。」「高齢者もできるだけ長く働いて社会貢献してもらうという視点が必要だ。100歳まで生きる社会で、65歳で退職して残り35年は誰かが面倒を見るなんていうことは不可能だ。私の理論モデルでは、すべての人が死ぬ前の日まで働き続け、生産性に応じた給与を支払えば、日本経済は絶対に破綻しない(←本当?)。」「国債発行とは将来世代へのツケ回しにすぎない。増税はせず、どこか別の所から捻出するという政治家はペテン師に過ぎない(←大いに同意する)。幸い日本の高齢者の多くはもっと働き続けたいと考えている。社会保障が減る分を自助努力で補ってください。消費税も上げずに働いて稼いでくださいと頼むべきだ」…。

少子化の話はすでに書いた。夫婦2人で子ども1.3人にしか作らない世界で、夫婦の介護を自らの子どもだけで賄うのは、数字で見てもとうてい不可能である(子どもは自分の親だけではなく配偶者の親も介護することになるのだし)。そのことは棚に上げて、他人が産んだ子供を介護要員の当てにするというのは、お金を有り余って持っていれば済むという話ではないであろう。人間ではなくロボットが面倒を見るというのであればともかく、そもそもが稀少な若年労働力が(将来性も売上げもない)死んでいく老人の介護に費やされるというのは、それこそ夢も希望もない話である。介護というのは本来、福祉であり、企業生産性ベースに乗ってくる話ではない。

長生きをするのは素晴らしいと言う。100歳長寿で、元気で、人の助けもあまり借りることなく、それどころか世の中のためになって生きていられるのであれば、それこそいくらでも長生きしてもらえばよいと思う。つまり、寿命と健康寿命がほぼイコールであればよいのであって、介護介助医療の助けを延々借りることによって(財政的負担が一体どれだけかかるのだ!)寿命だけを不自然に伸ばすことは百害あって一利なしであろう。吉野教授は、死ぬまで働いて給与を得られることを考えておられるようだが、それはなかなか難しいだろうし、そうではなく、私はひとりひとりが健康で寿命を重ね、介助も介護も特段の医療も不要な長寿社会が来るのが理想であろうと思っている。ごくときたまかまもしれないが、90歳を超えて、あるいは100歳も超えて、車椅子も要らず、杖くらいはつくにしても自分の脚で歩き、きちんと食べて、楽しく話をして、ああこういう風に年を取りたいなと思う方にお会いすることがある。長寿というのは、そういう人たちのことを言う。

介護施設のビラがよく入る。先般のを見ると、私方自宅の近くに建設中の介護施設であった。健常者用のアパートと要介護者用のアパートが同じ棟に建つことになるらしい。前者の入居者が後者に入居することになってもいいし、夫婦で前者と後者で住み分けしても互いに近くて行き来が出来てよいというのである。びっくりしたのは、その値段!(港区だし、もちろん地価が高いということはあるにしろ) 後者のアパートの広さはわずかに10畳程度。鰻の寝床のような部屋の端にベッドがある。おそらく寝たきりで、食事は運ばれてきて、食べさせてはもらえるのであろう。それがいくらだと思われるだろうか? 住居費が月30万円以上、食費は5万円程度(大したものは食べないはずだ)、もちろん水道光熱費はかかるにしろ知れている。あと看護その他スタッフの人件費になるはずだが、なんとびっくり、月62万円! ちなみに、比べて前者のアパートは40平米とだいぶ広いが(キッチンもある)、月40万円程度であった(それでももちろん高いが、結局介助の人件費にかかる費用の差であろう)

月62万円は、日に2万円である。年700万円以上!を払える人がどこにいるのだろうか。年金でその額はありえないから、もちろん預貯金を切り崩すのであろう。自宅を売却してきたお金を充てるのだろうか。自宅を売却したのであればもう戻るところはなく、その10畳程度の部屋が死ぬまでの住処ということになるのであろう。施設に払う金だけで月700万円超え、10年生きれば8000万円程度にはなるのだろう。それほどのお金持ちはもちろんいるにしろ、普通にありえる単位の話ではない。そもそもそれまでお金を貯めてきて、最後そんなことに大枚のお金を使うって、何か間違っていない?! 楽しいか?生き甲斐を感じるか? まさか。誰だって、自分の脚で動き、自分の行きたい所に行き、食べたいものを食べたいではないか。

特別養護老人ホームは介護度要である。月20万円程度しかかからないので、年金で暮らしていける施設である。そしてその上は、切りがない。アパートの所有権を持つこともできるし、それこそお金さえ積めば手厚いケアも受けられるであろう。しかし、それでも、である。スタッフはいなくなり、別の人に代わっていたりする。馴染んだ住居者がいなくなり、独りぼっちになることもある。結局のところ、お金を積んだからといって幸せは買えない。幸せは健康であること、自分のしたいことがあること、社会的に孤立していないこと…によってもたらされるものである。豊かな老後を一人一人が作っていくことが、日本経済にも資することになるはずである。異次元のなんちゃらとか、ばらまき福祉、といったことばかり言っているのでは政治への信頼は損なわれるばかりである。

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コロナに罹患しました!事件事故が目まぐるしく起こる毎日

降って湧いたようにコロナである。もちろん初めて。その日は朝から何となく体調が良くなかった…お昼の会食の席で隣の方が「風邪を引いた」と派手な咳をしていた(だから、風邪がうつったかもしれないとは思った)…事務所に出て一仕事をし、夕方から大学に出た(教員会議)。珍しく食欲がなくしんどいので、夜熱を測ったら、37度4分!! 大変だ(私の平熱は5度5分しかない)。解熱剤を飲んで、速効、就寝。だが翌朝も熱は下がらず、このときなぜだか、ただの風邪ではないと確信した。たぶんコロナだ…行きつけの医者に行って検査結果はその通り。山のような薬を貰った。

5月になってコロナの強制力はなくなり、自宅療養推奨期間は5日だが、時々買い物に出るのもフラフラした。7度5分以上の発熱が3?4日続き、人一倍熱に弱い私は大変だった。食欲がないというのもほぼ未経験のことである(高熱が出れば生肉を食べていたくらいだ!)。タクシーも使わず普通に交通機関を使って事務所に出、最低限のことはしているが、まあ、自分の事務所なので人に気を遣うこともないからその点は楽である。すっかりしなくなっていたマスクだが、やっぱり必須だと実感、冷感マスクをしている。とにかく人にうつすことのないように、そして自分ができるだけ楽であるように、早く普通に戻れるように、日常生活に気をつけている。当たり前のことだが、とにかく健康が一番である。

自分がかかって初めてのように調べたところ、コロナの潜伏期間は1?14日間!(5日前が多いという)そんなに幅が広いと特定はおよそ不可能であろう。会食やってクラスターでも出ればともかく。医者も、いつどこで誰からかかっても不思議ではないとのこと。かかっても症状の出ない人もいるくらいである(自分も免疫抵抗が強いから、きっとそうなのだくらいに思っていたが、全く根拠がなかった)。とにかくこれまで同様、ちゃんとマスクをして、感染しないように気をつけるしか方法はないようである。もちろん栄養休養をきっちり取って、万一かかっても楽にすむようにすべきなのは当然として。

事件がいろいろと起こる。大なり小なり。猿之助事件は両親が亡くなっているので、どこまで真相に迫れるかは分からない。父親は認知症だったとのこと、自分が死ぬことへの真意があったのかがまず疑問である。自殺への真意がなければ自殺関与・同意殺人(刑法202条、6月以上7年以下の懲役・禁錮と、殺人より遙かに軽い)ではなく、殺人である。そもそもなぜ一家心中を目論むほどのことがあったのだろう。週刊誌に載るはずだった程度のスキャンダルは死ぬほどのことだろうか。親2人にまずは睡眠薬を飲ませた上で、ビニール袋を被せテープも貼って?殺害したうえそれら証拠物は捨てる…そして自分も死ぬはずだったのが結局死ねず(?)、マネージャー宛てに、公演を休む(自分は主役なのである!)とメールし、玄関の扉も鍵を掛けないままでいる…マネージャーはすぐに飛んできて、自分は救助されるだろう。それは筋書き通りではなかったのだろうか。まず母親への自殺幇助?で逮捕されたが、次は父親への???で逮捕されるだろう。執行猶予がつくような事例とは思えない。

広末涼子の不倫事件も思わぬ広がりを見せている。もっともこれはそもそも犯罪ではない。広末の夫なり相手なりのキャラが立っていることと、自筆の交換日記が出てきたり(今時、こんなことをする人がいたのだ…)で、同年代ファンらが盛り上がっていることが大きい。そもそもマスコミが売らんかなで騒がなければそれほどの話でもないはずだ。広末の子ども3人、そして相手方の奥さん子どもさんがとにかく気の毒である。燃え上がったものはいずれは醒めるし、視聴者も飽きてくるので、そのうちにきっと収束するはずである。

ロシアでのワグネルの離反(一応は収まる)、そしてフランスの暴動…フランスは根深い移民問題並びに警官の安易な発砲及び強権的な対応もあって、とにかく暴動は日常茶飯事である(その点、アメリカと似ている)。ラグビーワールドカップは?そして来年のパリ五輪は大丈夫なのか。フランス革命を起こした国だよなと、思いを馳せてしまう。少子化故に労働力を移民に頼ることがどれほどコワいことになるか、日本は十分に反面教師にすべきであろう。

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『妻の所有する不動産を、今後どうしようかと悩んでいます。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2023年7月号

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一息ついています。今、プロ野球交流戦が面白い…

検事が「請負業」だと言うのは、来た事件をこなせばよいからで(特捜部は別)、たまたま事件が起こらず暇でも、給料は同じ。対して弁護士は自由業なので、事件がなければ暇でいいよね、なわけは全くないのだけど、ずっと忙しくては(忙しい=収入が良い、ではない)心身がもたない。なにぶんストレスのかかる仕事ではあるので、一段落ついてほっとするときが、本当に嬉しい。今日がまさにその日。メールを書き、たまった法律雑誌などを読んでいる。ロケーションの良い、片付いた事務所でのんびりしているのは至福である。

青木幹雄氏が亡くなった。89歳。人間として筋の通った、とても気遣いの出来る立派な方であった。先日、前国会議員会(自民党本部)で座った席の、たまたま向かいが森元総理だったのだが(この方が出席されるのは珍しい)、「佐々木さんは変わらないねえ」「素敵な帽子だねえ(ドイツ製のグレイの帽子)」と滑らかな口は相変わらず。参議院を辞めてもう19年になるのに、いろいろと覚えて下さっているようだ。前より痩せておられたが(癌から生還されたのだ)元気であった。「国技館で時々お見受けします」と言ったら、「そんなに行ってないよ」と。私も一場所1?2回でそんなに行っているわけではないから、言われてみれば、ただ印象に残っているだけかもしれない。

土曜(10日)はロッテ・カープ戦(デイゲーム)を見に、千葉マリーンズまで行ってきた。セパ交流戦の同一カードは年3試合のみ。昨年も来年もマツダでの開催だから、今回は貴重な機会だった。2万8000人余で満員御礼。その半分が見事に赤に染まっている。はるばる広島から来る人もいるだろうが、大方は関東在住のカープファンではないのか。統率が取れて熱狂的なのはセリーグ応援団随一。ロッテ応援団もパリーグ随一なので、応援合戦も試合以上に見応えがあった。大相撲しかり、スポーツはやはり実物を見るに限る。

互いに点を取り合う面白い展開だったのだが、結局カープのサヨナラ負け。同点の9回に不調の栗林を出したらそりゃそうなるよね、と読めた結果だった。そもそも8回のターリーがロッテ打線に1点取られて同点にされたわけだし、それまでに何度もあった好機に点を取り損ねた当然の結果ともいえた。翌日曜(11日)に登板する佐々木朗希はこれまでホームでの失点ゼロだったが、カープはきっと打つよねと思っていた。テレビ観戦も出来ず、あとで知ったのだが、被5安打(阪神は1安打)。朗希はギアを上げて165キロの速球も投げたが、結局は167センチの羽月に粘られて9球目、ヒットを打たれてカープに2点が入った。応援団がどれほど盛り上がったか、現地を見ただけに、想像が容易だった。結局6対5の接戦でロッテが連勝したが、カープの粘り強さは、ロッテ関係者ばかりか全国に大きくアピール出来たことと思う。

カープはこの3年間、交流戦は最下位に甘んじている。18試合中、僅かに3勝だったりする。今年は12試合消化して6勝(日ハムに3連勝)。今日からホームマツダでの楽天・西武戦である。今年はセパ各球団の実力が拮抗して、抜け出している球団もなく、1位から最下位までさほど変わらない勝ち数なので、どこが優勝するか全く読めない。とはいえ、全体的に言えることは、打撃はセリーグのほうが上である(3割打者はセには何人もいるが、パにはほぼいない)。野球という競技は投手力(そしてもちろん守備力)がものを言うので、先発・中継ぎをどううまく回していくか、故障させないか。それが監督の腕の見せ所になるのであろう。カープとロッテの善戦を祈っている。

小川洋子さんの『ことり』を通勤途上に読んだ。鳥かごを抱えて死んだ「ことりの叔父さん」の一生。鳥語しか話せないその兄との2人の生活。変わらない、平々凡々とした毎日が、2人にはこのうえない幸せで、それ以上望むことは何もなかった。『博士の愛した数式』の著者が綴る静逸な文章はゆったりと流れて、美しい。時が止まって、涙が溢れた。そう、変わらない毎日ほど幸せなことはない。今日も帰って幸せなテレビ観戦である。夕食を何品か作る。最近はすっかり野菜主体だから、体重も増えず、体調も良い。

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