執筆「「食」は人の基本」

 先日、近くのスーパーに行ったら、あるある。たらの芽、蕗の薹……。春立ちぬ。食の世界にもすでに春到来である。

 よくぞ日本に生まれけり。

 天ぷらはさほど好物ではないが、春野菜は別である。独特の香りと共に季節を運んできてくれるからだ。そのうち、料理好きの知人が、蕗の薹の佃煮を作って送ってくれるだろう。和食は実に多彩である。今や世界に知られる、刺身、寿司、すき焼き以外にも多くの食がある。どれも体にいい。食欲のない時でも食べられる。そのベースに醤油がある。東南アジア・中国の、魚を原料にした醤油とは別物の、日本固有の調味料である。

 少なくともこと食に関し、これほど恵まれた国はない。世界の店が揃い、食材も豊富に出回る。情報にも溢れ、その気さえあれば、家庭で簡単に様々な料理が楽しめるのだ。

 であるのに一体どうしたことだろう。おやつはスナック菓子。食事は毎日コンビニで調達したもの。そんな食生活で子どもがまともに育つわけがない。例えばカルシウム不足は、すぐに切れる子を作るのだ。

 体ばかりか心を作る。それが食である。家庭の基本は食にある。何のかのと口で言っても、親の愛情は食に表れるのだ。子を思い、その健やかな成長を真に願うのであれば、最も大切にすべきは毎日の食である。食と一緒に愛情を食べる子どもは、非行に走れない。

 食は、人の基本的な営みである。何を食べたかよりむしろ、誰とどう食べたか。笑い、語らい。いい食の思い出を子らにつくってやりたいものである。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「弁護士のやり甲斐」

 法律事務所を始めて、ちょうど半年が経つ。この間、一番多い質問が「専門は何ですか」。

 実は、とくにないのである。民事・家事、刑事。よほど特殊な案件でない限り、何でも扱う。各自、好き嫌い、得手不得手はあっても、これが日本の弁護士の普通の業態であろう。

 未だ幸い訴訟社会ではないこの国では、一般人を対象にした専門弁護士はおよそ成り立たないのである。特殊なノウハウが必要であり、需要が常時確実にある分野。となると、勢い対象は企業である。企業法務、知的財産分野、倒産関係……。

 扱う額に伴って弁護士報酬は上がるから、中には桁違いの収入の方もおられるだろうが、私は根っから普通の事件が好きである。やり甲斐は人助けと見つけたり。人と社会を広く知るために、分野を限らず、様々な法律を扱っていたい。

 先日、在住外国人同士の離婚相談を受けた。具体的なことは書けないのだが、とにかく珍しい案件である。外国人の場合の準拠法以外にも、民事保全法、家事審判法、民事訴訟法が絡み、まるで迷路のようだ。先輩諸氏にも相談し、一応の回答は送ったが、やはり何かが引っかかる。週末さらに調べていて、急に解けた。昨春施行された新・人事訴訟法、それが盲点だったのだ。週明け早速、誤りを訂正した再回答を送った。

 視界がさっと開ける爽快感。複雑難解なパズルが解けた時の快感もこんなだろうか。昨今法律改正が相次ぎ、職務を全うするのは大変だが、趣味と実益を兼ねた仕事であるとつくづく思ったのである。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「法律の実務」

 司法改革のまず第一、「法律家を増やせ!」。長年、合格者年五百人だった狭き門を、九三年以降徐々に広げ、昨年は千五百人。これからもどんどん増やして、目標は年三千人だという。

 弁護士はすでに二万人以上いる。検事・裁判官を合わせて二万六千人。フランス五万人、ドイツ十五万人、ましてアメリカの百万人超に比べると少ないが、これらの国々には、司法書士、行政書士、社会保険労務士といった職種がない。すべて弁護士の業務なのである。こうした「隣接法律専門職種」が日本には十万人もいる。

 互いに助け合うムラ社会の日本では、話し合いで解決するのがそもそもの基本であろう。日本が訴訟社会になることはすなわち国の形が崩れることでもある。訴訟の迅速化のため、弁護士僻地の解消のため、ある程度の増員は必要だろうが、さして需要のない所に供給を増やせば過当競争となり、全体として質が落ちる。アメリカでambulance chaser(救急車を追う人)と言えば、弁護士を指す。何でも事件にし、金にしようとする姿が映画や小説に描かれるようになって、すでに久しい。日本でも弁護士の懲戒件数は残念ながらすでに増加の一途にあるのが実状だ。

 その犠牲者の多くはふだん法律とは無縁な一般市民であろう。医者と同様専門職である弁護士の過誤はなかなか分かりづらい。信頼のおける人の紹介を受けるのはもちろん、納得できなければセカンドオピニオンを求めるといったことも今後必要になるかもしれない。

 量を増やして質を落とさないために、昨春法科大学院がスタートした。本家本元のロースクールとは違い、法学部を残した上での大学院だから、早ければ十八歳から何年もの間ひたすら法律を学ぶことになる。怖いのは、マニュアルでの受験勉強しかしてこなかった者が、さらにまたマニュアルで条文を追い、判例を詰め込むことへの懸念である。法律は本来、人と社会にどっぷり浸かった、生臭い学問であり実務なのである。

産経新聞「from」

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執筆「国会野次合戦の理由」

 通常国会が始まった。テレビで映し出される本会議場。昨年までの六年間、私はここに座っていた。

 当初、野次怒号の凄まじさに圧倒された。発言者のマイクを通したテレビ音声と比べ、実際はもっとすごいのだ。それでも我が参院はまだ大人しく、衆院では発言者の声すら聞こえないほどだという。なぜ静かに人の話を聞けないのか。と尋ねた私に、大先輩がにこやかに答えてくれた。「だって、静かにしてたら退屈で、寝てしまうじゃないか」。事は、予算委員会以外あまり放映されることのない各委員会でもさほど変わらないだろう。少なくとも与党議員にとってはそうである。

 理由は、日本の立法過程の特色にある。少数の議員立法を除けばあと政府法案。これは他の議院内閣制の国も同じだが、日本では政府法案が国会に上がる前に与党が法案審査に決着をつけてしまうのだ。その中心は、党政務調査会及び各部会。非公開のこの場で、激しい議論を経て了承した後は、その決定を党議拘束の基準とし、以後ひたすら原案通りの成立を目指す、それが日本の与党である。従って、国会はもっぱら野党の論戦場だ。戦後、アメリカの影響で国会審議の中心が委員会に移されたこともあり、委員会で可決されれば、その後の本会議はおよそ儀式でしかない。

 小学生からファックスを貰ったことがある。「なぜ静かに聞けないのでしょうか」。教育に悪く申し訳ないことに加え、右の理由を書いて、返信した。野次も飛ばさず居眠りもせず、行儀良く座っているのはたしかになかなか難行ではあった。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「感性育てる国語」

 読書は時に、大きな発見をもたらす。八年前、偶然手にした『スカートの風』(呉善花著)がまさしくそうだった。

 韓国語と日本語は語順がそっくりで、互いに最も学びやすい言語だと言われる。ところが、来日した著者は、いくつもの相違に戸惑うのだ。「本日閉店します」ではなく、なぜ閉店「させていただきます」なのか。「泥棒が入った」ではなく、なぜ「入られた」のか(韓国語には受身形がない)。やがて彼女は答えを見出す。前者は許可を求める気遣いであり、後者は自らにも責任があるということだと。

 それでも日本の伝統生け花だけは謎だったが、来日後五年ほどして理解できるようになる。その奥にある精神性と不可分の美。たおやか・すずし・侘し、といった「大和言葉でなければ形容不可能な古趣の味」だと。

 たしかに、「寒い」しか知らなければそうとしか感じられないはずである。凍える、かじかむ、凍てつく、そうした言葉を知って初めて、そう感じることができるのだ。日本で学び日本語に堪能な、知人のフランス女性が、帰国後もずっと雨が降ると「しとしと」と感じると言った時には心底驚いた。自然を擬人化する、こうした擬態語は他の言語にはあまり見られないのだ。尊敬語・丁寧語・謙譲語と、TPOに応じて使い分けが必要な敬語もまた、真にその気持ちがあればこそ正しく使いこなせるものであるにちがいない。

 言語は人の考え方ばかりか感性をも作る。すなわちそれは、人格を作るということだ。教育は一に国語、二に国語だと、固く信じる所以がここにある。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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