新しい年が始まった

 と思っているうちに,1月も今日で終わりである。早い!(この調子で1年が経ってしまうのだ……)
 22日に大学で後期試験を実施し(刑法総論と刑事訴訟法),その後3日間で採点。昨日は別の科目で課したレポートの採点をした。計,その数400少しか。受講届出者数自体はもっと多いのだが,試験を受けなかったりレポートを出さなかったりするのが結構いるのである。毎回出席し,受講後いろいろ質問に来るような学生はそもそも熱心なのだから,当然のようによく出来る。文字を追っていくのは大変だが,学生のレベルが分かるので,やはり試験は論述式である。
 
 授業数は前後期とも各14回だ。我々の頃は休講万歳!で済んだが,今は休講すればその直近の土曜なり,授業終了後定期試験までの間の補講期間なりに,必ずや補講を実施して14回を確保しなければならない。休むと自らに跳ね返るので,今期こそはと,体調を万全にすることをまずもっての仕事と課したら,効果が如実に表れ,今期は風邪も引かず体調も壊さなかった。体調が良いと授業の出来もいいし,学生たちと交流する余裕も生まれる。健康こそすべての源流。これからも是非この調子を維持したいものである。
 さて,来期からはなんと授業数が各15回となる。祝日が火曜にあたる日もあり,その分土曜実施となる。先生も大変だが学生も大変だ。こんなにしめつけを厳しくして,実際に学習効果が上がるのか,極めて疑問である。初等教育はびしびしやって,高等教育はゆるやかに,当人の自主性に任せるというのが筋でないだろうか。

 ともあれ,2月と3月は大学がない。当然ながらその分時間的にも心理的にも楽だ。存分に利用しなければと思う。やりたいことはいくつもある。
 1つ,5日のコンクール全国大会でのまずまずの成績を受け,よりいっそうやる気の増しているピアノ。今年の当面の予定は,5月10日(土)午後,カザルスホールで発表会(リストの「ラ・カンパネラ」を弾く予定)。5月29日(木)夜はピアノ三重奏に初めて挑戦。バイオリン,チェロはポーランドの奏者である。ベートーベンを弾く予定。
 2つ,哲学・宗教・歴史などの勉強。本当にこれまでの人生,何をしてきたのだろうと思うほど,知らないことが多すぎると実感し,知識欲は増すばかりだ。
 3つ,法律の勉強。いろいろな法律が次々と改正になるから,もともと弁護士は大変なのだが,ことに私としては,裁判員制(来年導入),改正少年法,死刑制度,冤罪問題,危険運転致死傷罪や公判前整理手続きなど,現状だけでも整理しておきたいと思うことが頭の中で列をなしている。その上でホームページも作り直したいと思っているのだが……。 本当に,時間がいくらあっても足りない。

 国会の迷走,混迷が続いている。片やアメリカの大統領選。優秀で魅力的な候補者たち。政治家は本来,言葉の中身と熱意と容貌で民衆に訴える存在なのだ。福田首相の後は誰?民主党に誰かいる?(だからといって,あの大阪府知事はないと思うが)。
 選挙制度は中選挙区制に戻すべきだし,その他いろいろ,やはり代表者を選ぶシステムそのものを考えていかなければならないとの思いを強くする。

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新たなるスタート

参院議員時代に立ち上げたホームページ。まめに更新していました。

頻繁にアクセスしてくださった皆様方、ありがとうございました。
ご存じのように昨年7月、選挙には臨まずに引退、すぐに弁護士業に転じました。

多くの方々にホームページのことを聞かれました。私自身もずっと気になりながら、毎日のことに取り紛れ、というよりは弁護士のホームページは一体どういう体裁にすればいいのか分からず、年を越してしまいました。

それが今年になって突然、閃いたのです。
幸い発表の場を公に与えられているのですから、それを載せればいいのだと。
執筆したものがとりもなおさず、私が今考えていることなのです。
弁護士のホームページとして堅苦しく考える必要はなく、国会議員を経た佐々木知子の意見発信の場と考えればいいのだと。

なぜ一期で辞めたのか、とよく聞かれます。
私にはもともと政治志望がなく、ただ現職検事の時に声がかかったのがきっかけでした。
当時参院比例区は順位拘束名簿式。私は総理枠で11位につけてもらいました。
検事辞職後すぐの転職でもあり、選挙運動も後援会活動も一切していません。

その後選挙制度が変わり、個人の名前を書いてもらわないと当選できない、元の全国区に近い制度となりました。それが私の場合ちょうど、老化を意識し始めた時期に重なりました。遅まきながら、生が有限であることを実感したのです。残りの人生、私は一体何をしたいのか。もう一期やれば、50代半ばになります。それから新しいことをやるには、頭はともかく、体がついていかないと実感できたのです。

50歳を目前に後半生がスタートしました。

具体的な事件を扱いながら、私は根っからの法律家だと改めて思っています。
とてもやり甲斐のある毎日です。どうしても数の一つになってしまいがちな政治家と比べ、狭い分野なれども、法律家は自分で決め、結論に持っていくことができるのです。

弁護士業に軸足を置きながら、後半生は様々なことをしていこうと思っています。
私を必要としてくださる方々のお役に立つことで、人生を充実させていきたい。
そのためにはまずは自らが輝くこと。趣味のピアノをまた再び一生懸命に練習し始めたのもその一環なのです。

ちょうどいい時期に人生を折り返すことができました。
支えて下さった多くの方々に心から感謝を捧げたいと思っています。

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執筆「敗戦のトラウマ」

「なぜ日本の人々は国に誇りを持たないのですか」「大戦の廃墟から立ち直って、世界有数の経済大国になった日本は我々アジアの誇りです」

 十年ほど前、アジア極東犯罪防止研修所という国連機関で教官をしていたときのこと。何人もの刑事司法関係者からそう言われた。皆それぞれ自国を愛し、誇りに思っている。国際的には当たり前のことなのだ。

 対してなぜ我々は、愛国心を口にしないのか。どころか自虐的でさえあるのか。その答えが見つからないまま国会議員となり、初めて歴史教科書問題に接した。深刻な問題意識を抱き、真剣に歴史を学び直すうちに、私なりの解が出た。「敗戦のトラウマ」。

 史上最初かつ最大の敗戦に自信を喪失した日本は、過去を捨て、別の国を目指した。昭和二十七年に独立を回復した後も、与えられた憲法を見直すことなく、安全保障を他国に任せ、ひたすら経済発展に邁進してきた。裏を返せばそれだけ占領政策が成功したともいえるだろう。

 だがバブルは崩壊。経済にのみ支えられた自信は吹き飛んだ。戦後徐々に日本を蝕んできた精神の荒廃が一挙に露わになる。以後目に見えて治安は悪化。犯罪件数は十年で倍だ。その低年齢化、凶悪化も進む。家庭も学校も、果ては第二の家庭であった会社も、崩れていく音が聞こえるようだ。

 古来、八百万の神の国・日本。確固たる宗教なくして国民を規律するものは何か。と問われ、新渡戸稲造は英語で『武士道』を著した。あるいは西洋の「罪の文化」に対する「恥の文化」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)。そうした規律を失い、戦後の憲法と教育の下、ただ個人の自由・権利を横行させてきたのである。

 自らに誇りを持てない人間は誰からも尊敬されない。自国を愛せない人間、また然りだ。根無し草は国際人にもなれない。家庭、社会、国。自らの拠って立つ基盤に根付いてこそ、人はある。

産経新聞「from」

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執筆「独創は基本の上に花開く」

 短歌が好きである。何でも一つの世界にしてくれる五七五七七。まるで魔法の杖のようだ。

 とくに好きな歌を、二つ。

 まずは北原白秋の歌。「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」。姦通罪で投獄された彼が、当の人妻を詠んだ歌だ。三十一文字に、視・聴・嗅・味・蝕、全五感に訴える宇宙が広がる。

 次に、与謝野晶子以来の天才女流歌人・中城ふみ子の歌。「冬の皺よせいる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか」。迫りくる死を冷徹に見つめる眼差し。乳癌で両乳房を失い、三十一歳で逝った歌人である。

 下手ながら、私も時折、歌を詠む。高校時代の古文教育の賜である。毎回、活用形の暗記。冬休みには百人一首の暗記。これら宿題を通し、リズムと言い回しが自然に身についた。理詰めの記憶力は二十五才まで衰えないが、丸暗記は十八才まで。とは残念ながら、大人になって知ったことである。

 吉田松陰はじめ昔の人は幼少時、四書五経を素読させられたという。ユダヤ人の頭の良さも幼少時の教典暗誦にあると聞く。理屈抜きに体に染みこんだ言葉は、やがてその意味が分かったとき、一挙に血肉となる。教育とはすなわち、いい型を覚え込ませることである。稽古事、然り。躾、然り。鉄は熱いうちに打て。何にでも逃してはならない時期がある。基本が出来て初めて、独創性はある。

 国も社会も家庭も、作るのは人である。人を作るのは教育である。学力を培わないゆとり教育が、この度やっと見直されるとのこと。朗報と聞いた。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「生まれる国は選べない」

 サウジアラビアでこの十日、初の選挙が実施されたという。 国名の由来は「サウジ王家のアラビア」。一九三二年の建国以来憲法も選挙もなく、数あるイスラム国中、最も戒律の厳しい国である。酒・ポルノ、禁止。写真撮影もダメ。刑罰も過酷の極みである。

 十年前、その首都リヤドを訪れた。砂漠に作られた人工的な近代都市に、張りつめた空気が流れる。

 女性を見かけたのは市場だけだ。全身をすっぽり覆う黒服姿。外国人の私ですら首から下の黒マント着用が必須なのである。学校も銀行も飲食店も、はては結婚式ですら男女は別々だ。女性には運転免許もない。どころか助手席に座れば姦通とみなされ、石打ちの刑になるという。職業ももちろん限られる。話したサウジ男性らいわく、女性を「隔離」ではなく「保護」しているのだと。だが、そう言う彼ら自身が強く抑圧されているのである。

 二〇〇一年九月、米中枢同時テロが起こった。首謀者ウサマ・ビンラディンはサウジ出身。率いるアルカイダのメンバーの多くがそうだ。イスラム過激派を生む社会。その変革を米国及び国内知識人が強く迫った結果が今回の選挙である。だが、未だ女性の参政権はない。

 もしここで生まれていたら……。いや、ひとりこの国だけではない。世界のまだまだ多くの国で、餓死し戦死し、医者にもかかれず初等教育さえ受けられない、そんな人が大勢いる。人は生まれる国を選べない。せめてこの幸せをひしと感じておかねば罰が当たると思うのだ。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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