一生勉強

  突如5月半ばからアクセス数が激減したのですが、ドメイン変更によって障害が発生したようです。御迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
 
  4月末から5月初旬にかけての大型連休は、おおむね仕事で明け暮れました。
  たまたま受任事件が重なったからですが、それもようやく今月末に一段落する予定で、出張続きだった5月とは一転、6月は再び暇になりそうです。弁護士業務は多忙さが一定しないのが常なので、暇なときにも油断せずに勉強しておくようにと言われますが、勉強はもちろんその他にもしたいことがいろいろあり、手が空いたときにやっておこうと思っています。いつ何時また、休みもないほど忙しくなるかもしれませんから。
  ただ、とても法律が好きだし、読むことも書くことも同じように好きなので、仕事が限りなく趣味に近いのが幸せなことだと思います。
 大学にも毎週通っています。
  講義時間は各1時間半ですが、1時間しゃべってあとは個別の質問時間にしています。ことに1年生対象の刑法総論は必修講義でもあり、受講生が何百人もいて、質問も毎回、多数あります。もちろん講義中におしゃべりしたり、マナーがなっていない学生も中にはいますが、大方は礼儀正しいし、可愛いし、「今時の若者」を見直すことしきりです。
  私が彼らに教えているようでいて、実は私のほうこそ彼らによって癒されてるかなあ、そんなことを思います。ストレスは人によってもたらされる代わり、癒しもまた人によってこそなされる。いずれにしても、人は人との関わりの中でしか生きていけないことを改めて実感します。

 このところ、諺なり古語なりを実感することが実に多いのです。人生、年を経ないと分からないことが多いものです。
「袖触れあうも多生の縁」、どの人も御縁によって知り合ったと思える昨今です。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」。
  本当に、なんでもっと勉強しなかったのだろうとよく思います。もっと本を読んでおけばよかった。何であれ今からでも遅くない、なんてことは絶対になく、若い時にしかできなかったことが実は非常に多いのですが、諦めていても仕方がないので、来し方を反省しつつ、これからは時間を有効に使おうと思っています。

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執筆「御縁を大切に」

 昨夏法律事務所を開業した際、親しい弁護士ほど経営を心配してくれた。毎月固定経費がかかる、依頼はそうそうはないよ、報酬請求が難しい……。
  だが、案ずるより産むが易し。周りの皆さまに支えられ、なんとかやれている。有りがたいことには最近依頼が相次ぎ、せっかくの大型連休もゆっくり休めそうにないくらいだ。
  実は、想像していたよりはるかに弁護士業は楽しく、充実した毎日だ。理由は二つ、思い当たる。
  一つは、違う職種を経験しているからだ。国会議員の時は、新米でもあり、数の一つにすぎない場面が多かった。委員会などの時間拘束もずいぶん長い。その以前の検事の時は自分でかなり決められたが、勤務時間が当然にある。だからこそ今、自由に時間がやりくりできる有り難みが身に染みる。
  もう一つは、後半生に入り、人生の有限を悟ったからだ。地球上に何十億と人はいても、実際に出会える人はほんの一握り。袖振り合うも多生の縁。御縁を大事にしなくてはと思うようになった。二万人の弁護士の中から私を選んで下さった方々。そのお役に立てて、なんと幸せなことだろう。
  人は誰しも天文学的な確率で、この世に生を受けてきた。そして出会う、それぞれの家庭、学校、地域、職場……。御縁を大事にすることは人生を大事にすることである。
  今春教授に迎えられ、大学での新しい御縁を頂いた。若者たちには、御縁を大切に、一回限りの人生を有意義に過ごしてほしいと願っている。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「自らを守る権利」

 五年前、参院で開催された「学生と語る憲法調査会」でのことだ。
  自衛のためでも戦争は絶対に許されないと言う女子学生の一人に、尋ねてみた。「では、貴女自身が襲われたらどうするのですか」
「そのときは……身を捧げます」
  ざわついたのは我々議員席のほうだ。あのとき、分かった。とにかく暴力は駄目だと教育されてきたのだと。
  もちろん、人が自分や家族を守るのは、刑法以前の自然の法である。国の自衛もまた、憲法以前の自然の法なのだ。おそらく我々は、戦後長い平和と共に、国際社会での普通の感覚を失ってきたのだろう。と共に人としての普通の感覚をすら失くしたのかもしれない。自らをさえ守れずに他の誰を守れよう。そんな人間を誰が尊敬しよう。国も同じだ。自衛すらできない国が国際社会で高い地位を占めることはできない。そう考える人も多いはずだ。
  憲法九条。たぶんこの条項が長い間、改正論議をタブーにしてきたのだろう。だがこの度ようやく衆参両院憲法調査会の最終報告書が出されるに至った。諸外国は、社会の変遷に合わせて随時憲法も改正している。我が憲法は今や世界最古の憲法の一つなのである。
  時代は急速に変わっている。六十年前にはコピーもファクスもなかったのが、今や携帯電話、インターネットの時代である。この間裁判で認められた、環境権や知る権利、プライバシー権など、新たに盛り込むべき事項はじめ、改正すべきことは多い。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「揺らぎないよすが」

 「我々の国では絶対に、考えられないことです……」。

  十年前、地下鉄サリン事件が起きたとき、イスラムの知人にそう言われた。神の言葉コーランが生活の隅々にまで浸透し、新興宗教が入り込む余地はないと。

  ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は一神教である。神は天地創造の主で同じだが、神の言葉を預かった人(預言者)がそれぞれ、モーゼ、キリスト、ムハンマド。中で七世紀に誕生したイスラムが最も新しい。神に造られた人間は、唯一絶対の神を懼れ、敬い、服従するしかない。汝、殺すなかれ。盗むなかれ。姦淫するなかれ……すべて神の言葉である。

  もともと人類は自然を崇拝し、多神教であった。「八百万の神の国」日本は、多様な宗教を受け容れ、平和に共存してきた。勤勉で正直、かつ礼儀正しい国民性。確固たる宗教なしに社会をどう規律するのか。とアメリカで問われ、新渡戸稲造が英語で著わしたのが『武士道』だ。大和魂。あるいは「恥の文化」、世間様。これらが厳然と社会の規律を保っていたのである。

  それが戦後、一変した。道徳的価値を顧みず、経済的価値のみを追求。バブルが崩壊し、ふと足許を見れば、拠って立つ基盤がない。社会不安が増す中、心の拠り所を求め、怪しい宗教に惑わされる人も増えるのではないか。

  折しも、カトリック約十一億人の最高指導者、ローマ法王が亡くなった。八日の葬儀までに五百万を超える人が訪れたという。揺らぎないよすがを持つ人々が羨ましく見えてくる。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「職業を持つこと」

 父は普通のサラリーマン。周囲に法律家は皆無であった。

  私がなりたかったのは医者である。ことに精神科医。だが、体が頑健ではないうえ、血を見るのが怖い。さんざ迷った挙げ句、「潰しが効く」法学部に入った。職業はあとでゆっくり考えよう……。

  実際いろいろ考えた。新聞記者、外交官、国家公務員。アナウンサーになろうと会社訪問したら、「関西弁ですし、よほどのコネがないと」。民間が未だ大卒女子への門戸をほぼ閉ざしていた時代、結局私は、司法試験に挑戦。裁判官か弁護士になるつもりだった。

  だが検事になった。司法修習で初めて接した検察は、大学で教わった「無辜の人を有罪にする悪役」とはまるで違った。どころか、犯罪者の更正を真に願う「公益の代表者」。私への勧誘文句は、行政官だからいろいろな部署に行けるよ、弁護士にはいつでもなれるよ。

  任官して十五年余、突然、参院選挙に比例区総理枠で出馬をとの声がかかる。名簿順位十一位での転身。その二年後、選挙制度が変わった。候補者名を書いてもらう、元の全国区に近い制度になったのだ。次は当然、過酷な選挙運動を覚悟せねばならぬ。後半生、私は何をしたいのか。真剣に悩んだ末、昨夏、一期限りで引退した。

  振り返って、私が堅く心に決めていたのは一つだけ、「職業を持つこと」。あとは偶然の積み重ねだが、どれも楽しく、得難い経験となった。弁護士業の傍ら、今春から週一回、大学で刑法と刑事訴訟法を教える。新たな職業が楽しみだ。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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