執筆「敗戦のトラウマ」

「なぜ日本の人々は国に誇りを持たないのですか」「大戦の廃墟から立ち直って、世界有数の経済大国になった日本は我々アジアの誇りです」

 十年ほど前、アジア極東犯罪防止研修所という国連機関で教官をしていたときのこと。何人もの刑事司法関係者からそう言われた。皆それぞれ自国を愛し、誇りに思っている。国際的には当たり前のことなのだ。

 対してなぜ我々は、愛国心を口にしないのか。どころか自虐的でさえあるのか。その答えが見つからないまま国会議員となり、初めて歴史教科書問題に接した。深刻な問題意識を抱き、真剣に歴史を学び直すうちに、私なりの解が出た。「敗戦のトラウマ」。

 史上最初かつ最大の敗戦に自信を喪失した日本は、過去を捨て、別の国を目指した。昭和二十七年に独立を回復した後も、与えられた憲法を見直すことなく、安全保障を他国に任せ、ひたすら経済発展に邁進してきた。裏を返せばそれだけ占領政策が成功したともいえるだろう。

 だがバブルは崩壊。経済にのみ支えられた自信は吹き飛んだ。戦後徐々に日本を蝕んできた精神の荒廃が一挙に露わになる。以後目に見えて治安は悪化。犯罪件数は十年で倍だ。その低年齢化、凶悪化も進む。家庭も学校も、果ては第二の家庭であった会社も、崩れていく音が聞こえるようだ。

 古来、八百万の神の国・日本。確固たる宗教なくして国民を規律するものは何か。と問われ、新渡戸稲造は英語で『武士道』を著した。あるいは西洋の「罪の文化」に対する「恥の文化」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)。そうした規律を失い、戦後の憲法と教育の下、ただ個人の自由・権利を横行させてきたのである。

 自らに誇りを持てない人間は誰からも尊敬されない。自国を愛せない人間、また然りだ。根無し草は国際人にもなれない。家庭、社会、国。自らの拠って立つ基盤に根付いてこそ、人はある。

産経新聞「from」

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