執筆「少年老い易く・・・」

 大学の講義を三コマ、受け持っている。一コマは一時間半。
「今時の大学生には無理ですよ。せいぜい一時間」。長く公立大学で教える友人の言に私も同感だ。故に講義は一時間にとどめ、あと個別の質問タイムにしている。ことに一回生は必修講義で五百人超だから、質問者の数も半端ではない。
初回で断然多かった質問は以下。「履修届要りますか」要りません。「教科書、本屋に行ったら切れてます」注文して下さい。「出席取りますか」いいえ。「試験問題はどんなのですか」穴埋め式じゃなく〇〇について述べよ式です。「教科書持ち込みありですか」六法だけです。
  二回目以降講義内容に関する質問が増えた。別の講義に関する質問あり、進路相談あり、ちゃっかり法律相談あり、いろいろだ。ゼミを持つ時間的余裕のない私にはこれが唯一、学生と個別に触れ合える時間なので、結構楽しんでいる。中には、即答できない高度な質問もある。
  大学でも二極化が進んでいるようだ。必ず前に座り熱心に聞く者。傍観者に徹した者。小学生相手なら、静かに聞きなさいと諭すのも教育の一環だろうが、最高学府の大学は本来、学問の場である。
とはいえ私自身、振り返って、あまり真面目な学生ではなかった。働かずに学べる環境に特段感謝もせず、若さの特権にも気づかなかった。だが人生で、純粋に勉学に没頭できる時期は限られるのだ。後悔はただ一点、もっと勉強しておけばよかった。
「少年老い易く学成り難し」。年を経て初めて実感される真実が多い。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「冷静な国連論議を」

 国連安全保障理事会の常任理事国に入るため、日本が活発に運動しているという。
  常任理事国は米・英・仏・ロシア・中国の五カ国。あと非常任理事国が十か国。こちらは任期二年の改選組である。
  四年前、国連本部を訪れたときのこと。案内役の外交官が、我が哀れな実状を教えてくれた。場所は安保理会場の隣室だ。
「非常任でも理事国のときはいいのですが、任期を外れると、ここで待って、中から出てきた人にどうなったか聞くしかない」のだと。
  国連の加盟国数は現在百九十一。理事国数を増やし、その際地域的なバランスに配慮すべきである。ことに日本は、アメリカの二二パーセントに次ぐ、一九パーセントの国連分担金を負担している。応分の立場を要求して当然であろう。
  だがそれも、国連外交が数ある外交の一つにすぎないと承知した上でだ。そもそも国連とはどんな機関か。その憲章は「われわれ連合国の人民は」で始まる。国連(The United Nations)はすなわち「連合国」。現在の常任理事国五カ国は、第二次世界大戦の戦勝国だ。五三条には未だに敵国条項が残る。同時多発テロ以降、米国の顕著な国連軽視はEU諸国の非難を浴びるが、もとより加盟国の集合体、各国益を超えた価値や平和など幻想にすぎない。
  最近危険に思うのは、日本が米国一辺倒をますます強めていることだ。米国は今世界でどんな立場にあるのか。外交は全方位とはいわぬまでも多極でなければならぬ。米国を挟んでEU。中国を挟んでインド・ロシアというように。戦略なき外交が心配だ。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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執筆「家庭の基本は食? 子どもの健全な発育を 育む日々の食卓」

 休日の夕方、台所にいたとき、聞こえてきた言葉に思わずはっとした。テレビ画面を見る。

「親の愛情は料理に表れますからね」
  有名な料理人。さすがずばり、いいことを言う。

  少年事件を扱っていて、家庭のひどさによく暗澹とさせられた。放任を象徴するのが「食」。まともな食事をしていないのだ。親というのは普通、我が身はさておき、まずは子に食べさせ、その健やかな成長を願うものであろう。家庭の基本は食にある。共に語らい、笑い合って食卓を囲んでこその家族である。それを、金だけ与えられて買い食いの生活では、誰だって心がすさむ。

  切れやすさはカルシウム不足のせいもある。牛乳や小魚、ではなくファストフードと清涼飲料水。これで心身共に健やかに育てというほうが無理である。

  人の愛情はすべて、言葉ではなく行動に表れるのだ。親の場合は、これ毎日の食である。愛されて育てば、人は、大切にされる自分という自己評価を育て、自らを大切にすることができる。犯罪や援助交際といった自らを貶める行為に走り、親を悲しませることなどできなくなるのだ。だが悲しいかな彼らは、親にさえ構われない、つまり誰からも放っておかれる自分を、心の奥深くで蔑んでいる。

  親が子になすべきことは、ひとりでもやっていけるよう基本的な生活習慣を身につけさせることである。挨拶、きちんと座る、人の話を聞く、嫌なことも我慢してやる……。規則正しい食生活もその一つだ。悪い例が、最近増えている子どもの肥満。肥満は生活習慣病の元凶である。将来も食欲と闘うか病気と闘うか、苦しい人生が続く。

  いい食習慣は人生の無形財産である。運動が苦手でダイエットもしない横着な私が、この二十年来体重がほぼ変わらない秘訣は、たぶん食習慣にある。厳しい母から嫌いな物も食べさせられたお陰で、偏食がない。好みは関西風の薄味。間食はしない。腹八分目で自然に摂取が止まる。すべて子どもの頃についた習慣なので、何の苦労も要らない。

  食卓で、母によく言われた。食べられない可哀想な子どもたちのことを。あるいはお米を作るお百姓さんの苦労を。母は農家の出身なのだ。食は、料理をする人だけではない、素材を作る人、素材そのものへの感謝の念と共にある。殺生を許さない宗教もあれば、神に祈りを捧げて初めて殺生を許す宗教もある。他の命を犠牲にして自らの命があることを知れば、人を傷つけたり、自らの命を粗末に扱ったりすることは決してできないだろうと思うのだ。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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一生勉強

  突如5月半ばからアクセス数が激減したのですが、ドメイン変更によって障害が発生したようです。御迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
 
  4月末から5月初旬にかけての大型連休は、おおむね仕事で明け暮れました。
  たまたま受任事件が重なったからですが、それもようやく今月末に一段落する予定で、出張続きだった5月とは一転、6月は再び暇になりそうです。弁護士業務は多忙さが一定しないのが常なので、暇なときにも油断せずに勉強しておくようにと言われますが、勉強はもちろんその他にもしたいことがいろいろあり、手が空いたときにやっておこうと思っています。いつ何時また、休みもないほど忙しくなるかもしれませんから。
  ただ、とても法律が好きだし、読むことも書くことも同じように好きなので、仕事が限りなく趣味に近いのが幸せなことだと思います。
 大学にも毎週通っています。
  講義時間は各1時間半ですが、1時間しゃべってあとは個別の質問時間にしています。ことに1年生対象の刑法総論は必修講義でもあり、受講生が何百人もいて、質問も毎回、多数あります。もちろん講義中におしゃべりしたり、マナーがなっていない学生も中にはいますが、大方は礼儀正しいし、可愛いし、「今時の若者」を見直すことしきりです。
  私が彼らに教えているようでいて、実は私のほうこそ彼らによって癒されてるかなあ、そんなことを思います。ストレスは人によってもたらされる代わり、癒しもまた人によってこそなされる。いずれにしても、人は人との関わりの中でしか生きていけないことを改めて実感します。

 このところ、諺なり古語なりを実感することが実に多いのです。人生、年を経ないと分からないことが多いものです。
「袖触れあうも多生の縁」、どの人も御縁によって知り合ったと思える昨今です。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」。
  本当に、なんでもっと勉強しなかったのだろうとよく思います。もっと本を読んでおけばよかった。何であれ今からでも遅くない、なんてことは絶対になく、若い時にしかできなかったことが実は非常に多いのですが、諦めていても仕方がないので、来し方を反省しつつ、これからは時間を有効に使おうと思っています。

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執筆「御縁を大切に」

 昨夏法律事務所を開業した際、親しい弁護士ほど経営を心配してくれた。毎月固定経費がかかる、依頼はそうそうはないよ、報酬請求が難しい……。
  だが、案ずるより産むが易し。周りの皆さまに支えられ、なんとかやれている。有りがたいことには最近依頼が相次ぎ、せっかくの大型連休もゆっくり休めそうにないくらいだ。
  実は、想像していたよりはるかに弁護士業は楽しく、充実した毎日だ。理由は二つ、思い当たる。
  一つは、違う職種を経験しているからだ。国会議員の時は、新米でもあり、数の一つにすぎない場面が多かった。委員会などの時間拘束もずいぶん長い。その以前の検事の時は自分でかなり決められたが、勤務時間が当然にある。だからこそ今、自由に時間がやりくりできる有り難みが身に染みる。
  もう一つは、後半生に入り、人生の有限を悟ったからだ。地球上に何十億と人はいても、実際に出会える人はほんの一握り。袖振り合うも多生の縁。御縁を大事にしなくてはと思うようになった。二万人の弁護士の中から私を選んで下さった方々。そのお役に立てて、なんと幸せなことだろう。
  人は誰しも天文学的な確率で、この世に生を受けてきた。そして出会う、それぞれの家庭、学校、地域、職場……。御縁を大事にすることは人生を大事にすることである。
  今春教授に迎えられ、大学での新しい御縁を頂いた。若者たちには、御縁を大切に、一回限りの人生を有意義に過ごしてほしいと願っている。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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