執筆「世界の料理を洗練してきた日本 豊かな食文化を次の世代へ」

 私は、自他共に認めるグルメである。 
 美味しい店の情報はメモをし、丹念に出かけていく。すごいエネルギー、執念だね、とよく言われるが、単純に、美味しい物が食べたいだけである。未知なる食材、未知なる美味に出会えば感激し、生きていてよかったとすら思えてくる。食欲は本能だから、まさに美味は、人生の醍醐味だと思う。
 国外で出会った、とくに忘れがたい味を挙げる。パリ郊外でのフォアグラ料理。ジュネーブでのスープフォンデュー(鍋物)。日本でも食べられるオイルフォンデューやチーズフォンデューとは別物だ。そして、ベトナム・ハノイでのエスカルゴ。蒸して現地の調味料をつけて食べるだけの単純な代物だが、本場フランスのとは違う美味で、3人前を平らげた。
 数え切れないほど行った海外で、数えるほどしか感激の美味に出会わないのは、国内で多種多様の美味に馴染んでいるせいだろう。イタリアンもフレンチも中華も、現地より日本のほうが美味しいと思うのは私だけではない。今や東京ほど、世界中の料理を、かつまた洗練度の高い料理を味わえる都市は、他にない。
 日本での食は文化なのである。魚といえば単語が一つしかない国もあるが、日本では出世魚がいくつもある。山菜も様々に使い、食材が豊富。自然に恵まれ、自然と一体化した日本人の繊細さが食を育んできた。季節や食材によって器を選び、掛け軸を替えて、客をもてなす国。まず視覚から食欲に訴える日本料理からフランス料理が学んだことは多い。
 耳は3代、舌は5代という。スナック菓子やコンビニ弁当で育つ世代に、文化は継承されるのだろうか。母の味は、愛情でもあり、また文化の継承でもあるはずだ。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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