夏期休暇終了,北京オリンピックなど

 今年の夏期休暇は12日から昨日まで,つまり丸1週間は取れていない。
 うち4日間は帰省していたし,その他は雑用をこなしていたから,ちっともぼうっとしていない。思いきり暑いし,体力を消耗させないためにも本当は夏,もっと休暇を取るべきなのだが,個人営業の身ではなかなかそうもいかない。もっとも仕事が好きだからいいようなものだが,でなかったら辛いだろうなと思う。

 今年,短い休暇がより短く感じられたのは,北京オリンピックのせいも大いにある。私は日頃から人並み以上の愛国者だが,こうした折にはもっとうんとすごい愛国者になる。
 日本選手が大いに活躍してくれた水泳や体操などに驚喜した反面,柔道やマラソンにはかなり落胆させられた。つまり選手は,日本国民の期待を背負って競技しているのだ。そのプレッシャーたるや。そんな中で,宣言どおり2連覇を果たした北島選手の精神力には舌を巻くし,24年ぶり(とは知らなかった)の体操個人総合メダルを獲得した19歳の内村選手にも感激した。どのフォームも着地もぴたっと決まる演技は,美しさを通りこして,神々しくさえある。ひとり日本に留まらず,彼らは,世界での1位,2位なのである。

 彼らは,まだ小さな時から,自分の好きなことを見つけ,限りのない努力を重ね,大いなる目標を掲げ,その達成に向かって,ひたすら邁進してきた。なんと素晴らしい人生だろうと思う。克己,すなわち,自分に克つことのできた,選ばれし者たち。
 もちろん持って生まれた才能があればこそ,またその才能を開花させるだけの環境に恵まれた故であるにしろ,本人のたゆまぬ努力なくして達成できるものは,何一つない。その勇姿を見て,頑張ろうと思った子どもたちがどれほどいるだろうか。目標になる大人,希望の星を,みな身近に欲しがっている。それが一番の,生きた教育というものであろう。

 これほどに大したレベルでなくても,大きな目標でなくても,人は何か夢を持ち,それを叶えるために努力をすることが必要である。残念なことには,好きなことが何もない,したいことがない,なりたいものがない,そういう若者が多いのも現実なのだ。教師としてこれほど進路指導に困ることはない。その極端な例が,働きもせず,かといえ勉学もしない,ニートである。
 外国からの看護師,介護士を増やす政策が実施された。しかしそれを言う前に,本来は日本国民自身が働くべきである。労働人口である外国人移民も,いずれは年老いる。そのとき国は彼らを養うのだろうか。また当然に結婚もし,子どももできる。その教育,社会の受け入れ態勢はどうするのだろうか。ドイツやフランスの外国人移民問題のことはどう考えているのだろうかと思えてくる。

 今月1日,内閣改造が行われた。目新しいものはなく,支持率も当然にあまり上がらない。一番の話題は,解散はいつ? 韓国では一番の話題は,いつ国会を開くか(大統領制でもあり,与野党が対立するとなかなか開けないのだ。植物国会と言われた時期もあった),日本でのそれはいつも解散時期である。

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執筆「治安の安定をも左右する ワーキングプア問題は喫緊の課題」

 我ながらなんという卓見であったろう。「ワーキングプア問題」を取り上げたのは2月号。
年収200万円以下の貧困労働者が1000万人を超えた実態を捉え、私はこう指摘した。「貧困は古今東西、犯罪を生む最大要因でもあるから、治安対策にも必須の課題である。日本の治安の良さは、教育によるモラルの高さに加え、経済的な安定によって保たれてきた。」
 5月、江東区マンションで女性遺体逸失事件が起こった。そして、6月。犯罪史上に残る秋葉原の大量通り魔事件が起きた。
 犯人はどちらも派遣社員だった。
 犯罪を個別に見ればそれぞれ要因があり、派遣だから、貧困だから、ということはないが、全体的に見れば、社会を映し出す鏡となる。契約更新があるのか、次の雇用があるのか分からない、明日が知れない人生は絶望と裏腹だ。秋葉原犯人は、25歳にしてすでに、独りぼっちの老後を描いていた。
「人は夢を失ったときに老いる」とは、ウェルマン『青春の詩』。負け組の人生が早くに確定すれば、自殺するか、さもなくば社会に怒りを爆発させるか。理不尽であるにしろ、犯罪予備軍がうごめている気配がひしひしと感じられる。
「必要な時に必要な人材を」。これは使う側の論理である。労働者は会社に搾取され、派遣業者にも搾取される。要らなくなったら使い捨て、では物と同じである。
 会社の社会的貢献とは「何よりも雇用を作ること」だと、名企業経営者・永守重信氏は言う。寄附でもなければ、ましてリストラして利益を上げることではない。人は、能力より意欲だと彼は言う。
 働く意欲があっても働く場を与えられない人たち。ワーキングプア問題は社会安定のために喫緊の課題なのである。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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裁判員制,来年5月から導入

 平成16年に国会を通過した裁判員制がいよいよ来年5月からスタートする。
 殺人など一定の重大な刑事事件について,一般市民が裁判官と一緒に裁判をする制度である。誰がいつ当たるか分からないとあって,講演依頼がときどき入る。昨日もそれで茨城に行っていた。

 これは法曹増員やロースクール設置といった司法改革の流れの一つとして出てきた。要するに市民の司法参加形態であり,日本では現行「検察審査会」しかないのだが,先進諸国では陪審ないし参審制があり,日本でも導入をということになった。背景に,裁判官は世間知らずなので一般人を入れなくてはといった感覚もたしかにあった。

 さて,アメリカ映画でおなじみの陪審制は,英米法の国がとる。
 被告人が事実関係を認めれば,司法取引などをしたうえ有罪答弁をするので,証拠調べは一切不要,従って裁判官が量刑を言い渡すだけなのだが,事実関係を争うとなれば一般市民からその度ごとに籤で選ばれる陪審員(たいてい12人)が証拠調べをし,事実認定をする。裁判官は,証拠調べの説示,たとえば今のは伝聞証拠なので採用しないでくださいといった説示をするのみで,事実認定は陪審員の専権である。
 歴史的にはもともと「お上」は信用できず,自分たちで裁判をする「権利」という発想がある。彼らにとって民主主義は血と汗で勝ち取るものなのだ。また事実認定は常識のある者であれば出来,法律的な知識は不要という実際的な考えもある。
 ただ素人の裁判なので有罪か無罪の結論のみ,理由は一切付されない。従って原則として控訴はできず,一審のみで終わる。

 ドイツやフランスなど大陸法の国は参審をとる。一般市民と裁判官が一緒になって事実認定と量刑判断をする。もっとも一般市民は労働者代表や団体推薦といった形で何年かの任期制になっている。日本のとる裁判員制は,参審をベースに,一般市民を事件ごとに籤で毎回選ぶという陪審制のやり方をとる。
 裁判官3人に裁判員は6人。選挙権があれば誰でもなりうるが,法律関係者や一定の職業は就職禁止,あるいは70歳以上や学生,介護や育児,仕事などどうしても駄目な場合は辞退が認められうる(が決して広くは認めない)。
 事件は殺人など一定の重大事件のみを対象とし,年間3000件程度。全刑事事件の3%程度だ。もちろん死刑対象事案も入る。一般市民が加わることで死刑宣告が増えるか,減るか,識者によっても考え方の別れるところだ。ちなみに被告人には選択権はない。事実を争わなくても裁判員裁判で裁かれることになる。

 私は法制当時,導入に猛反対した。多勢に無勢で認められたが,今でも反対の立場は変わらない。市民が司法参加を「権利」とは考えず,義務としかなりえない国柄なのだ。また被告人にも選択権がない。ただ一つ,裁判が迅速化すること,迅速にならざるをえないことがメリットといえばメリットだが。さていざ始まってみると,どうなるだろうか。

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執筆「身の丈に合ったお金を使い お金の生きる使い方を知ること」

 美容院には月に一度、まめに行く。そこで高級婦人雑誌が読めるのはささやかな楽しみである。
 ページを捲ると、贅沢な美の世界が広がる。世界や日本の観光地、美食の数々。ブランドの宝飾品や服飾品。値段を見て、びっくりするのは毎度のことだ。宝石は千万円単位、服やバッグも百万円を超えたりする。こういうのを普通に買っている人たちがいるのよねえ。少しの羨望を、たしかに感じる。
 だが、手が届かない物はしょせん仕方がない。無理をしない範囲でお洒落はできるし、反対に、お金があれば素敵に着こなせるとも限らない。まして幸せかどうかは別ものだ。幸せとは、苦労なく与えられることではなく、あと少し頑張ったら手が届く、そのために努力しようと思える状態であるからだ。
 しかし、世の中には、身の丈を超えて金や物を追い求める人が、結構いる。買い物依存症の人たちの心は常に飢餓状態で、借金をしてでもブランド物を買いあさる。詐欺で稼いで、パチンコやブランド物、高級飲食店でそれこそ湯水のように使いまくっていた女もいた。出所後はまた繰り返す。俗にいう「飲む打つ買う」は、犯罪に走る三大動機である。
 先日、自己破産希望の男性から法律相談を受けたのだが、唯一の趣味の競馬、職業としての投資を続けたいとのこと。それでは債務の免責はされないだろうと答えると、困りましたと言う。それこそ困った人である。
 生きていく背骨に金銭感覚があると、私はずっと思っている。生き方は金の使い方に如実に表れるからだ。何にどう、いくら使うか。ケチは駄目、さりとて浪費家も駄目。相性がいい人というのは金銭感覚が合う人だということも分かってきた。
 粋な人、素敵な人は金の生きる使い方を知っている。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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遺体消滅事件,そして秋葉原通り魔事件

 江東区での猟奇的事件。遺体は骨まですりつぶされた。
 帰宅した女性が,マンションの一つ置いた住人に突如襲われ,自室から引きずり出されて(その際,犯人の指紋が検出されたのが幸い,犯人はまずは住居侵入で逮捕された。)犯人方に連れ込まれた。その後何をどういう風にされたのかは分からないが,とにかく殺され,遺体は損壊された。
 全貌は明らかではないが,犯人は(たぶん)異常性欲者で,相手は誰でもよかったようだ。被害者が2人暮らしであることを知っていれば,すぐに発覚するので(実際,それですぐに発覚した)狙わなかったはずだが,それさえ知らなかったのだから。
 一昨年,渋谷でばらばら事件が続けて起こり,もはやばらばらくらいでは人は驚かない。遺体の肉と骨を綺麗に削ぎ,ひたすら粉々にしている作業を想像するだに身の毛がよだつ。遺族の怒り,悲嘆は察するにあまりある。捜査上も,遺体がないのではどんな傷害を負わされたのか,強姦されたのか,分からない。犯人の自白があっても被害者はいないし,遺体もないとあっては検察は起訴を躊躇せざるをえないだろう。公判で自白が転じたときに,支える証拠がないからだ。
 殺人と死体損壊。強盗か強姦がつかなければ,この罪名では,殺人などの大きな前科がない限り,死刑とはならず,無期懲役が限度ではないだろうか。おかしな話だが。

 そして,この日曜に起きた秋葉原通り魔事件。犯人はトラックで歩行者天国に突っ込んだ。降りて持参の包丁で刺す。死者7人,負傷者10人。
 犯人はコンプレックスの固まり。20台半ばですでに夢も希望もなく,寂しい老後を現実のものとして描いている。人生の落伍者で負け組であるとの怒りは自分自身には向けられず,そういうふうにした社会が悪いとばかり,他者に向け,挙げ句無差別殺人を狙った。卑怯この上ないが,この犯人にはそれなりに理屈が通っていたのだろう。茨城の通り魔事件,池田小学校事件にもヒントも得ていたはずで,池田小の事件が同じく6月8日であったのは偶然ではないようにも思える。

 上記の事件との共通点は,被害者には防ぎようがなかったことだ。たまたまそこに居合わせた。気の毒としかいいようがなく,犯人への憤りも募るばかりだ。
 さらなる共通点は,犯人がともに派遣社員であったことだ。正規社員と違い,彼らには身分保障がない。いつでも切られ,その待遇は人ではなく物のようだ。
 個々の犯罪は犯人の個性によるが,しかし犯罪を全体として見た場合には,犯罪は必ずや社会問題である。貧しければ人は窃盗をしてでも,他人を傷つけ,強奪してでも,食べていかねばならない。希望も夢もなければ,自己を律してよりよい生活のために努力する気にもならず,自暴自棄に陥る。生活の安定,そして夢のある社会こそが人を犯罪から遠ざける要因なのである。
 これだけ政治も社会も乱れ,富裕層とワーキングプアが二極化し,敗者復活が早い段階で難しいとくれば,自暴自棄になる者は大勢いる。犯罪予備軍がそこここにいて,また模倣が広まるのだとすれば,恐ろしいことである。今日も無事だったとほっとする日が来るのかもしれない。安全神話はどこにいったのだろう。

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