執筆「真の価値を見失う現代にあって 人に感動を与える芸術とは」

 クラシック音楽を毎日聞いている。CDやラジオ・テレビが多いが、たまに演奏会に行く。生演奏は最高だが、生だから良いとも限らない。
有名な人でもえっという場合もあるし、コンクール歴も決して当てにはならないようだ。クラシックでもやはりルックスや激烈なうたい文句が大事なのかもしれない。
 私がよく分かるのはピアノなのだが、正直なところテクニックが目立つ人が多いと感じる。音に魂がこもらず、音楽への愛情の感じられない演奏。時間とお金を使って、心が冷えてはつまらない。それでも盛んに拍手を送っている人がいるのは、日頃良いピアノの音に接していないからかもしれない。
 芸術の神髄はやはり感動にあると思う。涙が溢れ、生きていてよかったと思わせてくれる力こそが芸術だと思う。世紀のソプラノ、アンナ・ネトレプコは言う。「声がいくら良くても、歌がいくら上手でも、それだけで人に感動を与えることはできない。それはsoul(魂)だ」と。

 私が最も好きなドイツのピアニスト、今は亡きウィルヘルム・ケンプの演奏には魂が籠もっていた。テクニックにさほどの評価はなかったが、真摯な、気品に満ちたその演奏は、一つ一つの音を通して、聴衆に感動を与えた。温かい、敬虔な人柄を感じることができた。
 しかし今や、音楽や芸術に限らず、社会の隅々に、小手先のテクニック、言葉や態度が蔓延しているような気がする。真摯、敬虔、気品といった、真の価値が忘れ去られているように感じる。お金がなくては人は生きてはいけないけれど、それにのみあくせくしていては、肝心の心を見失う。
 未曾有の危機にあるからこそ、今一度、原点に立ち返ってと祈りたい気持ちである。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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