親しい人を次々と亡くして、思うこと

 このところ仕事その他に忙しくて、そうしたらもう10月も終わりに近づいている。秘書から年賀状、と言われて、もうびっくり。一年が経つのが早すぎる…。

 誰もがそうだろうが、今年は3月11日の大地震を堺に、大なり小なり生活も人生観も変わった。ところにもって、私の場合は9月7日、24日と続けて、親しい人が亡くなった。前者は61歳女性、昨秋不調を感じて胃の検診を受けたときには胃癌の末期だった。後者は65歳男性、今年3月末肺癌の宣告を受けたときにはやはりすでに手遅れ。どちらも実に優しく、素晴らしい人だった。そんな人に立て続けに、急にいなくなられてしまった。ああそうだ、もうお話ができないのだ、会うことができないのだ、と思うと涙がこみ上げてくる。

 彼らほど親しくはなかったのだが、このところ周りで、60歳位での死が続いている。警察キャリアの知人は丹沢にキノコ採りに行って、脚を滑らせて転落死。知人の奥様は難病で闘病生活をしておられたのだが、死去。人の死が周囲に与える影響は絶大だ。やはり、長寿であることは大事なことなのだとつくづく思う。

 亡くなった後も折りに触れて思い出す人は、懐かしさの残る人だ。ただ、人柄故。過ごした時間に比例することもない、懐かしさ。嫌なことも辛いことも生きていればこそ。自分のためはもちろん、周囲のためにも寿命は全うしなければと改めて思う。そしてまた、生きておられること、普通に生きておられることのありがたみを思う。感謝をしなければ。今年確実に、人生観が変わった。

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執筆『パートナーの事故死で財産でもある会社から出て行けと・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる11月号」

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法曹人口拡大を憂慮する

 この週末、知り合いの司法修習生の訪問を受けた。彼女は今年12月に就職するが、女性の仲間のほとんどがまだ就職先が決まっていないという。昨年の合格者のうち(修習期間は1年に短縮されている)今年7月時点で就職先未定者の割合がなんと43%、昨年同期の35%よりさらに悪化しているとのこと。実に深刻な事態は、明らかな供給過剰がもたらしている。

 イソ弁(勤務弁護士)の給料は大体年600万円(渉外事務所だと年1000万円を出す所もある)と思っていたのだが、昨今のアンケートでは年400万円程度に落ちている。せっかく資格を持ちながら大企業に勤めるほうがよほど条件が良いのだ。それでも給料を出してもらえるのであればよいほう、給料は出せないからとノキ弁(場所だけ(軒)を貸してもらう)、ドク弁(最初から自宅などで独立する)、携弁(携帯電話だけで仕事をする)といった言葉まで出てきて久しい。大学時代に人よりはずっと勉強をしてロースクールに入って2年、この間遊びもアルバイトもせずにようやく難関の司法試験に合格して1年、その結果がこれではまったくもって救われない。

 ロースクール実施後の新司法試験には受験回数制限が設けられている。卒業後5年以内に3回まで。それで不合格だと永遠にアウトとなる。合格率はトップ一橋大ですら57.7%。50%を上回るのは続く京大、東大まで(ちなみに私の母校神戸大は46.6%、5位。4位は慶応大)。平均すれば23.54%、4人に1人しか合格しない狭き門である。もともと入って卒業さえすれば7割方司法試験に合格するとの触れ込みでロースクールは始められた(私が導入に大反対したことは、国会議員時代のブログにも書いたはずだ)。その前提として、合格者を年3000人まで増やすとのふれこみがあった。入れば受かるのであればと会社をやめてまでロースクールに入った人も多かった。量を増やす以上質を確保しなければと始めた日本版ロースクール。大学に法学部がない本家本元の英米とは違い、法学部を残したまま、屋上屋を重ねる形であった。法律ばかり勉強するのは実際とてもよくないことである。

 企業内弁護士(サラリーマン弁護士)を増やしたいからという、経済界の安易な希望で始められた法曹人口拡大。しかし日本にはもともとそこまでの需要はない。企業内弁護士自体まるで増えない。需要の試算すらなく、アバウトに始められた「3000人」。そして現実に起きている弁護士の余剰。合格者は2000人で止ったまま、この数ですら多すぎるのである。もちろんホームレスにも貧困者にも弁護士は必要である。それは疑いがないが、だが食べていけなければ志の高い仕事はできない。足元が不安でいてもできる仕事ではないのである。合格者は減らさなければならないはずだ。とともに今やもうほとんど合格者の出ていないようなロースクールは淘汰されていく。

 この問題は弁護士一般に対する社会の信用をがた落ちにさせたと思う。弁護士は医者と同様、資格を持ってスタートしたからといって、すぐに使えるような職種ではない。一人前になるにはさらに修練が必要だ。ノキ弁以下は、誰からも教えを受けられないこととなる。自己流の裁判、事件処理ほど怖いものはない。そのリスクは依頼者が背負う。一体そもそも何のための法曹人口拡大だったのか。根元を正してほしい。

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執筆「高価な物を買わされてクーリングオフをしたいです…」

自由民主党月刊女性誌「 りぶる10月号」

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国会スタート、検察不祥事公判

 早くも経済産業大臣が更迭、政治家以前の人間レベルでの失格発言で、である。国際報道もされて国の信用がさらに傷ついたが、もはや怒りも湧かない。こんな人が政治家、こんな人しかいないのだ……。対小沢、党内融和のみを目論んだ人事は、適材適所どころか、はなから素人内閣といってよかった。あまり注目されていないようだが、野田内閣は党の政務調査会で通過した法案のみを国会に挙げるとして、党重視の姿勢を鮮明にしている。自民党がかつて長い間、党の事前審査を経た法案のみを上げたのと同様の形であり、主軸は党に置かれ、国会の形骸化、族議員の暗躍の元ともなるのだが。

 それにしても野党がまたまた「任命責任を問う」とばかり、声高に主張しているのが苦々しい。政策で真っ正面から切り込んでいけば、揚げ足など取らなくても素人内閣はすぐに崩壊するのに、実は政策論争をする力がないのだと、野党は自ら示しているのだろうか。となると解散・総選挙になって、政権を奪回したとしても同じことが繰り返されるだけである。もともと政権交替は、自民党が国民にノーを突きつけられたからなのだ。その厳粛な事実を反省もせず、ただ相手を非難しているようでは、誰も信用しない。

 この状況では政権がまた自民党に戻ったとしても、また同じことが繰り返される。二大政党制の下ではありうることだが、より良い政策ではなく相手へのノーから仕方なく選ばれるのでは、ますます国力が落ちていくことだけは確実である。既成の政治にすっかり諦め切った国民は、強力に引っ張ってくれるヒーローを待ち望んでいる。ヒトラーが出てくる土壌、たぶんあるのだろうなと思う。

 さて、前代未聞の検察不祥事。特捜部長・副部長の「犯人隠避」公判が昨日始まった。前に発表された検察の検証ペーパーを一読したが、原因を当の検事や特捜部長の特異な人格に帰していて、落胆した。そういう人間を重要ポストに配置した組織の責任についても、検察の根元的な問題も不検証のままである。実際に証拠物の偽造まではしないであろうにしろ、供述の偽造(上に言われるがままに無理矢理「絵を描いた」供述を取らされる)は間違いなくある。密室での強引な取り調べが国家国民の正義であるうちはまだ方向性までは見失わないだろうが、組織防衛のため、自らの出世のためとなれば、どういう方向にでも行ってしまう。

 地検特捜部が存在しうるため、そして自らが認められて出世するためには必ず事件を上げ、供述を取らなければならない。事件も被疑者もただの目的となり、その人格も人生も家族も将来も一顧だにされないこととなる。組織防衛のためにこの2人を有罪にしなければならない検察と無罪を取りたい被告人。この事件を生み出した背景こそが真の事件である。日付という客観的証拠さえないがしろにして(偽造以前に報告書はあり、上が気づかなかったほうがおかしい)がむしゃらに現職局長の有罪を取ろうとした事実、元検事の偽造が分かってからも公訴提起を取り消さず、無罪求刑もせず、裁判所の無罪判決まで待っていた事実。どの一つを取っても「公益の代表者」である検察に許されてはならないことである。

 何のための正義か。誰のための政治か。政治不信の中、最後の砦とされた検察まで不信の対象となり、真の被害者は国家国民である。根本的な指針を見失うことが日本が漂流している真の原因なのではないだろうか。

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