新年度スタート(刑法総論の本を出版)、震災が気づかせてくれたこと

 本来であれば今ごろ武道館で、入学式に参列していた。震災1週間後の3月18日予定だった卒業式が中止になったのは仕方ないとしても、入学式まで中止にする必要はなかったのではないか。一生の記念だし節目なのに、可哀そうだなと正直思っている。受け入れる側の教員にしても、ああこれからこの子たちと学ぶのだという気構えが出来るのだが。まあ、仕方がない。

 7日(木)からまた教員との二本立てが始まる。毎木曜、3コマ教えるのである。少し違うのは、この度『誰にでも分かる刑法総論』(立花書房)という本を先月、出版したことだ。自分の教科書で教えるというのは実はとても気恥かしい。他人の本とは違って批判も出来ない(笑)。ただ、あまりに刑法総論の各種本は難しすぎるとかねがね思っていて、平易な言葉で、様々な学説を捨象し、実務の立場のみから筋を立てて説明したものが欲しいとかねがね思っていた。探していたがないので、自分で書かざるをえなくなったというわけだ。時間の制約もあってまだまだ不十分とは思うが、イラスト図表入り、加えてとにかく平易な読みやすい口調で説明しているので、興味のある人はぜひ読んでいただきたいと思う。学生にも買いやすいように、消費税を入れて2000円という廉価である。

 普通に自宅で目覚めて通勤をし、仕事をし、また家に帰って寝るという日常がいかほど幸せであるか、いかにこれまで贅沢に馴らされていたか、この度の未曾有の震災は私たちに教えてくれた。節電のキャッチフレーズの下、どこに行っても暗いが、これが本来の姿だと思う。日本はこれまで明るすぎた。ホテルの部屋が明るくないように(ベッドランプやフットランプがあるが)、欧米の家もなんでこんなに暗いのかと思うほど全体には暗い。明るすぎると情緒がなくて美しくないそうだ。そして、ランプや照明灯でそのスポットを明るくするだけなのである。

 原子力は要らなかったなとつくづく思う。唯一の被爆国かつ地震大国の日本に原発はしょせん無理な代物だ。日本ほど水に恵まれた国はない。日本が資源がないというのは嘘である。砂漠国など世界にはたくさんあるのだから。天与の水力を生かさず、せっかく作ったダムを放置するような無駄までして、使用済み燃料の処理にも困る原子力を、なぜ受け入れたのか。

 今はそんなことを言っていても仕方がないが、当面の危機を乗り越えたら、検証を徹底的にしなければならないと思う。日本では原子力はたった3割を占めるだけだ。それぞれが自分の体をできるだけ使い、無駄な電力を使わず(電車の電子広告や誰もいないのに動いているエスカレーターなどなんと勿体ないことだろうとかねがね思っていた)、みなが公の精神に立ち返って節電を重ねれば、3割くらい減らすことは容易ではないだろうか。あと水力を生かすか、新しい太陽光発電を推進するか、総力を絞っていかねばならない。人の命と安全に勝る価値観はありえない。その原点に立ち返るべきだと思う。

 昨日の仲間うちの花見ウオーキングには行かなかったが、今日辺りから花見が楽しめそうだ。知事が上野公園での花見を止めたと聞くが、公が私的な行動に口を出すのはそもそもおかしい。それぞれに生活がある。夏の花火大会も早々と中止になったが、それはそれ、これはこれである。被災者を支援すること、その悼みに共感することと、すべての楽しみを自粛こととは本来次元がまったく異なる話である。心楽しまず自粛したい人はそうすればいいし、別途楽しみたいという人はそうしたらいい。花火師たちの生活はどうなるのだろう。右に倣え、突出しないほうが楽だからというムラ社会の精神がこんなところに出ているのかもしれないが、なんだかおかしいと思うのだ。

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