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拙著書評(平成23年5月8日付け東京新聞)
カテゴリー: 執筆
拙著書評(平成23年5月8日付け東京新聞) はコメントを受け付けていません
ビンラディン殺害は正当なのか?
かつてないほど衝撃的なニュースである。オバマ大統領が演説し、英仏独なども歓迎の意を表し、アメリカの世論調査によると90%以上が支持をしていると言う(ただし殺害ではなく拘束すべきだったとの意見が30%あるとのことだ)。非常な違和感を覚えたのは私だけではあるまい。反対に、違和感を覚えない日本人はほとんどいないのではと思う。根底に2つある。1つは、他国における捜査権力の行使であり、あと1つは、逮捕ではなく殺害したことである。
捜査権は国家主権に関わり、自国の領土内でしかその行使は許されない(相手国から支援を要請されたりすれば別だが)。例えば、日本国内に誰かが潜伏しているからと他国の人が来て捕まえていくというような事態が起これば大変なことになる。40年近くも前のこと、日本国内にいた金大中が拉致された事件はまさしく日本の主権の侵害であり、大問題となった。アメリカは主権国であるパキスタンに対して犯罪人引き渡しを求めるべきであった。
もっとも、2005年に建てられた特殊仕様の大邸宅に彼が家族や従者と共に住んでいたということは、パキスタン当局がその潜伏を知りながら知らぬふりをしていた、もっと進んで積極的に匿っていた可能性をも高めている。故に、アメリカはパキスタンには知らせず、自ら特殊部隊によって奇襲作戦を考え遂行したといい、パキスタンを公然と非難している。だから一つ目の問題はそれとなくクリアせざるをえないとしても、二つ目の問題は別である。
どんな極悪非道の者であれ、私たちの普通の感覚からすると、人権がある。だからこの殺害にはとうてい納得ができない。抵抗したから殺害したと言うが、特殊部隊が丸腰の相手を生け捕りにすることくらいは訳がない。まして本人だけではなく、側にいた者まで容易に死傷させていることをどう弁明するのだろうか。人命の、この限りなく軽い扱いは一体どこからくるのだろうか。世界最強軍を持ち、無人攻撃機で民衆の誤爆も恐れない国だからと言われれば、たしかにそうなのだろう。非難の声明が公には出ないのは、抵抗感がない証であろうか、それともアメリカには公に立てつけないからであろうか(少なくとも日本政府はそうであろう。)。
我々の感覚からいえば、ビンラディンは9・11テロのあくまで「容疑者」である。公開の法廷が開かれ、そこで彼が行った行為が明らかにされて有罪が宣告されるまで、無罪の推定を受けるのは刑事司法の大原則である。どんな極悪非道の被告人であれ弁明することはあり、弁明の機会は当然ながら与えられなければならない。アメリカの正義とは、適正な手続きを法で保障すること(due process of law?)にあるはずだ。自分たちにととって極悪非道の者だから問答無用で抹殺する、それで正義は全うされるのだとしたら、単に強者の論理でしかない。
英米は適正な手続きを重んじ、片や大陸(仏独など)は実体的な真実発見を重んじる──と、刑事訴訟法で学んできた。日本は戦前は後者から、そして戦後はアメリカから刑事訴訟を受け入れ、折衷型になっている。だが、今回大陸からも非難が起きなかったことからすると、大陸もまた実体的な真実発見を重んじているとも思えない。少なくとも日本ほどに重んじていないのは明らかだ。日本では真実は裁判で明らかにされねばならない。それをしなくてもよいのであれば、オウムの麻原も秋葉原事件の加藤被告も、その場で射殺されれば済んだ。であればその後の刑事司法の手間は一切要らず、コストとしても極めて安上がりだが、それでよしとする日本人がいるとも思えない。実際、9・11の日本人遺族は今回の殺害について「なぜ自分の息子が殺されなければならなかったのか、真実が何も明らかにならない」とコメントしている。
背景には宗教的相違がある。キリスト教国では「真実は神のみぞ知る」。神が作り給いし人間ごときに分かろうはずはなく、また悪事をした人間は死んで神の裁きを受け、地獄に堕ちるからよいのである。だが八百万の神の国日本では、真実は人が明らかにしなければならず、裁判に期待されるべきことがいやがうえにも高くなる。加えて、一神教の人々はともすれば、神が違えばその神から保護されるべき同じ人とはみなさない傾向も窺える(ブッシュ大統領は原理主義クリスチャンであり、その下だからこそ9・11は起きたとはよく言われていることである)。
大陸での「真実発見」とは要するに裁判になった場合の理念であり、裁判になる前のものではないのだろうと思う。その前には簡単に容疑者の射殺も行われる(summary executionという)。日本の警察官は自ら怪我をしてでも容疑者に怪我をさせないよう、非常な努力を払って逮捕する。発砲も最小限しかできず、逃亡した容疑者を発砲して死傷されればすぐにメディアが取り上げ、また訴訟となって金銭賠償すら認められている。これはもちろん行きすぎた正義であり、諸外国から受け入れられなくて当然と思う。いずれにしてもそれほど慎重を期して逮捕する結果、極悪非道の者もまた裁判を受け、そして死刑を言い渡されることになる。裁判前に容疑者を殺害してしまうような国から、日本は野蛮な死刑を未だに存置していると非難される筋合いはそもそもないのである。
テロとの戦いは、相手が見えない。ビンラディンはアメリカの敵ではあっても、別の人たちとってはまさしく正義であった。それがなんの弁明もなく一瞬にして残忍に殺害され、なんの敬意も払われることなくその遺体を海に沈められた。これでどうやって納得できるのであろう。今後いっそうテロは頻繁に、また執拗に起こるであろう。イラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を有しているとのアメリカからの一方的な情報で(後に根拠がなかったことが判明)イスラム世界に中立だった立場を捨ててイラク戦争に加担して以後(小泉=ブッシュは個人的に親密だった)、日本もまたテロの標的となっている。これから世界はどうなるのか、暗澹たる思いがする。
カテゴリー: 最近思うこと
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ゴールデンウィーク半ば…イギリス皇室結婚式、「フィガロの結婚」
ゴールデンウィークである。中の2日と6日を休んで、10日連休の所も多いらしいが、私は暦通りに出てきている。4月にかけて、現在係属訴訟案件の最終準備書面提出やら証人・本人尋問などが続き、一方で大学も始まって、非常に忙しかったが、連休前にはきれいに一段落。思いきって休むこともできたが、顧問先がある以上平日を休むのはなんとなく不安だ。とはいえ実際には何も起こらず(起こらないのはいいことである)、朝からいろいろと雑事をこなしているうちに、4時を回った。
私はかなりの王室・皇室ウオッチャーで、4月29日をかねて待ち望んでいた。ヘンリー8世がカトリックを脱してイギリス国教会を立ち上げたが、やはりそこはキリスト教式結婚式。神が決めた結婚だから、「死が2人を分かつときまで」「病めるときも健やかなるときも」という言葉に改めて感じ入った。聖歌隊による宗教的な歌の数々。こうした厳粛な儀式を経たわりにはチャールズ皇太子もその妹のアン王女もアンドルー王子も次々と離婚をしたよねと思ったものだけれど(エリザベス女王の4人の子どもたちのうちまだ離婚をしてないのは一番下のエドワード王子だけである)。しかし、ウィリアムズ王子とキャサリン妃は、大学時代から10年交際を続け、互いに理解を深めあって晴れてゴールインしたのだから、きっとうまくやってくれるだろう。王室・皇室は民衆の鑑となるべき存在だから、夫婦が仲良く寄り添うのは最低限の要請だと思う(家庭は最も小さい社会でありかつ国家である)。もっとも理想の家庭像を作りだしたのはビクトリア女王であり、また花嫁の白いドレスとブーケは同女王の結婚式から始まったのだということも、この度初めて知ったことだ。
30日は東京文化会館で二期会によるオペラ「フィガロの結婚」を観賞した。宮本亜門の演出、舞台美術は素晴らしく(2年前の「椿姫」も同様)、出演者はすべて歌唱力、演技力ともに粒ぞろい、まさに適材適所で、ダンスその他隅々にまで神経が行き届いていた。すでに二期会は国際的なレベルにあると思う。2年前、同じ所でミュンヘン歌劇場オペラ「ドン・ジョバンニ」を観たが、主役のペーター・マティは出色だったものの、その他の力量はまちまちで、首を傾げる配役もあった(昨年のミラノ・スカラ座歌劇場オペラ「アイーダ」は正直、もっとひどかった)。それなのに後者のS席は52000円、片や前者は1万円。それでも後者のほうがずっと満席なのは、まだまだ舶来を良しとする風潮がある故ではなかろうか。だが、漫画だけではなく音楽その他のソフトに関しても日本はすでに一流のレベルにある。もっと我々が愛用し、誇りをもたなければと思う。もっとも、ミュージカルについてはまだまだである。上手な人が一際目立ち、あと歌がうまく歌えないタレントなどが起用されていて、がっかりすることが結構ある。それでも客席はほぼ常に満席、13500円もするのに。
この度の大震災が確実に人々を変えたもの。それは意識だという。幸せというのは厄介なもので、ある時には分からないものだそうだ。病気になって初めて分かる、健康であることの幸せ。家族が揃っていることの幸せ。仕事があることの幸せ…。節電にしてもそうだが、贅沢を戒め、人が本来のあるべき簡素な生活を送るべきこと。そうした意識の改革こそが今回の震災がもたらしたことの中で最も大きなことの一つかもしれない。被害はあまりに凄まじく、広く国民に共有されているが故に、きっと忘れ去られることはないように思う。
カテゴリー: 最近思うこと
ゴールデンウィーク半ば…イギリス皇室結婚式、「フィガロの結婚」 はコメントを受け付けていません



