いわゆる「性犯罪」の変遷について、例のN事件に思うこと。

日本の刑法は明治40(1907)年制定のまま、今に至るも基本は変わらない(新しい刑法制定の動きはあったが、見送られて何十年も経つ)。もちろん時代の変遷に伴い、随時改正はなされてきて、平成7年には従前の文語体から口語体に全面改正されたし、カード導入やコンピュータ化に伴い新犯罪もいくつか作られた。平成16(2004)年には全体に刑罰が引き上げられたし(=重罰化)、この6月からは従来の懲役・禁錮刑を一本化する「拘禁刑」が現場で導入されている。

性犯罪といえばその中心はずっと刑法177条である。もともとは強姦罪で、その構成要件は「暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫(=性交)した者」(女子が13歳未満の時は暴行・脅迫不要)であったところ、被害者が男子でも同じく成立するように平成29年の改正で「強制性交等罪」に変わった。構成要件は、「13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(=「性交等」)をした者」(13歳未満の時は暴行・脅迫不要)である。とはいえ実際の主な適用は従来の強姦類型であったと思われる。ちなみに刑罰は制定当初の懲役2年以上から「5年以上の有期懲役刑(~20年)」に引き上げられている。

ちなみに刑法に「暴行」はよく出てくるが(要求を不法に満足させる手段としては有形の暴行か無形の脅迫しかない)、ここでの「暴行」は「反抗を著しく困難にする程度」のもので足り、強盗罪に要求される「反抗を抑圧する程度」でなくてよいと解されている(こういったことを刑法でよく勉強させられたものだ…)。いずれにしても相手と性交(等)をするために暴行・脅迫を用いることが構成要件なので、相手の同意がないというだけでは足りないし(本意ではないが抵抗するのも面倒なので嫌々応じた…とか)、「芸能プロに売り込んであげるから」と騙して性交をしたというのでは本罪には該当しない。ああ、それは詐欺ですよね?と初学者は言うけれど、詐欺罪(246条)は「相手を欺いて財物を交付させる」財産犯なので、全く違う。刑法は結局のところ、その行為がどの条文(構成要件)に当てはまるか当てはまらないのかを見極める学問だといって過言ではない(それが実務においては最も重要なことである)。

ところが、警察からの送致事実を読むと、暴行・脅迫に当たりそうな事実はほんのちらっと書いてあるだけということがままあった。本来の強姦罪は、見ず知らずの女に「劣情を催し」人通りのない所に引き込むとか、どこかの家に侵入したうえ、相手に暴力を振るうなどして無理矢理性交する類を想定していると思われるが、そんな典型的な強姦はそれほどあるものではない。もともと互いに見知っていることが多く、うまく言われて性交に応じたものの、あとで騙されたと分かって腹が立つので告訴したというのもある。構成要件に当てはまらないので起訴はできないのだが、騙して性交するのは強姦罪にはならなくても、民法の不法行為(709条)には該当し、慰謝料を請求することはできる(710条)。そこで、うまく被疑者に話を持ちかけてお金を払ってもらい、示談を成立させたうえで事件は不起訴にするというのが最も穏便な方法であった。もちろん警察も納得するし、検察官同士で「検察って、示談屋かつ訓戒屋だね」という嘆きが出るのもむべなるかな。

つまり強姦罪は難しい。もともと密室での犯行で、目撃者がいるわけでもない。組長の女房が亭主の入所中に配下の男と関係が出来て、子供と一緒にディズニーランドに行ったりしていたのに、亭主が出所してくるのを契機に(亭主の報復が怖かったのだろう)強姦罪の告訴をしてきたことがあった。新任検事の頃だったが、上司いわく、「もし最初がそうだったとしても、そのあと2人は付き合っている。要するに瑕疵が治癒されたわけだ…」。うまいことを言うなあ。それは確かにそうなのだ。女が男の部屋にひとりで赴いたような場合は、「強姦罪は立たないよ。たとえ少しくらい暴力を振るったとしても、男に強姦の犯意が取れないから」。つまり女が承知のうえで来ていなかったとしても(それはかなり甘いと言わざるをえないが)、男としては女は承知のうえで来たのだと思って不思議ではないからだ。かように、強姦罪は被疑者(男)サイドから相手の抵抗を困難にするほどの暴行・脅迫を加えたかで見るので、成立がなかなか難しいことになる。

この点、だいぶ前から、西洋諸国では相手の性的自由を重視し、不同意であれば犯罪が成立するので日本もそうすべきではないかとの声が挙がっていた。しかしそうした国でも、互いに付き合っていたのにあるときから態度が冷たくなったので、報復として告訴(被害届)をするといったケースもずいぶんあると報道されていた。私も犯罪は厳格に適用されなくてはならないし、それは無理だよねと思っていたのだが、なんと177条は今や不同意性交等罪に変わったのである! 施行は令和5年7月13日~(まだ2年弱)。新しい177条(176条の不同意わいせつ罪を大きく引用)は大変に分かりにくい。従来と同様「暴行・脅迫」を用いる場合(1号)は当然、いくつかの類型を挙げ、最後にいわゆる職場の上下関係も列挙されている(8号)。となると、女が男(上司)に言われてその住居なり待ち合わせ場所にひとりで訪問し、その上下関係を利用して男が女と性交した場合も成立することになる。実際にそれで逮捕されたり起訴されたり、といった事例は知らないのだが…。

昨年来とみに騒がれているタレントNの事件。刑法が不同意性交等罪に変わったので彼のも暴力・脅迫を用いたのではないにしろ、職場の上下関係に当たるとすれば犯罪になるのだよね、となると多少高い金を払ってでも示談にし、警察マターにならないよう済ませたいよねと思っていた。示談内容は通常、謝罪、金銭の支払い、互いの守秘義務、被害届を出さないが柱であり、巷で言われている9000万円というのは法外に高いと感じるが、それで済むのであればお金のあるNの場合はそれでよいのかくらいに思っていた(しかし弁護士はいくら貰ったのだ?)。ところが周知のとおり、昨年1月初めに示談を成立させたにかかわらず、すぐにNは芸能界を完全引退となり、相手女性が勤務・退職した報道会社設置にかかる第三者委員会の調査にかかり、それのみならず今後は莫大な違約金まで請求されるのではないかとさえ言われているのだ。自業自得だから仕方がないのか…それにしてもある意味気の毒なことだと感じていたが、最近、びっくりすることに気がついた。

その事件が起こったのは令和5年6月2日。つまり未だ不同意性交等罪は施行されていないのである。もとの強制性交等罪であるから(法律は遡及しない)、犯罪が成立するには相手の犯行を著しく困難にする程度の暴行・脅迫が必要である。第三者委員会が認定した「性暴力」に対してNが自分はやっていないと抵抗を重ねているのは、そういう意味ではないのか? それをしていないのであれば、被害届を出されても犯罪は不成立となるから(民事の損害賠償は別である)、示談を成立させるに当たって、それほど弱気である必要はなかったのではないか? 世間ではNが暴力を振るい(要するに犯罪者ということである)、第三者委員会調査に当たって示談で定めた守秘義務を互いに解除することになれば警察に逮捕されるおそれが高いので事件の内容を言えなかったとの声が結構ある。

もちろん何が実際あったのかは結局分からないままなのだが、当該弁護士は自分が請け負った紛争が大金を払って示談を成立させたにかかわらず無事に収まるどころか、止まるところを知らない事態になっていることについて、どう感じているのだろうか? もしかしてこの弁護士は刑事のことを知らなかったのではないかと私が言うと(民事しかやってなくて刑事の基本的なことを知らない弁護士は実際多いのだ)、信頼する知り合いの弁護士は、Nは立場のある人なので、民事のことだけを考えても裁判を起こされたりいろいろ暴露されたりといった醜聞にならないよう高い金を払ったのではないかと言う。しかし、示談成立後にNから上から目線の世間の反感を買う文面が出たのは当然ながら弁護士の作成のはずだし、弁護過誤で誰か訴えればいいのではないかとも言う。松本某事件の弁護士もひどかったし、弁護士を選ばないととんでもないことになる。人間として常識のある人。それが一番大事なことである。

カテゴリー: 最近思うこと パーマリンク