某国会議員の出産に思うこと

 最近この話題が出ることが多い(話題になって、本人としてはしてやったりであろう)。今年初めに50歳で出産。だけであればすごい高齢出産、リスクはなかったのかしら、といったくらいの話で終わるのだろうが、これはきわめて特殊である。アメリカに行って(日本ではこんな形の生殖医療は許されていない。)卵子は誰とも知らない白人のもの、精子は夫(ただしその人は、名前はじめまったく公になっていない。)で体外受精をして産んだというのである。私を含む周囲は、生理的に受けつけられない、脱法行為だ、神への冒涜だ……などと言い、褒める人はおろか少しでも肯定する人は皆無なのだが、なぜマスコミは正面切って批判をしないのか、それがおかしいという意見が圧倒的である。

 たしかに私人であればコメントすべき立場にはないであろう。だが、彼女は公人なのである。しかも国民の負託を受けた国会議員である。私生活もなげうち、すべてを国家国民のためにかける覚悟なくして、資格などないはずだ。これまでも不妊治療の本まで出し、多大の金、時間、エネルギーをそれに費やしてきたことはよく知られている(体外受精は14度もやったとか)。一方で、国会議員として活動や成果はとんと聞かない。国民の血税による歳費その他諸々の収入が、国民のための時間とエネルギーが、ただ私人としての欲求に使われていい道理はない。国民はもっと怒ってしかるべきだと思う。

 国民はそんなことに全精力をつぎ込んでもらうために国政を付託し、高い歳費を払い、特権的立場を与えているのではない。私人としての幸福を追求したいのであれば、まずは国会議員を辞してからにすべきであろう。大体が、普通に仕事をしている人はそんなに休めない。お金もない。国会議員だからこそ金もあり自由な時間もたんまりあってできたという現実は、そら恐ろしい。それを本人は何をどう勘違いしたのか、まだ流産するかも分からない段階で早々と自ら発表をした。11月下旬には入院をしたと聞いていた。そして、この度帝王切開で出産。未熟児だ。何の罪もない子どもは、生まれ落ちてからすぐに好奇の目で見られる運命にある。ただでさえ高齢出産はリスクが高いのだ。今後無事に育つかどうかも分からない。母親はきっと、公務などそっちのけ、全力で子どもを育てるのであろう。

 民法は父親の認知を定めるが母親のそれはない。母子関係は出産で明らかなので設けなかったのだ。他人の卵子を使って子どもを産むのは、だから明らかに脱法行為なのである。子宮をなくして自分の卵子と夫の精子を使って他人に産んでもらった向井さん夫妻の場合に実子としての届け出が許されなかったのは、民法のその定めによる。もちろんこの反対に、人工授精はずっと以前から認められてきた。夫以外の精子を使うAIDも妻が産む以上、何の問題もなく出生届を認めてきた。たとえ夫との関係が後にうまくいかなくなって離婚したとしても、母親にとって子どもは間違いなく自分の子どもであり愛情は不変、当然に養育をするであろう。子どもにとってはそれこそが保険なのだ。

 だが、彼女の場合、卵子は他人(姉妹とか血縁ではない、見も知らない赤の他人。しかも人種が異なる)のであるから、子どもとのつながりは実は精子のほうにしかない。ところが夫と称する男性との婚姻届は出ていない。前の夫(国会議員)と別れてからの関係では、さほど長くはないはずだ。事実婚だと本人はしきりに言うが、事実婚というのは、公に結婚の実態はあるがただ籍を入れていないだけの場合を言うのだから、おそらくはただ交際をしているといった程度のものであろう。たとえ別姓論者であっても、子どもを産む以上、籍を入れるのは生まれてくる子どもへの最低の義務であろうと思う。姓の問題があって籍が入れられない、だから子どもを産めないという嘆きが別姓支持者にはよくあるくらいなのだ。相手の男性が、認知をしないとか、認知はしてもさっと手を引いてしまえば、父親との関わりしかない子どもはどうなるのだろう。

 たしかに人間は、いくつになっても諦めてはいけない。しかし、これは自ずから、誰にも迷惑をかけない範囲で、という限定つきの話である。あえて、偶然の新たな命を作りだし、本来すべきである公務もなげうってまでやっていい話では当然、ない。人には諦めなければならないこともたくさんあるのだ。年齢制限も当たり前にある。何でも自分にはできる、自分は何をしてもいいのだというのは、傲慢であり、神をも恐れぬ仕業ではないか。

 女であることに甘えているのも私を非常に嫌な気にさせる。もし男性議員が不妊治療でアメリカに通っています、日本でも毎日のように医者に行ってホルモン注射やら何やらしています、ずっと入院をしています、公務などやる暇はありません…と言えば、呆れられてしまう(と分かっているから誰も言わないはずだ)。自分は女、女が子どもを産むことは無条件に褒められることだと、おそらくは思いこんでいるのであろう。だが国会議員に、否仕事には、女も男もないのである。みなお金を貰って働く以上、同じである。仕事に対して謙虚であること、誠実であることは誰であれ必要なことなのだ。そんなことさえ分からない人が国民の代表に選ばれていることを甚だ憂えるものである。そして、マスコミが正論を堂々と言わないことも悲しいことである。

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