執筆「幼児虐待の根に潜むもの」

 検事時代に担当した児童虐待事案である。

 二十歳の男が三十八歳の女と同棲。女の五歳男児が言うことを聞かないからと連日、殴る蹴る、風呂場で投げ倒す、煙草の火を押しつける……。ついには布団で簀巻きにして放置。窒息死寸前の男児は脳が萎縮、植物状態となった。

 だが、男には一片の反省もない。終始見て見ぬ振りで通した女も同じだ。三つ編みを両肩に垂らし、可愛い声で言う。「あの子も彼の言うことを聞かないから……。これからもずっと彼と一緒にあの子を見ていこうと思います」。

 生傷が絶えないのを不審に思う幼稚園の先生が尋ねても、「自分で転んだんだよ」と答えていたという子ども。病院に行き、担当の若い医師に尋ねた。万が一にも治る見込みは?「このままですね……」。静かに首を横に振り、優しく子を見つめる眼差し。記憶の中で唯一そこだけが静謐だ。最後まで反省のない男の刑は、わずかに懲役三年。十八年前のことである。

 ここ数年、児童虐待が耳目を引く。摘発件数は昨年、過去最悪の二百三十件を記録。前年比五〇パーセント増だ。児童相談所での相談件数も十年で十六倍、二万七千件に上る(昨年度)。児童福祉司の増員はたしかに急務であろう。

 親が子を愛し慈しむのは、本能ではない。愛されて育った成果である。虐待する親には自らが虐待されたケースも多いという。子は親を選べない。問題のある家庭を社会がどう補完できるか。根は深く、その解決は容易ではない。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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