自民党の処分

  この21日、党紀委員会が開かれ、まずは新党を結成した8名(参院2名を含む)が除名処分となった。
  次回28日には反対票を投じた議員の処分が予定される。下馬評によると、今回再び反対票を投じた議員(及び欠席議員?)の除名処分は免れないが、かなりの人は罪一等を減じて、離党勧告処分になるのではとのこと。それを狙って、自ら離党をした議員もいる。

  そもそも党紀処分の根拠は自民党党則92条(これを受けて、自民党規律規約9条)である。すなわち、同規律規約9条1項の、
  1号 党の規律を乱す行為の(ロ) 各級選挙に際し、反対党の候補者を応援し、又は党公認候補若しくは推薦候補者を不利におとしいれる行為
  3号 党議にそむく行為 
   に該当するというのだ。
  解説すると、3号は党議拘束がかかったのにこれを遵守しなかったこと(反対派の多くが総務会での今回決定は全会一致の慣例どころか、形として党議にさえなっていなかったと主張していた)であり、1号(ロ)は自民党公認(推薦)候補と戦い、または自民党候補以外の候補を応援したことである。

  しかし、これに対して私は、法律家として多大の疑問を持つ。解説してくれる報道にはお目にかからず、自民党のめぼしい人に尋ねても答えを得られない。処分される側にしても、「おかしいとは思うけれど正論が通る雰囲気じゃないので」と諦めムードである。
  長くなるが、以下の私の疑問に答えてくれる人がいたら、是非教えてほしい。

1.解散後直ちに非公認とされた根拠が不明である。
   8月8日の解散後直ちに選対本部において、反対票を投じた衆院議員の非公認が決まったという。だが、「選挙における非公認」は、党紀委員会が行う8処分のうち、除名、離党勧告、党員資格の停止に次いで重い処分である(党則92条2項、規律規約9条2項。それより下の「役職停止」などは幹事長が処分できる。各同条各3項)。
   公認はもちろん選対本部でできるだろうが(だからといって、世間から非難囂々の杉村某などを公党たるものが公認していいはずはないが)、非公認がこれと同じレベルでできるはずがない。資格・身分を与えるのと奪うのとではその手続きも保障も大いに違ってこそ当然である(だからこそ党紀委員会の処分として規定されている)。
   民間会社でも雇い入れの自由はあってもいったん雇い入れれば解雇は簡単には出来ない。まして事は公の問題であり、政党は政党助成金も貰っている公党である。加えて、小選挙区制度の下では、公認の有無は死活問題であり、いわば議員の資格を剥奪するに等しいのだ。

  またこの時の非公認は、あくまで党議違反を理由とするものであったはずだが、幹事長は7月4日、党の全衆院議員に対し、欠席棄権も等しく党議違反とする旨通知しているのだから、すべての反対派議員が対等に扱われるべきである。

2.新党を立ち上げた人はもちろん離党届を提出済みだが、受理されていない。
   党則89条は、国会議員が離党を届け出ても党紀委員会の審査を経て受理するものとしている。だから受理しない措置を取ったということだろうが、非公認を党紀委員会を開かずして決めたのと比して、あまりに均衡を失しないか。
   そもそもよく分からないのは、自民党の党籍を持つ候補が別の党から出馬することを選挙管理委員会が公的に認めたという点である。それはどう説明されるのだろうか。
 
3.非公認で出馬し、「党公認(推薦)候補者を不利におとしいれた」とする理屈づけが強引すぎる。
   先に自民党公認(推薦)候補が決まっているところに、党員があえて立候補したのとは順序が逆である。彼らこそが現職であり、すでに選挙準備もしていたところに手続きを経ずに非公認とされ、そこに公認候補を立てられたのだ。これが党紀委員会の処分の対象になるというのでは、残された道はただ一つ、立候補をしないという選択肢しかない。
   またこのときに自主的に離党しても(当時、選挙区支部の関係上、自主的に離党するよう──そうしたら除名にはしないという含みで──幹事長の呼びかけはあったが)、もし離党届を出しても受理されなかったのは新党を立ち上げた人の扱いを見れば分かる。

  一連の行為を見ていると、見えてくるものがある。つまりはすべて選挙の結果を見て、だったのではないか。
  もし選挙の結果自民党が過半数割れでもしたら、彼らに戻ってきてもらって政権を維持したであろうし、その場合党紀委員会を開いて厳正な処分になどとなるはずもなかった。勝てば官軍、強者の理屈は、およそ民主主義とは折り合わないものである。

  ところで、振り返って見ると、除名処分を受けた後にまた自民党に復党し、大臣までやった人もいるのだそうだ。つまり、除名処分も離党勧告処分も変わらない。要するに、数が足りなくなれば復党を請うし、でなければ必要がないということだ。となると、今回将来の復党を願って反対票から賛成票に投じたのは、それほどの意味はなかったのではないか。かえって、信念で再度反対票を投じたほうが、政治家としてはもちろん人間としても尊敬され、将来があったと思えてならない。

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