本を大量に整理して、思うこと

昨日、5月30日夜地震以来の懸案だった自宅の本の整理をあらかた終えた。丸1週間、朝や夜にぼちぼち手をつけ、1か月位かかるかもと憂えていたが(片付かない所にいるのは気持ちが悪い)、案に相違して早かった。本の山がなくなってみると、すっきりして大変に気持ちがよい。残りの人生、厳選した本と共に生きようと思う。1000冊位を捨てたが、まだ1000冊位は優に残っている(事務所にある法律本は別)。

だんだんと好きなことが絞られてきたように感じる。ミュージカルやオペラに嵌まっていた時があるが、今は普通の演劇が好きだ(近く「メアリー・スチュアート」を見に行きたい)。グルメも世界各国料理をずいぶんと楽しんだが、結局は家で美味しいご飯を食べるほうが好きである。旅行も行きたいとは思わなくなった。至福の時は、ベッドに潜り込んで好きな本を読む時。昨日、整理された本棚から、いの一番に取り出したのはヨーロッパの歴史物で、2冊続けて読んだ。そう、歴史が好きだと改めて思う。人間が動いている歴史ほど面白いものはない。

日曜の今日、朝9時半に出勤した。もし3時間しか仕事をしないにしても、明日はその分楽になる。その分余裕をもって仕事に取り組めるので効率が良いのだ。暑くもなく、風がとても気持ちがよい。最高の散策日和である。いい所に事務所がある幸せをまたしみじみ感じる。近くのホテルでプチ贅沢な昼食をとる。千鳥ヶ淵に面した広々としたラウンジ。客が多い。ほとんどが女性である。あら、ほとんどの人が着物を着ているじゃない、申し合わせたように。ああそうか、国立劇場のすぐそばだからだ。レジでそう言うと、「今日は歌舞伎教室があるようですよ」。なるほどね。「外人さんがよく写真を撮っていかれます」。そうでしょうね、着物を着ている人に毎日必ず一人は会うけれど、これだけ着物姿が固まっている光景は初めて見た感じがする。

まだまだやることはあるけれど、今日はもうこれで帰宅しよう。そしてよく寝て、明日早めに来る。最近だんだんと夜型から朝型に変わってきた。その分、夜は早くに眠くなるので、遅くまでは付き合えない。二次会やカラオケやら、よく付き合っていたなあと思い出す。それなりに楽しかったのは、単純に体力もあり、若かったから? でも、もう卒業である。人生はワインのようなものかもしれない。年齢とともに味わいが異なってくる。そして、そのどれもがそれぞれによいものである。

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また地震あり、これをきっかけにコンド?することに

箱根に続いて、屋久島で噴火。幸い死傷者はなかったようだが、避難を余儀なくされた方々は気の毒だ。自然には勝てない。そして、いつどこで何が起きるか、誰にも分からない。東京では5月25日午後2時半頃地震があり(事務所のエレベーターが停止)、そして5日後の30日午後8時半頃、自宅パソコンで調べ物をしていたとき、地震が来た。横に大きく揺れる。長い。壁一面に作り付けた本箱が倒壊、大量の本が床に散乱した。

3.11時、明け方にようやく自宅に辿り着いた時と同じ光景である。以来補強をしたのだが、功を奏さなかったことになる。うーん。また同じように作り付け、また同じようにカテゴリー別に収納しても、どうせいずれまた地震が来たら倒壊する。この本箱はもうお払い箱にしよう。そしてがっしりした本箱を買おう。そうだ、せっかくだからこの際、要らない本を思い切って捨てよう。昨今アメリカでも近藤さん式整理方法(ときめくものだけを残そう)が大流行で、kondohが普通名詞になっているという。

翌朝早くから早速取りかかった。ときめく本というより、役に立つ本、再読したい本という基準で選ぶと、そうではない本がずいぶんあることが分かる。残るのは世界・日本の古典文学(夏目漱石らを含む)、世界・日本の歴史、宗教・哲学、心理学・精神医学関係である。またたくまにゴミの山が出来上がる。法律関係は立派な本箱に入れてあるので、この際ついでにこちらも整理しようと思い立つ。法律はずいぶん改正されていて、大体がもう使えない本が多いのに、これで昔よく勉強をしたよねというただ「思い出」に取っているものが多いのだ。棚なども活用できるから収納は出来る。そしてもし、新しい本箱を買わずに済ませられたら、どんなにか光景もすっきりするだろう。

心配だったので、今朝早めに事務所に来たら、4年前とは違い、本箱の上の物が落ちることもなく、机の抽出が少し開いていただけだった。エレベーターも動いていた。自宅エレベーターは数時間も停止したらしく、高層階だけに、外出していたら大変なことであった。感謝。本箱や本の片付けで腕が痛くなり、メールを打たないでいたら、受信もないことに気がついた。この際メールチャットもやめることにする。

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大相撲千秋楽に行ってきました

まあとにかく興奮した千秋楽だった。3敗の照ノ富士は碧山(大関豪栄道の休場により)に完勝、結び白鵬対日馬富士を前に、場内は盛りに盛り上がる。もちろん声援は圧倒的に日馬富士だ。勝てば照ノ富士の初優勝(そして大関昇進)が決まる。同じ伊勢ヶ浜部屋の兄弟子として、日馬富士としては照ノ富士を是非とも援護射撃したい(先場所は失敗)。白鵬に押し込まれたが、蛙跳びをして(なんという身体能力の高さ!)中腰になり白鵬の中に入る。双差しから危なげなく寄り切る。まさに興奮と歓声の渦。後頭部が痛いと思ったら、後ろの枡席から座布団が飛んできたのだった。あちこちに座布団が舞う。金星の光景だ…仮にも横綱が横綱を破って、これはないだろう(笑)。でも、気持ちはよく分かる。

照ノ富士、23歳。白鵬の父親に柔道を習い、素質を認められて日本に留学。鳥取城北高校では逸ノ城と一緒(ちなみに石浦監督の子息が今十両にいる)。191センチ、178キロ。十両を一場所で通過した頃には将来の横綱との声がすでに高かった。足腰が極めて強く安定し、かつ上半身は柔軟で、肉体的な弱点がほとんど見当たらない。昨年春場所に入幕してから1年間、期待ほどには成績は上がらず、後から入幕した逸ノ城に話題をさらわれた時期もあったが、新関脇の先場所、急に力をつけた。白鵬を正攻法で破って、準優勝(13勝)。今場所も12勝(負けたのは佐田の海、徳勝龍、白鵬。稀勢の里と琴奨菊には完勝)。

すでに力は現大関3人より上であろうと思う。琴奨菊は今場所負け越し(6勝)、カド番の来場所で負け越せば、関脇に転落する。若手が力をつけているので勝ち越しは難しく、となれば引退するのではないか。豪栄道も昨年大関に昇進したはよいけれど、勝ち越しがやっとこさの状態だ。もちろん大関たるもの、二桁勝利して優勝争いに絡むべき責任がある。もっとも、彼ら以上に責任を果たしていないのは、2場所続けて休場した横綱鶴竜である(もし大関のままだったら、来場所の番付は関脇以下となる。なので無理にでも出場していたはずである)。もともと実力が伴って横綱になったわけでもなく、実際昇進後、優勝はおろか、かろうじて二桁勝利がやっとの状態だ。照ノ富士ら若手が急に台頭してきた中ではいよいよ優勝は難しく、これまたそのうちに引退になりそうな気がする。横綱昇進後優勝が一度もない前例は3度あるという。その最長で10場所。実力の世界は誠に厳しい。

さて、問題の白鵬。アンチ白鵬が多いのは、一つには、長い長い一強時代にうんざりしていることがもちろんある。それを加速させているのが、白鵬の態度の悪さである。7日目の対佐田の海での張り差しかち上げはこの目で現認したが、12日目、豪栄道の首投げに敗れた後は土俵に立ったまま礼もしなかったという。行司軍配にも、それに物言いがつかなかったことにも不服だったのだろうが、だとしてもそれをそのまま態度に表すなど大人げなさすぎて、恥ずかしすぎる。14日目、稀勢の里に土俵際で逆転の引き落としに屈したときは、軽く頭だけは下げたが、不服そうな態度が画面を通してもありありと窺えた。毅然とした態度がみじんも見えず、それがまた横綱だというのだからなおさら始末が悪い。

審判に異を唱えないことは、そして敗者が潔く負けを認め勝者を称えることは、スポーツマンシップの根幹であると思う。たちが悪いのは、言葉では双葉山や大鵬を讃えながら、態度がそれを完全に裏切っていることである。無限実行や有言実行ではなく、有言不実行。これではまだ朝青龍のほうがかわいかった。そう感じるからこそ観衆の気持ちは白鵬から離れていく。せっかく実力抜群の稀代の横綱であり、誰にも破ることのできない輝かしい記録を数々と打ち立てたのに、日本の相撲界にとっても、なんとも残念だとしかいいようがない。

遠藤は6勝9敗。意地を通したように出続けていたが、途中からだんだんと調子が上がってきた。おそらくは膝の完全な断裂ではなく損傷止まりであったのだろう。最後の頃は実に万全の寄り切り、そして、やくみつるのいう「遠藤ペンタゴン」の形。四股の美しさ、相撲の美しさという点では遠藤の右に出るものはいないと改めて思わされる。体を治して、次回も美しい相撲を見せてくれることを願っている。内村航平の目指す「美しい体操」。相撲は相手のある競技だから、美しさが強さにつながるわけではないにしろ、遠藤には遠藤の相撲を通していってほしいと思う。それが願わくば実績に結びつけば、相撲界にとってもこれ以上の幸せはない。

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執筆『認知症の親類が心配で、何とかしてあげたいのですが・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる6月号」

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大相撲7日目、行ってきました

大相撲熱はだいぶ醒めていたのだが、声をかけてもらったので、16日(土)に行ってきた。国技館の外には人が溢れ、熱気がむんむん。出てきた力士を取り囲んで、外国人らが記念撮影に興じている。日本に興味を持ってもらうのはとても嬉しい。チケットは午前8時半には完売とのこと。中に入るとやはりすごい盛況だ。もちろん連日の「満員御礼」、相撲人気復活は本物である。

注目の遠藤はサポーターもなく、普通に歩いて、四股も高く上げている。先場所負った膝の大けがを知らなければ傍目にはわかりにくいが、本人はかなり痛みを我慢しているにちがいない。6連敗の後ようやく初日が出たが、相手は遠藤同様に連敗、かつ幕内きっての軽量級である。その相手にすら苦戦しての勝利だったから、またまたこれで膝を痛めたのじゃないか気になってしようがない。男の美学はよいけれど、プロなのだからやせ我慢せず、見ている客のためにもサポーターくらいはしてよねと思ってしまう。

多くの人が指摘しているが、私も遠藤は絶対に休場すべきだったと思う。来場者全員に配られるパンフに遠藤の顔が永谷園コマーシャルでいくつも載っているので休場できないと考えたのかもしれないし、また今場所3つか4つか勝てば幕内に残れると踏んだのかもしれないが(全休だと来場所十両に落ちる)、相手もプロなのだから、故障した体で勝てるほど甘くはない。とにかく相撲を取る以上ただでさえ体に無理な負担がかかるのは必定であり、運良く幕内に残れたとしても来場所満足な成績が残せるとも思えない。花道のエリート人生を歩んできた彼にとって、幕内陥落が辛いことは重々分かるのだが、大相撲で本当に名を成したいと願うのであれば、ファンのためにも、また対戦相手のためにも、まずはきっちり体を治し、幕下からでも這い上がってくる気概を持つほうがよほど男の美学ではないかと思うのだ。

近くで見ていると、力士の表情がよく分かる。取組前から勝負は始まっているし、ある意味そこですでについているようにすら思える。例えば、豪栄道。長年のライバル関係にある栃煌山(一番負けたくない相手は豪栄道と公言している)を相手に、まるで気迫が感じられない、を超えて泣きそうな顔をしていた。客席からは栃煌山大応援団の声援が飛ぶし(あれ、豪栄道の大応援はご当地大阪だけだったの?)、これは負けるなと直感したら案の定、立ち合い押し込まれて為す術もなく、土俵を割った。注目の逸ノ城も、初日白鵬にまさかの勝利をしたときの怖い顔は微塵もなく、ぼうっとしていたので、これは負けると思ったら案の定、栃ノ心にあっさり負けた。2日目の稀勢の里戦で左肩を負傷して不調ということもあるが、腰が高くて土俵際で残せないのは、明らかな弱点である。

結びの一番、白鵬は新鋭佐田の海に対して、張り差しにかち上げという卑怯な手を使ってあっさり勝った。ぱらぱらとした拍手。呆然とした佐田の海の顔。照ノ富士と日馬富士に勝った新鋭をよほど警戒してのことだろうが、これでは横綱相撲とはとうてい言えない。そうまでして懸賞金が欲しいのか、優勝懸賞金が欲しいのかと思う。日馬富士でも照ノ富士でもよい、今場所こそは白鵬以外に優勝旗が渡ってほしいものだ。もちろん2敗で負う稀勢の里に勝機が訪れれば嬉しいが、稀勢の里には期待しないほうがよいというのが長い間の経験値である(笑)。

さて、大阪都構想が否決され、橋下氏は引退を宣言した。二重行政の無駄を省くことには誰も反対をしないだろうが、なぜ「大阪都」なのか? 京都は京の都、東京は東の京都、であれば大阪は西京都ということか。「大阪」は誰も変えたくないだろうし、であればなぜ大阪都になるのか。ネーミングが奇異であることが結局は敗因ではないのか。それにしても弁護士やタレントで食べていける橋下氏はよいけれど、その旗の下に集まった維新のメンバーはどうなるのだろう。もちろん自己責任といえばそれまでなのだが。

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