大相撲秋場所が終わって

最近は有難いことに(?)大相撲熱もかなり醒めているのだが、秋場所は久しぶりに観戦に行ったこともあり、賜杯の行方にはそれなりの関心を持っていた。3横綱2大関の休場とあっては、平幕優勝も十分ありえた。

横綱日馬富士が11勝で9度目の優勝(直近は昨年の名古屋場所)。満身創痍の彼は、序盤平幕に連敗、休場も見込まれたが、横綱なしでは横綱土俵入りもなくなる、協会に頼み込まれたとの噂もあったが、人一倍の気力と責任感で持ち直したと見える。3差で先行中の大関豪栄道が終盤平幕に連敗、1差に迫ったのを、千秋楽の直接対決で破り、優勝決定戦でも連破した。低い体勢からの立ち合い、一気に相手を持っていく速攻はまさに日馬富士の、全身全霊で取る相撲である。それはそれは見事な横綱相撲だった。気の毒だが、豪栄道ではとうてい太刀打ちできない。稀勢の里もこの速攻にやられて、春場所、大けがをしている(復帰できるのだろうか?)。

場所途中、人気の宇良も膝をやられて、休場した(復帰できるのだろうか?)。横綱・大関、人気者を欠いても満員御礼だったのは僥倖だが、この調子では長期的に見て、いずれ人気は陰るのではないか。折しも、元十両力真が21歳で引退を表明した。年を取っての引退もさることながら、若い人の引退にはことさら胸が痛む。膝がもうどうにもならない状態だそうだ。中卒後6年、相撲こそ我が人生と打ち込んでいたのを、どんなにか無念なことだろう。腐らずに、次の人生にどうか踏み出して行ってほしいと願うばかりである。

力士と怪我は切っても切れない関係にある。常に怪我との闘いである。裸だし、土俵は高いし、お互いに重量だし、怪我をしないほうが不思議なくらいである。前途有望な力士がいつの間に消えていると思ったら、大けがをして下位に転落していたとか引退に追い込まれたという例は、多い。怪我をしない体作りを、協会は、各部屋・親方任せにせず、一体になって考えていかねばならないし、場所中の怪我を公傷扱いにして、番付が下がらないようするなど(以前そうしていたことがある)考えていかねばならないのではないか。もともと力士は他のスポーツと比べて、現役生命が短いのだ。それをさらに怪我でもっと短くさせては、有望な若者、いえその親が息子をあえて相撲には行かせないのではないか。

さて、来場所の展望。協会は、鶴竜の処遇を親方任せにはせず、きっちり引導を渡すべきだ。横綱は3人で十分。照ノ富士が関脇に転落するので、大関は豪栄道・高安の2人となるが、高安はカド番なので、勝ち越せなければ、初場所で関脇転落だ。となると大関は、1人(照ノ富士が来場所10勝できれば初場所大関に戻れるが、膝が大変悪く、難しいように思う)。大相撲は横綱がいなくても成り立つが大関は東西2人必要だと聞いたことがある。だが、関脇以下の力士で大関に昇進できる力士は、残念ながら、見当たらない。三役の地位にあって直近33勝以上が一応の基準だ。関脇御嶽海に期待していたが、勝ち越しがようやくで、2桁勝利にはまだまだだ。21歳阿武咲が入幕3場所連続10勝の記録を作り、来場所小結に昇進するが、そこが大関とりの起点であり、まだまだ先がありそうだ。横綱を4人作っても機能しない現実を前に、協会には展望を踏まえた対処が望まれるところである。

カテゴリー: 最近思うこと | 大相撲秋場所が終わって はコメントを受け付けていません

衆院解散について考える

急に、解散が決まった。もとより従来、10月22日の衆院補欠選(愛媛、青森、新潟の計3区)時に総選挙をやれば与党有利との説は流れていたし、それはそうだろうと思っていた。とはいえ、北朝鮮の挑戦行為が現実にあるこの時期、40日間もの政治的空白をあえて作るようなことはしないだろうと踏んでいた。諸外国も驚き、理解はしないだろう…その読みが外れた。

まもなく28日に始まる臨時国会の冒頭で、衆院を解散するという。一切の審議もしないまま、解散をするためだけの国会である(閉会中の解散はしない)。国民にどんな信を問うというのか。何かそれらしい理由を拵えるようだが、審議した形跡はなく、とってつけた理由となる。もちろん、大義名分がなければ解散が出来ないとは憲法に書いてないし、どころか、解散権の根拠を天皇の国事行為を規定した憲法7条に求める以上、行政権としての内閣の権限であり、つまるところ総理大臣の腹一つで決まるのだと考えて、誤りではない。この臨時国会では例のモリカケ問題が俎上に上がる予定だったうえ、前原民進党は離党者続出で息も絶え絶えだし小池新党結成も緒に就いたばかり…自民党の獲得議席数を最大にするのは「今」であり、その後は下がるのみだとの読みも、おそらく間違ってはいない。

それでも、だ。解散には反対である。大義名分がなく議席数狙いが見え見えであることを置いても、これまでもずっと解散をし過ぎだと感じてきたのだ。憲法で定められた衆院の任期は4年なのに、実際は平均して2年9ヶ月。この前の総選挙は2014年12月、その前は2012年12月だった(いわゆる魔の2回生の当選)。制度としての議院内閣制に解散は付きものではあるにしろ、議院内閣制をとる他の国と比べても圧倒的に日本は解散が多く、実際の任期が短いのである(例えば、イギリスは任期5年で、解散には下院の3分の2以上の賛成が必要となり、実際の任期は平均して4年ほどある)。いわく「常在戦場」…議員は選挙区に精力的に帰らねばならず、腰を落ち着けて勉強をする大事な時間がないと感じてきた。特に選挙区の基盤が弱い新米の場合は(世襲でもない限り)「君たちの仕事はただ1つ、次の選挙に当選することだ!」。この点、6年の固定任期のある参院との差はあまりに大きい。

今の時期の解散では、国民の選択肢が、ない。安倍さんは強引だし傲慢だ、自民党は嫌だという人は周りにたくさんいるが、はてさて、じゃ民進党に入れるかと言えば、答えは一様にノーである。以前の民主党時にそれは手ひどく懲りた、あれらには任せられないという人ばかり。小池新党への期待も思いの外に薄く、知事選・都議選での圧勝は、彼らへの積極的な支持というより、反自民の受け皿だったのだろうと思わされる。入れる党・人がなければ選択肢はやむなく棄権であろう。投票率半数割れの過半数なんて、得票数は30パーセントにも満たないのである! 民進党がどれほど持ち直すか、新党がどれほど出来上がってくるか、どちらも期待薄ではあるとしても、衆院の任期は来年12月まである。待ってほしかったと思う。

さて、暴言の豊田議員が記者会見を開いた。順序としてはその前に支持者たちに釈明をすべきだった。無所属でも出たいようだが、自民党は候補を立てるはずである。山尾議員の選挙区には民進党は候補を立てないようだが、支持者の理解を得られるとは思えない。不倫云々もさることながら、党にとって大事な時期にこんなバカげたことをしでかして、その危機管理のなさは絶望的である。自民党の重鎮谷垣氏は自転車事故のリハビリが間に合わず、引退を表明した。魔の2回生たちにとっては3回生になれるかどうかの瀬戸際選挙となる。悲喜こもごもの結果にはそれなりのドラマはあるだろうが、しかしそれを楽しもうという気にはなれない。

カテゴリー: 最近思うこと | 衆院解散について考える はコメントを受け付けていません

映画「三度目の殺人」レビュー

(朝日新聞2017年9月15日付)

カテゴリー: 最近思うこと | 映画「三度目の殺人」レビュー はコメントを受け付けていません

『祖父の遺産が見つかりましたが放っておくと問題がありますか?』

自由民主党月刊女性誌「りぶる10月号」

カテゴリー: 執筆 | 『祖父の遺産が見つかりましたが放っておくと問題がありますか?』 はコメントを受け付けていません

「不倫」と公人

不倫とか浮気とかいうから軽く聞こえる。ではなく姦通といえば、違うはずだ。戦前の刑法には姦通罪があった(183条)。北原白秋が人妻と関係して獄に繋がれたのはよく知られた話である(弟らの奔走により夫からの告訴は取り下げになった)。現行刑法は明治40年制定、100年を軽く超えるため、この間いくつかの大改正を経ている。代表格が昭和22年の改正だ。日本国憲法施行により、憲法の精神にそぐわない条項がいくつも出てきたのだ。まずは皇室に対する罪(第2編第1章)が丸ごと削除された。

姦通罪いわく「有夫ノ婦姦通シタルトキハ2年以下ノ懲役ニ処ス其相姦シタル者亦同シ」。つまり、基本的に女の貞操を問うものであり、男の場合は既婚女性を相手としない限りお咎めはなかった。憲法14条は男女平等をうたっているので、この規定は違憲になる。そこで一部には「妻ある男性にも平等に適用するように改正すれば憲法に違反しない」との意見もあったが、結局、削除となったのである。だが──ここが大事なところだが──処罰されなくなったというだけで、違法であることは変わらない。違法には様々なレベルがあって、中で、よほどの違法行為だけが処罰の対象となるのだ(法秩序維持のために刑法はあえて出しゃばらないことを、刑法の謙抑性ないし補充性という)。不貞行為は、当然ながら離婚理由だし慰謝料の根拠である。相手が既婚であれば、その配偶者からも慰謝料を請求される立場である。つまり、賢い人、尊敬されるべき人が行うべきことでは断じてないのである。

ことに公人。公人に私生活はないと思ってよい。公人については、何をどう書いても言っても、それが嘘でない限りは名誉毀損にはならない(刑法230条の2)。幾多の損害賠償訴訟敗訴例を経て、今やマスコミは、確実な裏を取らない限り報道はしなくなっている。つまり、報道事実=真実と考えて、およそ間違いはないのである。国会議員は、公人の頂点に立つべき立場である。なのに、昨今、国会議員の不祥事、中でも不倫報道があまりに多すぎる。自民党の当選2回生に頻発するので魔の2回生とも言われ、公認の仕方に問題があると言われている。ただ、私自身はこれは最近の公認問題というよりむしろ、もっと遡って、選挙制度を中選挙区に戻さない限り、候補者の劣化は止まらないだろうと思っている。

さてこの度は、自民党ならぬ民進党2回生の不倫不祥事である。元検事が売りだそうだが、司法試験合格は遅く、5年ほどしか経験はない。夫と6歳の子供がいる。名前を全国に売ったのは「保育園落ちた日本死ね」に始まる待機児童問題を取り上げたからだが、自らの子供を放って、男と朝までホテルで泊まり、週4回も会っていたというのでは、これはお笑いである。以前、自民党の宮崎某が国会議員の育休などとぶち上げながら、妻の出産時に自宅に女を引き入れていたときの嘲笑と相通じるものがある。目前の欲望が、公人であることにも人間としての規範意識にも勝る人間は、およそ規範意識に欠け(犯罪者によくあるタイプである)、公人である資格などおよそ存しない。宮崎某が潔く?議員辞職をしたように、彼女もまた議員辞職に値する。他にも、離党ではなくきちんと議員辞職をして欲しいと思う議員がたくさんいる。

カテゴリー: 最近思うこと | 「不倫」と公人 はコメントを受け付けていません