衆院解散について考える

急に、解散が決まった。もとより従来、10月22日の衆院補欠選(愛媛、青森、新潟の計3区)時に総選挙をやれば与党有利との説は流れていたし、それはそうだろうと思っていた。とはいえ、北朝鮮の挑戦行為が現実にあるこの時期、40日間もの政治的空白をあえて作るようなことはしないだろうと踏んでいた。諸外国も驚き、理解はしないだろう…その読みが外れた。

まもなく28日に始まる臨時国会の冒頭で、衆院を解散するという。一切の審議もしないまま、解散をするためだけの国会である(閉会中の解散はしない)。国民にどんな信を問うというのか。何かそれらしい理由を拵えるようだが、審議した形跡はなく、とってつけた理由となる。もちろん、大義名分がなければ解散が出来ないとは憲法に書いてないし、どころか、解散権の根拠を天皇の国事行為を規定した憲法7条に求める以上、行政権としての内閣の権限であり、つまるところ総理大臣の腹一つで決まるのだと考えて、誤りではない。この臨時国会では例のモリカケ問題が俎上に上がる予定だったうえ、前原民進党は離党者続出で息も絶え絶えだし小池新党結成も緒に就いたばかり…自民党の獲得議席数を最大にするのは「今」であり、その後は下がるのみだとの読みも、おそらく間違ってはいない。

それでも、だ。解散には反対である。大義名分がなく議席数狙いが見え見えであることを置いても、これまでもずっと解散をし過ぎだと感じてきたのだ。憲法で定められた衆院の任期は4年なのに、実際は平均して2年9ヶ月。この前の総選挙は2014年12月、その前は2012年12月だった(いわゆる魔の2回生の当選)。制度としての議院内閣制に解散は付きものではあるにしろ、議院内閣制をとる他の国と比べても圧倒的に日本は解散が多く、実際の任期が短いのである(例えば、イギリスは任期5年で、解散には下院の3分の2以上の賛成が必要となり、実際の任期は平均して4年ほどある)。いわく「常在戦場」…議員は選挙区に精力的に帰らねばならず、腰を落ち着けて勉強をする大事な時間がないと感じてきた。特に選挙区の基盤が弱い新米の場合は(世襲でもない限り)「君たちの仕事はただ1つ、次の選挙に当選することだ!」。この点、6年の固定任期のある参院との差はあまりに大きい。

今の時期の解散では、国民の選択肢が、ない。安倍さんは強引だし傲慢だ、自民党は嫌だという人は周りにたくさんいるが、はてさて、じゃ民進党に入れるかと言えば、答えは一様にノーである。以前の民主党時にそれは手ひどく懲りた、あれらには任せられないという人ばかり。小池新党への期待も思いの外に薄く、知事選・都議選での圧勝は、彼らへの積極的な支持というより、反自民の受け皿だったのだろうと思わされる。入れる党・人がなければ選択肢はやむなく棄権であろう。投票率半数割れの過半数なんて、得票数は30パーセントにも満たないのである! 民進党がどれほど持ち直すか、新党がどれほど出来上がってくるか、どちらも期待薄ではあるとしても、衆院の任期は来年12月まである。待ってほしかったと思う。

さて、暴言の豊田議員が記者会見を開いた。順序としてはその前に支持者たちに釈明をすべきだった。無所属でも出たいようだが、自民党は候補を立てるはずである。山尾議員の選挙区には民進党は候補を立てないようだが、支持者の理解を得られるとは思えない。不倫云々もさることながら、党にとって大事な時期にこんなバカげたことをしでかして、その危機管理のなさは絶望的である。自民党の重鎮谷垣氏は自転車事故のリハビリが間に合わず、引退を表明した。魔の2回生たちにとっては3回生になれるかどうかの瀬戸際選挙となる。悲喜こもごもの結果にはそれなりのドラマはあるだろうが、しかしそれを楽しもうという気にはなれない。

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