夏本番、オリンピックが始まります

ずいぶん長い間書いてないような気がしていたが…やっぱり、1ヶ月半の経過である。この間私は(去年と違い対面授業に戻って)週1日大学に通っていたが、明日(祝日であるが)大学に行って前期の授業内試験を実施したあと採点をすれば、前期は終る。

今や巷の話題に事欠かないワクチン接種は、居住する港区に加え、勤め先の帝京大学からも案内があったが(医学部のある大学は接種態勢が万全なのである)、家から近い接種会場にした。副反応がひどいとの話が身近にも結構あり、丸3日仕事が休めるときに接種すべきだとのアドバイスを容れて、先週末土曜午前に第1回目の接種(ファイザー)となったのだが、接種箇所が少し痛くなったくらいで済んだ。3週間後に2回目の接種予定だが、今や主流は感染力の極めて強いデルタ(インド)株であり、既成のワクチンがどこまで効くのか、これで本当に大丈夫か?と思ったりもする。ワクチン接種が行き渡って社会に集団免疫が出来れば、個々の重症化を防ぐことができ、医療崩壊が起こるのを防げるのだが、その単純な理念の割に、実施はやたら遅れている。自前のワクチンがこれまでなかった、にしても、それくらいはすぐに開発できそうなものだと思ってしまうのだが…。

オリンピックは絶対にやる!との結論先にありきで、結局無観客開催になってしまった。無観客でやるのならば、東京でやる必要はあっただろうか。放映を見るだけならば、選手たちにはどこか涼しい所でやってもらえばよかった。そもそも7?8月という、耐えがたい猛暑であることを知悉しながらオリンピックを誘致したときから、大丈夫なのか、騙したと言われて日本の評判を著しく落とすのではないか、と気になって仕方がなかった。1964年の東京オリンピックは、日本が最も過ごしやすい10月に開催された。当時は8月でもたまに30度になるくらいだったが(「今日は30度を超えました」と小学校の日記に綴っていた)、環境破壊・地球温暖化に伴って毎年恐ろしく暑くなる一方である。今や7月の梅雨明け以降35度は常温、夜も25度以下に下がらない熱帯夜が続く。世界各地からわざわざ見えられる選手団も唖然としておられるのではないだろうか。どうぞ体調を崩さず、最善の競技結果を出されて、満足して帰国の途について頂きたいと切に願うものである。

さて、菅さんの総裁任期は(前任者の残りである)9月末日までである。そしてご本人は次もやろうと決めておられるようだ。都議選に勝利して(ホップ)、オリンピックを成功させて(ステップ)、解散総選挙を打って完勝すれば(ジャンプ)、総裁選は無投票当選になると踏んでおられたようだが、その目論見はすでに外れ、ワクチン接種が順調には進まないことも手伝って、支持率もだだ下がりである。無観客なりに、始めた以上はオリンピックの成功を願ってはいるが、結果次第では、菅下ろしが活発化するのかもしれない。

10月21日には衆院任期が来るので、最も遅くても11月中には総選挙があるのだが、支持率の上昇を期待して、そちらの方向にするかもしれない。総裁選はその前にあるのだが、無投票再選はないし、前回のように事実上国会議員投票にのみ拠った簡易な総裁選をまたやるわけにもいかず、全党員・全都道府県を巻き込んだ通常の総裁選が行われると思われる。一体誰が立候補して、どんな結果になるのか。

小選挙区制度では公認は党本部が決めるようになり、注目の山口3区はじめ、公認が問題になっている選挙区がいくつもある。いずれも例外なく、二階派議員が絡んでいるのだが、そもそも派閥の長が、公党幹事長の公的な立場を兼ねるのがおかしくはないのだろうか? 万一兼ねるとすれば、派閥の長の立場は引っ込めるべきである。そういう基本が出来ていないから、無用な争いを招き、マスコミを姦しくしている。ある所では現職(自派)優先といい、またある所では、現職がいながら自派議員が公認されるべきだとする。まさにダブルスタンダード。今更ながら、どうか真っ当な自民党に戻って欲しいと心より願うものである。

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『知らないうちに、兄が母の預金を引き出していました』

自由民主党月刊女性誌「りぶる7月号」

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菅原一秀さん議員辞職…

関西ではとうに梅雨入りし、こちらでも雨が降り続いているようなのに、梅雨入りはまだだそうだ。本当に天候不順である。コロナ禍という、ある意味での戦争が続いていて、「平和の祭典」どころではないだろうと思うが、オリンピックはどうやら、本当にやるらしい。

もう1年も前になるが、昨年、菅原さんの寄付行為について検察が起訴猶予にしたのはおかしいではないかと、某週刊誌からコメントを求められ、お断りしたことがある。正直、まあそれくらのことでそうとやかく言わないでもいいのではないか、と思っていたのである。寄付行為はせいぜい罰金であり(公職選挙法上、1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金)、例えば河井夫妻の買収事件と比べればあまりに小さく、また以前、別の議員の明らかな寄付行為が不問に付されていること(例えば、自分の写真入りワインが選挙民に配られていたケースもある)などを考慮していたのである。なんであれバランスが大事である。

ところがどっこい。申立てを受けた検察審査会が起訴議決をした結果、検察は一転、略式請求を決めたのである。本人が事実を認めている以上(だからこそ不起訴理由は「嫌疑不十分」ではなく「起訴猶予」であった)、検察が略式請求にしてやるというのを拒否して、わざわざ正式起訴をさせる(そして時間稼ぎをする)というのは筋が通らず、略式請求には応じざるをえない。応じれば判決はすぐに出て確定し、罰金と共に3年ないし5年の公民権停止がついてくる。つまりは失職するのだから、その前に自ら議員辞職をしておくべきだ。となると秘書らも失職する。まだ59歳。公民権停止期間を徒過して再び選挙に出る…ということは事実上難しいだろう。経産大臣まで歴任しながら、なんとまあ呆気ない幕切れだろう。

という次第で、私は昨年7月の自らの不明をことのほか恥じることになった。仮にも公職選挙法違反である。綺麗な選挙のためには、各人が襟を正して、きちんと法律を遵守すべきなのだ。ちょこちょことした額の寄付を総額30万円程度とはいえ、それは当然罰せられなければならなかったのである。そもそも公職選挙法違反への対処は重くなっている。数年前に弁護した買収案件は、いわゆる日当買収だったし、総額16万円程度であり、検事時代の感覚では罰金で済んでいたので担当検事(知り合い)にその旨頼みに行ったところ、「先生。買収は厳しくなっていて、10万円を超えたらもう罰金では済みませんよ。起訴ですよ」と言われたのだった。新聞にも極悪非道のように実名掲載されて、時代は変わったものだと思っていたのである。

とはいえ、某幹事長の、「選挙はすっかり綺麗になり、お金は絡まなくなっている」趣旨の発言にはずいぶんと白けた。まさか。河井夫妻の買収事件は!? 元はといえば党からの1億5000万円の不透明な支出が根源にあるし、広島の地方議員らが多数買収され、本来であればその全員が被買収罪として公民権停止(=失職)になるべきだったのだ。検察では事件が検察審査会に行かないよう、立件さえしなかったと聞いている。

コロナ戦争も終わりが見えない中オリンピックは強行され、内閣支持率はだだ下がり。そんな中、近いうちに解散総選挙が行われることは確実である。菅首相がもつのかどうか、ポスト菅は誰になるのか…。

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『急逝した夫に、腹違いの弟がいることが分かりました』

自由民主党月刊女性誌「りぶる6月号」

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宮?勤事件…茨城一家殺傷事件

思い立って、少し前から「断捨離」を始めている。一気呵成にとはいかず、休み休みなので、なかなか片付かないのであるが、千里の道もまず一歩から、である。雑貨は選別して(もったいなくても)捨てる。服や小物は人にあげたり、捨てたり、バザーに出したり…。本や書類もたくさんあるので、やり出したら、本当に切りがない。うち書類は気軽には捨てられないものも多く、事務所に持参し、秘書に裁断のうえ捨ててもらっている。

「幼女連続誘拐殺害事件判決書(被告人宮?勤)」(東京地方裁判所刑事第二部)の冊子(白表紙)は大変分厚い。全739頁。連続して4件の女児強制わいせつ殺害事件が起こったのは昭和63年8月?。5件目が未遂となって逮捕され、最初の起訴は平成元年9月だった。平成9年5月、死刑言い渡し。一審に7年もの歳月を要したのは、ひとえに責任能力についての精神鑑定を3回も行ったことによる(起訴前は簡易鑑定しかしていない。人格障害であり責任能力に問題がないとの鑑定結果を信頼したからである)。平成10年4月、この部に対応する東京地検公判部第2検察官室に配属になった私が、前任者から、記念にと貰った冊子なのである(何らかの理由で審理が遅れた場合、私がこの事件に立ち会っていたことになる)。

犯行声明を新聞社に送りつけ、野焼きされた被害女児の遺骨を遺族に送りつけたのは、日本の犯罪史上例がなく、当時の新聞もテレビも連日報道をしたことは、今なお記憶に新しい。それから8年ほど経った平成9年、やはり衝撃的な神戸連続児童殺傷事件が起こった。犯人が14歳の中学生であったことから世間に大衝撃を与えたが、もちろん容疑者は宮?事件を踏まえて行動していたはずである。両者共、人を殺害する前に、猫をはじめとする小動物に残虐な限りを尽くしているが、前兆となる小動物虐待は、こうした快楽殺人には世界おしなべて共通するものと言われている(長崎の15歳女子が同級生を殺害した事件も同じであった)。精神障害に関するバイブルのような『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院)を見ると、「反社会性パーソナリティ障害(=人格障害)」の一種であろうし、世間によく言われるサイコパスの、やはり究極の形であろう。

神戸事件の犯人は刑事責任年齢には達していたが、少年法の(二重基準である)刑事処分年齢16歳には達していないため、医療少年院送致にしかならなかった。普通少年院収容期間は長くて2年程度であるが、彼の場合は収容継続が繰り返され、結局7年ほど少年院にいたと思われる。それでも22?3歳であり、満期退院から16年ほど経つ計算だから、今は38歳頃であろう。また事件を起こしたとは聞かないが(お騒がせな本を出したりはしたが)、どこでどうしているのか、ふと気になることがある。

さて、一昨年9月に起こった茨城一家殺傷事件。手がかりが薄いらしく、迷宮入りかと思われたが、この度、埼玉県に住む26歳の男が逮捕された。茨城県警はじめ関係者の大変なご努力を多としたい。本当に、ものすごいプレッシャーの中、日夜どれほどの精勤に励まれたことか。殺しがあれば、金銭関係、男女関係、怨恨の線を洗っていく。本件では何のトラブルも見つからなかった。物色された跡もなく、金目当ての犯行ではない。…となると動機は…通り魔的な快楽殺人。そうした性癖を持つ者がそんじゃそこらにいるはずもなく、前科前歴を丹念に洗っていくことになる。30キロ離れてはいるが、容疑者が線上に上がってくるのは存外に早かったかもしれない。

報道によれば、容疑者は今を遡る10年前の16歳の頃、小2と中3の女児に刃物で切りつける連続女児殺傷事件を起こしている。殺人未遂・銃刀法違反などの罪名だ。あまりに重大な犯行であり、更生の見込みも薄いと判断されたのであろう、少年の処分権限を持つ家裁が少年院送致では済まない「刑事処分相当」として検察庁に逆送して、起訴となった。猫などへの虐待の数々も当然ながら裁判所に提出されたはずである(猫の生首を持って学校に来たらしい)。

検察の求刑「懲役5年以上10年以下の不定期刑」はずいぶん軽いと思われそうだが、少年法では、これが有期懲役刑の最高なのである(平成26年改正の際、「懲役10年以上15年以下」まで引き上げられた)。弁護人が被告人の精神的な障害なり未熟さを主張し、これを受けて裁判官が、まだ18歳にもならない少年を刑務所送りにするのはできたら避けたいと考えたのであろう、家裁移送とし、結果医療少年院送致にしかなっていない(家裁移送決定はたまにあるが、極めて少数である。家族の殺害で見たことがある)。

このときに刑務所に行っていれば、通り魔殺人に快楽を見いだすこの容疑者が、出所後再び事件を起こさなかったはずだ、と言うつもりはない。人生をやり直せないのと同様、そのときに時間を戻してシミュレーションすることはできないし、そもそもこうした性向は人格に深く根ざし、そうやすやすと変わるものではないと思うからである。しかしながら、この裁判が間違っていると思うのは、同じ殺害でも、家族や友人との軋轢からその相手を殺害した事件であれば(多数の事件はそうである)、環境を変えたり考え方を変えたりできれば、再犯は防げる類いのものであるのに対し、全く無関係の通りすがりの女子に対し、性的興奮を得るために刃物で殺傷するというのは全く性質の異なる態様だからである。後者については更正を考えにくいのだから、セオリー通り、規定通り、刑務所にやることしかない。少年だから…立ち直るかも…などと甘い私情をそこに差し挟むのは裁判の在り方からして、間違っている。

報道によれば、容疑者は18歳頃から5年ほど医療少年院にいたようである(神戸連続児童殺傷事件と同じく、ずいぶんと長い)。平成30年に退院して、翌(令和元)年9月にこの大事件を起こしたのである! 反省の色など、ありはしない。どころか、どうやれば捕まらないかといろいろ考えたはずである。通り魔では捕まるから、民家に入るのはどうだろうか。その際狙うのは、人目につかない、防犯カメラもなさそうな、文字通り「ポツンと一軒家」である(その種番組は面白いが、変な人たちに狙われることはないのか、心配である)。今はわざわざ現地に行かなくても、パソコンで「物色」することができる。ドンピシャなのを見つけ、下調べをして、あとは決行、だったのであろう。

警察は、いろいろな情況証拠を積み上げ、検察との協議も入念にしているし、今後の捜査の進展及び起訴を待つことになる。裁判員裁判となるので、起訴後は公判前整理手続に付され、2年ほどは公開にならないであろうが。一般に殺害には動機があるが、それがただの快楽であれば、被害者と犯人を結びつけるものは何もない。そこから犯人検挙に至るのは大変難しいことであるが(世田谷の一家殺人事件は捕まらない)、数は少ないにしろ(切り裂きジャックにしても、「羊たちの沈黙」にしても、肉食の国に多いと言われている)一定数は存在するこれら快楽殺人者に対して、捜査も公判もまた処遇もどのように臨めばよいのか、考えねばならないことのように思われる。

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