官邸対検察、に思うこと

月曜、この数年間(賀状以外は)音沙汰のない人から、突然電話があった。面倒なことが起きて私に頼みたいとのこと、今いろいろと忙しく手が空いてないので、申し訳ないのだがとお断りした。4月来どうなることかと思った大学のほうは、当初手探り状態だったオンライン授業を今月終え、来年早々の試験問題も昨日作った。今年の執務もあと来週1週間を残すばかり…。どうぞ平和に終わりますように。

さて、例の黒川検事長違法定年延長問題。渦中の本人が5月のコロナ自粛の中、親しい記者を巻き込んで賭け麻雀に興じていたことが文春に報じられて、急転直下のアウト!になったことは未だ記憶に新しい。まるで何事もなかったかのように、稲田総長は予定通りの時期に退任し、意中の林さんが後任の総長に就任した。これら一連の経緯について、検察に詳しいとされる某記者が書き下ろした本が出版されたことは知っていたが、買ってまで読む気はなく、そうしたところに知人が送ってくれたので、一読した。

黒川・林とたまたま検察同期(35期)である私の名前が登場するのは仕方がない。だが、この2月、サンデー毎日取材で、検察庁法(=特別法)に定められた検察官の定年を、国家公務員法(=一般法)を根拠に延長するのは「違法」として、私があえて実名取材に応じたのは、ただ違法であるが故であった。別に黒川が悪いとか稲田がいいとか言う、個別の問題でないのは当然のことである。それを「稲田さんが定年になる来年までやれば黒川総長は吹っ飛ぶ」といった一部の台詞を切り取り、稲田さんにエールを送ったとするのは(そして、本当に定年まで頑張ろうと考えた?)、いくらなんでも勝手な解釈過ぎるであろう(取材した記者自身がびっくりして、その旨私に知らせてきたくらいである)。ことが違法でさえなければ、黒川総長が誕生して何の問題もないことである。

そもそも組織というものは、誰がトップになってもつつがなく続くものである。もしそうでない組織があるとすれば、それは組織として脆弱である。検察もまたしかり。何も検察ひとり特別なことなど、ありはしない。そもそも大体2年毎に検事総長は変わる。それが誰か、でそれほど変わるとすれば、組織として一貫性がなさすぎるのだが、政治家の汚職を摘発できる特殊な立場故であろう、個別の検事の特性に注目しすぎた報道がよく見られ、疑念を感じている(周囲の検事たちも同じ意見である)。

この一連の経緯について、疑問は未だにいくつかある。経緯がどうあれ、トップである稲田さんが黒川の違法な定年延長を止めなかった(止められなかった?)以上、その責任は取るべきではないのかということが一つ。また、文春砲がなかったら、黒川の定年は今年8月まで延びていたのだから、稲田さんが林さんに譲ろうとしても(林さんは7月で63歳の定年になる)官邸の不承諾は明白であり、官邸に屈しはできないと稲田さんが考えるのであれば、定年まで居座る(少なくとも黒川の定年延長終期をやり過ごす)ことしか出来なかっただろうし、事実その腹だったのではないかということが次にある。本当に、どうする気だったのだろうか…。個人的には、大いにケチがついた35期はこの際飛ばして、36期に総長のバトンを継がせれば空気は刷新されただろうし、そう思っていた人は結構いると思う。

検察人事に官邸が介入することは、やはり慎むべきだと思っている。政界に有利な検察人事であると世間に思われるだけで、検察の信頼性は揺らぐのである。そして、この介入をきっかけに、何にでも介入できるし介入すべきだとの姿勢が一貫し、世間を騒がせた日本学術会議任命拒否問題も起きたのではないかと思っている。権力は抑制的に行使されなければならない。強い権力ほどそのことを自覚しなければならない。

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